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胸に宿りし誇りを掲げよ・前編 天鳥+静寂 SS

 ――これは、今から7年ほど前の話。


 甲高い笛の音が青空に響く。すじ雲が風に流れ、訓練場の端では秋桜がそよそよと揺らいでいた。

 グラウンドの前に設けられた教壇から初老の教官が下りたのを確認して、あちらこちらからため息が漏れる。だが今日もまだ半分だ。しかも午後からは実戦を見据えた訓練だから気は抜けない。給仕の老婆が運んできた昼食に成長期少し前の集団が群がり、それからぞろぞろと三々五々に散っていく。

 宮乃森天鳥みやのもりあとりは青空に向かって伸びをしてから、やや遅れて今日の昼食を取りに行く。野菜とハムチーズを挟んだ大きなライ麦パンとリンゴが1つ。お腹いっぱいには足りないが、本当に満たされると午後の訓練でもどしてしまうから仕方がない。

 さっそくリンゴにかじりついた少年はそこでふーっ、と息を吐いて、それから笑顔。

 基本的に午前中は基礎体力をつけるための訓練である。筋トレに長距離走、それに素振り。去年までは昼食もままならない状態だったけど、今年に入ってから体力が持つようになった。

 成長したなあ、俺。そんな自画自賛に浸っていると、ねえ、と声が投げかけられる。


「木刀引きずってる。先削れるよ」

「えっ! あっ、ああ、ほんとだ」


 ありがとう、と振り返りかけた天鳥の横をふいと通り過ぎていく。栗色の細い髪がさらさらと風を撫でて、少女は向こうへと行ってしまった。


「……」


 例年通り、この代にも女子は三割ほどしかいない。集団においてはどうしても多数派が基準になるから、訓練内容は女子にはやや厳しいものだ。だから途中で挫折したり、嫁入りが決まったりして最終的に残るのは二割に満たないと言われている。

 そんな環境の中で、あの少女は群を抜いていた。それどころか、この代の五本指には入るだろう。

 気付いた時には、天鳥はその後を追っていた。

 室内訓練場の裏口前。


「……」


 少女――猪野頭静寂はとうにその気配に気付いていた。というか、そもそも後ろの奴は気配を消す気が無いのだろう。砂を擦る音。足音がただの足音である。

 静寂は怪訝も怪訝、もはや睨みつけるに近い表情で天鳥を見やる。


「……何?」

「わあ、喋った!?」

「……」


 あいにく足元に小石はないし、そもそも礼儀礼節のない馬鹿を見ても小石をぶつけてはいけない了見くらい静寂は持ち合わせている。

 はあ、と静寂はため息をつく。


「まず君が追いかけてきたんでしょ。……何か用?」

「えっ、ああ」


 そっかー、と天鳥が頷く。考え込む天鳥。声をかけてから用事を考える木偶の坊は、静寂は嫌いである。

 ぽん、と手を打って天鳥はにかっと笑う。


「昼飯一緒に食おうぜ!」

「やだ」

「まっ……いや、待てってば!」


 即答で斬り捨てた静寂を慌てて天鳥は引き止めようとする。その腕を掴もうと、勢い余って右手に持った木刀の柄が脇腹に軽くあたる。

 顔を歪める静寂。

 ん? と天鳥は首を捻る。


「お前、怪我してんのか?」

「……してない」

「いや、今のは絶対してるだろ」

「してないってば。だから離して」


 煮え切らないというより、もはや冷め切っている反応の静寂に天鳥はぴんとひらめく。

 論より証拠とはよく言う話である。


「よっ」

「は……!?」


 天鳥は掴んでいた腕を引っ張る。完全に油断していた。静寂はあっけなく体勢を崩してしまう。

 あ、こうすると体格はやっぱり女子だな。なんて思いながら、天鳥は静寂の軍服の裾に手をかけると、勢いそのままに上へとひん剥いた。

 咄嗟に、静寂は天鳥の頭頂部に肘を落とす。体勢どころか、完全に崩れ落ちる天鳥。


「なんっ、なの、ほんと……!」


 静寂は肩で息をする。胸を張って正当防衛である。

 いってえ、と、天鳥は頭を抑えながら、立ち上がる。

 だが、一瞬の記憶は飛んでない。


「……もしかして、お前」


 ぐっと静寂は唇を噛む。せっかく今日まで隠し通していたのに。露見したら家に迷惑がかかる。家系に泥を塗ることになる。

 それに、こんな奴にばれるのはもっと嫌だ。

 だが、静寂の思いも虚しく、天鳥こんなやつは恐る恐るといった様子で口を開くのだ。


「激しく転けたのか……?」

「……そう。そうだよ」


 ばれたのがこいつで良かった。静寂は心からそう思った。

 結局蔑まれてはいるのだが、そんなことは知る由もない天鳥は、けれど深刻な表情を浮かべる。


「それ、ちゃんと見てもらった方がいいぞ。だって、結構……」

「行かない。絶対行かない」

「おま、びっくりするくらい強情っ張りだな……?」


 お前がいいならいいけどさあ。天鳥は珍しくため息をつく。


「午後は上の代と合同での実戦訓練だし、先輩らの足引っ張ったりしたら目ぇつけられるぞ?」

「先輩って言っても年齢が二、三個上なだけでしょ」

「お前、それ絶対に先輩の前では言うなよ……」


 リンゴをかじり始めた静寂をよそに、天鳥は熱弁する。


「ひとつ上ってなると、ほら、噂の『クロガネトドロキ』がいる代だぜ? 士官学校の歴史にも名を残せるんじゃないかって言われてる……今日、それが間近で拝めるかもしれないって思うとめちゃくちゃ楽しみだよなあ」

「へえ……」


 静寂は興味なさげに適当な相づち。『銕轟旡』。そういえば馬鹿兄貴も何か言ってたな。ということは男にもてるのだろうか。

 逃げる方が面倒になってきた静寂は諦めて、裏口の石段、その二段目に腰を下ろした。

 そして天鳥に言う。


「昼ご飯食べたいなら君は立って食べて」

「ええ!? お前がちょっとつめれば隣に座れんじゃん」

「絶対嫌」

「一段目も空いてるし……」

「そうしたら蹴り落とすから」

「ええ……」


 渋々といった様子で天鳥は壁に背中を預けた。

 室内訓練場の裏は影になっていて少し肌寒い。赤とんぼがつうっと目の前を滑っていく。天鳥は大口を開けてライ麦パンのサンドにかぶりつく。少し青臭いトマトに萎えたキャベツ、そしてのっぺりとしたチーズの味が口の中に広がる。パンはやや硬めで噛みちぎりにくい。

 咀嚼しながら天鳥は少し離れた隣を見やる。膝を抱えるように縮こまって、もそもそと昼食を食べる静寂。

 こう見ると、至って普通の女子である。体格もとりわけいいわけでもない。

 でも、悔しいけれど、自分よりずっと出来る。

 だから。


「安心した。お前みたいな奴でもヘマして怪我するんだな……」

「……は?」


 そもそも転んだわけじゃないし。かちんときた静寂は口走る。


「まあ、それでも君程度には負けないけどね」

「はっ……!?」


 面食らって一瞬言葉を詰まらせてしまった天鳥は思わず静寂を見やる。

 完全に、挑発している顔だ。


「おっ、俺だってお前と同じだけ訓練してんだからな!」


 そう吠える天鳥を鼻で笑った静寂は手を払って立ち上がる。そして、とん、と石段を飛び降りると、天鳥の前に立つ。

 天鳥は木刀を握る。だが、ふと見ると静寂の木刀は石段に横たわったままだった。


「あれ、お前木刀は……」


 いらない。天鳥に背を向けて、距離を取る静寂は言う。


「猪野頭家の本気、わからせてあげる」



         ***



 15分後。


「あーー! もう無理!」


 天鳥は冷たい地面に伏して、全面降伏していた。

 相手は武器も持ってないし、怪我をしてる女の子だ。そう思って最初は様子を伺っていたことは認めよう。

 まるで風を斬っているようだった。自分の太刀筋を見切っているようだったから、相当目がいいに違いない。それでいて、それを活かせる反射神経を持ち合わせているのだろう。そしてようやく間合いを詰めれたと思えば、足元を払われるのだ。

 こっちだって、途中からは本気で振っていたというのに。


「動きに無駄が多すぎ。そのくせ直線的すぎ。鉄砲玉の方がまだ物考えてるんじゃないの」


 そんな散々な言葉を持ってして天鳥を扱き下ろした静寂は、地面に突っ伏したままの天鳥の背中に、とんと腰を下ろした。下で天鳥が潰れた蛙のような声を上げたけど無視だ。


「訓練が足りてないんじゃないの?」


 そもそも木刀の持ち方変だし。そう呟くように言う。


「え、そうなの?」

「……」


 純朴そうに首を傾げた天鳥を見て、静寂は少し逡巡した後にため息をついた。


「立って」


 そう言うより先に静寂は地面に転がった天鳥の手首を持って立たせる。


「持ち方なんて大体で良くねえ?」

「良くない。力が分散するし、太刀筋も思ったようにならないんだから」


 我流で振っても悪くはないと思うけど、それは基本が出来てる人が言う台詞だよ。静寂は天鳥の背後に回る。腕を沿わせて、天鳥のやや開き気味の脇をしめさせる。それから手を添えてみると、手まめができているのがわかった。努力はしている手だ。多分夜にも自主練習してるのだろう。

 それでも、結果に、実戦に繋がらないなら、意味がない。それが争いというものだ。

 握り方を直した静寂は天鳥に木刀を振らせる。


「どう。力が入りやすくなったでしょ」

「うーん、わかんねえ! むしろ違和感あるけどなあ」

「……まあ、そういうことだから。あとは好きにすれば」


 ふいと顔を背けた静寂に天鳥は無邪気に笑いかける。


「なんだ、意外と親切なんだな、お前」

「別に、気が向いただけ。それに足手まといが多かったら困るのは私だし」


 静寂だって自分の限界はある程度把握しているつもりだ。

 男子はまだ身長も伸びるし、体つきだって変わってくる。そのうち力だって到底敵わないものになるのだ。静寂はそのことを身を以て知っている。

 当然訓練だって怠っていないし、今後も手を抜くつもりもない。でも、集団における相対評価なら、きっと自分は今がピークだ。

 これから頼れるのは仲間であること。その事実に静寂はちゃんと向き合っていた。


「個人それぞれが個の力を磨いていくのも大事だけど、全体を底上げしないと。そうしないと、助けたいものも助けられないでしょ」

「あー、まあそうかもなあ」


 そんな天鳥の曖昧な言葉に静寂は怪訝な顔をする。


「何。『幸福ひとを守る』ために軍人になるんじゃないの」

「え。そういうのって大切なもんなの?」

「当たり前でしょ。勿論、それが全てじゃないだろうけど、君だって何か理想はあるでしょ」

「理想、かあ。んー……」


 あれ、とそこで天鳥は首を傾げる。


「俺、なんで軍人になるんだ……?」


 彼はその答えを見つけられない。

 そんな天鳥を、静寂は今日一番の白けた目で見ていた。


「……知らない。興味ない。自分が歩む道に、ろくな誇りもない人に」

「あっ待ってちょっ、今考えるから!」


 昼休憩終わるよ。それだけ言い残して、静寂は天鳥を置いて訓練場へと足早に歩いていってしまった。

 取り残された天鳥は少し視線を落として、思い返す。


「……んっ? 猪野頭……?」


 考え込む天鳥。いや、まさかな。そうだ、そんなことより、と天鳥はもう一度握り直して、二、三回木刀を振ってみる。


「んん」


 違和感はある。当然だ、急に矯正されたのだから慣れてなんかいない。

 でも、あいつが言うなら間違いないのだろう。


「……よし」


 手元を再確認した天鳥はひとつ頷く。

 午後は実戦を見据えた訓練。しかも、ひとつ上の代との合同訓練ときた。

 当然さっきの女子もいるし、もっと経験を積んだ先輩らと共にこれを試すことができる。なんて幸運なことだろう。自分の不甲斐なさなんて感じている暇はない。

 そういやさっきの子に名前訊きそびれたな、なんて思いながら、天鳥は駆け足で訓練場へと向かう。

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