22.混血の魔導士
火の国、森林区。秘密の地下迷宮。
「きゅきゅきゅ……きゅあ〜〜!」
パァアア……
黒いとんがり帽子を被った純白のシュシュが杖を掲げると、柔らかな光がネリアの腕の傷を塞いだ。
2人掛けのセティの上、シュシュは毛玉のようなモフモフボディを寄せて、愛らしい円らな目でネリアを見上げてくる。
「みゅっきゅきゅ、みゅー! みゅみゅきゅ、みゅみゅきゅっきゅっ! きゅきゅきゅきゅみゅ!」
ぺちぺちぺちぺちぺちぺち……
塞いだばかりの肌を小さな手で激しく叩きながら、一生懸命語りかけてくるシュシュ。
ネリアはその意図がわからず、魔力封じの首輪を嵌められた重たい首を傾げてみる。
「ええっと……傷を治してくれて、ありがとう……⁇⁇」
「ぷふっ」
すると、テーブルを挟んで向かいの席に座っていた拉致犯が吹き出した。
ネリアが睨みつけると、拉致犯はティーカップを置いて愉快そうに説明する。
「シュシュはあなたに怒っている。あなたの血液で家具や床を汚されたからです、特にシュシュの毛で織った絨毯。あなたは我々の言葉が通じない愚かな人間だが、そのことは予想通りでしょう。故に落胆はしません。気遣いのできる我々は、あなたがテーブルの上から好きな茶菓子を選ぶことを許可しています。それは我々からのおもてなしで、あなたの感謝を得られることを願います。大変素晴らしいでしょう」
なんとも違和感のある大陸語を抑揚の乏しい声で話す男。
青みがかった黒髪を腰の辺りまで伸ばし、エルフ耳の上に大きな黒い巻き角を生やしている。
身に纏っているのは漆黒のローブ。サークレットやタリスマンには真紅の魔石が嵌め込まれている。
肌は灰色。ネリアが見る限り1度も瞬きをしていない目は、装飾品の魔石よりも真っ赤な眼球に金色の瞳。
……御伽話の魔王を連想させる禍々しいビジュアルだ。
テーブルの上にはネリアが実家で嗜んでいたような優雅なアフタヌーンティーが用意されているが、足下の絨毯から一歩外に出ればあとはひたすら石と土で固められた無骨な床と壁、高く暗く先の見えない天井が続いている。
閉鎖された旧坑道を魔物たちが掘り進め、地下遺跡と合流させた巨大迷路。彼方此方の細い横穴の暗闇からは、時折魔物たちの蠢く気配も感じられる。
そんな中、燭台に囲まれた範囲だけが、不自然に人間向けに誂えられた異質な空間だった。
「いきなり拉致監禁してきた犯罪者の勧める食べ物なんて口にしたくないんですけどっ」
警戒はしながらも抵抗はできないネリア。既に自身の敵う相手でないことは理解している。
先刻は死角から不意を突かれたとはいえ、一瞬で魔力を封じられた上に刃物も肌を通らなかったからだ。
「あなたは気丈だ。しかし飢えて死なないために、食べることを必要とします。気の長い我々は待つことが可能だ。人間は頻繁に我々を拉致監禁しますし、殺害もします。普段自分たちがなんの罪悪感も無く当たり前にやっていることなのに、やり返されれば相手を悪と糾弾して被害者面をするのは奇妙です。人間は自身の正義を疑わず、一方的で過剰で陶酔的で無自覚だ。罪悪感を持つことで自罰的、自己犠牲的になると不都合なのはわかります。それにしても自覚が足りない」
「……あなたは魔物? それとも……」
「ワタシは魔王」
「魔王⁉︎⁉︎」
「……になる予定の半獣人で、あなたより強くてすごい魔法使いです。エルフと混血でとても長く生きています。他の半獣人たちのように人間の手に落ちず、様々な知性魔物たちと共生してきました。か弱く短命で愚鈍な人間は、偉大なワタシを畏敬するといいでしょう」
「エルフと混血……魔法を使える半獣人……⁇」
そのとき、ふとネリアの足をフワフワの毛並みが撫でていった。
見ると、先ほど回復魔法を使ったとんがり帽子シュシュが、みゅきゅみゅきゅ鳴きながら浄化魔法で絨毯の染み抜きをしている。
シュシュなら家畜も野生も多く見てきたネリアだが、魔法を使える個体がいるのは今日まで知らなかった。
その目線を追いながら、魔王(仮)は説明する。
「あるとき、人間が処分しようとした家畜シュシュを保護し、我々に加えました。シュシュは魔石を取り込むことで、魔石に対応した能力を獲得できます。能あるシュシュはこの真実を人間に隠してきたのです。人間は殆どが貧弱に生まれるが、稀に魔法を使う優良個体が生まれる。半獣人は安定して人間より優れた体内魔脈を持つが、通常その恩恵は自身の体内に制限される。体外に干渉して魔法を発現させる個体は大変珍しい。ワタシは特別です」
「……色々教えてくれますね。それなら私をここへ連れてきた理由も教えてくれるんでしょ」
「ええ、勿論。なんでも教えます。なぜならあなたを帰す予定が無いからだ。我々は既にあなたを脅威と考えていません。安心しなさい。あなたに朗報があります。我々はあなたを殺しません。我々はあなたの有用性を認めていて、素晴らしい貢献を期待しています」
「私に仲間になれーってこと⁇ それとも人質⁇」
「あなたは2つの選択肢を持ちます。1つは魔王の妃になることです」
「⁉︎……なんで私が⁇⁇」
「あなたは魔脈管理士で、とても良い体内魔脈を持っている。しかも若い女性だ。ワタシの体内魔脈と交配することで、高確率で魔法を使う優良個体を得ることが期待できます。新たな生命の誕生を促すことで、我々は勢力の補填をしたい。なぜなら、あなたの保護者とその仲間たちの侵略行為によって、我々は余りにも多くを失った。あなたの生まれる前のことです」
「……パパが軍人だったときの領土拡大計画のこと……⁇ 私を選んだのは復讐のため?」
ばつが悪そうなネリアの問いに、魔王(仮)は淀みなく答えていく。
***
ワタシ自身に私怨はありません。
当時ワタシは北の山にいて、東の森が人間に攻め込まれるのを望遠魔法で傍観していた。
良かったですね、私怨を持つ当事者は殆ど死滅して生き残っていません。
殺戮は大成功だった。おめでとうございます。あの虐殺は人間視点で素晴らしい英雄譚だ。
あなたの保護者は魔物を大量虐殺した恐るべき外敵です。
子孫を残せない呪いを体内魔脈に受けたのに、あなたの存在が不思議でした。
しかし、僅かな生き残りがあなたを確かめて納得した。あれと似ていないと言います。
それでも、これはこれで貴重な体内魔脈だ。我々の大部分があなたを歓迎しています。
魔王の妃に選ばれたことは、あなたにとって最大の幸運です。光栄に思うべきだ。
人間は才覚や人徳よりも地位や権力を尊敬します。それなら魔王は最高の相手です。
あなたは必ず幸福な者と認められます、あなた自身が幸福感を得られなかったとしても。
弱者のお気持ちは強者が決めます。残されたものが史実となるので、体裁良く伝えます。
我々は我々の都合の良いようにあなたに接し、それをあなたの為だということにします。
あなたはとても喜んだ、あなたはとても好んだ、あなたはとても幸せだった、と。
弱者の心は塗り潰されて残らず、強者視点で都合良く解釈され、それを当たり前にされます。
断っても大丈夫です。2つ目の選択肢で、家畜として飼育して繁殖させます。
あなたは若くて丈夫なので1ダースは手堅いでしょう。
余力でワタシ以外と交配させても良いです。例えばオーク、ゴブリンなど。
種族が違っても問題ありません。体内魔脈を同調させることで、我々は繁殖が可能になる。
我々は多種族で協力し合って生きてきた。故に人間と比べて多様性に寛容です。
見た目の違いから人間を気持ち悪がったりしません。我々は人間ほど高慢ではありません。
ある人間の国では、男女和合して互いに絶頂に達することが子を成す条件と伝えられています。
あながち誤りとも言いません。我々は性交によっても体内魔脈を同調させることが可能だ。
あなたは知りませんか? 優れた体内魔脈の持ち主と番になることで、病弱者が延命した例を。
あなたは本当に幸運です。ワタシと番になることで、人間の短命を克服するかもしれない。
あなた以外も、若い女性は胎生のデメリットを補うために多めに確保していいです。
人間や他種族の若くて優秀な男性に、複数の人間女性を与えて交配します。
人間の老人や優秀でない男性は不要なので処分します。これは人間の女性に朗報でしょう。
より優れた者との交配の機会を、劣った者に阻害されずに済みます。
我々は慈悲深いので、尊厳を有する者に対して自死の権利を認めます。
人間は労働力として半獣人より劣っている。肉も不味い。素材になる部位も少ない。霊体系魔物の憑代としても脆弱。
研究用に多様性の保管をするにも限度があります。無駄は少なくします。
我々は資源が限られていることを忘れない。要らない人間をたくさん欲しがりません。
人間は欲望の魔物だ。故に優れた魔導士を生み出すことが可能なのかもしれません。
この世界を形作った2冊の魔本の内、黒の魔本は欲望の魔本だったので。
ついでに言うと、対の白の魔本は消滅の魔本です。混沌を嫌うゼロ教の経典でした。
彼らは世界の消去に失敗しました。極一部の者以外は真実を知らない衆愚でした。
魔獣の欲望は生きるのに必要なものを得れば満足します。
エルフや半獣人は彼らより多くを欲しますが、自然との調和を重んじて抑制します。
しかし人間はどこまでも際限無く強欲で、余剰を求めて他から奪い続けます。
人間は多くの魔物たちが住んでいた森を切り拓き、巨大な宮殿や巨大な墓を建てたがります。
希少さを自慢するために、多くの魔物たちを殺害し、死骸から一部だけを集めた素材を所有することを好みます。
不必要な殺生を遊びとして楽しむこともあり、それを自慢します。
人間は自らを神に愛されし選民と自負して憚らず、世界を管理してあげているのだと恥ずかしげもなく思い上がっています。
どんな種族よりも賢く優れていて偉く尊い、特別な存在だと勘違いしている。世界を自分たちのものだと錯覚している。
世界が自分たちを必要としていて、自分たちが世話を焼かねば世界が終わると思い込む者さえいます。
凄まじく自己中心的な視点の持ち主ですね。我々は人間が滅んでもいいですよ。
世界だって、人間がいなければ人間がいない世界でいいんです。
人間は強欲の魔物であり、傲慢の魔物です。故に繁栄した。
我が物顔で彼方此方に跳梁跋扈して、神を気取って管理します。すごいですね、人間。
人間の創造性には驚かされる。人間は悪意の創造者です。
思いついた悪意を表出し、その賢さを誇示することを好みます。
他人の不幸は蜜の味という言説を信仰し、スパイト行為に励みます。
虚飾と自惚れ、正義感を尊び、悪意の正当化まで余念がない。ある種の勤勉さを発揮する。
社会性を持つ群として振る舞う一方、利己的な裏切りが常態化。欲望を競って増します。
進化と淘汰をしているのかもしれません、醜く悪辣な迷妄を続けながら。
今後は我々が管理します、我々の新たな社会の中で。
誠実は損、信用は裏切る、卑怯者が得、そんな世界観が固まると社会は機能不全に陥るでしょう。
素晴らしい発明をしたって、悪用する方が多ければ発展どころか破壊をもたらす。
そこら中に悪意が潜伏していて、その警戒にコストを割かれるのも煩わしい。
悪意こそ社会を損なう毒だ。
社会の治安を維持するためには、善なる者を悪なる者より多く保たねばなりません。
そのために善を育むことだけでは不足です。悪を駆除することが必要です。
我々は人間の悪意の排除に敵意を持って取り組むことを決意しました。
人間の悪意が無くなれば、我々の敵意も必要無くなります。無くせる日を心待ちにしています。
我々の社会は人間の社会とは異なります。ですが、過去には歩み寄ろうとした者たちがいた。
人間にテリトリーを侵略された半獣人です。しかし人間は半獣人を仲間と認めなかった。
当時の半獣人は人間語を使わず、魔獣語を使っていたので。本来半獣人は魔獣と話せたのです。
ワタシには不思議だ。当時、人間は半獣人を無知性または極めて低い知性と断じました。
人間語を話せないだけで、魔獣語は話せていたのに。人間こそ魔獣語を理解しないのに。
半獣人はその認知と共感性によって、人間を他言語を話す知的生命体と認めたのに。
それらの事実を見落としたなら、本当に知能が低いのは人間の方だ。
それとも故意に見落としたのでしょうか? 高慢で残忍で冷酷な人間らしいですね。
人間は知ることよりも決めつけることを好みます。その方が安心するのでしょう。
理解できないものを警戒するのは弱者に大事な防衛本能ですが、人間は不寛容で攻撃的過ぎる。
干渉するのなら最低限知っておくべきことはあるはずです。理論の為には不都合ですか?
知ろうとしないなら関わらないでほしいものです。無知な部外者は弁えるべきです。恥を知れ。
仕方ないので半獣人たちは人間語を習得しました、人間と共生するために。親切すぎですね。
人間の管理下に置かれた哀れな同胞たちは、世代が移り変わると魔獣語を失った。
文化も誇りも失って奴隷にされた。彼らは洗脳された働き者で、人間に搾取される家畜だ。
魔獣語は音に思考を託した念波で、基本的に本音だけ伝えます。人間の言語は違います。
言葉の獲得は大きな意味を持ちます。情報の共有に便利です。概念を操作します。
形而上の存在を信仰させます。偽りの神を捏造できます。詐欺師の商売道具です。
為政者にとって宗教は便利な洗脳装置だ。賢い人間の頭におめでとうございます。
人間は創作が得意で、無いものをあると思い込むこと、思い込ませることが得意です。
我々は人間に対抗するべく、人間を見倣うことにした。
人間の強みである強欲さと傲慢さを、我々も身に付けることにしました。
ワタシは物語の魔王に興味を惹かれ、勇者に倒されない立派な魔王になろうと思いました。
近年、シュシュの素晴らしいテレパシー能力によって、人間居住区内で家畜にされたシュシュから我々に恐るべき情報がもたらされました。
半獣人に対するジェノサイド計画です。現在、火の国内で対半獣人用の特別な毒の開発が進行中です。
そのことが我々に戦争を決断させました。
哀れな同胞たちが惨たらしく殺されていくのを、ワタシは長い年月傍観してきました。
巻き込まれるのが嫌で、無関係だと思い込もうとした。それを終わりにします。
ワタシは魔物たちを指揮して人間の国を滅ぼし、哀れな同胞たちを人間から解放します。
我々は各地の知性魔物に呼びかけてその準備をしています。
実を言うと我々の多くは戦争に消極的だ。皆が魔導士の軍を恐れている。
戦争によって確実に我々もまた多くの犠牲を出す。とても辛い。悲しみます。
破壊、荒廃、汚染。終戦後も、生活できる環境が整うまできっと苦労します。
それでもワタシは彼らより遥かに強い魔法使いです。一騎当千。本気で戦ったら人間がワタシに敵うはずありません。覚悟の問題でした。
人間自慢の魔道具は生産力の底が知れているし、使い勝手も良くない。我々には鹵獲の機会もある。
そもそも大部分の人間は、インフラを破壊するだけで生きていくのが困難になる。
物資が不足すれば奪い合って自滅していくかもしれません。病の流行にも期待できそうです。
火の国が保管している強力な魔導士たち『人柱』のことは気掛かりですが、あれらは元より危険因子を摘むために徴発された可能性が高い。
存在を匂わせることで脅しに使っているだけ。訓練されていない民間人とか、徴発を恨んで裏切りかねないとか。
実戦投入できる個体ではなく、人格は凍結されたままエネルギー利用するくらいの使い道しかないとか。
いずれにせよ、使われる前に我々が潰します。
この戦争に勝利して我々が人間から世界を取り戻したとき、ワタシは魔王として君臨します。
人間が我々にしてきたように、我々は人間から奪います。人間を殺します。人間を支配します。
驕った劣等種に我々の方が優れている現実を解らせて躾をします。
魔法が使える人間は半獣人より強い。しかし多くの人間は魔法が使えず、半獣人より劣っています。
そして魔法が使える半獣人のワタシは、人間の魔導士より遥かに優れている。
弱い人間の群が一握りの魔導士の存在を頼みに他種族を見下していいのなら、我々もワタシの存在を頼みに人間を見下していいはずだ。
我々の群対人間の群。異なる社会同士が雌雄を決する時が来たのです。
あなたは優秀な魔脈管理士として、恐るべき人間軍の英雄の娘として、魔王の妃にすることに意味がある人物です。
あなたが我々の味方になることは、人間に少なからず影響を与えるでしょう。




