10.この場所で
10数年後、木工工房の片隅。
「お昼休みに何を作っているのですにゃ?」
「これですか? ウチの坊やにちょっと土産をと思いましてね」
かつて泥棒だった職人は照れ臭そうに笑って、クリソベリルに木彫りの人形を見せた。
「昨日は少し積もったでしょう? 坊やが初めての雪だるまを作りましてね、といってもこのくらい小さなやつを。それでですね、ず〜っと一緒にいたいからって寝室の机の上に飾って寝たんですよ。かみさんも俺も止めたんですけどね、聞かないもんだから仕方なく……で、今朝にはすっかり溶けて消えちまってたんで大騒ぎでしたよ。皮肉な話です。本当のことは言っても信じないもんですから、雪だるまさんは旅に出たんだよ〜なんて言い聞かせてはみたんですけどねぇ」
「それで雪だるまさんの代わりに人形さんを連れて帰るのですにゃ? 良いパパさんですにゃ〜。でも、これは一体何の人形さんなのにゃ〜⁇」
両目部分にだけ黄色と緑の着色が施された、三角耳の魔獣を象った木彫り人形。
そのモデルが自身であることに気付けていないクリソベリルを、職人はニヤニヤしながら見守る。
「なかなかよく出来てるでしょう。この辺りに昔から棲む有難い守護獣様……ってことにして流行らせてみましょうよ? 催し事の時にたくさん作って飾ったりして」
「にゃー。職人さんたちが結婚して、最近お子さんの数も増えてきましたからにゃ。その子たちに喜ばれる人気キャラクターを作るのは名案ですにゃ」
「子供に限らず老若男女に愛されてほしいですよ。……いつか本物を目にすることになっても、受け入れられるように」
「にゃ? 本物がいるのにゃ⁇」
「さあ? どうでしょうねぇ……いるかもしれませんよ、いたらいいじゃないですか。ははは」
職人は笑って誤魔化す。
「何で笑うのですにゃ?」
「いいじゃないですか……そうだ! あなたの仮面も笑わせてみましょう」
「にゃにゃっ⁉︎」
職人は余った塗料でクリソベリルの無機質な仮面に拙い笑顔を描き、それから俄に語り始める……
***
実は、俺の実家もね、工房だったんです。木工の。
それが……弟が生まれた頃、事業の拡大を持ち掛けられましてね。
散々出資させられた挙句トンズラされて、元あった工房も手放すことになりました。
所謂、共同経営詐欺ってやつに引っかかったんです。それからは大変でした。
両親は幼い俺と弟を養うため、あちこちに頭を下げて借金しました。
そうしてなんとかまた小さな工房を手に入れて、再出発したんです。
そんな両親の苦労も愛情も、ガキの俺にだって伝わっていたはずでした。
なのに……俺は…………
……ガキの頃の俺はイジメられっ子で、物乞いの子だと揶揄われていたんです。
両親のことも、詐欺師なんかに騙される方が悪いのだとバカにされまくって。
幼い弟が無邪気でいるのも、あれはバカの子供だからバカなのだと指差されて。
悔しくて、恥ずかしくて、惨めでした。
どうしてもイジメられたくなかった俺は、イジメる側に回ることにしました。
素行の悪いはずれ者たちに取り入って、唆して仕返しを手伝ってもらいました。
それについては、正直、未だに後悔も反省もできていません。いい気味でした。
でも、それで終われなかったんです……
その後も俺は素行不良を重ねていきました。
かつてのイジメっ子たちの言葉そのままに両親を侮辱し、か弱い弟を虐げて。
勉強もせず、仕事もせず、金を盗み、酒を飲み、堕落し続けたんです。
そのくせ誰かに落ち度を見つけると、重大な罪のように取り立てて攻撃して。
何の罪にもならぬような些細な欠けや個性にさえ難癖を付けて差別して。
自分を棚上げして、常に誰かを下に設定して、脆い自尊心を守っていました。
ある時、悪い仲間たち数人と半獣人の配達員に絡んだことがあります。
煽りまくって少しでも手を出されれば、襲われたと雇用主をゆするつもりでした。
相手は言い返せることは沢山あった筈なのに、ただ冷静に短く言い返して去りました。
悪意によって他者を傷つけようと欲するその心の醜悪さを軽蔑する、と。
眉ひとつ動かさなかったあの冷ややかな眼差しを、今でもよく覚えています……
卑劣を極めた俺をいよいよ両親も見限り、家業は弟が継ぐことに決まりました。
幸いなことに、その頃には両親の経営はもう順調で、弟は地元で評判の知恵者でした。
自分のせいで家族の人生まで壊れなくて良かったと、そう思えたのはずっと後でしたが。
それまで連んでいた悪友たちも大人になって落ち着き、気が付けば俺は孤独でした。
そこで俺は若さだけを取り柄に、ある未亡人の男妾になりました。
旦那さんに先立たれ、息子さんも自立し、彼女もまた孤独だったんです。
でもその生活も長くは続かず、気付いて戻ってきた息子さんに俺は追い出されました。
その息子さんも、母親よりその財産の方を心配していた様子でしたが……
そうしていよいよ人生に行き詰まったとき、俺はあなたの屋敷を噂に聞いたんです。
一か八か、盗みに入ってやろうと決めました。失敗すれば、野垂れ死ぬつもりで。
***
「本当に碌でもない話でしょう。自分が本当は何に傷付いて、何に怒っていたのか……それに向き合うことから逃げ、八つ当たりで無関係な人々にまで迷惑をかけてきたんですから。全くもってお恥ずかしい黒歴史です。悪者が得をするのが当たり前、そんな話がありふれている……だからといって悪行を肯定するのは間違いなく間違いでしょう。負の連鎖に加担して世界をますます歪めてはならない。大切なものを見失わず、正しく生きることに努めるべきだったんです……」
「それに気付けたアナタは、もう悪人さんではないですにゃ」
「それでも過去の罪が消えるわけでもありませんからね、罪人ですよ、ずっと」
「罪人さんだとしても、アナタの新しいご家族もワタシも、今のアナタを大切に想っていますにゃ」
「……ありがとうございます。あなたが俺を信じてくれたおかげで、俺はあなたの信じる俺に成れました。自分にも、良心があると気付くことができました。恨み続けたはずの世界が、愛しいものに変わったんです。出会ってくれて、俺の良心を見つけくれて……本当に、ありがとうございます……」
そんな会話を交わした数週間後、彼は急な発作に倒れ、戻らぬ人となった。
死ぬまでにしばらく苦しみもがいた彼は、その苦しみの中で再び世界を恨むことは無かったかしら? 最期まで良心を見失わなかったかしら?
クリソベリルはそんなことを心配しながら、彼の死を悼んで仮面の笑顔に涙を描き足した。
クリソベリルはふと、異世界の祈り手たちのことも考えた。
赦せないままでも僅かにでも愛してあげられれば、祈り手たちも改心することがあるのかしら?
……本当にもう滅んでいるのなら、救いようがないけれど……
職人の死後、クリソベリルはこの地に2つの施設を建てることを急いだ。
1つは診療所。
これまでも屋敷に住み込みの医者はいたが、それより気軽に立ち寄れて、専門設備の充実した環境が必要だと感じたからだ。
もし定期検診を義務付けていたなら、急死したあの職人も早くに予兆を見つけて救えたかもしれない。そんな後悔が大きかった。
もう1つは教会。
増えてきた子供たちに学ばせる場としても、悩める者たちが懺悔や祈りによって救われる場としても、必要だと感じたからだ。
そして何より、亡くなった者とその遺族たちのため、弔いの環境を整えたかったのだ。クリソベリル自身、悲しみを和らげるためにも。
教会を建てるのにも神父を派遣してもらうのにも、国の許可が必要であった。
これを機にクリソベリルはこの地を正式に村とすることに決めた。
登録申請は無事に受理され、クリソベリルは村長となった。
魔獣クリソベリルはこの村でずっと、旅人の帰りを待って留守番を続けている……
いつか最愛の人に「おかえりにゃさい」と言える日を夢見て。
クリソベリルが魔獣だと知っているのは初期から屋敷にいた者たちだけで、後からの移住者は知りません。
地の国本編の終盤で初めて知った者が殆どです。例外的にサーシャたちは知っていましたが。
次回更新はサーシャ回で4月予定です。