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涼音屋にて ゐる(むつ)+α SS

 その地域で一番太陽に近いその屋根裏部屋は、されどほの暗い淡い陽光で満ちていた。

 不安そうに部屋を見る睦月にゐるは大丈夫だと声をかける。少し部屋は埃っぽいけれど、しばらく換気をすれば十分だろう。いの一番に窓を開けたのは、この旅館を統括する若旦那であった。

「ま、色々落ち着くまでこの部屋を使えばいいだよ」

「悪いな、紗更ささら」

 ありがとうございます、とゐるの背から謝辞を述べる睦月に、気にしないでいいだよ、と紗更は返す。ゐるはその壁際に抱えていた布団類一式を置いた。旅館の荷物も置いてあるからやや手狭ではあるが、睦月が生活を送るにはちょうど良い広さに思えた。

 さて、と紗更。

「ゐる。でもお前はちょっと来い」

「あっ。はい……」

 悲しそうな顔をする睦月に、終わったらもう一度来るから、と声をかけて、ゐるは紗更と共に一旦屋根裏部屋を後にした。


 さて番頭部屋。

 番頭部屋とは言っても、銭湯の戸口すぐに設けられるあれではない。涼音屋で言う番頭部屋は所謂この涼音屋を治める旦那に宛がわれた一室であった。い草の香りがする畳八畳分ほどの広さで、重厚な帳簿机の座布団に紗更が腰を下ろす。ゐるは当然その前に正座するほかない。

 しばしの無言。ひらひらとどこからか流れてきた桜の花びらが縁側に落ちる。聞こえる鹿威しの音は食堂から臨む庭のものだ。

 紗更の手元で、ぱちん、と扇子が音を立てる。

「大概にしとくだよ、ゐる。身勝手にもほどがある」

 ゐるは何も返せない。お前とは昔馴染みだけど、と紗更。

「今は雇用関係だよ、その前提の方が優先されるべき事項で、過去の想い出は飾りに過ぎない。おいらはそれだけでお前を庇う気は無いし、旦那としては青二才でも他の他の仲居さん達の生活と身の安全を守る務めがある」

 そこで一旦言葉を切った紗更は、そして声を潜める。

「……本当に、睦月ちゃんの『呪い』とやらは完全に封じたんだな?」

「それは問題ない。それだけは、必ず」

 まっすぐと、ゐるの紅い瞳が紗更を見る。頬杖をついた紗更はふんと鼻を鳴らして、視線を逸らす。

 ゐるは適当は言わない男である。

 となれば。

「……ああ、『アレ』にも確認してもらったってことだよね」

 ゐるは無言で頷く。

 なるほど、と。紗更は苦々しく視線を泳がせて、それから、はあああ、と深いため息をついた。ぱちん、と再び扇子で帳簿台を叩くも、それは如何にも投げやりな音で。

「なーんで、お前の『色恋沙汰』を全面から協力しないといけんのだよ……」

「なんっ、いや、なんでそんなこと」

「おいら、そんなおばかさんじゃねーだよ???」

 紗更のじとっとした視線に、次はゐるの視線が気まずそうに宙を泳ぐ。そして、悪い……と本当に申し訳なさそうに小さく呟いた。

「本当に感謝してる。こんな事態に巻き込んでしまっているのに、ああやって部屋まで間借りさせてくれて……」

「いや、金は取るだよ?」

「えっ」

「世の中の皆が皆、お前みたいなお人好しだと思うな、だよ」

 ゐるのお給金から天引きしとくだよ。そう当然のように言った紗更は、ぱちぱちと手元の算盤をはじく。

「ん~、人ひとりを生活させるには諸経費もかかるんだけど、ま、昔のよしみで、食事代と部屋代だけで勘弁してやるか……」

「えっ。……えっ、いくら引く気だ?」

「それは月末のお給金日をお楽しみに~」

 顔も上げずに紗更は計算を進める。労働者であるゐるには、もはや為す術はないのだった。

 ゐるは軽く息を吐く。

 だが、結局は。紗更、とゐるがそのもう一人のお人好しの名を呼ぶ。

「ありがとな」

「はいはい」

 もういいと言わんばかりに、紗更が筆を持った手をひらひらと払う。その様子に軽く笑って立ち上がったゐるは番頭部屋の戸口に手をかけた。

「あ」

「えっ」

 突如声を上げた紗更にゐるは振り返る。

「言うまでも無いけど……『風紀』は乱すんじゃねーだよ?」

「あっ、はい……」

 にっこりと笑う紗更に見送られて、ゐるは部屋を後にした。

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