17.ネリアの出自
火の国中央区、旧劇場通り。
「は〜、秋晴れの銀杏並木がすっごく綺麗〜! せっかくだから昼食はオープンカフェでとれば良かったですね」
「混んでるから時間が無くなってたぞ」
「あ、確かに〜。最近この辺りって新しいお店が増えて人が多いんですよねー」
宿泊中のホテルで昼食を済ませた後、ジャンとネリアはデートに出かけた。
半獣人居住区ではショートパンツやミニスカートが多かったネリアだが、今日は丈の長いスカートを上品に着こなしている。
肌寒い季節で露出が減ったというだけでもなく、やはり祖国にいる時は令嬢らしい淑やかな服装のようだ。
ジャンが使用人時代に出歩けた場所なんて買い出しルートに限られていたが、それでも久しぶりに懐かしい場所を歩いてみると、その変わりように驚く。
昨夜は車内でも色々と打ち合わせていたから気付かなかったが、あの老舗ホテルと旧劇場記念館のある通りは、この数年で店舗の入れ替わりがかなりあったようだ。
ジャンの記憶していた古いものはもう殆ど残っていない。
「もう魔動車ばかりだな。昨日も中央区で魔獣車は見なかった」
「技術力の向上に加えて、魔動車メーカー出身の政治家が道路の舗装を進めましたからね。中央区内ならもう魔動車の方が走りやすいんですよ。でも、他の区ではまだまだ魔獣車が走ってます」
車を引いていた魔獣の払い下げや、御者の失業などもあっただろう。
中央区が常により良く新しく生まれ変わっていく一方、そこから居場所を失う者たちも多いのだ。
自身を売ることでなんとかその場所にしがみ付いたロクサーヌも居れば、軍の要人の家に生まれて追い出される不安も無いのに自ら出て行こうとするネリアも居る。
ジャンにとっては居たいときも離れたいときもあった場所だが、どちらもロクサーヌを理由としていたからで場所自体に拘りは無かった。
買い物や食事を目的とせず、しばらく2人はただ銀杏並木と街並みを眺めて歩くことを楽しんだ。
肌寒い空気も恋人同士が身を寄せて歩くには好都合で、ジャンが人間に変装しているから奇異の目で見られることも無かった。
***
火の国中央区、古代神殿。
「時計教はこういったものも遺しておくんだな」
「今の火の国があるのは御先祖様たちのおかげですし、時計教の神の下に収まることで競合してませんからね」
時計教が国教になる以前、軍国主義だった火の国では優れた軍人を現人神と崇めていた。
魔力濃度が高かった古代の大魔法使いたちの英雄譚は神話と呼んでいいもので、彼らを祀る神殿は固定魔法によって現代に遺されている。
そんな神殿でのデート中、『英霊の間』の石碑に刻まれた名前のいくつかをネリアが指差す。
「この人たちがパパの御先祖様たちで、私の御先祖様ってことにもなってます。本当は違うんですけどねっ」
「そんなこと言って大丈夫か?」
ジャンは周りに人がいないことを確認しながら尋ねたが、ネリアは真っ直ぐ石碑を向いたままだ。
元々ここへ来たら話すつもりで人のいない隙を伺いながら歩いてきたし、念のため物音を誤魔化す魔法も発動させている。
「私を産んでママが死んじゃったその翌週、パパの部下が1人自殺してるんです。彼が私の実父なんでしょう。パパと私の体内魔脈診断書の不審点と、彼の体内魔脈診断書を比べると辻褄も合います。ずっと前妻を大好きだったパパは、周囲の都合で政略結婚させられたママとは没交渉だったという噂もありましたしねっ」
ネリアは己の出生の重大事を、他人事の様にあっけらかんとした口ぶりで話す。
「彼の死についてパパが怒って殺したなんて噂もあったみたいですが、パパは絶対そんなことする人じゃありません。寧ろ歳の離れ過ぎたママに同情して、若い彼との恋を応援してあげてたんじゃないかな〜って、私はそう思ってます。パパが私に良いお婿さんを敢えて付けないようにしてることについて、本心では憎んでるからだーとか、邪推する人もいるみたいですが絶対違うと断言できます。だってパパ、昔から私のことめちゃくちゃ可愛がってくれてますもんっ」
「……だから半獣人との結婚も、家を継がずに国から出ることも、許してくれると思えるわけか」
「そんなとこですねー。まあ本心ではめちゃくちゃ心配もしてるはずなんですけど、家に縛られて欲しくない、人生の重要な選択は本人の意志で決めるべきって気持ちが強いみたいです。パパってば、自分が余計な手出しをして私の運命を歪めることをとても恐れているんです」
無責任な親だ、とは言わなかった。
ジャンはいつも通りを装うネリアの僅かな寂しさを感知して、こめかみにそっとキスをした。
ネリアはジャンの優しさに少しはにかんで、2人は移動しようと出口へ向かった。
ちょうどそのとき、銀髪の青年が英霊の間に早足で入ってくる。
「あ、いたいた! 探したぞー、ネリア」
「セス⁉︎ なんでここに⁉︎」
近づいてきた青年に、ネリアは俄かに声を弾ませた。
相手はネリアの横に並んだジャンをしげしげと眺めて、感心したように頷く。
「へぇ、上手く偽装したもんだな。言われてなけりゃ俺も気付けなかった」
「ちょっとセス! いきなりジロジロ見たらジャンさんに失礼でしょっ。謝って!」
ネリアはジャンから離れ、セスを肘で小突きながら嬉しそうに怒っている。
ほんの少し見ただけでもわかる親密な空気を、2人はこれでもかと漂わせていた。
「おっと、悪い悪い……俺はセス。ネリアから聞いてると思うが、ネリアの父親に養子として引き取られた魔導士で、ネリアと同じ魔脈管理士だ。今は君がネリアと最初に会ったあの村に常駐してるんだが、先生に呼ばれて……ああ、先生ってのはネリアの父親のことな。知っての通り、軍人養成学校の学長を務める凄腕の魔剣士で、俺の師匠なんだ。……とにかく、君の噂は予々聞いてるよ。よろしくな、ジャン」
腰に携えた高価そうな剣を得意げにチラつかせて、セスはにこやかに握手の手を差し出した。
「よろしく……」
「も〜、セスが突然すぎるからジャンさん困ってるじゃん! パパから呼ばれたってどーゆーこと⁇ ちゃんと説明してよねっ」
戸惑うジャンを庇うように言いながら、ネリアはセスを責めるように腕を引っ張った。
胸が触れそうな距離感に、ジャンはどうなることかと心が騒つく。
そもそもセスはジャンについて知っていて、自身についてジャンも当然ネリアから聞いているだろうという前提で話してきたが、ジャンはセスの名前を今日初めて聞いた。
それでも、彼が何者かはわかる……ネリアが言っていた失恋相手だ。
「デートの邪魔して悪いんだが、先生が2人を連れて帰ってこいってさ。それと、俺が呼び寄せられた理由なんだが……正直に話すと、お目付け役ってことらしい。ジャンがネリアを任せて安心な相手か、先生は俺に見極めてほしいみたいなんだ。気を悪くしないでくれよ? 俺は応援したいと思ってるし、先生も反対してるわけじゃない。ただ、娘を心配する親心ってやつだからさ」
セスは励ますようにジャンの肩を叩いた。
***
火の国中央区、中枢。
連泊予約をしていたホテルには帰らないことを伝え、その晩はネリアの実家に泊まることとなった。
ジャンたちを乗せた魔動車は、ロクサーヌの実家がある旧劇場通りよりも更にずっと奥、国の中枢へと向かった。
しばらくすると広大な土地を取り囲む長くて高い塀が道路の横に続き、その向こうに焦茶色の巨大な校舎が見えた。
塀の所々には黒い軍服を纏った見張りの兵が配置されていて、ネリア曰く養成学校の上級生が当番制で見廻っているのだという。
そこから角を1つ曲がって更に奥へ走ると、先の校舎によく似た外観の荘重たる邸宅が現れた。
さすがに校舎よりは小規模だが、邸宅とは思えないその規模にジャンは愕然とするばかりだ。
「緊張するよな、ジャンは。俺も森林区の貧しい猟師の家出身だったから、初めて連れて来られたときはマジでビビった。でも、ま、慣れるからさ? 先生も悪いようにはしないはずだし、あまりガチガチになり過ぎるなよ」
静かに目を見開いているジャンに、セスは先輩風を吹かせたそうに言った。
貧困層出身で差別意識も無く見下そうとはしていないのだが、才能で上流に食い込んだ自負からつい慢心しがちなのだ。
悪意は無い、浮かれた自惚れ屋の優しい若者である。
魔動車が門を抜けると玄関前で執事が待ち構えていて、ジャンはすぐにネリアと離されて客室へ案内された。
ネリアたちの居室とは棟も違うようで、どうやら滞在中の同衾は許されていないらしい。
バスルーム付きの客室は、ネリアと泊まったスイートルームより天井が高く、床面積でも勝るとも劣らない。
暗くて暖かみのある色調に、上品で繊細な模様。重厚で格式高い内装は、威圧感満点で身が縮みそうだ。
夕食の時間まで部屋で待機するように言われたジャンは、ネリアから訪ねてくれることを願いながら窓の外を眺めた。
セスは本編主人公