こんな聖夜は南京と共に 静寂 SS
談話室から残ったローストチキンを頂戴してきた静寂は鼻歌交じりに食堂に向かっていた。皿に乗ったチキンはすっかり冷めていて、ただ美味しそうな匂いだけがそこに残っている。
それに比例するようにクリスマス会も宴もたけなわといった様子で、油と酒の匂いが交じった気だるい空気をまとっていた。それはどこか退廃的だけれど、だらだらと時間を潰すには程よくできた雰囲気であった。
ただ、静寂にはもうひと仕事ある。
食堂のあかりを灯すと、入ってすぐの長机によれた紙袋を見つける。轟旡に頼んで先に置いておいてもらったものだ。申し訳なかったなあと思いながら、静寂は空いている方の手でそれを持ち上げようとする。
「えっ重」
何が入ってるんだこれ。静寂は一旦皿を置く。同僚から買い物目録を渡されたものの、確認するより先に轟旡に取られたために、静寂はその内容を知らなかった。紙袋の中身を取り出す静寂。
紙袋の底から出てきたのは、立派なかぼちゃであった。こんこんと叩くと中が詰まっているのがわかる。他には、さつまいも三本に大豆ひと袋、それに筍がひとつ……
「いや戦時中の配給か」
長机の上に並べられたそれらを前にして、静寂はひとりそう漏らす。おそらくあのクリスマスマーケットで見つかりにくいであろう代物を注文したのだろう。確かに、あの洒落ついた雰囲気の中でこんな泥臭い物が売られているところを想像はできない。
「逆にあの短時間でよく見つけたな、あの人……」
長時間外出させる魂胆だったのだろうが、現実はそう甘くはなかった。結局静寂が伸ばしに伸ばして、三時間と少しほど。迎撃戦の日程と被っていたのがせめての救いだろう。
厨房は使いっぱなしの調理器具や汚れた皿などで惨憺たる様子だった。静寂はとりあえず適当にそれらを端にのけて調理するためのスペースを確保する。
厨房の奥には大根やにんじんが常にストックとして置いてあるのを静寂は知っている。ここまで揃えば大鍋で煮物にするのが楽ではあろう。
「(でもクリスマスだしなあ)」
後ろ手でエプロンの紐を結びながら静寂は考える。
冬の厨房は底冷えする。早く火を付けたいと思いながら、静寂は広い調理台の開き戸にチーズと牛乳を見つけた。炊飯器を覗くと4合ほどご飯が残っている。一応炊いてはみたものの、そこまでお呼びではなかったのだろう。
「……よし」
談話室の同僚達はすっかり飲んだくれてたけど、温かい良い匂いがすれば人はいくらか食べられるようになるものだ。軽く水洗いしたかぼちゃをまな板の上に置く。いいかぼちゃだ。静寂は力を込めて、でも焦らずまっすぐ包丁をその実に入れる。
「よっ」
ずとん、と重い音を立てて包丁の刃がまな板にぶつかった。かぼちゃの緑が割れて、山吹色の断面がごろんと顔を出す。大ぶりのスプーンでぐりぐり種とわたをほじくり出して、それから小さく切っていく。半分は煮物にするのでやや大きめに、でももう半分はひとくちサイズにしてしまおう。
そして切り分けながら静寂は先ほどのスプーンを口にくわえる。ねっとりとしたその甘さが口の中に広がった。行儀は少しも良くないが、誰も見ていないからいいのだ。
小さくした分のかぼちゃを軽く煮ている間に、煮物の準備を始める。大根とにんじん、それからさつまいもといった根菜は硬いから、かぼちゃより先に煮始めなければならない。半月切りにしたそれらを水を入れた鍋に入れて火にかける。煮物は明日以降のおかずになればいい。醤油と砂糖、それと少量の調理酒は先にボウルの中で混ぜておいてしまう。だし汁は確かまだあっちの棚の鍋に残っているはず。こんな気温だから食材の持ちが良いのは冬のいいところだ。
だし汁を調理台に置いたところで、かぼちゃを火から下ろす。湯気を立てたかぼちゃはしっとりとしており、静寂はひとつつまんで、口に放り込む。思った以上に熱くて思わず手で口元を覆った。が。
「……あ、おいし」
そんなかぼちゃの余韻に浸りながら、一本置いておいたさつまいもをいちょう切りにしていく。オーブンもそろそろ温め始めないとならない。道すがらオーブンの電源を付けて、200度につまみを合わせる。それから食器棚から耐熱皿を二枚出してきて、静寂はご飯をよそう。
「あっ! チキン忘れてた」
これじゃあ何のために談話室から連れてきたのかわからないじゃないか。置いてけぼりにされていたチキンを持ち出した静寂は菜箸でその身をほぐすと、よそったばかりのご飯の上にそのまま添える。それから下茹でしたかぼちゃと、先ほど切ったさつまいもをお皿一杯に。目にも楽しいし、彩りも悪くない。
そこでかたかた言い出した根菜の鍋を下ろして、具も一緒に流してしまわないように気をつけながら鍋の底に残っていた水を捨てる。そして待ちぼうけを食らっていたかぼちゃの残り半分と、それからだし汁とかボウルの中身とかを鍋の中に流し込んでもう一度火にかける。次相見えるのは20分は後だろう。
先に煮物から始めるべきだったなあ、と若干の反省を交えつつ、静寂はボウルを軽く水洗いして一度ふきんで拭く。それから味の基盤となる牛乳を入れて、塩こしょうで味を調えた。本当は生クリームもあるとベストなのだが贅沢は言ってられない。こぼれないようにかぼちゃとさつまいもの合間を縫って耐熱皿に注ぐ。実のところ手順はちぐはぐしているところがあるけれど、このくらいは誤差だ。
最後に皿全体を覆うようにチーズをすり下ろしていく。鼻をつく独特の匂い。準備万端になった二皿を前にして、静寂はオーブンを確認。うん、いい具合に温まっている。8分もあればきっといい具合に焼けるだろう。
「……」
煮物の時間を計り損ねたこともあって、ひと皿は後にすることにした。煮物が仕上がって、片付け始める時に入れればちょうどいいだろう。
ただ片付けると言っても自分自身が使った調理器具だけである。厨房を見渡す。明日の朝のことは想像しないことにした。さすがにそこまで手を回す元気はないからなー、と疲労気味の腕を回したところで、静寂ははたと気付く。
調理台の端に追いやられた鈍い緑がオーブンの火光を淡く反射している。雑多の中からその瓶を引き抜いた静寂はくるくるとボトルを回し、ラベルを見る。
ワインだ。しかも上物で間違いない。霧の帝都から輸入したものだろう。誰かが持ってきたのだけれどすっかり忘れてしまったのだと見た。
ううん、と唸る。正直、とても飲みたい。もはや飲みながら作りたい。ああ、でもなあ。静寂は思う。帰ったら馬鹿兄貴の相手をしなきゃならない。今飲んだら確実にもどすだろう。
だが、だからといって、あの舌もおぼつかない酔っ払い共に明け渡すにはこれはあまりに勿体ない代物である。
「……よし。先輩に預かっておいて貰おう」
そうしよう。それなら誰も文句は言えまい。先輩と一緒にマーケットを見て回ったのも楽しかったけれど、自分だってもっと純粋にクリスマスを謳歌したっていいじゃないか。
その腕にボトルを抱え、静寂は上機嫌で仕上がりを待つ。