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3.罪

深夜、シャワールーム。

青いタイルの壁下部と床は冷たく、灯に照らされた白塗りの壁上部と天井は眩しい。


ザアアアアアアア……


疲れているときにシャワーを浴びると、安堵感から頭がぼうっとして時間を忘れることがままある。

そして、ついつい考え事に囚われそうになってしまう。


「そうして背筋を伸ばしていると、あなたって本当にすごく背が高いわ」


「…………」


ぬるま湯を浴びながら神父が目を開けると、いつの間にか灰色の少女が見上げていた。

壁と神父の間に立って、やはり日傘をさしているが、飛沫は日傘を貫通している。

それでも、少女の髪も衣服も一切濡れていない。


ああ、やっぱりな。

そう思った神父はシャワーを止めて出て行こうとした。


「あなた、臆病者なのに私には怯えなくていいのかしら?」


「……そんな必要無いですよ。だって貴方は僕の妄想で、実在しないのですから」


少女の手袋の指先が、神父の背に触れる。


「触れられるのに」


「……現実じゃない……」


疎ましそうに呟いて神父が歩きだすと、少女の指は離れた。

幽霊だとしても何を目的に憑いているのかわからない。

何をすべきかもわからないから放っておくのだ。


正直なところ、全く心当たりが無いというわけでもないのだが……


その夜、神父は懐かしい夢を見た。

風の国で、まだ神父ではなく孤児だった頃の夢だ。


***


当時、中央集権に遅れて内乱続きだった風の国に、軍事大国である火の国が侵攻中だった。

僕のいた孤児院の子供たちは、大人たちに見捨てられ逃げ遅れ、廃村で隠れて暮らしていた。


「ねぇ、待ってよ! 待ってってば!」


「あんな奴ほっとけよ、マリー」


「兄さん、リーダーなら意地悪しないでちゃんと彼を引き留めてよ!」


「リーダーだからさ。ああいう協調性のない奴は、勝手な行動で周囲を危険に晒したり、いざってとき仲間を見捨てたりするからな。そうでなくても普段からあいつの態度は皆に余計なストレスを与えていたんだ。居なくなってくれた方がいい。それにあいつ自身が選んだことだ。止めようがない」


2人の声が背後に遠ざかっていく……


まだ青く捻くれた少年だった僕は、孤児たちの集団から独立することを選んだ。

勉強も運動も誰より得意で容貌も優れていたことに自惚れ、他の皆を有象無象と見下していたからだ。

劣った者たちと連帯行動していては自分まで死んでしまう。そう考えたのだ。


それが未熟さ故の高慢さであることに気付きもせず、僕は誰よりも愚かだった。


なるべく遠くまで見渡せるように鐘塔を拠点に選んだ。

誰よりも読書して知識をつけてきたし、誰よりも速く走ったり高く跳んだりできた僕は、優秀な自分なら近くの森で食糧を調達することも可能だと信じていた。


しかし……


「なんで思った通りにならないんだろう……」


独りになって一週間もすると、己の見通しの甘さを嫌でも思い知った。現実は想像より遥かに苦い。

川に仕掛けた魚取りの罠は連日空振り。近くの森で食べられる木の実も見つけられなくなった。

離反時に孤児たちのリーダーからお情けで恵んで貰った僅かの食糧も既に尽き、川と古井戸の水は強い雨によって濁ってしまった。


そうして空腹と無力感に打ちひしがれて眠った夜、僕は不意に何者かに揺り起こされる。


「ねっ。起きて。少しだけど食べ物を持ってきたわ」


「っ⁉︎ マリー⁇ なんでここに……⁇」


「夜なら見つかりにくいと思って。今夜は月が明るかったし、私って夜目が利く方だから」


蒸した芋の包み、少し傷んだ林檎、飲水の入った瓶……暗がりの中でマリーはゴトゴトと食料を並べ始めた。


「あなたもそろそろ寂しくなった頃でしょ? お腹も、心も、ね」


「……孤独な人間が寂しいとは限らない」


「ふふっ。でも空腹って寂しさと似てるわ」


闇に目が慣れてくると、月明かりに照らされた楽しげな横顔が見えてくる。

思えばマリーは昔から唯一ずっと、素っ気無い僕に対して優しかった。

もしかしてマリーは自分に好意を抱いているのではないだろうか?

そう思った僕は食後にふと彼女の頬に手を添えて顔を近づけてみた。


「え? わっ⁉︎ 何?……どうしたの⁇」


ところが彼女はただ目をパチクリとさせて後ろへ少し退けぞり、僕は己の自意識過剰を知った。


「……私のこと好きなの⁇」


「いや。君が僕を好きなのかと思って、食料の礼に。……君は僕に対して親切だけど、僕に期待できる見返りなんてこれくらいのはずだし」


「真面目な顔して何を言い出すかと思えば……ふふっ! あなたってば男女間の友情は成立しないとか思ってるタイプ?」


「その問いの前提が僕にはそもそも疑問だよ。さも同性では友情が成立するかのように言ってるんだから。どうせ問うなら友情なんて絆が実在し得るかの方だね。同性か異性かの差異なんて、自分か他者かの差異と比べたら大したことないのに」


「ふふっ……今ここで概念の正確性を確かめようもないから、個人的な観念になるけど……私は友情は性別関係なく成立すると思っているわ。性愛の対象としてしか人を評価できないなんてことはないのだから」


「君みたいに誰にでも親切な人の評価基準ってどうなってるんだい?」


「色々……よ、臨機応変にね。人や物事に良さや価値を見出せないとき、必ずではないにしても、その原因が受け手の理解力不足であることは多いと思うから。よくわからないものに遭ったとき、私は一方的に否定や拒絶をする前に、知ることと考えることに努めるようにしてるの。解らないなら、せめて解っていないことを自覚しておくの」


「……まあ例えば芸術にしても思想にしても、理解するには相応の専門知識を必要とすることが殆どだしね。でも……そんなの疲れてしまうよ。それに割く時間だって無い」


「確かに、努めても徒労に終わることもある。でもね、圧倒的に自分以外の他者が多い世界で、自分にしか頼れない生き方を選ぶのはあまりにも無謀だもの。周囲に適応する努力は必要だわ」


「ああ、君は僕を愚かだと言っているわけか。でも、見返りを求めない献身だって、負けず劣らずの愚行だよ」


高慢な僕は下らない自尊心を傷つけられた仕返しに、生意気にも恩人であるマリーに嫌味を言ってしまった。

しかしマリーは穏やかな笑みを崩さず、自信に満ちた声が返ってくる。


「私は私が間違ったことをしているとは思わないわ。だって神様は善行を勧めていらっしゃるもの」


「神、か。なるほど……法が罰によって反社会性を抑止しようにも、形而下で完璧な見張りなんて実現しない。でも、神のように形而上の存在なら、その実在を信じる人にとってはどこででも見張りとなり得る。悪を為すときには全てを見逃さない見張りでも、善を為すときには全てを見ていてくれる存在ってわけか。……つまりは個人の良心だな」


「良心は大切にしないとね。人による罰でも神様による罰でも、脅しによって抑止されているだけの状態は好ましくないわ。本当は個々人の倫理や道徳に基づいて、ただそれだけで自然に当たり前に、世界が平和に運営されることこそ理想だもの」


「どんなに罰で脅しても、無法者や無神論者だらけなんだ。叶わぬ理想だね。でも……僕もその理想には憧れるよ」


「ふふっ! ほら、やっぱり私たち仲良くなれるはずだわ」


そのとき、急に風が強くなって肌寒くなった。


「くしゅんっ……あらやだ。雲が月を遮って、すっかり暗くなってしまったわ」


「いくら夜目の利く君でも、これじゃ帰れないね」


「一応書き置きはしてきたけど、見つけたら兄さんきっと怒り心頭ね」


僕らは手探りで1つの毛布に包まり、ただ寄り添って眠った。


***


翌朝……


「おい! マリー、起きろ! まずいことになってる!」


「え⁉︎ 兄さん⁉︎ どうしたの⁇」


僕らは突然マリーの兄に叩き起こされた。

しかし彼は僕には目もくれず、マリーを毛布から引っ張り出すと直ちに鐘塔を降りようとする。


「敵魔導兵が2人、村に入って来た。しかもこの鐘塔を目指しているようなんだ。敵兵の中には、隊からわざと逸れて各地で略奪や姦淫を繰り返すならず者もいるらしいからな。あいつらがそうだった場合、捕まったら捕虜じゃ済まないぞ。急げ!」


マリーの兄は急いで階段を降りながら早口で説明した。

しかし、ちょうど兄妹が降りきったそのとき、鐘塔の外から聞き慣れない大人たちの話し声が近付いてきた。

兄妹は咄嗟に階段裏の物陰に身を潜め、降り遅れた僕だけが鐘塔最上部へ逆戻りを余儀なくされる。


「なあ、ここにガキがいるのが見えたのって雨の降る前だったんだろ? 本当にこんなボロッボロで何もねー廃墟にまだいるもんかね?」


「そりゃわざわざこんなとこに居たんだ、きっとこの辺には見捨てられたガキどもでも集まってて、交代で見張り番でもやってるんだろ。それで逆に敵から見つかったってわけだがな」


「おいおい、まだ見つけてねーだろ。見つけたって、ガキの中に女がいるかもわっかんねーし」


「いっそ美少年なら構わんのだろ? どうせ退屈な戦争の憂さ晴らしなんだ」


「少なくともブスよりかはマシかもな。ハハハ!」


「ハハハハ!」


下卑た男たちは絶対的な捕食者然とした、ゆったりとした足取りで階段を登ってくる。


震え上がった僕の目に、ふと、昨夜マリーが差し入れてくれた瓶が映った。

瓶をそのすぐそばに空いている床の穴へ落とせば、きっと男たちはその割れた音で階下へ戻って行くだろう。

そんな考えが頭を過ぎった。


「さて、もう着くぞ」


足音が間近に迫る。


「一応、杖は構えとくか」


胸が破裂しそうなほど鼓動がうるさい。


「仲間の場所全員吐かせるまでは殺すなよー?」


そして、僕は……


……ガチャン‼︎


瓶の割れる音と同時に、鐘塔の柵を越えて外壁に掴まった。

建物内はドタドタと騒々しく一変する。


「なんだ⁉︎ 下から聞こえたぞ!」


「階段裏か! いたぞ‼︎」


「きゃあああ‼︎」


「妹を離せええ‼︎‼︎」


「イテッ⁉︎ 何しやがる‼︎」


「このッ、生意気なガキが‼︎」


「ぐああ‼︎‼︎」


「兄さん⁉︎⁉︎ 兄さん‼︎‼︎‼︎ 嫌あああああーーーー‼︎‼︎‼︎」


地獄のような喧騒を聞きながら、僕は外壁を伝って鐘塔を降りきり、近くの森へと一目散に駆け込んだ。

一瞬「綺麗事ばかり言ってるからそんな目に遭うんだ、ざまあみろ」という言葉が胸の内に起こったのを、僕は僕の本心とは認められず、掻き消すように駆け続けた。


ひたすら走って、走って、走り続けて……やがて敵国の正規軍に囚われた捕虜の一団に合流し、そこで終戦までを過ごした。

戦後は捕虜時代に世話になった老神父に引き続き面倒を見てもらい、その流れで自身も神父になった。


あのとき……自分は逃げようとして、うっかり瓶に当たって落としてしまったのか、それとも故意に瓶を落としたのか……正直、その答えが未だ自身にもわからない。

敵に捕まった彼らが実際その後どうなったのかも知る由が無い。


だが、どちらにしても、あの信仰深く善良なマリーと妹想いなその兄を犠牲にして、自分だけ逃げ延びた事実は変わらないのだ。

こんな卑怯でつまらない自分に、彼らを犠牲にする資格も価値もあったはずないのに。


神父になった僕は神を信じるフリをしながら、背負い切れない自身の罪悪感を神に責任転嫁し続けた。

卑劣にも。厚顔にも。そうし続けたし、そうし続けている。

そうしなきゃいられないのだ。


本当は自分なんて、誰かに良く思われたり、美味しいものを食べたり、楽しく笑ったりしてちゃいけない罪人だ。

もし彼らがあのまま死んでしまっていたとしたら、被害者には断絶されたあらゆる幸せを、生き残った加害者が享受するなど決して赦されるはずはないのだから。


自分は生きていてはいけない存在。善良な他者を不幸へ陥れた悪魔。

永遠に後悔し、反省し、謝罪し続けなければいけない。


***


……教会に現れる灰色の少女の正体は、あのマリーなのだろうか?

今はもう顔も思い出せないマリーへの罪悪感が、自分に幻覚を見せているのかもしれない……


もしそうだとしても、重く苦しい罪悪感もマリーに関する記憶だから手離したくない。

罪悪感のあることで、自分にも人の心があるのだと思えるのだから。


神父は思考することから逃げるように、二度寝の誘惑へ身を委ねた。



神父は特殊なキャラなのでなんとなくずっと名無しにしてますが、仮に付けるなら「ピエール」かなと思ってたりします。灰色少女も「グリ」という仮名は一応考えてたりします。

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