11.海の家の居候
シド漂着1週間後。
コンコン!
「シド、起きてるかしら? イサナよ。お世話しに来たわ」
「…………」
ガチャリ!
「おはよう、シド。起きてるなら返事くらいしてよ」
「しねぇでも勝手に入ってくるんだからいらねぇだろ」
「私はあった方が嬉しいわ」
既に昼に近い朝。海の家を訪ねたイサナは、閉め切ったカーテンと窓を開け、換気を始める。
長椅子でゴロゴロしていたシドは、イサナが近くに来ると、中が見えない程度にスカートを捲ってちょっかいをかける。
「開けちまったらやらしーことできねぇだろ」
「する気もないくせに」
イサナは立ち止まらず、シドの脱ぎ散らかした服を洗濯カゴに回収していく。
毎朝イサナは弟を仕事へ送り出すと自宅の家事を済ませ、昼前にはシドを訪ねて昼食を作り、午後からはシドの家事を代わりに済ませ、夕食は自宅の分もシドの分と一緒に作り、夕方迎えに来た弟と帰る……
こんな小間使いのような扱いをされて不満が溜まらないはずがない。それがシドの狙いだ。
シドはわざとダメ男を演じ、イサナに愛想を尽かされようとしているのだ。
自分が居なくなろうと、イサナが傷付くことがないように。
そんなわけでここへ住みついて丸1週間、仕事もせずに2食昼寝付きのヒモライフを送っているシド。
表面的には楽ばかりしているはずが、内心では罪悪感と自己嫌悪でただただ消えたくなるばかりだ。
何もしないというのは、考える時間も多く、なかなか辛い苦行である。
一方のイサナはというと、小言を言いながらも常に上機嫌で、シドのために何かできるのが喜びであるかのようだ。
今日も鼻歌混じりで昼食の準備に取りかかる。
「♪〜〜♪♪〜〜♪〜〜…………………………」
不意にイサナの鼻歌が途切れた。
同時に作業をする音も止み、シドは不審に思って厨房を振り返るが、カウンター越しにイサナの姿は見えない。
「おい?」
「………………」
呼びかけてみるが返事も無い。
嫌気が差したのか? 気を引こうとしているのか?
どちらかわからないシドは、イサナに気付かれないよう気配を消して中を覗く。すると……
「イサナ⁉︎⁉︎⁉︎」
「…………」
青ざめたイサナは、流し台下の収納扉に寄りかかるように座り込んでいた。
シドはカウンターを飛び越えて素早く厨房に入り、イサナの体を支える。
「おい⁉︎ どうした⁉︎ しっかりしろ!」
「…………シド……ごめんなさい……急に目眩が……」
「診療所へ連れてく」
「待って……いつものことだから……薬を飲んで寝てれば、落ち着くから……」
「いつものこと⁇ 薬ってどれのことだ⁇」
「……………………」
「おい⁉︎ イサナ! イサナ‼︎」
薬の場所も教えずにイサナが気を失い、シドはイサナを抱えて診療所へ向かった。
なるべくイサナを揺らさないように気遣いつつも、デッキから屋根、屋根から崖上へ飛び移るという人間離れした近道をした為、目撃者はシドを魔物と空目するほどだった。
***
半日後。
イサナが診療所のベッドで目を覚ますと、椅子に座ったシドが顔を覗き込んでいた。
「ようやくお目覚めか……気分はどうだ?」
「もう大丈夫……ありがとう。……ずっと手を握っててくれたの⁇」
「あんたが勝手に繋いできただけだ……」
「ふふっ……」
照れ臭そうに顔を背けながらも、汗ばんだ手は離さないシド。
その横顔が紅潮したのも一瞬のことで、すぐに沈痛な表情に戻る。
「医者先生からこってり説教されたぞ。あんた……生まれつき体内魔脈が不安定で、虚弱体質なんだってな。それなのにオレの分の家事までやって、完全に過労だってよ。…………ばか。何やってるんだよ? オレがいないと死ぬって言ったくせに、いても死にかけるとかふざけんなよ……」
「死にかけたなんて大袈裟ねぇ。ちょっと寝てただけでしょう…………あら?」
イサナはふと窓を見て驚いた。いつの間にかすっかり日が暮れている。
「今日はあんた、このまま入院だ。……あんたの弟にはめちゃくちゃ殴られたぜ。ま、オレは頑丈だから全然平気だがよ」
「そう……カイルは?」
「病室で暴れるなって医者先生に説教された後、そのまま診察室で話し込んでる。絶対あんたの傍に居座ると思ったんだがな……医者先生がオレたちに気を遣って、足止めしてくれてんのかもしれねぇ」
「そっか。エリカ先生は昔からよく家に様子を見に来てくれて、私たちにとって母親代わりみたいなものだから、カイルも逆らえないの。うちは母さんも病弱で早死にして、父さんも漁の途中で大怪我して……」
「それも医者先生から聞いた。あんたの親父さん、海賊に襲われてる商船を助けようとして、殺されたんだってな……」
「10年以上前の話よ。あなたはまだ子供の頃で関係ないわ。犯人たちもとっくに捕まってる」
「だけどよ、海賊ってことは……」
シドはまだ何か言おうとしたが、イサナは唇に指を置いて遮った。
***
私ね、こんな体だから、生まれた時からずっと『いつ死ぬかわからない』って言われ続けてきたの。
きっと両親も、まさか私の方が長生きするなんて思ってなかったでしょうね。
子供を授かるのも難しい体だから、嫁ぎ先だって限られてる。
あなたと出会うまでは、恋愛なんてしようと思えたことすらなかった。
今でこそ色々できるようになったけど、昔は普通の子供たちと一緒に遊ぶのも難しかった。
いつも家に引きこもってばかりの暗い私を、家族はとても丁重に扱ってくれた。
特にカイルは小さい頃から両親が死んだ後もずっと、私のことを大切にしてくれてる。自分より優先してまで。
カイルはね、子供の頃から体が大きくて、性格も真面目で勤勉だったから、他の子供たちのリーダー役を任されることが多かったの。
カイルの恋人もそんなカイルを小さな頃から慕ってくれてて、彼女の両親もカイルのことをとても気に入ってた。
だから彼女たち一家が町へ移住するとき、カイルを婿養子に迎えたいと申し出があったの。
けれどもカイルはその返答を先延ばしにした……本人は否定するけど、きっと私に気を遣ったんだわ。
でもその厚意が、私には……重い。
ずっとそう……私は可哀想そうな弱者として、守られてばかり。
それはとてもありがたいことだとわかってる。家族は私が好きで、私も家族が好き。
だからこそ辛かった。
死ぬ死ぬ詐欺で優しさを巻き上げてるみたいで嫌だった。皆の人生をすり減らしてるみたいで。
自分が他の誰かにとって、負担にしかなれない存在だなんて……そんなの、惨めだわ。
……初めてあなたを見つけたとき、安堵したの。
あなたは意識朦朧としてて何を言ったか覚えてないでしょうけど、あのとき、自分より孤独な人を見つけたと思った。
酷いでしょう? でもね、それと同時に救いたい、幸せにしたいと強く思ったのも真実なの。
守られるだけでなく、守れるようになりたかった。
頼られたい。信頼されたい。誰かの役に立つ存在になりたい。本当はずっとそう願ってた。
だからね、どうか私にあなたを助けさせて?
そうすることで私はやっと自分の成したいことを成せてるの。
誰にも何も期待されない人生、理想を諦めて死を待つだけの人生なんてもう嫌。
あなたを私の生きがいにさせてほしいの。
余裕なんて無くて必死。弱さの裏返しの強がりだけ。
そんな私だけど、どうか……あなたの運命にしてほしいの……
***
「オレがあんたと一緒になれば、カイルは村を出て彼女と一緒になれる。それが本当の望みなんだな……」
「それもある。けど、それだけじゃないわ。言ったでしょ? 初恋だって。私、あなたを愛してるし、あなたに恋してる。本気よ」
「…………とにかく、明日からはオレのとこには来るな。本当は自分の世話くらい自分でできる」
「でも……」
「その代わり、オレがそっちに行く。仕事も、カイルに頭下げてちゃんと手伝わせてもらう……ひとまずはそれでいいだろ? カイルが安心して婿に行けるまで、オレはあんたの恋人になる」
「恋人は期間限定?」
「贅沢言うな」
「いいわ……ひとまずはそれで。でもいつか、永久契約になることを期待してるね」
「…………カイルと医者先生に、あんたが目を覚ましたって知らせねぇとな」
シドは席を立ち、イサナは名残惜しそうに繋いだ手を放して見送った。
翌日から早速、シドはカイルの沿岸漁業に同行するようになった。
元々船での仕事には慣れていた為、すぐに一人前の漁師を名乗れるくらいになった。
体力があるので仕事後もイサナの家事を手伝い、夕食はイサナの家で食べ、海の家に寝に戻る生活を続けた。
春が終わり、夏が来る……