9.泥棒とクリソベリル
「きゃー‼︎ 泥棒よー‼︎」
「泥棒が逃げるわー‼︎ 誰か捕まえてー‼︎」
年の暮れ、雪化粧したクリソベリル邸1階にメイドたちの悲鳴が響き渡った。
すると、すぐさま2階から返事がある。
「にゃ‼︎ 任せるにゃん‼︎」
「「えっ⁉︎ クリソベリル様⁉︎」」
ぴょ〜〜ん!……ドスーーン‼︎‼︎
「ぎゃーーーーっ‼︎」
メイドたちが止める間も無く、中庭逃走中の泥棒の背に屋敷の主クリソベリルは着地した。
悶絶する泥棒が手放した袋からは、盗まれた金や魔石が溢れている。紛れもない現行犯だ。
「捕まえましたにゃん」
「クリソベリル様! 危険すぎます!」
「クリソベリル様! お怪我は⁉︎」
「ワタシは大丈夫ですにゃー。泥棒さん、お怪我はありませんかにゃ?」
クリソベリルはのそのそと泥棒の体から下り、気遣って顔を覗き込もうとした。だが……
「ぐぬぬ……この金持ちヤローめが‼︎」
ばっっ‼︎
「にゃ⁉︎」
男は起き上がるや否やクリソベリルの顔目がけて殴りかかった!
クリソベリルは咄嗟に顔を引っ込めたものの、仮面を遠くに叩き飛ばされてしまう。
現れた大きな目玉と毛むくじゃらの顔に、驚愕した泥棒は再び叫び声を上げる。
「ぎゃあ⁉︎ 化け物‼︎ 化け物だあッ‼︎ ぎゃーーっ‼︎」
そうしている間に騒ぎを聞きつけた使用人たちがぞろぞろと集い、泥棒を取り囲んでその処遇について議論し始める。
「クリソベリル様の正体を知られた以上、このまま町の役人に引き渡すわけにもいきますまい……」
「忘却魔法は後遺症の危険もありますがね、泥棒相手なら構わんでしょう」
「泥棒だけとも限りません。余罪によっては生かしておかない方がいいかもしれませんよ?」
中には物騒な意見も聞こえ、クリソベリルは慌てて議論を遮る。
「にゃにゃん! 泥棒さんにも何か事情があったはずですにゃ。まずはゆっくり話を聞きたいので、ちょっとだけ2人きりにしてほしいのですにゃ〜」
使用人たちは勿論大反対したが、クリソベリルは自分は強いので大丈夫だと押し切った。
扉の前に見張りを待機させ、泥棒をしっかり拘束した上で、クリソベリルは応接間に彼と2人きりになった。
***
「この魔獣ヤロー……さては使用人たちには俺が逃げ出したことにして、今ここで食っちまうつもりだろ? 人のフリした化け物め!」
怯えているはずなのに毒付いてくる泥棒。
もう助かるのを諦めて自棄になっているのだろう……クリソベリルはか弱き存在を憐れに思った。
「泥棒さんはどうして泥棒さんになったのですにゃ?」
「手っ取り早く金が欲しかったんだよ……」
「どうしてお金が欲しいのですにゃ?」
「そんなん金がねーからに決まってんだろ、バカ魔獣」
「どうしてお金が無いのですにゃ?」
「無職だからだよ! 悪いかよ!」
「盗むのは良くないと思いますにゃ……」
「バカにしやがって……くしゅん!」
「にゃにゃ⁉︎ そういえばさっき中庭に倒したせいで、服が濡れて寒そうなのですにゃ……すぐに着替えを用意しますにゃん」
クリソベリルは直ちに使用人に服を運ばせると、着替えさせるために泥棒の拘束を解いてやった。
「お人好しのバカめ。いくら魔獣で強いからって、俺みたいな悪人相手に隙を見せすぎだ」
「真に悪人かどうか判断できるほど、まだ泥棒さんのこと知らないですにゃ」
「泥棒は悪だろ!」
「泥棒は悪いことですにゃ。でも、重い病気とか何か事情があってのことなら、助けたいと思いますにゃ」
「口実与えて自ら詐欺に引っかかろうとしてる変態かよ? 金持ちってのは理解できねーな!」
文句を言いながらも泥棒はシャツのボタンを留め終えた。
身なりを整えればそれなりに好青年と見えなくもない。
「にゃー。そのシャツ1枚出来上がるのにも、縫製する人、布を織る人、綿花を育てる人などなど……色んな工程でたくさんの人が関わっていますにゃん。その小さなボタンひとつも、誰かが作ったからそこにあるわけですにゃ。色んな人が色んなところで協力し合って、ワタシたちの世界は出来ているのですにゃ。泥棒さんだってちゃんと探せば、役に立てる場所、必要とされる場所が見つかるはずですにゃ。だから……」
「バカが!……世の中そんなに優しくねーよ……人間はお前みたいなお人好しのバカばっかじゃねーんだ。出し抜き踏み付けるのが当たり前、信じるバカは騙され搾取されて使い捨てられるのが世間の常識だ。俺には居場所なんかどこにもねーよ」
「にゃるほど、つまり泥棒さんは信じるバカで騙され搾取されて使い捨てられて居場所を無くしたのですにゃ」
「はぁ⁉︎ お、俺の話じゃねーし! そういうバカをいっぱい見てきたってだけで……」
「泥棒さんがワタシに悪態をつけるのは自棄だからかと思っていましたが、今思えばワタシが魔獣でも人を襲わないと信頼してくれていたからなのですにゃー」
「ち、ちげーし! 勘違いすんじゃねー!」
取り繕って生きるのが下手な泥棒の幼稚さに、クリソベリルはすっかり子供の相手をする気持ちだ。
「ではワタシの方でアナタを雇用しますにゃ」
「この屋敷で使用人として飼われろってことか? へぇー…………そうかそうか、俺1人救って自分は聖人だと自己満足できるなら安いもんだよなぁ、金持ち偽善者さんはよぉ」
「にゃにゃっ? つまり泥棒さんは自分だけ抜け駆けするのは申し訳にゃいから、他の人々の働き口も作ってほしいということなのですにゃ? にゃー! それは素晴らしい考えですにゃ♪」
「はぁぁ⁇」
泥棒はただ素直に感謝するのが癪だから適当に非難してやっただけのつもりだったので、クリソベリルの予想外な解釈に困惑した……と同時に逆らうのがばかばかしくなってきた。
「……いくらここが大きな屋敷だからって、振り分けられる仕事なんて限られてるだろ? 働き口を増やすなら、どっかに工場でも作るのかよ? 自分の目の届かないとこに委託すりゃあ、管理者に横領されて下っ端はこき使われるだけってことにもなりかねないぜ?」
「にゃー……では屋敷の周りを少し切り拓いて、いくつか工房を建てるのはどうですにゃ? この辺りは山が多い分魔物の生息密度は低いし、麓の方なら人間の生活圏に確保するのは可能のはずですにゃ……そういえば、泥棒さんはどうやってこんな場所まで?」
「積荷に紛れて来た。で、次の荷物の日まで物置に潜んで暮らすつもりだった。ったく……こんな辺鄙な場所じゃ物流に支障ありまくり、余計な費用かかりまくりだぞ。何の工房をいくつ建てる気だ? どこから材料を得るか、どうやって流通させるか、その辺も熟考しろよな。それに、人手を集めるならそいつらの衣食住の確保だって……あー! やっぱこんな場所じゃ全然現実的じゃねーわ! 土地が安いって利点を活かすにも、開拓範囲を広げれば周辺魔物の問題が……」
「ワタシ自身は儲けを得たいわけではないのですにゃ。今までに見つけた魔石鉱からの収入だけでもワタシたちは充分暮らせて、それでもまだ持て余していたのですにゃ……それで何かできないかとちょうど考えていたところでしたのにゃ。ニャイスタイミングにゃのですにゃん♪」
「自分の金を自分のために使わなくていいのかよ?」
「例えばですにゃ、お腹いっぱいのワタシがおかわりを食べるより、お腹ぺこぺこの泥棒さんがその分を食べる方が、全く同じ料理でもより多くの幸せを感じられますにゃ。世の中は幸せがいっぱいの方が住み良いですにゃ、同じ金額でより多くの幸せを買える方がお得ですにゃ〜」
「ふうん……殊勝な魔獣だな。利益を出さなくていい慈善事業なら、いっそ自給自足できるような体制を整えるのもアリなんじゃね? 生活必需品のための工房を揃えて、基本は自分たちで消費しつつ余剰分だけ他へ……木はたくさんあるし、畑を広げて食料と綿や麻の収穫量を安定させて……あ! それならまず魔脈管理士に依頼して土地の状態をだな……」
クリソベリルは泥棒の助言を頼りに事業計画を練っていった。
なかなかに気が利くので泥棒以前の経歴について尋ねてみたが、ヒモという残念な答えしか返ってこなかった。