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8.旅人という呪い

目が覚めると、クリソベリルは知らない部屋の寝台にいた。

傍には、椅子に座って上体だけ寝台に預けている旅人がいた。


「……ここは天国ですかにゃ? 地獄ですかにゃ?」


「どちらでもないよ……以前に多額の寄付をした教会の客室さ。更なる寄付と引き換えに、魔獣でも特別に手厚い治療を受けられるようにしたんだ」


「にゃんと……」


クリソベリルが自身を確かめてみると、痩せ細った体はところどころ毛が真っ黒になっている。

靴下を履いたように黒くなった前足で顔に触れてみると、削ぎ落とされたはずの鼻も元通りくっついている。

だが、以前よりも匂いが殆ど感じられない。


「…………」


次にクリソベリルは部屋を見回して、壁に掛かった鏡を見つけた。

そこに映る自分の顔は鼻を中心に黒くなっていて、他に耳や手足の先や尻尾が黒くなっているので、どうやら削ぎ落とされて新たに生やした部分が黒くなっているらしいと気が付いた。

次の換毛期にいっそ全部真っ黒くしたら、今の中途半端より格好良くなるかしら?

そんなことを考えていると、旅人がそっと肩に顔を埋めてくる。


「クリソベリル、お前はもう旅をやめた方がいい。実はお前が寝ている間、僕はお前に住まわせるのに良い屋敷を手配しておいた。使用人も信頼できる人物を厳選してある」


「旅人さん……ワタシだけでなく、アナタも旅をやめるべきですにゃ。旅は危険ですにゃ、怖いですにゃ……っ」


クリソベリルは泣き出した。旅人も一緒に泣いた。


***


クリソベリルの回復を待って、旅人は件の屋敷へ案内した。

そこは人間嫌いの富豪が隠居後に住むために建てさせた屋敷で、地の国辺境の山の麓で森に囲まれていた。

僻地過ぎて買取り手がつかずに遺族が困っていたのを、旅人が魔獣であるクリソベリルを隠すために買い取ったのだ。

屋敷には先に使用人たちを住まわせ、新しい家主のための手入れを命じてあった。


「すごいにゃ! すごいにゃ! 夢のお家なのにゃ‼︎」


「クリソベリルはずっと、家や家族に憧れていたものね」


広々とした豪邸は手入れが行き届いて美しく、働き手も多いので寂しくない。

思い描いた通りの理想の住処に、クリソベリルは大喜びした。

唯一の不満点を挙げるなら、庭に夏梅の植わっていなかったことくらいだ。


「木天蓼はクリソベリルが酔うだろう? 酔いは危険なものだからね。酔って夜道で水に落ちて、帰れなくなった者もいるくらいさ。そうでなくとも、思考を鈍化させる物は好ましくない」


「でも旅人さんは時々お酒を飲んでましたにゃ」


「考えたくないときや、忘れたいこともあるからね」


「人間は複雑ですにゃ……」


旅人はフフッと笑ってクリソベリルを撫でてやると、荷物を持って主寝室から出ようとする。


「さて……顔合わせも部屋の確認も済んだことだし、僕はそろそろ出発するよ」


「どこかへ用事ですにゃ? 何時に家に帰りますにゃ⁇」


「今日は帰らないし、明日も明後日も帰らないよ」


「にゃにゃっ? そんなに何日もかかる用事なら、ワタシも連れて行ってくださいにゃ。屋敷の皆さんは優しいけど、ワタシ1匹で知らない人たちと留守番は心細いですにゃ……」


「お前はもう1匹でも1人でもないし、いつまでも知らない人と人見知りするわけにもいかない。もっと堂々としていなさい、今日からこの屋敷の主人はお前なのだから」


「顔合わせのときもずっと不思議でしたにゃ……どうしてワタシなんですにゃ? 主人ならワタシよりも……」


「僕は旅人だ。ここにずっとは居られない。1人で旅を続けるよ」


旅人は優しく、しかし力強く諭すような声で告げた。

必死に忘れたフリをしてきた嫌な予感がいよいよ現実となり、クリソベリルはぎゅっと拳を固める。


「どうしても?……どうしても行ってしまうのですにゃ⁇ 危険な旅なんかもうやめて、一緒にここでずっと暮らせばいいですにゃ‼︎ 旅人なんてやめて、別の生き方をすればいいのですにゃ‼︎ 旅に拘る必要なんて無いですにゃ‼︎」


「…………」


旅人は悲しそうな顔をした。

無言のままクリソベリルを再び撫で、それからやっぱり出て行こうとした。

クリソベリルはその背に縋り付き、涙声で懇願する。


「だったらせめて、今夜は一緒に眠ってくださいにゃ……」


「……参ったな。クリソベリルにそうされると決意が鈍りそうだ」


「鈍るくらいの決意なら、やめてしまえばいいですにゃ……」


旅人は旅人でいなくてはいけない、旅を続けなくてはならない、そんな強迫的な思い込みは心の病気に過ぎない。

住処を持ち、定住することの良さを知れば、きっと治る。

客人ではなく主人として、借り物ではなく自身が所有するふかふかのベッドで、ぐっすり眠る安心を知れば……

ワタシがずっと渇望していたものを知れば、きっと……


クリソベリルはそんな期待を胸に、旅人をキングサイズの寝台へと引っ張っていった。

先に自分が寝台の上にゴロゴロと寝転がって、寝心地の良いことをアピールする。


「にゃーう♪」


「ふふ……お前は本当に可愛くて困るね」


朝になれば旅人の気が変わって、ここに一緒にずっと住もうと思い直してくれる。

新たに世界を広げることより、今までに手に入れてきた世界を大切にしたい……そんな気持ちが勝ってしまえば、もう旅に出ることなどない。

そうしたら旅人でなくなった旅人に、新しくなんと名付けようかしら?

アナタがワタシを『クリソベリル』にしてくれたように、ただの人間でも旅人でも名無しでもなく、ワタシはアナタを何者と定義しようかしら?


クリソベリルは幸福な夢を願いながら、旅人が逃げないようにしっかりと抱きしめて眠った。

その寝顔を撫でながら、旅人は独り呟く。


「発つべきか……? 絶つべきか……? 僕は………………」


***


翌朝、旅人の姿は忽然と消えていた。

クリソベリルが屋敷の者たちに訊いて回っても、誰も旅人が屋敷を去ったことを知らなかった。


クリソベリルは長い長い留守番を続ける内に、「旅人が自分を置いて行ったのは、異世界の祈り手に乗っ取られたせいではないか?」と考えるようになっていった。

時々は「もし祈り手を捕まえたら、もう2度と旅人を奪われないよう、いつかのスライサーたちみたく八つ裂きにしてやろう」というようなことも考えて、自身に激しい負の感情が芽生えたことを恐ろしく思った。



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