1.茶会
タペストリー世界で主な宗教は『時計教』という架空の宗教です。
番外編第一弾はその時計教の神父の話です。
本編では「1-9.泣き虫神父」「7ー2.初めての海」「21ー2.永遠という呪い」に登場しています。
地の国、田舎村。
その小さな教会に、何年も前に火の国中央区の大きな教会から左遷されてきた神父がいた。
ふわりと柔らかな桃色の髪、長い睫毛に縁取られた紫色の目。
眩いほどに若々しい美形で、背はかなり高いが酷く猫背。
そして、病的なほどに臆病であった。
ドドーーーーンッ‼︎‼︎
「ぴゃああああ⁉︎⁉︎⁉︎」
ある日、外から聞こえてきた爆発音に驚いた神父は、聖書台の下に蹲ってガタガタと震えた。
その時間は世界史の授業中で、集まっていた村の子供たちはそんな神父の様子を笑った。
専門の教育機関の無いこの村では、おおよそ10歳くらいまで教会に通い、最低限必要な読み書きと一般常識を習得する。
その後、大体は家業を継ぐか村長が経営する工房に就職するが、稀に優秀な者が都会の上級学校へ進学することもある。
先の爆発音の犯人も元はそうした優秀な生徒の1人であったが、出戻り以降は妙な実験を繰り返しているのだった。
「神父さん、いちいち驚き過ぎーっ!」
「ソラ兄のラボで爆発はいつものことじゃん!」
「教会や神父様って、神様に守ってもらえてるんでしょ? そんなに怖がるなんて変だよー」
きゃはははははっ‼︎
生徒たちの笑い声に言い返すこともなく、神父は祭壇に祀られた神像を涙目で見上げた。
***
授業の無い日の昼下がり、木漏れ日の踊るミニテラス。
甘党の神父は、自作の林檎タルトとアーモンドクッキーでティータイムを迎えようとしていた。
甘いものは食べるのも作るのも気が紛れるので、お菓子作りは神父にとって貴重な趣味と言えた。
「ガトーくん、ショコラさん、おやつの時間ですよー?」
神父が声をかけると、お揃いのカンカン帽を被った孤児たちは、虫取り網と虫籠を持って駆けてくる。
狭い籠の中には捕らえられた虫たちがバタバタと蠢いている。今日は大量だ。
「ごめんなさい、神父さん……さっきとても綺麗で珍しい蝶を捕まえたから、籠の中で翅が傷つく前に標本にしたいの……他にも、観察用に生かしておく虫さんたちを大きな籠に移すから、その準備にも時間がかかると思う……」
「後で食べるから、おれたちの分ちゃんと残しといてくれよ」
神父以上に甘党のガトーは、テーブルの上にキラキラした眼差しを送りつつも、やはりショコラの希望が最優先だ。
「わかりました。針と薬品の扱いには、くれぐれも注意してくださいね。それと、ガトーくん……もう僕の部屋に蟷螂の卵を仕込まないでくださいよ……?」
「さて、なんのことやら?」
「大丈夫……わたし、見張ってるね……」
足早に建物内へ入っていく孤児たちを見送り、神父はテーブルへ視線を戻した。
すると、俄に現れた灰色の髪の少女が日傘を畳みながら正面の席に着く。
「紅茶だけでいいわ」
「お嫌いでしたか?」
「いいえ。でも、その組合せは気分じゃないの」
神父はタルトを切り分けるのを止め、ポットを軽く回して予備のカップに紅茶を注ぐ。
「ありがと」
天使のような美少女は小悪魔のような微笑を浮かべ、湯気の昇るカップを摘んで香りを確かめる。
……神父はずっと昔から知っている、神からの遣いを自称する少女。
神父はもう随分とあちこち転勤を繰り返してきたが、少女はどの赴任先へも必ず現れた。
その間ずっと容姿の変化が見られない少女について、神父は未だ歳どころか名前すら知らない。
いつも気まぐれに現れては、取り留めのないような会話を交わして、消える。
「ねぇ、もし紅茶に塩を入れてしまったらどうする?」
「継ぎ足して薄めて飲めばいいでしょう」
「では、毒だったら?」
「中身を棄てて注ぎ直しますよ」
「毒がカップに染み付いて、洗っても落ちないのなら?」
「そのカップはもう棄てるしかありませんね」
些細な誤りは我慢。無視できない誤りはやり直す。取り返しのつかない誤りは諦めるしかない。
それだけのこと。
「ふふふ!」
突然、少女が飲み終えたカップを神父目掛けて振りかぶり、怯んだ神父はぎゅっと目を瞑った。
…………
…………
……カチャリ。
微かに磁器の音がして、穏やかな陽だまりの静寂を風がざわめかせた。
神父が目を開けると、カップは割られずにソーサーの上にあり、少女の姿は消えていた。
***
食後、孤児たちは作った標本を神父にも見せてくれた。
もうどうにも動かなくなったその美しさは、終わりが無く、変化が無く、完結しているように思えた。
ソラは本編で出番の多かったキャラ、ガトーとショコラは別の番外編で掘り下げる予定のキャラです。