1.サーシャ
番外編でのサーシャの年齢と時系列をはっきり決めてないのですが、たぶんここでは9歳くらい?
回想。
昔流行っていた2冊の前世占いの本。片方の結果は奴隷、もう片方の結果はお姫様だった。
一見真逆の結果のようだけど、どちらも生まれで人生が決まっていることは共通に思えた。
自分には自分で運命を切り開く能力が無いのだと、そう言われている気がした。
***
火の国、中央区。
幼少期のサーシャは1人遊びの世界に没頭する子供だった。
元々は年子の姉と一緒に遊んでいた人形遊びを、姉が卒業した後にも1人で続けていた。
衣装の充実した着せ替え人形、老舗ブランド製のヌイグルミ、精巧なドールハウス……裕福な家庭で物質的に充実した環境。
そのせいなのか、元々の性質なのか、サーシャは生身の人間には関心を持とうとしない内向的な子供でもあった。
その上、優秀な姉と同じ家庭教師に教わっているのに、姉と比べると勉強も芸術も作法も不出来。
故に、両親も姉も歳の離れた兄たちも、サーシャのことを次第に疎ましく思うようになっていった。
ある日、とあるパーティ会場の隅でじっと人形を抱いていたサーシャに、遠縁の親戚で同い年の令嬢が声をかけた。
サーシャの人形を可愛いと褒めてくれた彼女に、嬉しくなったサーシャは夢中で他の人形やヌイグルミたちの話もした。
所持している何十体もの人形やヌイグルミの全てに、サーシャは名前どころか性格や関係性といった細かい設定まで付けていて、それらについて取り留めもなく一方的に解説し続けたのだ。
相手の令嬢は大らかでニコニコしながら相槌を打ってくれていたのだが、周囲のその他大勢は違った。
普段無口で孤立しているサーシャが多弁になり、しかもその内容が人形遊びの話……なんと幼稚な!
そんな奇異の目を向けられていることにも、サーシャ自身は全く気付けなかった。
クスクスと笑っている人々と目が合っても、それが自分に対する嘲笑だなんて思いもしなかった。
皆が笑うのはパーティが楽しいからだと思って、サーシャはますます楽しい気分で笑っていた。
***
「サーシャ‼︎ よくも恥をかかせてくれたわね! 私の友達みーんなあんたのこと笑ってたのよ! あんたのせいで私まで笑いものだわ! これから私どうすればいいのよ⁉︎」
帰宅後、姉は顔を真っ赤にして頬に幾筋も涙を流しながら怒鳴った。
サーシャはムッとして睨み返す。
「それは姉様の周りが性格悪い人ばかりだからでしょ? ネリアちゃんは『お人形さん可愛いね』って褒めてくれたし、ずっと笑顔だったわ」
「そんなのただの社交辞令で本心じゃないに決まってるでしょ! それどころかきっとあんたの醜態を引き出すために言った嫌味だったんだわ! 笑ってたのは頭のおかしいあんたをバカにしていたからよ!」
「そんなことないもの。ねぇ母様、姉様ったら酷いんです。母様から姉様を叱ってください」
長椅子でぐったりと項垂れている母のドレスを、サーシャはぐいぐいと引っ張った。
母は頭を抱えて、サーシャを見ずに独り言のように答える。
「はぁ……私も〇〇婦人から『感受性の強い子は大変ね』なんて心配されたし、××婦人からは『私なら引っ叩いてでも止めますわよ?』なんて驚かれたのよ……」
「⁉︎……母様まで、なんでそんな意地悪な嘘をおっしゃるの? 〇〇婦人は以前『賢い子ね』って褒めてくれましたし、××婦人だって会えばいつも親切にしてくれますのに」
納得のいく説明を求めて更にぐいぐいとドレスを引っ張るサーシャ。
このままではドレスが破けると思った母がその手をバシッと払い除け、サーシャは突然叩かれた痛みと驚きに唖然とする。
「ほらね! 本当はみ〜〜んな、あんたのこと嫌いなのに我慢してくれているだけなのよ! あんたは自分が誰からも嫌われてるってこと、もっと自覚しなさい! あんたみたいなのは生きてることを申し訳なく思いながら、いつも謙虚にしていないといけないんだからね! ほら! 謝りなさいよ! ほら早く! 謝れ‼︎」
ますます激昂する姉。嘆息するばかりの母。
パニックで過換気に陥ったサーシャは、発声どころではなくなった。そうでなくても、姉に謝るつもりなど無かったが。
「ああ! そんな演技で騙そうとするなんて、あんたってばどこまで卑怯なのよ! 最低‼︎ 最悪‼︎ あんたなんて本当は生きてるだけで大迷惑なのよ! かといって自殺されても大恥だし、生まれてきたことがそもそもの間違いなんだわ! こんなのが家族にいるなんて、私の人生めちゃくちゃよ‼︎」
姉はそこまで言うと母に抱きつき、後はもうサーシャに振り返ることなく泣き続けた。
実際、姉の周りには妹のことで執拗に揶揄ってくる意地悪な令嬢がいて、姉も相当に追い詰められていたのである。
夜になって父や兄たちが帰って来ても、サーシャに味方する者は1人もいなかった。
「あんな出来損ないを産んだお前が悪い‼︎」と母を責める父。
「どうして私がこんな目に遭わないといけないの⁇」と泣き崩れる母。
両親の会話を盗み聞きし、「お母様が可哀想だわ!」とサーシャを責めに来る姉。
何も言わずに自室へ戻った無関心な兄たち。
家族は皆、サーシャにとって敵であった。
家族だけではない。家庭教師たちも、使用人たちも、貴婦人たちも、令嬢たちも、誰も本当の心は見えない。
本人の前ではニコニコ笑って親切なフリをしても、陰では何を言っているかわからない。
人間は誰1人として信用ならないのだ。
サーシャの味方は、空想の中でお喋りする人形やヌイグルミたちだけだった。
***
「……………………」
あの日以来、人間不信を極めたサーシャは誰とも口をきかなくなった。
最初は誰になら何を話していいのか或いはいけないのかわからないからだったのだが、その状態が続く内に本当に声自体出せなくなってしまった。
喉の病気を疑った家族はサーシャを医者に診せたが、身体に異常は無く、心因性であると診断された。
「心因性って、結局それ病気じゃなくてただの我儘ってことでしょ? 全部サーシャの性格が悪すぎるだけじゃない!」
「心が悪かろうが体が悪かろうが、欠陥品が血族にいては結婚相手が逃げてしまうじゃないか! あれ1人のせいで、他の子供たちの縁談まで白紙に戻されたらどうしてくれるんだ!」
「はぁ……どうして1人だけまともに育たなかったのかしら⁇……優秀でなくても、せめて普通でさえあってくれれば……」
「…………」
声を無くしたサーシャは次に表情も無くした。
自分の気持ちを外に表現することなどもうしない方が良いのだと決め込んでいた。
そうする内に中の感情さえ消えて無くなってしまえと願いながら。
パーティ会場で話しかけてきた令嬢は、本編サブヒロインのネリアです。
ネリアに悪気は無かったのですが、結果的にサーシャの不幸の遠因になってしまいました。