10.視察デート(その3)
半獣人配達員の寮、ジャンの部屋。
「適当に座れ。言っとくがもてなすつもりはないぞ」
「はいっ……」
ギシッ……
狭くて古い殺風景なワンルームに通されたネリアは、綿の薄い布団が載った細いベッドに腰掛けた。
ジャンは吊棚から村でピアに返しそびれた弁当箱と包みを取って、ネリアへ返す。
「あ! ちゃんと持っててくれてたんですねっ。お味はどうでした?」
「……お前の友人は料理上手だな」
「うう……そりゃピアちゃんには敵いませんけどぉ……」
「お前のも不味いとは言ってない」
「それって、つまり……!」
「うるさくするなら今すぐ帰れ」
ネリアの期待には応えず、ジャンは反対側の壁に寄せた小さな丸椅子に腰掛ける。
本来この寮は部外者立ち入り禁止。しかも男性配達員の棟に女を連れ込んでいたとなると大事件だ。
相手がネリアなので望めばいくらでも揉み消してしまえるのだろうが、それでもジャンとしては絶対にバレたくない深刻な違反である。
「あのっ、気配を消す魔法の範囲はなるべく狭い方がいいんで、隣に座ってくれませんか……?」
「……妙な真似しやがったら窓から叩き出すからな」
「ここには真面目なお話を聞きにきたんで大丈夫ですってば……っ」
「……ふん……」
ギシシッ……
ジャンは警戒しながらもネリアの隣に腰をおろすと、静かな声で語り始める……
***
人間が半獣人平等を掲げるようになったのは、あるとき半獣人労働者の待遇の悪さが大きく取り上げられてからだ。
発端は、半獣人労働者たちを酷使して利益を出していた企業を、妬んだ競合他社が思想団体に攻撃させたことだった。
以降は雇用主が体裁良く半獣人を飼い慣らすために、半獣人に対する扱いに耳障りの良い建前を並べるようになった。
でもそれは上っ面だけの変化だ。言葉だけの平等を掲げて、実態は支配被支配の関係のまま変わっていない。
身体能力や危機察知能力が高い半獣人の方が向いているからと、危険な仕事を任せる。それは能力適性による合理的な分業だ。
集団内の多様な能力を合わせることで個人にできないことも成せるのが、社会的な生き物の強みだからな。
でもそれなら働き相応の扱いをして然るべきなのに、実際には半獣人の仕事は賃金も低く、感謝されるどころか蔑まれている。
求められる役割を果たして社会に貢献しているにも関わらず、無能がする下らない仕事扱いされるんだ。
「半獣人は知能が低く、だから賃金も低い。頭脳労働には向かず、肉体労働しかできない」
人間たちはそんな風に決めつけて見下しているが、それだって悪賢い人間たちの仕業だ。
過去に半獣人用の上級学校を創ろうという動きがあったとき、人間たちは「半獣人たちが学校を隠れ蓑に反政府活動の準備をしている」なんて陰謀論を捏ち上げ、関わっていた半獣人たちを国家反逆罪で処刑しまくった。
人間の学校には通えず、半獣人の学校は初等教育までの内容しか許されない上に数も足りず、過ぎた知識を望めば冤罪で殺されるんだ。
半獣人の知能は人間より劣っていると決めつけられているが、学ぶことを禁じられている環境でどうやって人間より優れていることを示せる?
人間は一部の天才秀才が見つけ出した知識を全体で共有することで賢さを底上げしているが、人間だって学ばなければバカのままだ。
まともに教育を受けられる環境になければ賢くなるのは難しく、その逆も然りだろう。
半獣人だって学ぶことを許されていれば賢くなれていたはずだ。
そしてそれが人間には不都合なんだ。
体の強い半獣人に頭まで良くなられて、体を動かす以外の稼ぎ方が選べては困るから。
人間が半獣人にさせたいのは、人間がやりたくないけどやらないと困る仕事だけだから。
支配者が求めているのは支配しやすい衆愚だ。過ぎた力を持たれるのは脅威だろう。
稀に半獣人の中で他より裕福になる者が出てくると、人間の役人たちが「半獣人社会を良くする為だ」なんてあれやこれやと介入しては、その蓄えを奪って底辺の半獣人と同じになるよう再分配させる。
もし本当に良くしたいなら、既に金持ちの人間たちの余剰分から配って、他より裕福になった半獣人の方に底辺の半獣人たちを引き上げてやればいいはずだ。
でもお前らはそうじゃない。底辺を救うフリをしながら、実際には半獣人の中に人間のような金持ちになる者が現れないように抑え付け、格差を維持したいんだ。
半獣人内で嫉妬させ、足を引っ張らせ、『半獣人同士の平等』を保たせる……
そうして不公平な平等に害され、野心を持つことを許されず、やる気を失った者たちは底辺の泥濘にとらわれていく。
半獣人は中流にもなれない。居るのは上流の人間、下流の半獣人だけだ。
結婚しても薄給共働きで子供を持つ余裕も無い半獣人がいかに多いか、お前は想像したことも無いだろう。
その一方で人間は労働力確保の為に半獣人に子作りを促してくることもある。半獣人居住区で避妊具を入手困難にしたりな。
確かに、人間たちから半獣人に与えているものもある。でもそれも半獣人からより多くの利益を得るための餌にすぎない。
上に立つ奴らってのは「奪うだけでなく与えてもいる」と言いながら、与える以上のものを奪っている。
それも当然だ。生き物は他の生き物から奪って生きるのが自然。その立場でそうしない方が不自然だ。
上位捕食者どもは飢えたオレたちで財布を満たし、美味いものを好きなだけ食べて生きる。そんな関係だ。
人間は人間の価値観で半獣人の特性を見下し、人間様が上だと宣い、半獣人を人間に合わせさせるくせに、半獣人が人間を真似て人間に並ぼうとするのは許さない。
人間の誇る『知能』だって、半獣人には半獣人ならではの感覚を活かした判断力、半獣人の知能と呼べるものがあるのに、人間はそれを知能と認めない。
いつだってお前ら人間様は頂点だ。
人の語る神なんて、支配者にとって都合の良い世界観を浸透させるために作られた便利な道具にすぎない。
人間は確かに天才的な発明家だ。神だけでなく法も作る。
人間たちは人間たちに都合の良い法を作り、オレたちにもそれを守らせるが、人間を守る法は人間しか守らない。半獣人を守らない。
やっと半獣人のための法も作られたかと思えば、それも形だけでまともに機能しない。
人間が被害者で半獣人が被疑者なら証拠が無くても有罪になり、半獣人が被害者で人間が加害者なら現行犯でも無罪になる。
半獣人絡みの判例を調べれば、嫌でもその傾向に気付く。
法ってのは法に守られる者が守るものだ。それなら半獣人が自分を守ってくれない法でも守らないといけない理由はなんだ?
……半獣人が人間の法に従わないといけない理由は、お前の方がよく知っているはずだ。
お前の国は国家間の戦争が落ち着いた後も、対魔物を建前に軍備増強を続けてきた。
それは他国への威圧のためだけじゃない。オレたち半獣人という種族を服従させておくためだ。
大変御立派なお前の国の軍人様たちがどれだけの虐殺の歴史を持っているか、もし知らないならさっさと国へ帰って勉強することだな。
***
「…………ジャンさんは、それらの話をどこで知ったんですか?」
「人間の本だ。半獣人居住区で読んだものではない。半獣人居住区に図書館は無いし、半獣人の識字率は低いから本だって珍しい。オレは人間の居住区で偶然本に触れる機会があっただけで、普通の半獣人は人間が知られて不都合な歴史を知る機会は殆ど無い」
人間の居住区で半獣人が図書館に入ることも基本的には認められていない。でもジャンはそのことには敢えて触れなかった。
ジャンがそれらの本に触れたのは、火の国に居た頃……ロクサーヌの書斎でだったからだ。
あの失恋から転職までの期間、ジャンは気を紛らわせようと書斎からこっそり本を持ち出すようになり、次第にそうした内容のものを選んで読むようになっていったのだ。
それだけでもない。そうなる以前から、捨てるはずの新聞を自室に溜め込んでよく読んでいた。
昔は少しでも賢くなって役に立ちたかったし、褒められたかったのだ。
……文字の読み方は小さい頃にロクサーヌやメイドたちから教わった。
当時は人間の子供扱いと信じていたことも、きっとペットに芸を教えるような感覚だったのだろう。
寝る前にふかふかのベッドで絵本を読んでもらっていた思い出も、今では思い出すだけで惨めになる忌まわしい記憶だ。
「安心しろ……他の半獣人には今お前に教えたようなことは話していない。余計なことを知って憎悪を募らせても、それを表に出せば身を滅ぼすだけだからな。オレも皆も不公平さを恨んではいても、生活できるレベルではあるから我慢する。誰も魔導士の軍を恐れて逆らえない」
「……それでは何故、ジャンさんは積極的に知ろうとしたんですか? どうにもできないと諦めていたなら、知れば知るほど辛いはずなのに……」
「お前らの偽善が気持ち悪いからだ。オレの中でだけでも正体を暴いておきたかった」
ジャンは人間を嫌いになりたかった。好きでいる方がずっと苦しいから、嫌いになる方が楽だったのだ。
「……もういいだろ、夕方だ。そろそろ寮に帰る奴が増えて抜け出しにくくなるし、この居住区に街灯は殆ど無い。半獣人は夜目が利く者が多いが、人間は違うはずだ」
ジャンは立ち上がってカーテンの隙間から外を見た。
差し込む西日の眩しさが、いつの間にかすっかり暗くなっていた室内に気付かせる。
薄暗いベッドからネリアが立ち上がると、その真剣な表情を夕陽が美しく照らし出す。
「あのっ……私は、心ある者を尊重しないことが当たり前だなんて思いません。それを当たり前にしちゃいけないです。でも……きっと今まで無関心だった間に、身近にたくさんの出来事を見落としてきたんだと思います。でも! ジャンさんのおかげで気付くことができました。まだ何ができるかわからないですけど、やっと少し繋がれた気がします……ジャンさん! 話してくれてありがとうございました」
ネリアは真っ直ぐジャンに向かって丁寧な礼をした。
深々と下げられた人間の頭。ジャンはその光景に戸惑い、目が合う前に急いで顔を逸らす。
「……送ってくから急げ。暗くなるぞ」
見つからないように窓から外へ出た2人は、燃えるような夕焼けの中を言葉少なく駅へ急いだ。