5.名前も知らない少女(その1)
ある日、オルカ号は難破した奴隷船を発見した。
没落領主の家にいた若い女たちを売りに行く途中、魔物に襲われ、追い払ったものの損傷が酷くて航海不能になったという。
「助けて下さったら儲けの半分を差し上げます〜」
「お前が死ねば全額我々のものだ」
オルカ船長は間髪入れず、眉ひとつ動かさずに、奴隷商の眉間に風穴を開けた。
それから船内を見回ってみると、船は修理できなくもないが、古びていて売れそうにもない。
魔石や魔道具は魔物を追い払うのに使い切っている。食糧も残り僅か。数人いる水夫も無能そうな者ばかり……
「この船で価値のあるものは女たちだけのようだ」
オルカ船長は部下たちに命じ、女たちだけ自船に運び込ませると、死にかけの奴隷船を後にした。
***
オルカ号、大部屋。
「諸君、喜べ! 今日は大漁である。水揚げ前の新鮮な生娘の味を存分に楽しむがいい。……といっても、メイドどもはとっくに元領主のお手付きかもしれぬがな。それはそれで妙味があるとしよう」
奴隷船の雑な拘束のままに集められた女たちは、大部屋の隅に寄り集まって静かに泣いていた。
競売にかける際に元の身分も価値に含む為、衣服は元々所有していたものを身に付けている。
縛られているのは手だけなのに、反抗しようとはしない。
魔力も腕力も持たない彼女たちは、それほどか弱いのだ。
内実、可哀想な彼女たちに同情し、犯すのに気乗りのしない船員たちもいた。
それを見抜いているかのように、オルカ船長は煽りはじめる。
***
お前たち、わかるか?
この女どもは今でこそお可哀想に見えるが、つい最近まで贅沢三昧してやがった忌々しい上流階級の人間だ。
我々がこのような困難の多い生活に身をやつし、苦しまねばならないのも、元はといえば上で左団扇しているような奴らのせいなのだ!
私はかつていた国で見てきたから、よーく知っている……
権力者は下から毟りとった金で豪邸を建て、囲った女たちを着飾らせ、豪勢な宴をしょっちゅう催し、それで素晴らしい人物だと持て囃されていた。
奴らのどこが素晴らしいものか⁉︎ 気まぐれにする施しは、全て自分にとって都合の良いものばかり。
競って売名に支払うのは、元は他から毟った金ばかり。湯水の如く湧くから痛くも痒くもない。
自身の欲望のためにはいくらでも他者を傷付け苦しめ続けるくせに、自身が誰かの為に苦しむことは一切しない!
奴らはその地位と権力を持ちながら、弱者のために社会構造そのものを変革することなど絶対しない。
圧倒的な優位性は決して覆さず、飼い主面して家畜に施しては、自己陶酔に浸る。それに感謝し賞賛しろとはなんたる茶番か?
衣服も教養も、奴らがその身につけているもの全て! 下から搾取した金で手に入れたものだというのに!
地位も、名誉も、富も、女も、奴らが過剰に独占しているせいで、本当に必要としている者のところへ回らないのだ!
実際に努力してきた者の汚れた手にこそ、金も女も入って然るべきだ!
地位に驕った奴らは我々を盗人と責め立て、傲慢にも見下し嘲る……
だが、元々我々が手にすべきものを、卑怯にも権力を用いて奪い続ける、そんな奴らこそ真に卑しい盗人なのだ!
故に、奪い返すことは聖戦である! 我々が良心の呵責を感じる必要など、あるわけがなーーい‼︎
***
軍人時代に何か嫌なことでもあったのであろう……
いつもの冷静さを失したオルカ船長の様子から、私怨による妬みなのは明白であった。
仮に軍人として高い地位に上り詰めることが叶っていれば、自分が実現したかった望み……それを他人が実現させていることが許せないのだ。
「この肥太った豊かな肉体を見よ! これこそこの女たちが憎むべき悪の富裕層で育った証拠! 碌に苦労もせずに甘やかされて育った、権力者の家畜の体だ!」
興奮冷めやらないオルカ船長は、女たちの中でもとりわけ美しく品のある令嬢を引っ張り出し、その柔らかな体を皆に見せつけながら乱暴にこねくり回した。
そのとき、女たちの中から1番小さな少女が飛び出し、果敢にもオルカ船長に体当たりを試みる!
「やあああ‼︎」
ガシッ!
「それじゃあ船長、オレはこの生意気そうなガキを貰っていきます」
そう言いながら少女の口を塞ぎ、もがく身体を強引に抱え込んだのはツナだった。
「なるほど。幼すぎて色気の無いガキだが、確実に生娘を引き当てたいなら賢い選択かもしれんな。しかし……そうか……お前はそういう趣味だったか……」
オルカ船長は眼鏡を整えながら、妙に納得して頷いた。
ツナは内心不名誉に思いながらも、頷き返して下がった。
「船で1番チビなお前にはちょうどいい相手だな〜、ツナぁww」
「オレは背はチビだけど、お前と違ってナニはチビじゃないからな。そっちの1番は譲るぜ、マーリン」
すれ違い様にニチャつきながら絡んできたマーリンに、ツナは軽く言い返しながら大部屋を出た。
廊下へ出てすぐ「ツナが大部屋から逃げたのは、ナニも1番チビだからに決まってる!」と、マーリンが皆に言いふらすのが聞こえたが、ツナは無視した。
***
オルカ号、ツナの部屋。
「おい、ガキ。死にたくなけりゃオレの言うことを聞け。いいか? 手を離しても絶対に喚くんじゃねぇぞ?」
ぱっ……
「うああああん‼︎ お姉ちゃーーんッッ‼︎ うああッ」
がしっ!
「うるっせぇ‼︎ 騒ぐなって言ってんだろ! 死にてぇのか⁉︎」
個室へ少女を連れ込んだツナは、その扱いに困りきっていた。
少女は顔を真っ赤にしながら、細い手足をバタつかせ続けている。元気なものだ。
この無鉄砲な子供をあのまま大部屋に置いていては、きっと港へ着く前に殺されていただろう。
だからツナは咄嗟に彼女を連れてきてしまったのだ。別に幼女が好みなわけではない。
強いて理由を挙げるならば、昔実父が付き合っていた娼婦の連れ子が、自分には妹のような存在で、彼女に少し似て見えたからだ。
「よく聞け……オレは強い。だから特別に個室を与えられてる。お前1人だけなら、オレの女としてこの部屋に囲うことができる。部屋には内鍵が付いてて、親鍵を持つ船長以外じゃオレにしか開けられねぇ。他の野郎どもにぶち犯されたくなけりゃ、勝手にオレの部屋から出るんじゃねぇぞ」
個室と言えど盗聴の可能性を考えれば、このくらいきつい言い方をせざるを得なかった。
先月、部屋でオルカ船長の陰口を叩いていたという者2名が処刑されたばかりだ。
オルカ船長曰く「面と向かって文句を言えないくせに、安全圏でイキってる雑魚ほど気持ちの悪いものはない」らしい。勿論、面と向かって言っても処刑されるわけだが。
彼が正直にものを言い合える関係を良しとしているのは、単に隠し事を許さないからであり、無礼者を許すつもりはないのである。
ガリガリ……ペチペチ……
少女はまだ懸命にツナを引っ掻いたり叩いたりして、言うことを聞く気配がない。
筆談できればいいのだが、ツナは読み書きを習ったことがなく、文字や単語はなんとなくしか覚えていない。
この分野においては、マーリンの方が優秀であると認めざるを得ない。
いくらオルカ号がガレオス号より広いと言えど、個室を与えられている者は極僅か。ツナ以外は皆、古参船員だ。
マーリンでさえやっと8人部屋へ移ったばかりで、他の元ガレオス号船員たちはまだ大部屋に吊床で寝ている。
オルカ船長は優秀な魔導士ではあるが、魔物の中には魔法耐性が高いものもいる為、物理攻撃特化型で優秀なツナを高く評価しているのだ。
古参船員の中には、そんなツナを妬む者も多い。
船員数は60余名。女の数は船員より少なかったから、他の船員たちはあのまま大部屋で分かち合っていることだろう。
すぐにここへ誰かが訪ねてくることは無いはずだが、ツナは扉についた覗き窓も気にしなければならなかった。
各部屋扉についた窓は、外から中の様子を確認する為のもので、内側から塞いではいけない決まりになっていた。
ツナは内鍵をしっかり施錠すると、少女を寝台の奥に押し込み、自分も一緒に布団を被った。
そこで改めて状況を言い聞かせ、泣き疲れた少女に大人しくすると約束させると、疲れてそのまま一緒に眠った。
いつも他人の命など見捨ててばかりだったが、こいつくらいは守れるだろう……そう思っていた。