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夢は現(うつつ)と成る術も無き くろいの SS

 桜花十二階が長い影を伸ばし、桜の帝都に陽が沈む。桜がちらちらと今日を惜しむように舞い、ああ一日が終わったと人々の安堵の息で都が包まれる夕暮れ時。

 そんな街角の向こう側、人々の生活に埋もれるようにして建つ四階建てのアパルトメント。それこそが桜の帝都で静かに息を潜める、寡黙なる霧の根城の一角であった。

 ずぞぞぞぞ、と低い音を立てておんぼろ掃除機が床を這う。廊下は薄暗いけれど、あかりを灯すにはまだ早い。これも経費削減のためだ。

 寡黙なる霧の中でも、ここは武力集団が居を構えていた。基本住み込みで50人ほどが生活しているものだから、頻繁に掃除はしないとやってられなくなる。

 だが、そうは言っても日中は訓練に勤しんでこその集団である。とある上官が組んだ毎日の訓練内容に文句を垂れながらも忠実に日々を費やしていたら、掃除なんぞやってられないのは目に見えた話だろう。だから、訓練後も余力のある静寂がこうやって掃除に励んでいるという次第である。


「ん……?」


 怪訝な顔をして、静寂が掃除機を見やる。三々五々に拾ってきた部品を組み合わせて使っているものだから、頻繁に調子を崩すのだ。いつものように右後輪の上を叩いてやると、おんぼろは再び機嫌を直して動き出した。

 立ち上がるついでに、静寂は伸びをする。視線が移り先刻まで訓練をしていた中庭が目に入った。あそこでまだ地面と仲良ししているのはこの間採用した新人だろうか。がんばれ、と心の中でエールを送って、静寂も掃除に戻る。

 とある篤志家から譲り受けたこの建物は中庭をぐるりと囲う形になっている。一階二階は男女別の居住空間、三階は食堂や大人数用の会議室、談話室といった共有空間が設けられている。そして最上階である四階は執務室や資料室、お偉いさんが来た時のための応接室など、ヒラの兵士はあまり足を踏み入れることのない階だった。

 だから掃除機をかけるにしても形だけといったところもある。特に大きな獲物もなく、静寂はぼんくらな掃除機と共に夕暮れ時の廊下を進んでいた。

 やや前屈み気味に進む静寂ははたと視線を上げる。薄暗い廊下に夕方の陽光が一線脚を伸ばしている。珍しいな、と静寂は少し扉の開いた執務室の壁を叩く。返答はない。

 静寂は少し思案した後、まあいいか、と掃除機を携えて扉を開けた。


「失礼しまーす……」


 小声で中を覗き込む。西向きの執務室は終わりゆく今日を彩る日差しで溢れていて、静寂は目を細めた。

 部屋の奥には大きな執務机がどっしり構えている。この部屋を守るように、壁際には霧の帝都から輸入したらしいアンティークで背の高い棚が並び、中央にはふたつの大きなソファがローテーブルを挟んで対峙するように置かれている。

 そして、そのひとつに長い身体をやや余らせて、この部屋の主、銕轟旡は静かに寝ていた。

 また珍しいな、と静寂は軽く頬をかく。手に持っていた掃除機は一旦壁に立てかけて、静寂は棚の開き扉にしまっていたブランケットを出す。それをかけても微動だにしないのだから、本当に疲れが溜まっているのだろう。

 なんとなく静寂は向かいのソファに腰を下ろす。膝に頬杖をついて、ぼんやり上官の顔を眺める。寝てる間ですら眉間に刻まれたその皺は取れることはないんだと知った。

 だから、寝てるだけで苦しそうに見える、なんて。


「……もっと頼ってくれればなあ」


 口から自然と漏れた言葉は、だがすぐに、無理なんだろうなあ、という気持ちでかき消される。

 そりゃ自分は警察軍から完全に足を洗っていないし、家は全面的に桜機関に籍を置いてるし、そんな家に毎日帰ってるし。轟旡どころかここの皆に信用される要素は皆無だ。万一何かが起こった時、真っ先に疑われるのは間違いなく自分だろう。

 それに加えて。


「(『見えないものまで守りたい』、か……)」


 当然、自分はヒラの兵士なんだから対等に肩を並べる能力もない。見えないものを守れるほどの技量がないことはわかっている。自分が男だったら、まだ幾ばくかましだったかもしれないが、それでもこの人には到底及ばなかっただろう。

 それなのに、こんな自分を傍に置いてくれるだけでありがたいことだ。

 と、そこまで考えた静寂ははたと気付く。

 そういえば、なんで先輩は自分を傍に置いてくれているのだろう。


「(そういや、考えたことなかったな)」


 ちょうどいい使いっ走りだから? 軍属として勝手を理解してるから? 静寂は天井を仰いで考える。

 猪野頭家は一応その界隈では名の通った家だ。そんな家で、自分は何の役にも立たない。嫁にも出せないから、軍人でしか活路を開くしかなかったのに、その道も途絶えた。「家の肥やし」「名家の恥」だと、そう言われてきたし、静寂本人が考えてもそう思う。

 だから静寂には、自分の『利点つかえるてん』が何かわからなかった。

 でもかけがえの「ある」ことって軍では大切だからな、なんて楽観的なことを考え始めたところで、静寂はふと気付く。

 目の前のソファでは相も変わらず轟旡が横になっており、一向に起きる気配はない。

 それどころか、


「(さっきからこの人、微動だにしなくないか?)」


 浅い考えではあるが、静寂は唐突に不安になる。この人は、自分と違って圧倒的なかけがえのなさを持っている。たとえ体調が悪いだけだとしても、それならすぐに休むべきだ。

 突如焦りを覚えて、静寂はソファから身を起こす。そしてそのままの流れで、彼女は軽率に轟旡の顔元に手を伸ばした。

 刹那。ばっと身体を起こした轟旡が、静寂の右手首を掴んだ。

 静寂と轟旡の目が合う。


「……なんだ、いのか」


 そう言った轟旡はぱっと手を離す。静寂の口から咄嗟に出たのは、あ、はい……なんていう言葉だけだった。

 太陽は向こうの地平線でちりちりと揺らいでいる。

 覚醒したらしい轟旡が軽く首を回しながらソファから脚を下ろす。てか、と静寂は出来る限り普段の口調を装って話しかける。


「一応、私も気配消したんすけどねえ」

「なら訓練が足りねえな」


 気付けばあっという間に立ち上がっていた轟旡は執務椅子に腰掛ける。ソファに未だに腰を下ろし、ぼんやりとした表情の静寂は、無意識のうちに右腕を自分の左手で持っていた。


「なんだ、掃除するんじゃないのか」

「あ。ああ、はい」


 そうでした、と我に返った静寂は立ち上がる。


「あ、先にお茶淹れます?」

「頼む」


 はいはい、と軽い返事で執務机の上に置かれた空の湯飲みを回収して、静寂は一度執務室を後にする。

 すっかりと日が暮れて誰もいない廊下は、絞られた室内灯で寂しい程度に明るかった。向こうの階段からは三階の食堂からだろうか、他の兵士の賑わいが遠くに聞こえていた。

 窓の外では冬の月が煌々と照っている。あれだけ輝く存在があるのならそれを囲う星屑になんて、誰も目を向けないだろう。

 そして、それはきっと月も同じだ。

 静寂は思い出す。あの時、轟旡の瞳に浮かんだ、一抹の恐怖とそれを覆い尽くす殺意を。

 ああ、と実感する。誰かを信用するには程遠いんだ、と。あの人は誰にも頼る気持ちはないんだ、と。

 だから、自分を傍に置くのにも、大した理由なんてないに決まってる。


「……くっそ……」


 わからない。自分が何に、誰に期待していたのか、なんて。

 ぼんやりとした虚像を映し出す窓ガラスに、ばん、と手をつく。それから、頬を伝う一筋の『それ』に気付かないふりをして、静寂はひとり、給湯室に急いだ。

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