4.豪邸に泊まる
数年後、南国リゾート風の豪華な一室にて。
「それではナナシ様、従者様、どうぞごゆるりと旅の疲れをお癒やしください。控えの間に召使いどもを待機させておりますので、御用の際は何なりとお申し付けください」
恭しく頭を垂れながら館の主人が退出すると、ナナシ……旅人はすぐに従者を寝台へ引き入れた。
天蓋のカーテンを閉めると、手早く従者から暑苦しいローブと仮面を取り払う。
従者はごしごしと瞼を擦った後、少し不安そうに旅人を見上げる。
「にゃにゃあ? もう誰も見ていませんかにゃ?」
「大丈夫さ。でも用心のため、いつ扉を開けられてもいいようにこの中にいなさい」
「にゃー!」
人間に擬態する為の衣服から解放された従者……魔獣クリソベリルは、広い寝台の上で前後の脚を踏ん張って、ぐぐーーっと背中を伸ばす。
「にゃー……服で全身を覆い隠すのにはまだまだ慣れませんにゃ〜」
「はは、本当にご苦労様だね。よしよし……」
「ごろごろにゃ〜ん♡」
クリソベリルは旅人が伸ばした脚の上にのしかかると、ぐりんと反転して仰向けになった。
旅人はクリソベリルの柔らかな毛衣を撫でながら、その内にある温かな肉が最近その重みを増してきたのを感じる。
「肥えたな……」
「にゃにゃ⁉︎ 失礼しちゃいますにゃ! だったら今日は離れていますにゃん」
「おや? 付いたのは贅肉だけではなく、人間臭い価値観もだね」
ぴゃっと寝台の端に移動して香箱座りになったクリソベリルを、旅人は可笑そうに眺める。
クリソベリルは本当のところ体重を気にしているのではなく、単に人間らしく振る舞うことを覚えて得意げなのである。
そしてそれを旅人もわかっているのだ。
「にゃふ〜……今日はすんごいおもてなしなのですにゃ! 寝床もと〜ってもふっかふかですにゃん♪」
クリソベリルは前足で寝台を押しながら声を弾ませた。
一方、旅人は疲れ気味に溜息を吐く。
「会食の間中ずっと、僕はクリソベリルが食事に夢中になって仮面を落とさないかヒヤヒヤしてたよ」
「心配せずとも心得ていますにゃん♪」
この日、1人と1匹はとある富豪の屋敷で歓待を受けていた。
長い冒険の旅の中、クリソベリルは各地に宝石や魔石の鉱脈を複数発見。
旅人はナナシという偽名で登録した冒険者ギルドを介し、それらを各地の有力者に譲渡または委託。
収益の一部がギルドに振り込まれ続けるよう契約し、旅の途中に時々寄っては回収していた。
この屋敷の主人も、そうした取引相手の内の1人である。
「……それにしても、ここの御主人はいけ好かない人物ですにゃ……ワタシたちには親切にゃのに、自分の召使いたちにも町の人たちにも横柄で、威張り散らしていたのですにゃ。見っともないですにゃん」
「そうだね。他者より優位に立とうとすればするほど、醜態を晒して軽蔑される……そのことに彼は気付けないらしい。確かに彼は優秀だけど、能力はただ自分で持っているだけではそれきりのもの。今の地位というのは評価してくれる人、支えてくれる人あってのものだ。実際には彼の方こそ与えられている側なのに、全て自分だけの手柄に思っているのはいただけないね」
「その通りですにゃ!」
「それに……実は彼の側近の方が、彼より更に優秀だ。本人は謙虚を極めているが、彼らの部下たちは既に気付いているようだね。あの者ならきっと感謝の心を忘れることなく、自分を大事に扱ってくれる人々を粗雑に扱ったりはしない。人望もますます厚くなるだろう。次にここへ来るときには、主従が覆っているかもしれないよ」
「それがいいですにゃ!」
「ああ、本当にね。……クリソベリル、お前もいつか民の上に立つ日が来るかもしれないよ」
「にゃ?」
「さて、もう遅いから休むとしよう。おやすみ、クリソベリル」
旅人は優しく微笑むと灯りを消した。