10.お人好しの村
同日午後。村長邸、玄関。
「姉さんとお前が付き合うなんて、僕は絶ッッ対認めないからな‼︎」
「さっきから何回言うんだよ、シスコン野郎」
「黙れ‼︎ きっとお前が姉さんに何かおかしな術でもかけたに違いない! じゃなきゃ姉さんがお前みたいなガラの悪い男を突然好きになるはずないんだ! そうだろ⁉︎」
「…………」
「沈黙は肯定だな!」
「てめぇが黙れって言ったんじゃねぇか」
シドはイサナの弟カイルに連れられ、村長邸へやって来た。
広場まではイサナも付き添っていたのだが、姉に変な術がかけられていないか疑う弟の指示により、診療所へ検査に行かされてしまった。
カイルはこの日、遠距離恋愛中の彼女とデートの約束をしていたが、見知らぬ男を看病することに決めた姉の身を案じ、待ち合わせ場所で謝って中止にしてもらったという。
そうして急いで帰ってくると、鍵のかかった海の家で姉が半裸の男と2人きり、仲睦まじく昼食を囲んでいる現場に遭遇したのである。
……もっとも、仲睦まじくというのはカイルの主観であり、実際のシドはイサナの情緒に戦々恐々としていたのだが。
食後、他に着替えの無いシドは仕方なくカイルの古着を貰ったが、丈が余って腕捲りと腰紐でなんとか身に纏えている状態だ。
長身で逞しい大男のカイルと、小柄で着痩せする隠れマッチョのシド。
並ぶと大人と子供のようにも見えるが、意外にもカイルの方が年下である。
「怪しい奴は村長さんに村を追い出されてしまえ。姉さんにお前なんか必要ない。フラれろッ」
「そう言うシスコン野郎こそ、女の優先順位ミスってると恋人にフラれるぜ?」
「うるさい! 僕と彼女は何年も前から将来を誓い合って、固い絆で結ばれてるんだ! 別れるなんてあり得ない!」
「向こうはどうだかな」
お互い殴りかかりたい気持ちをイサナの為に堪え、睨み合う2人。
そこへメイドがやって来て、村長の準備が整ったから部屋に入るように伝えた。
カイルにはつい言い返したが、内心シド自身も村から追い出されるならそれが良いと思っていた。
これだけ姉離れできない弟がいるならイサナは大丈夫だろう。自分に対する大袈裟な振る舞いも揶揄っただけかもしれない。そう思うと気楽になれた。
***
「にゃ。初めましてにゃ、遭難者さん。ワタシが村長のクリソベリルですにゃ。気絶中にあなたを診たエリカ先生からは、簡単に報告を受けていますにゃ。これから詳しくお話を聞かせていただいた上で、この村でのあなたの待遇を決めさせていただきますにゃん」
「……あんたが村長だって? 悪い冗談だろ」
村長を見て、シドは目つきを険しくした。すぐさまカイルがシドに掴みかかる。
「村長さんになんてこと言うんだ⁉︎ 村長さん、こんな怪しい奴さっさと村から追い出すべきです!」
「明らかにこの部屋で1番怪しい奴は村長だぜ」
シドはカイルには目もくれず、クリソベリル村長を睨み続けた。
村長の全身を覆う着ぐるみ風ローブと、道化師めいた仮面。肌露出面積0の完全防備は、確かに不審が過ぎている。
それでもカイルにとって排除すべきはシドの方に変わりない。
「こんな無礼なならず者、今すぐ追放しましょう!」
「それを決めるのはワタシですにゃ。カイルさんは落ち着いてくださいにゃ」
「そうだぜ、シスコン野郎。オレはこの村長と2人きりで話したいことがある。お前は大好きなお姉ちゃんの様子でも見に行ってこいよ。もし仮に、オレがさっきの昼食に遅効性の毒でも入れてたなら今頃は……」
「⁉︎⁉︎⁉︎ この外道がッ‼︎‼︎」
ドンッ‼︎
カイルはシドを突き飛ばすと、姉のもとへ向かうべく部屋を飛び出していった。
村長は席を立ち、チリンチリンと微かに鈴の音をさせつつ、心配そうに歩み寄る。
「今のはいくらなんでも言ってはいけない嘘ですにゃ」
「そーゆーあんたの嘘はどうなんだ?」
カンッ!
「ぎにゃあ⁉︎」
それは一瞬のことだった。
飛び上がったシドの足が村長の仮面を真上に蹴り上げ、その勢いでフードも後ろへ捲ってしまったのだ!
悲鳴をあげながら顔を押さえて蹲る村長……その頭部には大きな三角の獣耳が付いているし、頭部だけでなく顔もびっしり毛に覆われている。
半獣人ですらない、完全な魔獣である。
「意地悪ですにゃん! そんにゃに勢いよく取ったら、お面の摩擦でお鼻を火傷しちゃいますにゃんっ!」
「にゃーにゃーうるせぇ魔獣だな。村長のフリなんかして何を企んでいやがる? 本物の村長は既にお前の腹の中か? 村人全員喰っちまうつもりじゃねーだろーな?」
「そんにゃことしないにゃん‼︎ 本当にこの村が出来たときからずっとワタシが村長だったにゃんっ……ワタシは、いつか大好きな人がここに帰ってきてくれる時のために、ここをいつも居心地の良い場所にしておきたいのですにゃ。そのためにも、村と村人さんたちはちゃんと大事にしてますにゃっ」
「そいつが親玉で、あんたはそいつに喰わせるための人間を飼育する係ってわけか」
「ワタシが待ってる人は人間ですにゃ! ワタシを撫でてくれて、お魚を食べさせてくれて、色んなことを教えてくれた大切な人ですにゃん。……魔獣だって人間さんを好きになることはありますにゃ。人間さんたちだって魔獣を好きになってくれますにゃ……けど、やっぱりワタシみたいなのは怖がられてしまうので、正体は隠させてもらっていますにゃん……ごめんにゃさい」
魔獣村長は申し訳なさそうに耳をぺたりと伏せ、俯いた。大きな目は不安そうに揺れている。
その庇護欲を誘う姿は、人間に可愛がられていたという話に大いに説得力を持たせるものだ。
「チッ……とりあえず今は信じてやるよ。それで?……お前はオレをどうする? 正体を知られた以上、村には置けねぇだろ」
「勿論、あなたに帰るべき場所があるなら、無事に帰れるようにご協力しますにゃ。でも、もしそうでないのなら、ワタシはあなたにも村に住んで欲しいですにゃ」
「は?」
予想外の言葉に目を丸くしたシド。村長は両手をぱたぱたと動かしながら、楽しげに語り始める。
「エリカ先生から聞いたにゃ。イサナさんはあなたのことをとても気に入っていて、ぜひ家族に迎えたがっていると。ですから住居の確保はできていますにゃ。そして、あなたは悪い人ではなさそうですにゃ。だってカイルさんを追い払ったのは、ワタシが魔獣だと気付いたから、巻き込まない為にだったのですにゃ。ワタシのことも、悪い魔獣じゃない可能性を考えて、怪我をさせないでいてくれたにゃ。怖い人ぶって脅したのも、安全確認の為ですにゃ。本当は良い人にゃん」
「ごちゃごちゃと好き勝手に都合の良い理想を押し付けてくれんじゃねぇ! それでオレが悪党だったら、あんたはイサナたちも危険に晒すんだぞ⁉︎」
「そうやって心配してくれてますにゃん。安心ですにゃー♪ それに、ワタシはにゃんとにゃ〜く、言葉に出さない人の気持ちもわかるのにゃ。魔獣の勘かもしれませんにゃ。あなたからはこの村や村人さんたちへの害意を全く感じませんにゃ。大丈夫ですにゃー♪」
「チッ……どうにゃっ……どうなっても知らねぇからな‼︎」
うっかり村長風に言葉を噛んだシドは、真っ赤になって顔を背けた。
しばらくしてイサナがカイルと共に訪ねてきて、字が書けないシドの滞在手続きを手伝ってくれた。
イサナは永住手続き申請を勧めたが、シドの希望でまずは半年間の滞在手続きだけで様子を見るということに落ち着いた。
住居についてはカイルの猛反対により、イサナたちの家ではなく海の家に住むことが決まった。