4.クリソベリル村長
一応この時点でサーシャ11歳くらいのつもりです
地の国、田舎村。
何件目かに訪れたサーシャの療養先候補は、小さな農村の大きな屋敷であった。
屋敷は手入れの行き届いた美しい庭を持つ豪邸であったが、村は交通の便が悪い僻地にあり、最寄りの町から魔獣が引く車に乗って来なくてはならなかった。
前年の大陸魔脈変動では、死傷者こそ奇跡的に無かったものの、農地の多くを失ったという。
「おーい、姪っ子ちゃん!」
慣れない揺れに酔ったサーシャが中庭で休んでいると、話し合いを終えた叔父が応接間から出てきた。
「僕が出国前に送っといた手紙を読んだ村長さんが、この屋敷の一室を君用に設えておいてくださったそうだ。村長さんは未婚でお子さんもいらっしゃらないからね、君のことは実の娘のように可愛がってくださると思うよ! さて、僕は美人女将のいる温泉へ行って、そのまま宿に泊まることにするよ。残念ながら彼女は子持ちの人妻だけど……いや、むしろ、そこがまたイイからね‼︎ 工房棟で職人仕事の見学もしたいし、村には1週……いや、2週間程滞在予定さ!」
「…………(真の滞在目的は美人女将の方では⁇)」
好色そうな顔つきをした叔父が浮き足立って去りゆくのを、サーシャは冷ややかに見送った。
その直後、背後からチリンチリンと微かな鈴の音が近づいてくる。
「ようこそなのにゃー‼︎ お待ちしてましたにゃん♪」
「⁉︎⁉︎⁉︎」
振り返ったサーシャの目に飛び込んできたのは、パッチワークの賑やかな獣耳付き着ぐるみ風ローブを着た人物だった。
顔は道化師風の落書きペイントが施された仮面で隠し、両手すら異様に長い裾の中に隠している。
サーシャは思わず2歩3歩と後ずさったが、相手はぴょこぴょこと弾むような足取りで間合いを詰め、ローブの裾越しに両手で握手を求めてくる。
「ワタシが村長のクリソベリルですにゃ! サーシャさんっ、初めましてにゃん♪」
「…………(怖っ‼︎)」
素肌露出面積0の完全防備である上、独特の訛りと声質で年齢どころか性別の見当もつかない。
ただ、叔父の営業スタイルというのは出張ホスト紛いのもので、これまでの得意先は大半が女性であったことから考えれば、着ぐるみの中身は意外と美女なのかもしれない……
そんなことを思いつつサーシャが握手に応じると、クリソベリルはその手を掴んだまま向きを変えて歩きだす。
「よろしく、よろしくーなのですにゃん♪ にゃにゃっ、サーシャさんのお部屋は2階なのですにゃ! 早速ご案内しますにゃん♪」
「…………(変な人)」
サーシャは警戒しつつも、大人しく手を繋がれたまま歩いた。
***
「にゃにゃーーん‼︎……どうですにゃ? どうですにゃ? サーシャさんに喜んでもらおうと、色々用意してみたのですにゃん♪ 後でワタシとも一緒に遊んでくれると嬉しいにゃん♪」
「…………(わあ! 素敵‼︎)」
案内された部屋を見て、サーシャは思わず目を輝かせた。
ふわふわ甘々なパステルカラーでコーディネートされた少女趣味の子供部屋は、幼い頃に胸を躍らせた聖夜祭の贈り物の山を彷彿とさせる多様な玩具で溢れかえっていたのだ!
部屋全体がまるで小さなファンシーショップである。
暫しサーシャの心は夢の世界へやって来たかのように踊った……が、すぐにこれまでの記憶が憂鬱な現実へと引き戻す。
いつの頃からか、姉も周りの令嬢たちも、サーシャのこうした趣味を嘲笑するようになったこと。
やっと趣味を理解してくれる異性に出会えたと思ったら、あちらから向けられた興味は性的な欲望であったこと。
家族よりも大切にしていた玩具たちを、家族によって大量虐殺されたこと……
楽しいことを前に素直に喜べない程、やはりサーシャの心は深い悲しみを抱いていた。
そんなサーシャの闇には気付かないらしく、家主クリソベリルは無邪気に玩具のプレゼンテーションを始める。
「にゃ〜ん♪ これは魔獣シュシュの等身大ぬいぐるみシリーズですにゃ! しかもにゃんと! こちら、この村のご当地デザインなのにゃ! 手触りも本物そっくりフワッフワで夢見心地にゃ〜……で、こちらの踊り子さん人形はゼンマイを巻くと……にゃーんとっ、くるくる踊るオルゴールなのですにゃ! 曲も素敵にゃ〜……それからそれから、こっちの玩具箱は……うにゃあ⁉︎ ビックリ箱だったにゃー! ワタシが先に引っかかってしまって申し訳にゃいですにゃ〜」
玩具に囲まれてパタパタとはしゃぐ着ぐるみ姿は、まるでクリソベリル自身も玩具のひとつの様によく馴染んでいる。
そんな愛くるしい着ぐるみ村長は、ふと思い出したようにサーシャへ駆け寄ると、懐からファンシーな装丁の自由帳を取り出す。
「にゃ! これは連絡ノートなのですにゃ〜。サーシャさんがワタシたちに伝えたいことを自由に書いて下さいにゃ。食べ物の好みでも、村についての質問でも、日々の気づきでも、それ以外でも、なんでもいいのですにゃー。全てに応えられるかはわからにゃいけど、なるべく頑張りますにゃー」
手渡された自由帳をサーシャが開いてみると、最初のページには『ようこそ、サーシャ!』のメッセージと共に、三角耳で二足歩行の魔獣のイラストが描かれていた。
「これからよろしくお願いしますにゃん♪」
人懐っこい声に応えるべく、早速サーシャも自由帳にペンを走らせる。
かきかき……
『よろしく、変な村長』
***
クリソベリル邸2階、サーシャの部屋。
「はァア〜〜……美人女将を何度口説こうとしても、旦那の惚気話を10倍返しされるだけだったな〜〜……はァア〜〜……」
「…………(ウザッ)」
叔父が美人女将を攻略できないまま、村へ来て2週間が過ぎた。
そんな叔父だが仕事の方は実り多く、自身は次の予定地へ発つ準備を終え、今はサーシャの荷造りを手伝っている。
「それじゃあ明後日には村を出るけど、姪っ子ちゃん……本当にここに残らなくていいのかい? せっかく村長さん、ここまでもてなしてくれてるのに……」
子供部屋を見渡しながら問いかけた叔父に、サーシャははっきりと頷く。
「そっかー……まあ候補地は他にもあるし、後でまたここへ戻って来てもいいからね。姪っ子ちゃんが納得いくまで、叔父さんは付き合ってあげるさっ」
「…………(叔父様も、本当は早く私から解放されたいよね)」
確かにクリソベリル村長は、忙しい中ときどき遊び相手になってくれた……というより、本人も玩具で遊びたくてしょうがない様子であった。
そんな子供っぽい様子を見せつつも、運要素が低めのボードゲームを遊ぶときには、明らかに手心を加えてくれているのが見て取れた。やはり大人だ。
そんな良く出来た大人だから、きっと叔父に頼まれて仕方なく、引きこもりの子供の世話も我慢してくれているのだろう。
自己肯定感の低いサーシャは、そうした親切を心苦しく思っていた。
お人好しのクリソベリル村長にキャロルを託したら、迷惑がかからないように他所へ旅立ってから自殺する……それがサーシャの決めた答えだった。
「はァア〜〜……それにしてもあの旦那、診療所の美人女医と怪しいんだよなー……あんな美人女将から一途に愛されてるっていうのに……ひょっとすると今頃、診療所の空きベッドで背徳的なスリルに身を任せッ…………あー、羨ましいッ‼︎ 羨ましいッ‼︎……はァア〜〜……」
「…………(キモッ)」
「あれ? そういえば姪っ子ちゃん、ちょっと顔が赤くない? もしかして、叔父さんの恋バナ聞いて照れちゃった? ねぇ、ねぇ」
「…………(今のは恋バナと言わないわよ。セクハラよ)」
つんつんと突っついてくる叔父の指を、サーシャはへし折ってやりたい気分だった。
しかし、へし折るどころか払い除ける力も入らない。
「…………(あら? 変ね……なんだか頭がぼ〜っとして……)」
「姪っ子ちゃん……⁇ わわっ⁉︎ おでこ熱い! 熱あるよ! 大変だ……」
叔父はサーシャを寝台へ押し込むと、大慌てで人を呼びに出ていった。
バタバタと気忙しく出入りするメイドたちを眺めながら、サーシャは眠りについた。
***
深夜。サーシャの部屋。
まだ瞼を閉じているサーシャの耳に、入口の方からヒソヒソと話す声が聞こえてくる。
「本当に夜は村長さんが看病なさるのですか? 私たちメイドに任せて下さればいいのに」
「にゃー。メイドさんたちは日中よく頑張ってくれましたにゃ。夜はワタシに任せて、よ〜く休んで下さいにゃ。ワタシなら体が丈夫にゃので、感染る心配も無いですにゃ」
「お気遣い感謝します。それではお言葉に甘えて……」
「にゃ。おやすみにゃさい〜」
パタン……
静かに扉を閉める音がして、サーシャは薄らと目を開けてそちらを見た。
薄暗い部屋の中、夜でも着ぐるみローブと仮面装備なクリソベリルが、サーシャの寝台へ向かって歩いてくる。
「……‼︎」
サーシャは急に怖くなって目をギュッと閉じた。
村長が夜にメイドを追い払ってまで、わざわざ他人の子供を看病するなんて妙ではないか。
今まで女性だと思い込んで安心していたが、実はあの見合い相手同様の小児性愛者だったら……?
恐怖でサーシャが震えていると、汗が伝う額にそっとタオルが押し当てられた。
サーシャは恐る恐る再び薄目を開けてみる。
「にゃ? 起こしてしまいましたかにゃ? お水、飲みますかにゃ?」
「…………(いらないわ)」
「サーシャさん、風邪で熱が出たのにゃ。でも大丈夫にゃ。ゆっくり休めば明日には元気になれますにゃ。今夜はワタシがずっとそばにいますにゃ。安心して眠って下さいにゃ」
「…………(おやすみなさい。ありがとう)」
クリソベリルの表情は仮面で見えないが、不思議と深い慈愛の心を感じられた。
今度こそ安心したサーシャは眠りに落ちた。そして……
***
翌朝。
「⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
早く目覚めたサーシャは、寝台にもたれかかって眠るクリソベリルの姿を見て驚愕した。
眠っている間に仮面が外れ、フードも捲れてしまったその頭部は、人間ではなく毛むくじゃらの魔獣だったのだ‼︎
「…………(これがクリソベリル村長の正体⁉︎)」
大きな三角耳をペタリと伏せた魔獣は、よく見ると目に涙を滲ませている。
大きな顔の下に敷かれたローブの裾も、よく見ると涙でシミが出来ている。
「……にゃ。………………にゃ……」
よく聞くと何か寝言も言っている。
サーシャは魔獣の寝言を聴こうと、その口元に耳を寄せてみた。すると……
「ずっとここに居て下さいにゃ……絶対にワタシが守りますにゃ……置いてきぼりは嫌ですにゃ……」
繰り返し、繰り返し、魔獣はポロポロと涙を零しながら、祈りのように呟いていた。
それは、かつて魔獣をこの屋敷に置き去りにしたはずの旅人に向けられた言葉だった…………が、そんな事情を知らないサーシャは、急いで自由帳に返事を書き始める。
かきかき……
「ふみゃぁ〜〜、朝にゃ?…………ニャッ⁉︎⁉︎⁉︎ はにゃにゃ……」
サーシャの立てる物音で目覚めたクリソベリルは、すぐに自身の頭部が露わになっていることに気付いて青ざめる。
「にゃ……にゃ……にゃあああ〜〜……」
狼狽したクリソベリルは仮面も拾わず、直ちに窓から外へ逃げようとした!
しかし、サーシャが背後から抱き着いてそれを止める。
「ニャッ‼︎……にゃにゃ⁇ サーシャさん、ワタシが怖くないにゃ……⁇」
ぷるぷると震えて怯えながら、カーテンに包まり始めるクリソベリル。
その大きな目にはっきり映るよう、サーシャは自由帳を掲げて見せる。
『私、ずっとここに居たい!』