21.喧嘩
火の国森林区、駅前。
「ジャンさ〜ん‼︎ やっぱりまだまだ一緒に居たいです〜っ」
ぎゅうううううう〜〜
国境の駅から1つ手前の駅に到着した。
本来ならネリアはこの駅で引き返すはずで、降車時に別れの挨拶も済ませたはずなのだが……結局、駅の外までジャンに付いて来てしまった。
「いい加減に離れろ。乗り換えの列車に間に合わなくなるぞ」
「むぅぅ〜」
中央区を中心とした多重城郭都市……その1番外の城郭の外側にあるのが広大な森林区。
殆どが未開拓の自然で、駅周辺も木立に囲まれて林業関連の古い建物が少し見えるくらいだ。
ジャンたちの他には降車客も無く、見渡す限り人の姿は見えない。
駅からしばらく歩いた先にある今は使われていない炭焼き小屋で、ジャンはネリアの護衛と出国準備を整えることになっていた。
「それじゃ、俺はもう実家へ向かうことにするよ。ジャンの言う通り、ネリアは乗り遅れないようにな? この駅、午後の上りは1本だけだぞ」
「はーい……セスも気をつけて帰ってね。ご家族によろしく〜!」
「おう、またな〜」
恋人との短い別れは惜しむくせに、幼馴染との長い別れは随分とあっさりしたものだ。
セスは少しつまらなく思いながらも、一方ではそれほどの相手に出逢えたネリアを祝福しながら、一足先にその場を離れていった。
残されたジャンは抱きついてくるネリアを押し返し、駅へ戻るように促す。
「ほら、急げ。時間だぞ」
「イヤ! だってジャンさん、私が起きてからなんかずっと不機嫌っぽい気がしたんですもん……今日別れたら次は来週まで会えないのに……やっぱり夜のこと、まだ怒ってるんですか?」
「その件はもう怒ってない」
「じゃあ別件があるんですか? ちゃんと話してください! 私、仲直りできるまで帰りませんからっ」
「そうやってわざと乗り遅れて、大好きな幼馴染の家に泊めてもらうのが狙いか?」
「⁉︎⁉︎⁉︎」
怒りを滲ませたジャンの冷たい声に、ネリアは信じられないといった表情を浮かべた。
これ以上は絶対良くないことになるとわかるのに、ジャンはもう止まれない。
「図星か? 結局今でもあいつのことが本命で、オレはただあいつの気を引くために利用されてただけなんだろ」
「違う! 違いますよ! 今の私はジャンさん一筋、セスに未練なんか無いですってば!」
「聞いたぞ、オレと初めて会った日は惚れ薬の調合をしてたんだってな? オレが到着した時点では変質してたからかマスクのおかげか効かなくなってたが、お前はその成分を摂取した状態でオレとしばらく接触してて、その時の高揚感を忘れられなくてオレに付き纏うことにしたんだって? つまりオレを好きになったんじゃなくて、嵌まれれば誰でもよかったわけだ」
「セスのばか、余計なことを〜……」
ネリアは額に手を当てて腹立たしげに呟いた後、一呼吸置いてジャンを見つめる。
「……確かに最初の動機はそうだったと認めます。心身共に敏感になってるときに通りすがりのイケメンに救助されて感情ぶっ壊れたんです。ドキドキしてクラクラして舞い上がって……夢中になって同じ刺激を求めちゃったんです。でも! 相手が誰でもいいわけないじゃないですか! 正気になってから改めて選り好みして、その上で……」
「ああ、誰でもいいわけないよな。幼馴染で初恋相手なんて特別だ。惚れ薬もあいつに使う気だったんだろ。わかってる」
ジャンはそっぽを向いた。言い訳を途中で遮られ、ネリアはついカチンと来てしまう。
「ブッブー‼︎ 初恋はジャンさんが知らないもっと歳上の人で、セスじゃありませーん! 惚れ薬は珍しい材料が偶々揃ったんで、単純に好奇心で作ろうとしてみただけでーす! ジャンさん、な〜んにもわかってないですねー! 大ハズレ過ぎて笑っちゃいますよ〜」
煽るようなその声に、ジャンのイライラも加速する。
「そうだな、わかってなかった。オレにはあいつみたいになんでもかんでも話してないもんな? 昨日の午後もずっとバルコニーで話し込んでたのが窓から見えたぞ。本当に幼馴染と仲が良いな、恋人よりずっと」
「そっちこそ! 私よりロクサーヌさんと2人きりの方が嬉しそうに見えましたけどー⁉︎ せっかく偽装魔法で見えないようにしてたのに、燕尾が不自然に揺れてて尻尾振りまくってんのバレっバレだったんですけど⁉︎ 初恋を忘れられてないのはジャンさん自身ですよね⁇ あの人との蟠りが解けた途端急に私にもデレてくれましたけど、私と居ればまたあの人とお近づきになれるかもってそういう打算ですかー⁇」
「ロクサーヌ様のことはもう過去だ。あちらの家庭を大事にしてほしいと思ってるし、今更オレがどうなりたいとか考えてない。オレは本命の気を引くために別人を弄んだりなんかしない」
「私だってしてないですけど⁉︎」
「こんな冷たい男、好きになるなんておかしいとずっと思ってた。お前は自身が不幸になることで、構ってくれない父親や幼馴染に復讐したいんじゃないのか?」
「そんなこと考えてない! 勝手に決めつけないでください!」
「勝手なのはいつだってお前の方だろ。オレがいくら嫌がってもしつこく付き纏ってきたくせに。無理矢理付き合わされてオレは大迷惑だ」
「今更被害者面して嫌々だったとでも⁇ 絶倫だったくせに!」
「そう言うお前はあの幼馴染と何回戦したんだ? 修練場で、朝まで、汗だくで」
「ハァ⁉︎ それもセスから聞いたなら、普通に手合わせしてただけなのわかってますよね⁉︎」
「ああ、聞いたさ。オレとの恋愛が上手くいってないと相談しながらだろ? そうやってあいつの気を引こうとしたんだよな」
「酷い‼︎ なんで信じてくれないの⁉︎ ジャンさんのバカ‼︎」
ネリアは真っ赤な顔に大粒の涙を溢れさせて、駅ではなくセスの去っていった方向へ走っていく。
陽光が葉を透かした明るい緑の中、無数の幹が黒い縦縞のように見えるその奥、やがてその背中は消えて見えなくなる。
「っ……なんでそっちに行くんだよ⁉︎ やっぱりそっちに行くのかよ⁉︎…………ああ、もう‼︎」
ジャンはしばらく逡巡した後、やはりネリアを追いかけることにした。
謝罪の言葉はまだ思いつかないけれど、消えない怒りの矛先はきっともう相手より自身に向いている。
謝ろう。仲直りしよう。抱きしめて、キスをして、近い未来の約束をしよう。ジャンは自分に言い聞かせた。
しかし、その直後……
ーーーーッッ‼︎‼︎
「ネリア⁉︎⁉︎」
風に吹かれる枝葉の騒めきに紛れて、微かにネリアの悲鳴が聞こえてきた!
ジャンは不安で胸が張り裂けそうになりながら、必死に声のした方へ急いだ。
***
「「ネリアは⁉︎⁉︎」」
出会い頭のその一言で、ジャンとセスは互いに今1番欲しい情報を持たないことを知った。
「悲鳴が聞こえて引き返したんだ。ジャンと一緒にいたんじゃないのか⁇」
「いや、ネリアなら少し前にあんたを追いかけていって……」
ふと、ジャンはネリアの匂いに気付いて足元に視線を落とした。
草の上には微かだが真新しい血痕が残っている。
「ネリアは怪我をしているのか……‼︎」
ジャンは素早く伏せて、地べたに鼻先を寄せた。
ポタポタと垂らしたような小さな赤い点は、間隔を開けながら遠くまで続いているようだ。
ジャンが数メートル離れた点も次々見つける間に、セスは最初の1つを目を凝らしてやっと見つける。
「ネリア以外の血の可能性は⁇」
「匂いでわかる‼︎」
「低減状態でもわかるのか……すごいな」
セスは半獣人の嗅覚に改めて驚きを覚えたが、最早ジャンは低減状態の不自由さに甘んじてはいられなかった。
「オレなら追える‼︎‼︎」
ジャンは上着を脱ぎ捨てると、自身の背中に思い切り爪を立てた!