15.再会
カイルの死から数年後……
「それじゃ、行ってくる」
「あなた、行ってらっしゃい。気をつけてね」
「とうちゃん、いってらっしゃいー‼︎ でっかいサカナつってね‼︎」
「おうよ! ファドは母ちゃんのことよろしくな」
「おうよっ‼︎」
シドはいつものように妻子に見送られ、沿岸漁業へ向かう。
不妊体質と思われていたイサナだが、3年前には待望の息子を授かり、健康状態も以前より良好だ。
息子ファドは元気の有り余ったやんちゃ坊主だが、素直で思いやりのある良い子に育っている。
正に順風満帆。理想の温かい家庭を築いている。
かつては罪悪感と自己嫌悪感に苦しんだシドだが、心から愛し合う喜びを知り、自分も他者に優しくできることが嬉しくて、自己肯定感を持てる様になった。
イサナと結ばれたシドは、人生の中で初めて幸福感に満たされた日々を送っていた。
***
その日、漁を終えて帰港しようとしていたシドは、沖の方に狼煙があがっているのを見つけた。
近付いてみると見慣れない小型漁船に、麦わら帽子を被った男が1人見える。
男は両手を大きく振って「助けてくれ」と叫んでいる。どうやら難破船のようだ。
救助しようとシドが船を並べると、男は素早くシドの船に乗り込んでくる。
「ツナ‼︎ ツナじゃないか‼︎」
「お前は……ガル…………」
顔が見えるように帽子を後ろに下げた男の正体は、ガレオス号でもオルカ号でもずっと底辺のイジメられっ子だったガル。
オルカ号を沈没させたことで殺したはずの船員の1人だ。
信じられない再会に硬直するシドに対し、元イジメられっ子は古い名で親しげに話しかけてくる。
「あははっ! ツナでもそんな驚いた顔するんだね! 大丈夫、幽霊なんかじゃないよ。僕、あの日は偶々、先輩たちから古い救命ポッドに閉じ込められて、倉庫に放置されてたんだ。そのおかげで助かったんだよ! 古いポッドでもなかなか頑丈なものでさ、漁村に流れ着いて助け出されたのさ。……ツナはどうやって助かったんだい?」
「オレは……よく憶えてねぇよ……気付いたら、知らねぇ浜に流れ着いてた……」
「へぇ〜、ツナは誰にどこで助けられたんだい?」
「誰にって……いや、誰でもねぇよ。オレはずっと1人だ」
シドは嘘をついた。嫌な予感がしていたからだ。
シドはガルに対してガレオス号の洗礼で暴力を振るった後、積極的にイジメを煽動することはなかったが、皆と一緒になって嗤ったり野次ったりすることはあった。
あそこでは弱者に優しくすると自分まで舐められるからだ。自分が的にされない為、他の的を攻撃するのは当たり前だった。
それなのに、こんなに親しげに話しかけてくるなんて不審過ぎる。
自分が優しくしてこなかったから、相手を信じることができない。
そもそもオルカ号は本当に沈没したのだろうか?
他の船員たちは本当に皆死んだのだろうか?
……実はオルカ船長たちがまだ生きていて、裏切り者に制裁を与えるべく探していたのでは……⁇
ガルは海賊から仕向けられた刺客ということもあり得る。
一見弱くて無害そうなガルほど、油断させるのに適任はいないかもしれない。
冷や汗が止まらないでいるシドに、ガルは腰に挟んでいた地図を広げて見せる。
「案外、僕たち近くに流れ着いていたのかもね。今はどこでどんな生活をしているんだい? そういえば、ツナは海賊名だよね。本名は?」
「オレにばっか聞くんじゃねぇよ。先にお前をどこへ送っていけばいいのか教えろ。船も引っ張って行かねぇといけねぇんじゃねーのか?」
「そのことなんだけど、実は船はどこも悪くないはずなんだ。ただ、動力用の魔石が切れちゃってさ……そっちのを分けてもらえるかい?」
「ああ、わかった」
シドはガルに必要な魔石を持たせると、一緒にガルの船へ移動した。
その間もガルは色々尋ねてきたが、シドは妻子がいることを隠し、定住地は無く漁船暮らしをしているフリをし、本名も明かさなかった。
しかしそんなシドに対し、ガルは親しげに話しかけ続ける。
「そうだ、ツナ! このまま僕の住む村まで一緒に来てくれないかな? 僕、ツナに恩返しがしたいんだ。ツナは憶えてないかもしれないけど、サハギン島ではツナに命を救われたからさ。今いる村は小さいけど、とても良い村だよ。あの村で人の優しさに触れて、僕は人の心を取り戻せたんだ。きっとツナも気にいるはずだよ! 海賊だったことは隠してさ、普通の漁師になればいいんだ。住むところは僕から村長さんに頼んでみるからさ」
「サハギンのことも今日のことも大したことじゃねぇ。そこまで世話になる義理はねぇよ」
「実はさ、僕……流れ着いた村で世話になった女性と家庭を持ったんだ。散々悪事に手を染めて、多くの人を不幸にしてきたのに、元海賊が幸せになっていいのか?……なんて葛藤もあったんだけど、僕は今とても幸せだよ。それもこれも生きていたからこそ。命の恩人のツナのおかげなんだ。それに、自分が幸せだと自然と他の人も幸せにしたくなるっていうかさ……だから、僕に付いてきてくれよ。絶対に後悔させないからさっ」
ガルは照れ臭そうにはにかんだ笑顔で言った。
海賊時代は怯えた表情しか見たことがなかったが、こんな風に笑える奴だったのかとシドは驚いた。
笑うことすら不自然に思うほど、当時は彼の人間性を蔑ろにしていたのだろう。
「お前……本当に変わったな……」
「そりゃあ何年も経てばそうさ。堅気になって、結婚もしたし、子供も生まれて父親にもなったから」
「子供も……?」
「ああ、今年で3歳になる1人息子がいるんだ。そうそう、村では海賊名のガルで呼ばないでくれよ? 僕、村では本名で暮らしてて、本名はシドって……うわっ⁉︎」
ガシッ‼︎
ガルの本名を聞いた途端、シドはガル……もといもう1人のシドの胸ぐらに掴みかかった。
「おい……オレの妻と息子に何をした⁇」
「え……⁇ 妻と息子?……ツナはずっと1人だったって言ってたよね?」
「とぼけるんじゃねぇ‼︎ 本当は知ってやがったくせに! 田舎村に流れ着いて、漁師になって、世話になった女と結婚して、今年で3歳になる1人息子がいて、本名はシド! ここまで全部オレと同じなんて、そんな偶然あるかよ⁉︎ とっくに村のことも今の家族のことも調べてあるんだろ⁉︎ オルカたちも本当はまだ生きてやがるんだな⁉︎ お前がオレを足止めしている間に、他の奴らが家族を襲う作戦だったんだろ⁉︎⁉︎ チクショウ‼︎ 今度こそ全員ぶっ殺してやる‼︎‼︎」
シドはガルを掴んだまま船の操縦席へ向かうと、村へ向かって船を一気に加速させた。
掴まれたガルは苦しそうに踠きながら、シドに説明を求める。
「ど、どういうことっ⁉︎ ツナも僕と同じ名前だってこと⁉︎ それで本当は結婚して息子がいて……⁇ それで僕が疑われてるの⁉︎ でも、でもっ、えっ、あのっ……今度こそ全員殺すってどういう意味⁇⁇ だってあれは軍の攻撃だって、ポッドの中にも聞こえてたよ⁉︎」
「そんな演技に騙されるもんか‼︎ お前の話は全部作り話に決まってる‼︎」
「ツナ……そうか、君は僕を信じてくれてないんだね。それなら……」
カチャリ……
何かを思いついたガルが懐に手を入れ、そこから微かな金属音がした。
殺られる!
……そう思ったと同時に、シドは目にも止まらぬ速さでガルの胸をナイフで一突きにした。すると……
カシャーン!
何が起きたかもわからぬ内に絶命したガルの手から、何かが落ちた。
それは武器でも魔道具でもなく、ただの金属製の煙草入れだった。
シドが拾い上げてみると、煙草入れの中からヒラリと一枚、紙切れが血溜まりの中に落ちた。
男と、妻と、子供……血に染まっていくそれは、幸せそうな家族写真であった。