8.イサナと青年
クローバーの月、早朝。
地の国、田舎村の浜辺。
「……カイル、エリカ先生を呼びに行って! 今日は午前中往診でちょうどこっちに向かってるはず! 私はこの人を…………ねえ、あなた! しっかりして!」
「…………」
村の女性イサナが呼びかけると、倒れていた青年は目を閉じたまま、砂の付いた唇を微かに動かした。
寒さで紫に変色した唇はブルブルと震えている。
「可哀想に……」
イサナは自身のストールを青年にかけ、顔に付いた砂をハンカチで拭きとった。
遠目には小柄なので少年にも見えたが、凛々しく整った顔立ちは少し大人びて見える。
意外と歳は弟とそう変わらないのかもしれない。
冷え切った肌には、うっすら涙痕が残っているように見えた。
「ねえ、生きて! 生きるのよ!」
イサナが手を握って呼びかけると、青年も握り返してきた。
その手は大きく力強いが、やはり激しく震えている。
「……こ、わ、い……」
震え続ける紫の唇から、言葉が溢れた。
イサナは握る手に力を込めて励ます。
「大丈夫。あなたは死なないわ」
青年は薄目を開けた。悲哀に沈んだその目は、冷たく暗い深海を見つめ続けているようだ。
「……ち、が、う……いきる、の、が……こわ、い……さび、しい……つら、い……オレ、は……だれ、と、も……手を、つな、ぐ、資格、が……無い……ひと、り、で、生きる、の、は……怖い」
青年の唇からうわ言のような言葉が溢れる度、涙痕をなぞるように涙も溢れた。
彼を救いたい……イサナの中にかつてない強い決意が芽生えていく。
「怖がらないで。私があなたと手を繋いでる。絶対に離さない。だからあなたは生きるの」
それは、単に衰弱した傷病者を励ます為に言っただけの言葉ではなかった。
心の内側から自然と出てきた本物の誓いだった。
イサナは自分でも不思議なほど高揚していたが、この気持ちは決して間違いではないと確信していた。
しかし、青年は再び瞼を閉じ、握る力も弱まる。
「……たくさん、殺し、て、きた……この、手、で……ほんと、に、たくさん……もう、誰に、も……赦し、て、もらえ、ない……」
「私が、赦します。何があっても絶対、私はあなたを独りにしない」
イサナは青年が弱めた分も補うように、繋いだ手に力を込めた。