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15.パーティの夜(その4)

記念館、屋外バルコニー。


収集室での演奏後、ネリアは友人たちと合流して宴に戻り、人の多さに疲れたジャンはバルコニーで休むことにした。

手摺りにもたれて屋内の明るさに背きながら夜風に当たっていると、懐かしい足音が近付いてくる。


「相変わらずプロが嫉妬するような腕前だったわね、ジャン」


「……教えられた頃より落ちる。大袈裟に褒めるのは相変わらず子供扱いだからだ」


「あら? 生意気に育ってしまったかしら、可愛い坊や」


ロクサーヌはジャンとは少し距離を空けて、手摺りに背を向けながら横へ並ぶ。


「現状では研鑽を積んだプロに及ばなくても、もし本気で目指そうとすればジャンは簡単に彼らと肩を並べることが可能なはずよ。それがジャンならではの才能なのか、優れた聴覚を持つ半獣人に多い特徴なのかはわからないけど。私は自分で演奏することに執着が無かったから嫉妬せずに済んだけど、プロやプロを目指す人たちには脅威でしょうね。半獣人の社会進出を阻む人間は、自身が劣っている可能性に怯えているのかもしれないわ」


「オレも執着は無い。仮にあっても、半獣人が人間と肩を並べることなんか許されてない。……夢みたいなことを言うのは、あいつだけでウンザリだ」


不貞腐れた様子で呟くジャンの横顔は、それでいてどことなく嬉しそうな感じも滲んでいて、ロクサーヌは勿論それを見逃さない。


「ネリアさん、面白い子ね。少し騒々しいけど嫌いじゃないわ。前向きで明るくて、ジャンにぴったりの相手だと思う」


「あいつとオレは何もかも違いすぎる」


「だからよ。お互い自分に無いものに惹かれるの。照らし合って気付くこと、補い合って救われることがきっとあるわ。自分と違う誰かを信じて、愛して……人を好きになる、恋をする。特別を作ること、選ぶことは勇気がいるけれど、得られるものは大きいわ」


ロクサーヌの声は楽しそうに弾んでいて、照れ臭いジャンは顔を合わせようとしなかった。

それでも、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。


「……今の旦那は?」


「優しい人よ。最初の夫が結婚して1年も経たずに亡くなって、身重の未亡人となった私を親身になって助けてくれたの。私には悪い噂だってあったのに、寧ろそういうものからも守ろうとしてくれた。……彼ったら、ずっと前に私が幼い半獣人を保護したことを知っていて、私のことを慈愛に満ちた善良な女性だと信じていたんですって。私だけでなくお父様のこともよく気にかけてくれるし、血の繋がらない息子のことも本当に大切にしてくれているわ」


「……幸せなんだな」


「ええ、とても」


顔を見なくてもロクサーヌの声は確かに幸せそうで、ジャンは心から安堵した。

憎しみなどとっくに無くなっていたし、本当は最初から無かったのかもしれない。

ただ今はこうしてまた一緒に居られることが嬉しくて、穏やかな時間が心地好く流れている。


「最近、息子を見ていると初めて会った頃のあなたを思い出すの。ちょうど今の息子と同じくらいだったから。柔らかくて温かくて、小さい歩幅で素早く動き回って、声は天使のようで……ふふっ……甘えん坊で、笑顔がとっても可愛らしい……私のジャン。最初はちょっとした気まぐれのはずだった。路地裏で見つけたあなたの姿に胸が痛んで、放って置けなくなったの。小さくて冷たい手を繋いだときのこと、今でもはっきり覚えているわ」


静かに落ち着いたロクサーヌの声は、懐かしさと寂しさを綯い交ぜにして夜の闇に溶けていく。


「……オレだって忘れない……」


「あの日偶然あなたと出会ってから、私はあなたのおかげで私の中にたくさんのものを得たの。あなたと過ごした日々は、私にとって本当に大切な思い出。……小さかったあなたを思い出して、大きくなったあなたを思い出して……最終的にすごく傷付けてしまったこと、ずっと後悔していたわ」


「オレはずっと、あんたが好きだった……」


「知ってたわ。だから当時は未練が残らないように突き放したかったの。それでも、あんな風に傷付けるべきじゃなかったし、きっと無自覚に八つ当たりもしていたと思う。……本当にごめんなさい……」


「オレも……あんたにはあんたの考えや立場があったのに、あの頃のオレはガキで理解が足りてなかった。あんたは感情を表に出さないけど、きっとすごく嫌な思いをさせた。……すみませんでした」


「……仲直りしてくれるかしら?」


蟠りが解けた2人はやっと真っ直ぐ向き合った。

差し出された細い手を取ると、ジャンは跪いてその甲に自身の額を寄せる。


「あなたの幸福を祈っています」


「ジャンも、ネリアさんと末永くお幸せにね。いつか私のホテルにも2人で泊まりにいらっしゃい」


2人は微笑みを交わして和やかに別れた。

屋内へ戻っていくロクサーヌの背を見送った後、ジャンは別の出入り口に呼びかける。


「出て来いよ」


「あれ? バレてました?」


盗み聞きを悪びれる様子も無く、ネリアはトコトコと出てきた。

2人は手すりの上に肘を並べて、田舎ほどの星は見えないが月が輝く夜空を見上げる。


「全部知ってて仕組んだな」


「感謝状をお渡しする準備で帰国したときに、ジャンさんの経歴については調べさせていただきました。それからロクサーヌさんにもお話を伺って……でもっ、あんなに親密だったなんて知りませんでしたよ! 聞き出せたのは雇用主として当たり障りないお話だけで、ヴァイオリンが弾けるのも知らなかったですしー」


まさかそんな初期段階から調査済みだったとは。

ジャンは背筋が冷たくなったが、ネリアは頬を膨らませて露骨に妬いて見せる。


「ジャンさんってばダンスのステップもあっという間に覚えちゃって、私ちょっとガッカリしてたんですからねっ。せっかく素人のジャンさんを手取り足取り腰取り教えてあげたりとか、ステップが覚束ないジャンさんに足がもつれてちゃっかり押し倒されちゃったりとか、そういうの期待してたんですからね! 乙女心を何だと思ってるんですかっ」


「そんな下心知るか」


「……ロクサーヌさんからダンスも教わってたんですか?」


「少しな」


「むぅ〜」


ネリアは最大まで頬を膨らませた後、ゆっくりと息を吐き出しながら頬杖をつく。


「まあ私にもジャンさんの前に好きだった人は居ますし、過去の失恋をとやかく責めはしませんよ。初恋の人が年上っていうのは共感もできますし」


「あんたほど強気に攻められる女は、さぞ恋愛経験豊富だったんだろ」


初恋だとは教えていないが、否定もできないのでジャンはその点については聞き流すことにした。

ネリアはぐ〜っと伸びをして、遠い空を眺める。


「逆ですよ。私って前好きだった人にはプライドが邪魔して自分から好きって言えなかったし、そもそも自分の方が好きなんだって認めるのも負けを認めるみたいで悔しかったんです。だから、向こうの方が私を大好きになってくれたら、こっちは仕方なく応じてあげるんだ〜くらいに構えてたんですよ。付き合いは小さい頃からかなり長くて、向こうもこっちのことは大切にしてくれてたから、きっといつかは……って。そしたら、ポッと出の別の子に取られちゃって……」


「…………」


「もしもっと早く素直になれてたら……な〜んて後になってめちゃくちゃ後悔して、だから『次の恋は最初から全力で気持ちを伝える‼︎』って決めてたんです。結果、空回って滑っちゃったりしてるわけですけどね! ジャンさんにたくさん引かれてる自覚はあるんですけど、不器用だから加減がわかんないんですよー。私ってばダサいですよねっ……あはは」


苦笑いで誤魔化すネリア。

能天気なお調子者のように振る舞うのも、真剣な姿を晒して傷付くのが怖いからかもしれない。面倒な拗らせ方をしている奴だ。


「未練はさらさら無いんですけど、思い出はたくさんありますからね。ジャンさんがしんみりしちゃう気持ちも、いくらか解るつもりでいます」


そう言いながら遠くを眺め続けているネリアは、きっと自身の失恋相手のことを思い出しているのだろう。

そう思うとジャンは無性に居心地が悪くなった。


ぽすっ……


「⁉︎⁉︎⁉︎…………ジャンさん⁇⁇」


ジャンは突然ネリアにもたれ掛かって、昔の男を思い出すのを止めさせた。


「…………ネリアは香水を付けないよな」


「へあ⁉︎……え、えっと、その……だって、人間向けの香料って半獣人には不快臭なことも多いと聞きますし……嗅覚低減状態とはいえ、ジャンさんがストレスに思う匂いは少ない方がいいかと……」


「ネリアの匂いは安心する……」


「ひゃっ⁉︎」


ジャンの息や唇が触れるほどにネリアの鼓動は高まり、胸中から他の男への感傷などまんまと閉め出せてしまった。

みっともない嫉妬心を自覚して初めて、ジャンは自分が既にこの女を好いていたことに気付く。

人間族の金持ちに対する嫌悪感を捨てた今、目の前の女はただただ可愛い女なのだ。

ジャンは自分でいっぱいになったネリアの胸元に顔を埋め、細い腰を引き寄せる。


「はわわわわ⁉︎⁉︎ ジャンさん、こんなところでダメですっ……」


ぐぐ〜っと両手で精一杯押し返してきたネリアは、真っ赤な顔で汗だくになっている。

汗なのか涙なのか、たっぷり濡れた目は宝石の様にキラキラと輝いて愛らしい。


「日頃自分からベタベタくっ付いてくるくせに、オレからだとそんな反応するのか」


「だ、だって……! あんなに心を閉ざしていたジャンさんがっ、急にこんなにデレたら……うっ、嬉しすぎてキャパオーバーしちゃいますよぉ……だ、だからですねっ、今少し感情の整理をさせていただく猶予ってものを〜」


「目閉じろ」


「ふぇ? 目? 口じゃなくてですか⁇」


「口は開けてろ……」


騒がしい口を塞ぐと鼓動が益々うるさくなった。

僅かな隙間にも滑り込んで、ジャンはネリアを自分で満たしたいと思った。

やがて唇を離すと、フラフラになりながらもネリアの方から促し、2人はパーティを抜けてホテルへ戻った。



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