2.海賊船の新入り
出港3日目昼。海賊船ガレオス号、食堂。
バシャァッ‼︎
「ツナァ‼︎ 床が汚れてっぞぉ⁉︎ さっさとキレイにしやがれよなァ⁉︎ オラァァ‼︎」
「マーリン先輩の言う通りっすー。新入りのツナはちゃんとやれっすー」
「…………」
ツナと呼ばれた少年は、頭からバケツの水を浴びせられ、ずぶ濡れになりながらも掃除当番を終えた。
乗船以来、ツナは港町で蹴り倒した老け顔の先輩マーリンから、苛烈な新人イジメに遭い続けている。
なお、ツナもマーリンも本名ではない。船長から賜った海賊としての名前だ。特に意味は無い。
まず初日は「上下関係を体に覚え込ませるのが慣例だ」とのことで、就寝前に呼び出された。
そのとき、本当はすぐ返り討ちにしたかったのだが……
***
回想。
出港初日夜。海賊船ガレオス号、倉庫。
「なんだァ⁇ 先輩に対してその目つきはァ〜‼︎ 生意気なんだよ、テメーはよォ‼︎ オラァァ‼︎」
「チッ」
顔はオッサン、心はガキ、特技は巻き舌……厄介な先輩マーリンに詰め寄られたツナは、後ろ手にデッキブラシを手繰り寄せ、その柄で喉元を突いてやろうと思った。
ところが、それを察知した巨体の先輩モレイは、2人の間に割り入るようにツナに突進してくる!
ダン‼︎ ググググ……
「ッ……!」
そのまま数メートル先の壁まで押し込まれたツナは、モレイも自身と同じ肉体強化魔法の使い手であることに気付いた。
ツナは魔導士のように大気中の魔力を操ることはできないが、自身の体内魔脈を扱う才能はあって、それにより元々高い身体能力を更に高めていたのだ。
「逆らうとかえって長引く。強化で防御力を上げて、今は耐えろ」
マーリンとその取り巻きから距離が取れたモレイは、こっそりツナにそう耳打ちした。
ギリギリギリギリ……
「一度出港すれば、狭い船内で何週間も共に過ごさねばならない。無闇に敵を増やすのは賢くないぞ」
抗おうとしたツナをモレイは大袈裟に締め上げるフリをしながら、更にそう続けた。
そこでツナも渋々、この見識がありそうな大男の助言に従うことにした。
すぐにマーリンが2人に近寄ってきて、取り巻きもその背後に続く。
「ひゃーははは! これはなぁ、親切なんだぜ? 海賊生活ってのは過酷だからなぁ、甘やかすなんてのは為にならねぇ。厳しさを教えてやる俺たちに感謝しろ! この程度を耐えられない軟弱者は船にいられねぇからな! オラァァ!」
身勝手な憂さ晴らしに大義名分を拵えているとは、かえって見苦しく、呆れたものだ。
ドカ! バキ! ボコ! ドカ‼︎
モレイに掴まれてグッタリとしたフリをするツナを、マーリンはニチャニチャと下卑た笑みを浮かべながら殴り続ける。背後では取り巻きも笑っている。
ツナとしては体は痛くないが、ただただ屈辱的で腹立たしいばかりだ。
「へっへっへ……大人しくなりやがったな、このチビガキめ! あの時の借りを返させてもらうぜ〜ww オラァァ!」
調子に乗ったマーリンは、ツナの顔面にアイマスク型の足型をお返しするべく、長い足を勢いよく蹴り上げた。次の瞬間……
スコーン‼︎
「きゅう⁉︎⁉︎」
マーリンはすってんころりんとド派手に転倒し、そのまま気絶してしまった。
顔に似合わぬキュートな悲鳴に、取り巻きも思わず吹き出している。
実はツナが足でデッキブラシを動かし、マーリンの軸足に引っ掛けたせいである。
「……マーリンはツナを蹴ろうとして独りでに転倒した。ツナはそのとき既に気絶していてそのことは知らない。新入りに対する洗礼は俺たちでやり遂げた……ということでいいな?」
モレイがマーリンの白目を確認して尋ねると、取り巻きジェリーはマーリンを見下ろしながらヘラヘラと答える。
「あー、そっすねー。ぶっちゃけこーゆーの面倒っすもんねー。オレも早く寝たいっすー……ふわぁぁ〜……」
「ツナ、お前はやり方を覚えておけ。次の新入りが来れば、お前もこっちの役だ。さっきマーリンは顔を狙ったが、本当は頭部や腹部、股間などの急所は狙ってはいけない。尻や腿、なるべく肉の厚い箇所を狙って程々に蹴ってやれ」
「まー、しばらくはオレもマーリンとかと一緒にイジメると思うけどー、新入りもさー、自分より下が入ってきたら同じよーにやればいいからー。オレを恨むのはやめなねー? オレだって耐えてきたんだしー、それが船のルールってことでー。周りにイジメたがる奴いないときはー、オレはフツーにするしー」
「それじゃ、俺たちはマーリンを部屋に運んどく。ツナはここを片付けたら大部屋の端で寝ろ。そこにある吊床を持っていけ」
それだけ教えて去ろうとするモレイたちに、ツナは不満げに質問を投げる。
「待て。オレはいつまでバカげた茶番に付き合えばいい?」
「手柄を立てるか、次の新入りが生贄になるまでだ」
「そゆことー。じゃーねー、おやすみー…………あー、必要最低限の挨拶とか敬語はつかいなねー? その方が身のためだよー」
「……うっす。お疲れっす」
このようにして、ツナの乗船初日は終了したのである。
***
出港5日目。
海賊船ガレオス号、甲板。ツナが手柄を立てる機会が訪れた。
「ん?……なんだありゃ⁇ 触手……でっけぇイカ……いや、タコ⁇」
「おい、どうした? ツナには何が見えてんだ…………んん⁉︎ あれはッ……クラーケンが船を襲っている⁉︎⁉︎」
見張り中のツナから望遠鏡を受け取ると、ガレオス船長は思わず身を乗り出した。
大型海洋魔物クラーケンが、貨物船を襲っていたのだ。
「食えるんすか?」
「何を呑気なこと言ってやがる、ツナ! 船が沈む前に何とかするんだよ!」
「うっす!」
ガレオス号は急いで貨物船に接近した。
ところがクラーケンが取り付いているのは貨物船の裏側で、砲撃で胴体を狙うことは叶わず、回り込むには時間がかかり過ぎて船が持たない。
かといって触手を狙えば貨物船に当たってしまうだろう。
「モレイ先輩! オレに考えがあります。手を貸してください」
「ツナ?……いいだろう。言ってみろ」
ツナがモレイを頼っている一方その頃、名案を思いついたマーリンはガレオス船長に進言していた。
「……ですからね、船長! ツナですよ、ツナ! モレイの怪力であいつを貨物船に投げ込んで、戦わせりゃいいんですよ! あいつの戦闘センスの良さは、港町で一戦交えた俺が身を持って知ってますからねぇ。そりゃあ、あのときは子供だと思って油断しちまったからであって、今はもうあんなチビガキに負けやしねぇですけどね、俺は」
「そうか。よし、ならマーリン、お前をモレイに投げさせよう。より強い方が適任だ」
「へ? あ、いやー、それはあれですよっ、新入りに手柄を譲って箔を付けさせてやりたいなーという先輩心で……そもそもアイツを最初に見つけてやったのは俺なわけですしねっ」
勿論、マーリンは心にも無いことを言っている。
本心ではツナがクラーケンの餌食になることを期待しての提案だ。
そもそも港町では一戦交えてなどいない。一蹴されて終わっただけだ。一瞬だ。
「そうか。よし、ならツナとマーリン、2人ともモレイに投げさせ…………んん⁉︎」
「ヒェッ……」
そのとき、ガレオス船長とマーリンの視界を、ツナが貨物船目掛けてすっ飛んでいった!
マーリンに言われるまでもなく、助走をつけたツナがモレイの組んだ手に踏み込み、思い切り高く遠く投げ上げてもらったのだ。
「へへっ、デカブツヤロー……目薬の時間だぜ?」
ビャビャッ‼︎
ツナは抱えていた洗剤をクラーケンの目玉へ素早くぶっかけた。目潰しである。
それからは船上を縦横無尽に駆け回り跳び回り、襲いくる触手をカトラスの二刀流でズパズパと鮮やかに切り落としていった。
文字通り、クラーケンを単独撃破してしまったのである。
その後は「洗剤味の目玉はマーリンにご馳走してやるか……」などと呟きつつ、船長たちが乗り込んでくるのを待った。
船長は貨物船の荷物のうち、食料や嗜好品などを3割程頂戴して撤収した。
海賊船とは言っても、ガレオス号の犯行はいつも比較的慎ましいものに限られていた。
軍に目を付けられないためである。被害額が少なければ、対策費用もそれ相応にしかならないのだ。
ガレオス号の海賊たちは、誰も殺さず犯さず、小悪党の域を出ないように用心しつつ、物盗りに励み、それ以外は漁師のように魚を獲って過ごす。
魔物から採れる素材も彼らの収入源であり、彼らの存在は海洋魔物退治の一面も担っていた為、一概に海から排除すべきものとも言えないのであった。