涼音屋にて、数時間前の話 ゐるむつ+α SS
それはひとりの男の絶叫から始まった。
「ふっっざけんなよ、おま、ゐ……っ、ここは!!! この部屋は!!! 俺とお前の!!! 共有スペースなの!!!! どっ、こで誰が何とどうなって見つけたのか出会ったのか知らねえけど、お前が知り合ったとてもとても可愛い子ちゃんといっちゃいっちゃするための場所じゃねえんだよ!!!」
涼音屋の住居棟二階。涼音屋で働く従業員は、六畳の部屋に二人を基本として生活を送っている。ゐるもまたそれは同様で、役人としての仕事を終えて実家に少し足を伸ばした後、自らの部屋へと帰還していた。
ただ、今回は睦月を連れて、であるが。
ひとり哮る同室を前に、隣室の従業員は仕事中で良かったなあ、とゐるはもはや他人事のように思う。
「落ち着けアリア。そんなことをするつもりはない。だからここで喚き散らしたところで何にもならないし、お前に彼女がいないという事実に変わりはないんだ」
「はぁーーーーーー!? 偉くなったなあお前このっ……、一昨日までは同じ身分だっただろうがよォ!!!!」
泣くわ喚くわ大騒動のアリアと呼ばれた青年に対して、一方ゐるは至って冷静に返す。
「それにやめてくれ。睦月は俺に付き合ってくれてるだけだ。俺が無理を言って涼音屋にまで来てもらってるだけであって、そういう関係では……」
「え、何? ここにまで連れてきておいて? 馬鹿なの? お前は馬鹿なの? それとも馬鹿なの?」
「お前の語彙力はどうなってるんだ」
「俺ァ今そういう話をしてるんじゃねえんだよ!!!!!!」
アリアの魂の大声に、睦月がびくっと肩を揺らす。
「大丈夫だ、睦月。こう見えても悪い奴じゃないんだ、少し残念な時間を送ってきすぎてしまった生き物なんだ」
「全部聞こえてっからな!!」
はーっはーっ、と肩で息をするアリア。瞳孔は開き目も血走っているが、彼だって全力で今を生きているから仕方ない。
というか、とゐる。すでに15分、ゐるだってこれ以上時間を無駄にしたくないし、アリアの喉も労りたい。
「だから聞いてくれアリア。俺はただ、睦月の……」
「うるさいうるさい、俺はリア充とトラバサミとは絶対仲良くならないって決めてんだよ口聞いたらその瞬間体内の発炎機能が一千度を超えて四肢が爆散するってばっちゃんが言ってた」
「無茶苦茶を言うな。そんなこと言ってたらお前あとでお婆様に、じゃなかった」
はあ、とため息をついたゐるが、おもむろに護身用の警棒を取り出す。
と同時。ダァン! という音と共にゐるは畳を突いた。
静まり返る六畳一間。
「もう一度言う。……アリアじゃないと駄目なんだ」
「……俺じゃないと……?」
「そう。紗更や他の同僚じゃ無理なんだ。アリアにしか頼めない」
ふーん、とアリア。腰を下ろして、次は、ほーん、と言う。
『アリアじゃないと駄目』。『アリアにしか頼めない』。そして、自分に向けられるゐるの神妙な瞳。
「……しょーーーがねえ、なあ!! 今回だけだかんな!?」
悪い気分はしない、というありありとしたわかりやすさを持って、ふんぞり返るアリア。これで200年以上生きている炎狐だというのだから、年の功なんてくそ食らえだと思う。
「で? なんなんだよ。睦月ちゃんがどうしたって?」
なんだ意外と聞いていたのか、とゐるは座り直す。
「詳しい事情はちょっと置いておかせてくれ。……単刀直入に言うと、睦月は呪いを持っていてな。それを実家で封魔してきた……つもりなんだが、念のためにアリアにも視てもらいたいんだ」
ふうん、とアリアは睦月を見やる。
と、ゐるの背中に一層その身を隠す睦月。
「んっ、あれ? 俺、怖がられてる?」
「まあ……」
初対面の成人男性があれだけ喚き散らせば普通怖いだろう。ゐるは良心でその言葉を飲み込む。こわくない、こわくないよー、と睦月に手を振るアリア。
ああ、とそこで思い出したゐるは睦月の方を見る。
「そうか、睦月は火が苦手だったな。悪い」
「あー、なるほどな」
そればっかりはお互い仕方ないんだけどなあ、とアリアはぼやく。今は人間に化けているとはいえ、アリアは炎狐である。体温は人より高いし、言ってしまえば炎の塊である。
睦月、とゐるは睦月の方に向き直る。
「おや……父親にも相談に乗ってもらったし、俺も万全は尽くしたつもりだ。でも、出来る限り不安は取り除いた方がお互いのためだろう? だから一瞬だけ、彼に視てもらってくれないか?」
「……でも、もし……勿論ゐるさんとゐるさんのお父様を疑うわけではないのですが……私の呪いが完全に封じられてなかったら……」
「ああ、それは大丈夫。こいつも耐性がある。それに手を出しても噛まない」
「お?? 俺をそこら辺の狐と同じ枠で語ってねえか、ゐるさんよ」
病原菌も持ってねえよ、とため息をつくアリアをちらりと見やった睦月は、恐る恐る立ち上がると、
「よろしくお願いします……」
と、アリアの前にちょこんと腰を下ろした。
おー、と軽い返事をしたアリアは睦月の手を取る。睦月が肩を揺らすが、当然それに気付くほどのアリアではない。
数秒の後、ふん、とアリアは鼻を鳴らした。
「こりゃ妖術の類だろうな。今時の人間が手を出して良いもんじゃねえよ。こういうのは俺たちに任せときゃいいもんを……」
アリアのぼやきに睦月は悲しそうな顔をする。呪いの存在は睦月には不可抗力そのものであり、睦月当人としても好きで持って生まれてきたわけではない。
「アリア」
「だあー、悪いって。わーってるよ」
そう言って頭を掻いたアリアは、睦月ちゃん、と呼びかける。
「手厳しいことを言うかもしれないけど、妖術の呪いはかけた本人しか解けない。だから俺の手には負えない」
落胆の色を浮かべる睦月に、でも、とアリア。
「その呪いがどういう力を持ってるか、どの程度周りに影響を及ぼすか、そういうんはわかる。……大丈夫、君の呪いは今、誰にも害を与えることはない」
「……。……そう、ですか……」
アリアの言葉に睦月は伏し目がちに、されど仄かに微笑む。ふうんとアリアは内心で思う。これがこの堅物が好きになった女の子なんだな、と。
「……まっ、いいんじゃねえの! あとの細かいことは紗更に相談すりゃあいいし」
そうすりゃ睦月ちゃんも、とアリアが言いかけたところで、足早に、さささっとゐるの背中に隠れる睦月。
「……」
「悪いアリア……睦月に悪気はないんだ。その、お前とどうしても相性が悪いだけで……」
ごめんなさい、アリアさん……と睦月もゐるの背中越しに謝罪する。
「……。……おっ……」
お? と首を傾げるゐると睦月。ぷるぷると震え出すアリア。
「俺だって……」
それは――結局、とどのつまり、全ての気持ちを込めた叫び。
「俺だって、彼女が欲しいからなぁーーーー!?!?」
なぁー なぁー なぁー……
そんな悲しい叫びは涼音屋の枠組みを越えて、嘶奇山の山びことなり、野山に響き渡る。
そして、数分後、番頭部屋から飛んできた紗更に、アリアと、何故かゐるも怒られることになることをこの時の三人は知らない。