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ホットミルクを頂きながら

作者: 丘与式杞憂

 午後十時十分。

 俺はいつもの慣習通り、白いマグカップに牛乳を注ぐ。それを電子レンジに入れ、五百ワットで一分半の間加熱する。

 その時間中は一切を排除し、全ての物を遮断するーーとは言っても、そんなに大袈裟なものではない。テレビを消し、スマホの電源を落とし、手の届く範囲に娯楽品がない場所に移るだけだ。

 自室の片隅、この時間を過ごすために用意した専用の座椅子に身を預け、ホットミルクを頂きながら、今日あった出来事を振り返る。

 それが俺の、一日の終わり方だ。


 ◯


『ホットミルクなんて、子供の飲み物だろ』

 そんなことを言われたのは、もう二年も前のことだ。成人式の二次会、三次会…… 今となっては、その時が何次会のことだったか忘れてしまったが、ともかく。

 宴は場所を変えながら日を跨いだ後も続き、二十歳となったみんなが覚えたての『大人としての過ごし方』を暴力的なまでに満喫し、グロッキーになりながら、残った少人数が落ち着くために最後に入店したのがその喫茶店だった。すでに時間は、モーニングを頼める時間になっていた。

 六人掛けの席の、ちょうど真正面に座る男が、俺がした注文を聞いて、例の言葉を放つ。


『ホットミルクなんて、子供の飲み物だろ』


 彼とは学生時代にだって、大して仲が良かったわけではない。どころか、仲良く雑談をした記憶すらない。趣味が合うわけでもなく、俺にとっては友達の友達、そのまた友達みたいな立ち位置の男だった。二次会、三次会と過ごす中で、たまたま俺と同じく、最後まで残っただけ。

 その年の四月から社会人になる彼が、その喫茶店で将来の展望を嬉々として語っていた顔は、今も覚えている。


 何故ならーーそれと全く同じ顔を、今日この目に焼き付けたからだ。


 喫茶店にいたその時と同じ明るい笑顔で彼が映る大きな写真は、部屋の中央に飾ってあった。しかしその近くにあった棺の中の彼の顔は、その写真のものとは全く違っていた。

 過労だったらしい。


『ホットミルクなんて、子供の飲み物だろ』


 彼のそんな、侮蔑にも似たその台詞が、頭の中で残響する。

 率直に言って彼のことは、普通に嫌いだったがーー二度とその台詞を彼の口から聞けないことが確定した今となっては、ほんの少しだけ、寂しくも思った。

 俺もそのうち、大学を卒業する。

 社会人になる。

 大人になる。

 一生子供のままではいられない。


『ホットミルクなんて、子供の飲み物だろ』


 彼の棺を囲んだ、沈んだ顔の人たちを見て、思う。

 永遠などないのだと、今になって気付く。

 命が有限であると、今更ながら思い知る。

 そんなことは常識だと思っていても、思っていることと実感することは違う。

 知ることと理解することは違う。

 きっとそういう気付きの積み重ねでーー日々は流れてゆくのだろう。

 そんな取り留めのないことを考える。

 途方もない思想に耽る。

 気付けばマグカップは少し冷えていた。俺は立ち上がり、電子レンジで再加熱する。

 元いた座椅子に再び腰掛け、呼吸を大きく一往復させた後、白い水面を眺める。

 きっとこれからは、今まで以上に辛い思いもするだろう。

 泣きたい夜も、あるだろう。

 何もかもが上手くいかず、思考がまとまらない、今日のような夜を迎えたって。

 そんな日が訪れたって。


「……大人だって、ホットミルクぐらい飲むさ」


 ホットミルクを頂けば、安らかな眠りに就ける気がするのだ。

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