5.魔法を殺す毒
ある朝旅人が目覚めると、早起きしたクリソベリルが読書に勤しんでいた。
人間に憧れるクリソベリルは教養を求め、空き時間を見つけては読書家になるのだ。
「やあ、クリソベリル。随分と勤勉だね」
「だってワタシには、もっとも〜っと学びが必要なのですにゃ」
「読書というのは知識も読解力も身に付いて良いね。言葉が堪能になれば、その分思考の整理もしやすくなって、心もより深妙になりえる。……でもね、気を付けないといけないよ。知識というのは、薬にもなるが毒にもなるから。極め過ぎず、程々にしておいた方がいいこともある」
「はいですにゃ」
最近自分が本ばかり読んでいるから、旅人はこんな注意をするのだろう。
そう解釈したクリソベリルは素直に本を閉じて、代わりにスケッチブックを取り出した。
絵を描くのも旅人に教えてもらった趣味である。
楽器を習おうとしたこともあったが、そちらは手指の構造の違いからすぐに挫折した。
描くといっても、最近のクリソベリルが描くのは絵よりも図面が多い。
先日宿泊した屋敷が見事であったので、今はそれを参考に理想の邸宅を設計中である。
「クリソベリルは以前からよく理想の家を描いていたけど、昔は夢のある面白い家を自由に描いていたのに、最近は構造に破綻の無い現実的な家ばかり描くようになったね」
「昔のことは恥ずかしいですにゃ……それに、今だって夢はありますにゃん! ほら、この中庭には夏梅をいっぱい植えるのですにゃ! 夢い〜っぱいですにゃー♪」
ころころと笑うクリソベリルを、旅人は目を細めて眺めていた。
しかし、ふと考え込む素振りを見せて口を開く。
「クリソベリルは賢くなった。それは良いことだが、やはり知識はかえって想像の余地を奪うこともある。確かに知識は足場だが、地に足をつけて歩けるようになる代わりに、可能性の海の中で自由に泳ぎ回ることができなくもなる。……実のところ、この世界は知りすぎると魔法が失われてしまう世界なんだ」
クリソベリルは驚いて旅人を見つめたが、旅人の目線はどこか遠くを見つめて交わらない。
「物事の仕組みが解き明かされ、それを人々が認知することで、曖昧さを失った世界が固定されていく。この曖昧さこそが要でね、可能性を期待する余地こそが、魔法という奇跡をこの世界に許しているんだ。だが……今では誰もが賢くなって、御伽噺は御伽噺でしかなくなりつつある。魔石と魔動機さえあれば誰にでも扱えるような魔術式が確立するにつれ、皮肉にも本来魔導士たちが起こせたはずの奇跡は制限されていく。それも格差を無くすには良いのだろうけど」
「それが……現代が古代に比べて魔法の失われた世界になっている理由ですにゃ?」
「おや、もうこんな話にもついてこられたか。それでは独り言にならずに済んだようだ。……まあ理由はそれ以外にもあって、欲望を成すための魔力自体を、浄化して無にする者もいるのだけれど……殆ど生き残ってはいないな。まあ、世界がどう変わるにしても僕は旅人で、旅を続けるだけさ」
「旅人さんはいつから旅をしているのですにゃ?」
「この世界よりももっと前の世界から」
「どんな世界だったのですにゃ?」
「ゾンビだらけの世界かな……」
「怖すぎですにゃ‼︎」
「今の方が怖いこともあるよ。傷付けるのがずっと怖くなった」
毛を逆立てたクリソベリルを、旅人はくつくつと笑いながら見た。
クリソベリルは揶揄われたのだろうと思い、恨めしそうに旅人を睨む。
「やっぱり旅人さんの話にはついていけないですにゃ……」
「それでいいよ」
「旅をやめて、定住する気はないのですにゃ?」
「したくてもできないさ。僕は旅人という存在に固定されているからね。旅人をやめたら、僕は存在できなくなるだけさ」
「そんにゃばかげた話がありますかにゃ。どうせまた揶揄っているのですにゃ」
「僕は信頼されないな」
「全部を信じにゃくても、ちゃんとずっと大好きですにゃ」
不意打ちで可愛いことを言ったクリソベリルを、旅人は膝上に抱き寄せてたっぷりと撫でてやった。
旅人の話に出てきた「欲望を成すための魔力自体を、浄化して無にする者」については水の国編で掘り下げ予定ですが、地の国編ではスルーしていい話です。いつになるかわかりませんが水の国編も書きたいです……