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0.爺と女

シド編0話は時系列的にはレミ編(未投稿)中盤以降で、ソラだけでなくレミも村にいない時期です。

予想より長い話になったので、今月はひとまず海賊編まで投稿。来月は完結させたい……

ある日の午後、リーナの雑貨屋。


「ごめんなさい、シドさん。今までのは生産終了になったらしくて、もうウチには在庫入ってきそうにないの……代わりに、今後この類似品を仕入れることにしたんだけど……」


「…………ああ、そうか。そりゃあ仕方ねぇよな……いつかはこうなる……」


カウンターに置かれているのは、蓋に花を模した小さな香水瓶。

その横に並べられた試供品の匂いを嗅ぎ、シドは悲しげな目をした。

日頃豪気なシドの落胆ぶりに、リーナは慌てて提案する。


「あっ! あたし、レミとソラさんに手紙書いてみます! 向こうの店ならまだ在庫残ってるとこあるかもしれないしっ。そうだわ! ネリアにも!」


「気遣いありがとよ。今日のところは、その類似品とやらを買って帰るとするぜ」


「はい! お買い上げありがとうございま〜す♪」


気立ての良いリーナの笑顔に、シドも笑顔を返して店を出た。


***


雑貨屋前の通りで、シドはアリスに会った。

ピアの元へ追加の薬草を買い付けに来たところだという。


「本当は別の者が行くはずだったが、今日はボクからシドに1つ言っておこうと思って代わってやったんだ」


「へぇ? まるでオレがこの時間ここに来ることがわかってたみたいだな」


「そうだ。今日も最高にカッコいい天使であるボクには、この程度の先回りは造作も無いからな」


「そうかい。相変わらずおもしれぇなぁ、アリスは」


「ハーーハッハッハッハーー‼︎」


もう何年も前、シドがサーシャと海釣り中に助けた遭難者アリスは、サーシャ付きのメイドとなり、村長邸でも白兎亭でも多いに活躍している。


「で、アリスがオレに言いたいことってのは何だい?」


「お嬢のことだ。受け入れてやれとは言わないが、受け止めてはやってくれ。お嬢はシドに本気だからな。……言いたいことはそれだけだ。ボクはもう行く。シドは存分に買い物をして帰るがいい」


「おう。またな、アリス」


***


帰路、ついでに市場で食材を買っていると、シドの腕にサーシャが抱きついてきた。

息が上がっている。村長邸2階の窓からシドの姿を見つけ、大急ぎで駆けて来たのだ。

サーシャは相変わらずフリフリしたドレスを身に纏い、シドと反対側の腕にはヌイグルミを抱えている。


「よう、サーシャ。奇遇だな。市場に何を探しに来たんだ?」


シドが尋ねると、サーシャはニコリと笑ってシドを指差す。


「オレを探しに来たって⁇」


シドが確認すると、サーシャはやはりニコニコして満足げに頷く。


「そうかい。オレはちょうど帰るとこだったんだが……」


シドがそう言うや否や、サーシャはシドの荷物を半分引ったくり、シドの家へ向かって歩き出す。

「やっぱりこうなるか」と、シドはその後に続いた。いつものことである。


***


シドの家。


「ただいま」


シドはそう言いながら、誰もいない自宅のドアを開けた。

亡き妻の父親が若い頃に建てたという、海辺の木造家屋。古い木と潮風の混ざった匂いがする、ダークウッド調の渋い家だ。

最愛の妻に先立たれ、息子は行方不明になり、息子嫁は故郷へ帰り、成長した孫たちも各々の夢を叶えるべく村から出ていった。

独居老人となったシドのこの家に、今ではサーシャがすっかり通い妻面して入り浸っている。


「…………」


入ってすぐの4人掛けの食卓に荷物を置き終えると、サーシャはその内の小さな紙袋に目を留めた。

リーナの雑貨屋のものである。


「ああ、それか。それは……サーシャにやるよ」


「!」


サーシャは中の可愛らしい香水瓶を見ると、大喜びで早速それを胸元に吹き付け、シドへ抱きついてくる。


「♡♡♡」


「…………」


椅子に腰掛けたシドはサーシャを振り払うことも抱き返すこともせず、ただその香りを確かめ、妻が生前愛用していた香水に似ていないことを残念に思う。


「……なあ、サーシャ? 白兎亭でメイドたちが噂してたんだがよ、つい最近も実家から見合い話が来てたってのに、碌に確かめもせず断っちまったそうじゃねーか? 一体いつまでこんな爺相手に恋人ごっこを続ける気だ? オレは流石にサーシャの将来が心配だぞ……」


「!」


シドの言葉に、サーシャはむぅ〜っと頬を膨らませる。

そんな幼い仕草さえ違和感無く似合うほど、童顔かつ小柄なサーシャ。

しかし、その年齢は既に20を超えてしまった。

身体つきも僅かにではあるが大人の女性らしくなり、もう子供扱いばかりもしていられない。


最初にサーシャから好意を寄せられたとき、まだ10代前半であったサーシャの恋を、シドは子供の一時的なごっこ遊びと受け取り、以降もずっと聞き流してきた。

それが予想外に長引き、今ではシド本人もサーシャの周囲も、事態を深刻に捉えている。


「オレの上の孫はとっくに結婚して、いよいよオレの曾孫も生まれる。下の孫はその辺まだハッキリしてないが、今は劇団の衣装係として順調に実績を積んでるらしい。……あいつらみたいに、とは言わねぇが……サーシャよ、貴重な若い時間の使い方としてこれはどうなんだろうな? そろそろちゃんと自分の将来を見据えた行動をすべきじゃねーのか?」


サーシャは一旦シドから離れ、筆談メモに思いをぶつける。


かきかきかき……


『私はずっと真剣だよ! シドのお嫁さんになりたい! シドこそ、いつまで亡くなった奥さんばかり想い続けるの? 私とのことも考えて!』


「はぁ…………だったら、こっちへ来な。サーシャ」


シドは一度深く溜息を吐いて立ち上がると、サーシャの手首を強く掴んで引いた。

そのまま寝室へ入ると、サーシャを乱暴に寝台へ放り込み、体を起こす隙も与えずに覆い被さる。

海に面した大きな窓のある寝室も、今の時間帯だと日当たりが良くない。薄暗い中に波音と衣擦れ、両者の呼吸音がいつもより大きく聞こえる。


「……サーシャ、本当にわかってんのか? オレと結婚するってことは、オレと男女の仲になるってことだ。当然こういうこともするってことだ。こんな皺だらけの爺と……本当にそれが自分の望みだって言えるのか⁇」


驚きに見開かれたサーシャの目を、シドは真っ直ぐ睨みつけて脅した。

勿論、こんなことはサーシャを第3の孫のように可愛がってきたシドの本意では無い。

ただ、一刻も早く、サーシャの自分への気持ちが恋愛感情では無いことを自覚させたかったのだ。


「…………ほら、これでわかったろ? サーシャ、別に恋人にも夫婦にもならなくていいじゃねぇか。そんな特別な関係で縛らなくたって、ただ大事な釣り仲間兼友人として、親しくいることはできるんだからよ」


シドはサーシャから身を離し、背を向けて語りかけた。

その背後から、バサバサと不穏な音が聞こえ始める。


「ん? サーシャ⁇…………うわッ⁉︎⁉︎」


ドスンッ!


振り返ったシドは、驚き過ぎて床に尻餅をついた。

そんなシドに、今度はスリップ姿のサーシャが憤然と覆い被さってくる!


「わ、わー⁉︎ おい、やめろサーシャ! 頼むから落ち着け‼︎」


更にスリップも脱ごうとするサーシャの手を、シドは慌てて掴み止めた。

そこでふとアリスに言われた言葉を思い出し、猛省する。


「覚悟を試したオレが悪かったよ……今まで子供だとみくびって、ずっとサーシャの本気に向き合ってこなかった。サーシャはとっくに大人の女になってたのにな。……本当にすまねぇ。……とりあえず、早く服を着てくれ。若い女の裸なんか、老いぼれ爺には暴力みたいなもんだ。新手の老人虐待だぞ?」


「…………」


サーシャを女と見ているような言葉に反して、シドの老体には微塵も反応が無い。

その事実に傷付いたサーシャは、大人しくシドの上から降りた。


少し待ってシドが起き上がってみると、サーシャは寝台の上でヌイグルミを抱いて横になり、不貞腐れている。

服はまだ着ていない。せめてもの反抗だ。


「やれやれ……女に押し倒されたのは、死んだ婆様に初めて会ったとき以来だぜ」


「⁉︎」


布団でサーシャの体を隠しつつ、シドは懐かしそうに苦笑した。

自身の想い人と既に故人である恋敵の馴れ初めについて、サーシャは詳しく聞き出したく思った。

しかしながら、筆談道具はさっき食卓へ置いてきてしまった為、自分からは尋ねようがない。


「……なあ、サーシャ……オレはよ、本当は全然良い夫じゃなかったし、サーシャに好きになって貰えるような人間じゃねぇんだ。ただ年老いて丸く落ち着いちまっただけ、悟った顔して澄ましてるだけだ。年寄りなんてな、必ずしも尊敬されるべきものでもねぇのさ。長生きした分、たくさん間違ってきたし、たくさん人を傷付けてきた……オレは特に、一般のそれの比じゃねぇ程」


サーシャに背を向けて寝台へ腰掛けたシドは、枕を手に取ると顔を埋めた。

定期的に染み込ませてきた香水の残り香が、シドに若き日の妻の姿を思い起こさせる。

彼女に自分がどれだけ救われたか……彼女に出会うまでの自分がどれほど最低な人間だったか……出会ってからもどれだけの過ちを重ねてきたか……


年寄りの寛容さも、自身が長く生きた分たくさんの罪を犯してきたから、赦されるために赦すしかないからだとしたら、偉ぶったり尊敬されたりすべきものではないだろう。

本当は最初から過ちなど犯さないでいられた人間こそ立派で、罪人が反省して謙虚になるのは当然そうならなくてはならない最低限の務めにすぎない。

善人となった元悪人が、最初から聖人であったように扱われるのは卑怯だ。なぜなら罪人であることは変わらない。犯した罪は消えていない。


老人シドは、後悔の多い人生を振り返る……



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