13.パーティの夜(その2)
記念館2階、展示室。
「何が魅惑の微笑み貴公子だ、反吐が出る」
「あまり食べてなくて良かったですね、吐かずに済んで♪」
「…………」
宴の盛り上がりからは早々に離れて、ネリアとジャンは展示室巡りをしていた。
今の時間は皆殆ど宴に集中しているおかげで、こちらはかなり空いている。
通常は実際に舞台で使われた衣装や小道具などに演者の写真を添えて飾ったり、舞台の再現ジオラマや解説パネルを飾ったりしているくらいだが、現在は特別展示期間ということで、各部屋毎に魔動機を用いた幻想的なインスタレーションが待ち構えている。
名場面を切り抜いてきたかのような空間に、当時の衣装を着せたマネキンたちを立体的に配置し、来客はまるで舞台上に迷い込んだような気分を楽しめるのだ。
照明、空調、音響を管理する複数の魔動機が、展示中は魔石を消費して稼働し続ける。
「金が掛かってるな。流石、金持ち様」
「あ! この舞台、小さい頃に観ましたよー。主人公の勇者が半獣人の相棒と協力して、悪の大魔王からお姫様を救い出すバディものなんですっ。この相棒がとにかく強くて勇敢で、すっごく頼りになるんですよ〜」
ある展示の前に来ると、ネリアは嬉しそうにドレスの裾を広げてお姫様のマネキンを真似てみせた。
その正面では銀髪の鬘を被った勇者のマネキンが手を差し伸べていて、その傍には上半身裸に特殊メイクを施した厳めしい半獣人のマネキンも並べられている。
舞台を観たことは無いが、ジャンもその物語は知っていた。
幼い頃にロクサーヌに読んでもらった物語だ。
当時は素直に感動したのに、成長してから振り返ってみると、もうその感動が蘇ることはない。
この物語の半獣人は粗野で未熟で善良な存在として描かれていて、ひたすら人間に都合の良い従順で主体性の無い添え物だったことに気付いてしまう。
戦術家の勇者の指示で誰よりも体を張ったのは半獣人だったのに、お姫様は当たり前のように勇者と恋に落ちる。
ダブル主人公を謳ったところで所詮は半獣人。引き立て役にしかなれないのだ。
「もし私がお姫様だったら、主人公と結婚するより相棒の方とあちこち旅がしてみたいですねっ。きっと楽しいですよ♪」
「何を……」
「何をバカなこと言っているのかと思ったら、あのネリア嬢ではないですか! ご機嫌麗しゅう」
不意に、強烈に香水臭い男がジャンの言葉を遮るように現れた。
嗅覚低減状態でもこれだけ臭く感じるのだから、通常時のジャンなら一溜りも無いだろう。
ジャンにぴたりと身を寄せたネリアも、扇子で鼻をガードして顔を顰めている。
香害男は魔導士でもないし足が悪いわけでもないが、宝石を遇らった杖をカツカツと鳴らしながら煽るように話す。
「半獣人なんて中途半端に知性があっても人間の良心は持たない、悪戯感覚で残虐行為を働く恐ろしいバケモノですよ? ちょっとでも隙を見せたら大惨事だ。そんなのと一緒に楽しく旅ができると思うなんて、浅慮で愚かにも程があるでしょう。まったく、夢物語と現実の区別も付かないなんて……」
「未だに半獣人差別なんて時代遅れですね。そもそもこの物語に出てくる半獣人の話をしてたんですけど? 区別ついてないのそっちですよね。話の腰を折るのが賢いと思い込んでるなら忠告しますけど、そうやって空気読めないからモテないんですよ」
ネリアはゴミを見るような目で冷たく言い返した。
こんなネリアを見るのは初めてのことで驚きながらも、ジャンは恋人役としてネリアを庇うように抱き寄せながら、その場を去ろうとする。
「相手にするな、行こう」
「逃げるのか、卑怯者め! どうせお前も半獣人擁護派のキチガイだろ? ネリア嬢は半獣人居住区の魔脈管理士に自ら立候補した異常者だって、恋人なら知らないはずがないものな。半獣人なんて野蛮で卑しい劣等種、人間と対等に扱っていいはずがない。人間の居住区に入れていたら、隠れて人喰いをするに決まってる!……いいですか、ネリア嬢? 半獣人は意地汚くて強欲で、乞食か泥棒しかいない。魔物同様、速やかに駆除すべき害獣なんですよ」
迷惑極まりないことに、香害男は匂いを振り撒きながら並行してきた。
とても良家の躾を受けてきたとは思えない異常な振る舞いだ。絶対に関わってはいけない奴である。
ジャンは足を速めようとしたが、ネリアは立ち止まってしまう。
「駆除だなんてよく言えますね。法律も知らないんですか? 殺人鬼予備軍ですね」
「ハハッ、殺人になんてなるものですか。他人の所有する家畜を殺したら、器物損壊罪にはなりますよ? でもそこらの魔物を駆除したって罪になんてなるわけないし、寧ろ魔物退治は人間の平和の為にすべき正義の行いでしょう」
「私は半獣人用の法律のことを聞いたんですけど? 一般魔物用の法律なんて今聞いてないのに勝手に話をすり替えるなんて、足りないのは知性ですか? それとも差別が目的なら品性の方ですかね? ああ、両方ですね」
「よくも僕を侮辱したな、邪悪な半獣人擁護派め!」
「あと、魔物でも共存可能な知性魔物に該当するものを不当に殺害すれば厳罰ですから。撃退ならまだしも、素人が無闇に殺そうとするものではないですよ。ま、返り討ちに遭うだけでしょうけど」
「この女ッ‼︎」
香害男は鼻息を荒くして身を乗り出してきた。
すかさずジャンがネリアの盾になって立ちはだかると、あろうことか香害男は杖を振り翳し、展示のマネキンにぶつけてしまう!
ガッ‼︎
「……これ以上危険行為を働くおつもりでしたら、警備員に摘み出させますわよ?」
マネキンの背後から、ベージュ色の上品なドレスに身を包んだ貴婦人が落ち着いた声で言い放った。
サイドでフィッシュボーンにした豊かな黒髪には、艶やかな花々が飾り付けられている。その凛とした横顔に、ジャンは胸がドキリとして目が離せなくなった。
対峙する香害男も、俄かに恐縮した様子を見せる。
「こ、これはこれは館長夫人……誤解なさらないでくださいよ? 今のはこの者たちが僕を侮辱したから……」
「最初から聞いていましたけど、先に侮辱したのはそちらでしょう? ネリアさんのことも、半獣人のことも。それに、こんな場所で杖を振り回すなんて紳士の振る舞いではありませんわ」
「そうですよ! 半獣人差別発言の撤回と謝罪を求めますっ」
館長夫人の言葉にネリアも続いたが、夫人はそっと手で遮ってネリアが前に出るのを抑えた。
ここは任せておけということなのだろう。
「バカにバカと言ったり、バケモノにバケモノと言って何が悪いと言うのです⁇ 僕がどう思うかは僕自身の自由。好き嫌いが個人の自由であるように、差別だって個人の自由ですよ。半獣人に人権を認めろだの、半獣人を受け容れろだの、価値観を押し付けてくる連中こそこちらの権利を侵害しているのです」
「自由とは良識の範囲で認められるもの。常識ですよ。社会で生きるのでしたら、互いの自由と他害の自由を履き違えてはいけません。それに『個人の』と仰るなら、口外して他人を巻き込むことは個人の範囲を逸脱していますでしょう? 他人を不快にさせる言動は自身の恥になると習いませんでしたか? 先に攻撃してネリアさんたちを害したのなら、謝罪や訂正を求められるのも当然のことでしょう。攻撃を黙って受け容れろとは横暴ですわ」
「先に不快にさせたと言うなら、半獣人を好ましいように発言していた方でしょう。あれらは我々人間の平和を脅かす、忌むべき邪悪な外敵ですよ? 半獣人に味方することは人類に仇なす行為。犯罪者を庇うのも犯罪者です」
「半獣人の全てが犯罪者なはずありませんわよ? それに人間にだって犯罪者はいますもの。人間も半獣人も、悪人は悪人、善人は善人というだけのことですわ」
「何も悪さをしなくたって半獣人は醜く、視界に入るだけで気分を害される。存在そのものが公害でしょう」
「それはあなたの主観で事実とは言えませんわ。それに……こちらの展示も公害だと仰るのかしら?」
館長夫人は先ほど杖が直撃した半獣人役のマネキンを撫でながら香害男を見た。
展示物には固定魔法がかけられていたおかげで無傷で済んだが、先のような行為は本来許されることではない。
香害男は一瞬狼狽えたように見えたが、すぐに自信のある様子を取り戻す。
「創作物の半獣人は理想化されたキャラクターであり、本物と違って洗練されていますからね。自然発生の有象無象と違い、求められて誕生した存在です。そちらは鑑賞に堪えますとも。ですが、現実の奴らの存在が有害なのは紛れもない事実です。実際問題、半獣人による窃盗事件も起きているのですから。恐ろしいことに、人間居住区内で戸籍を持たない半獣人が発生しているのです。奴らは不法生存者と言っていい。社会のゴミは殺処分しなくてはいけません」
「確かに、戸籍の無い哀れな半獣人孤児の問題には私も胸を痛めておりますわ……ご存知かしら? 彼らの多くは、人間居住区内で雇用主の人間に孕まされた女性半獣人労働者の婚外子であること……」
館長夫人がやや大袈裟に嘆息してみせると、香害男はギクリと顔を引き攣らせる。
「は、ははは……根も葉も無い噂ですよ、そんなもの……きっと半獣人擁護派の捏造でしょう」
「そうでしょうか? ところで私、あなたに関する気になる噂をお聞きしましたの。せっかくこうしてお話しする機会を得たのですから、今この場で事実を確認させていただいてもよろしいかしら?」
「おおっと! これはいけない。もうこんな時間だ。僕は多忙なので先に失礼させていただきますよ。では、ごきげんよう!」
急激に顔色の悪くなった香害男はそそくさと立ち去った。
扇子の裏でベーッと舌を出して見送っているネリアを、ジャンは軽く引き寄せて窘める。
「なんだったんだ、アレ……」
「元求婚者の1人、おっぱいガン見野郎です。フラれたのずるずる根に持ってる男なんてサイテーっ」
「本当、みっともない方ね」
館長夫人も溜息混じりに香害男を見送った後、ゆったりと2人に向き直る。
その嫋やかな美しさは、かつて劇場を沸かせた女優たちにも引けを取らないだろう。
「……そろそろ紹介していただいてもよろしくて?」
「あっ、はい!」
夫人に促され、ネリアは扇子を閉じて2人の間に位置取る。
「彼が私の恋人のジョンさんです。先日お話した通り、外国人だという情報以外は正式な婚約発表のときまで伏せさせていただいてますが、本当に素敵な男性ですっ。……ジョンさん、こちらはこの記念館の館長さんの奥様で、同じ通りにある老舗ホテルのオーナーのロクサーヌさん。商業区の半獣人用孤児院で慈善活動をなさっていて、最近色々と相談に乗っていただいてたんです」
「初めまして、ジョンさん。ロクサーヌよ。お会いできて嬉しいわ」
「ジョンです……初めまして」
初めまして……明らかな嘘の言葉を交わして、差し出された手を取る。
ジャンの目の前にいるのは、見間違いようもなくあのロクサーヌであった。
今でも衰えを感じさせない美貌の持ち主だが、匂い立つような妖艶な色香は以前より抑えられ、貞淑な人妻の雰囲気を漂わせている。
「ロクサーヌさん、お身体の方はもう大丈夫なんですか? 先ほど御主人にお会いしたときは、体調が優れなくて今日はいらっしゃらないと伺いましたけれど……⁇」
「御心配ありがとう、ネリアさん。でも大丈夫よ。……本当は私じゃなくて息子が風邪を引いて、ひどく寂しがるから寝付くまで傍に居てあげてたの。でもありのままに言うと甘やかし過ぎだと外聞の悪いことになりそうで、そういうふうに口裏を合わせておいたのよ」
「そうだったんですね。今日はもうお会いできないのかと諦めていましたから、見つけていただいて良かったです〜」
「ええ、本当に。……ネリアさん、先ほどのような挑発に乗ってはいけませんわ。今回私は最初から聞いていたし、ネリアさんの人柄も知っていたから良かったけれど、あなたの攻撃的な発言のみを周囲に聞き取られて誤解を拡散される危険性もあるのですよ? もっと自覚を持って慎重に行動していただかないと。あなた自身だけでなく、半獣人の方々の印象にも関わりますわ」
「うっ、反省します……でも私、あんな風に半獣人のことなら何と言ってもいいような気風を許したくないんです。言い争いを避けたい無言の良識人が多いことで、主張の偏った者の台頭を許してしまう……そんな環境が当たり前になってしまえば、半獣人について何も知らず興味も無い人たちまで、なんとなくで同調しかねません。そんな下らない理由で半獣人の方たちが傷付けられるのは嫌なんですっ。……それに、本当に私が暴走したときは彼が止めてくれるはずですから」
ネリアはジャンに寄り添うと、信頼の眼差しで見上げた。
「良い相手を見つけましたね」
目を細めて2人を見るロクサーヌの表情は温かく、ジャンの心の中で何かが解けていく……
ここへ来ることになってから遭遇の可能性を恐れていないわけではなかったが、ひょっとしたら、本心では寧ろこんな機会を期待していたのかもしれない。
「そういえばロクサーヌさん、さっきの『噂』ってなんだったんですか?」
「その話をする前に場所を移しましょう。それ以外にも、おふたりとはゆっくりお話ししたいもの。……こっちよ」
ロクサーヌは鍵を使って関係者以外立入禁止の扉を開けた。