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私はその運命を悟った瞬間から今まで、物事の終わりというものを考え続けてきた。
私の人生が15年で終わるということは、物心ついた頃から知っていたことだ。
まあ、人間なんてどうしたって60年くらいで死ぬものなのだし、私は周りのみんなよりほんの少し短いだけ。今こうして私が生きている15年間で、どれだけの人が死んだのだろうか。私より年齢が高い人は当然のこと、私より幼い子供たちだって多くいたはずだ。
突然で、予想外にこんなはずではなかったのだと、嘆いた者たちもいただろう。
そう考えると、15年と定められた期間に、死ぬことを教えられることは幸いだったのかもしれない。突然、「貴方の寿命は今日までです」と宣告されるよりかは、心構えができるだけずっと気持ちは楽だろう。
いつも優しい母や、大切に育ててくれた父はいつまで生きてくれるのだろうか。最近背が伸び、大人びてきた弟分もあと少しで成人を迎える。どんな仕事をするのだろうか、どんな人と結婚するのだろうか、興味は尽きることがない。
平和で穏やかなこの生活も、ずっと暮らしてきたこの村も、いつかの終わりへ向かって進み続けている。私がいなくなっても、この村の時間は続いていって、失われていくのだろう。
まあ、そんなことを私が憂いても仕方がないことだ。
私は私でこの村の為にできることをする。
安寧と発展を願い、私はこの命を捧げよう。
エリーシャは芝生に寝転んで、ぼんやりと空を眺めていた。
今日も1日お日柄もよく、村は平穏な時間を過ごしている。何事もない日常だ。エリーシャもいつも通り鍛錬に励んでいた。
手に持った木剣を放り投げて、乱れた呼吸を整え、心地良い疲労に身を委ねた。
稽古相手であるフィートが未だ顔を見せず、彼の裏にを借りて一人で剣を振るい続けて1時間程。まだ体力は限界ではないけれど、この炎天下で無茶をして体調を崩しても迷惑をかけるだけと判断し取り敢えず一区切り。
それにしてもフィートの帰りが遅い。フィートの母親曰く、水汲みにいったらしいが、どこか寄り道でもしているのだろうか。
フィート。私の可愛い弟分。私が生まれた半年程後にフィートは生まれた。物心ついたころから一緒にいる幼馴染というやつだが、感覚してはもう家族―――弟だ。
私は、彼の家の壁に落書きされた、フィートとの対戦成績をみる。壁一面書いては消して、何年と続けてきたが、結局彼が私に勝つことはできなかった。
毎回毎回悔そうに顔を歪めて泣きそうになるフィートのことを思い出し、思わず苦笑する。剣の握り方から振るい方まで、誰に教わったわけではない。お互いに意見を出し合い、力を高めあって辿り着いた今の強さだ。少しだけエリーシャの才能が上回っていて、フィートが彼女に勝つことはできなかった。
「うわっ!」
エリーシャが勝ち誇った笑みを浮かべていると、顔にタオルを投げつけられ驚いた声を上げる。
彼女は起き上がると、前に人懐っこい笑顔を浮かべた少年がいた。
「突然なにするのよ」
タオルを掴んでエリーシャはフィートに抗議の目を向ける。
「何だよ。汗をかいてるみたいだったから汗拭きを持ってきたんだろ」
確かに汗をかいてそのままにしていた。服の中もびっしょりで身体に張り付いてしまっている。
「それはありがとう。けど、一声かけてくれたらいいじゃない。
突然投げられたら驚くでしょ」
「気配を察知するのも鍛錬の一つだって、エリーシャがいったんじゃないか」
「―――む」
そうだった。そう言われては言い返せない。
彼の気配が察知できなかったのは自身の実力不足であることに間違いはない。
「けど、こんなところへ来ててよかったの? 成人は明後日だろ」
フィートの言葉に、エリーシャは口を尖らせる。
「言ったでしょ。その日までいつも通りの日常を過ごさせてくれって。
明日だってみんなも私も何も変わらない1日になるはずよ。
今日も明日もフィートは私の鍛錬相手なんだから。そのことは忘れないように」
「…でもさ」
「ぐずぐずしないの。貴方もあと半年で成人なんだから、しっかりしなさい」
そう言って、エリーシャは木剣をフィートに投げ渡した。
フィートは慌ててそれを受け取るが、悲しい瞳のままエリーシャを見つめる。
「エリーシャは恐くないの?」
何が、とは聞かなかった。エリーシャはフィートから目をそらし、遠くに見える、白く大きな山を見つめる。あの山には竜が住んでいる。恐ろしく、凶悪なモンスターが。明日が終われば、自分は一人であの山へ向かい、この身を竜に捧げなければならない。そして、この村の安寧と平和を約束させるのだ。
それがこの村の掟であり、竜の花嫁としての使命である。
エリーシャの頭にはいろんな感情が浮かんでくる。この気持ちをどう表現したらいいのか、未だ人生経験の浅い彼女にはわからなかったが、結局簡素な思いを口にする。
「恐いよ」
「じゃあ、逃げようよ。僕が一緒に手伝うから」
「それは無理よ」
「無理なんていうなよ。きっと大丈夫だ。今日の夜になったら一緒にこの村を出よう。近くの町までの道は地図で覚えたから、遭難だってしないはずだ」
「街へ行って何をするの。外の常識も知らない私たちが、無事に暮らしていけるとは思えないけれど」
「僕が君を守るよ」
「私より弱いのに?」
「それは…」
フィートは優しい少年だ。だからこそ、エリーシャが犠牲になるようなことを見過ごすことはできないのだろう。否、この村の人たちはみんな優しい。エリーシャが勝手にこの村を飛び出しても、引き留めるものも怒るものもいないだろう。仕方ないと、幸せになってくれと願うはずだ。
だからこそ、そんなに優しく愛しい人々だからこそ、絶対に守るのだとエリーシャは強く決意したのだ。
「ありがとうフィート。貴方の優しさは凄く嬉しい。
けど、私は逃げないわ。この村を見捨てることはできないもの」
「エリーシャが犠牲になることなんてないだろ」
「犠牲なんかじゃない。私は竜の花嫁となるだけよ」
「けど、もうこの村には帰ってこれなくなるんだろ」
「ええ。それが掟だから」
自身の運命と将来を、エリーシャは幼い頃から聞いていた。生まれてから今日まで、ずっと竜の花嫁として育てられてきた。今更、その責任を果たすことに迷いはない。
過去、竜の花嫁について教えてくれたおじいちゃんに、何か願いはあるかと聞かれたことがあった。
エリーシャが願ったことはただ一つ。
自身が成人となり、竜の花嫁として旅立つまで、何一つ変わらない日常を送ってほしいということだった。竜の花嫁なんて生まれず、エリーシャという普通の少女がこの村で暮らし、成人して嫁入りの為に村を出る。ただそれだけのことなのだと。犠牲ではない。悲しむことなんて何もない。そんな平和でいつも通りの日常を過ごすことを彼女は願った。
村の人たちは当然、エリーシャという少女がどんな存在であるかは知っていたが、当時村長であったおじいちゃんの意向もあり、何一つ変わらない普通の少女として接してきた。結末がどうであれそれが彼女の望みであり、幸せであるのなら、自分たちの感情は押し殺し、笑顔で向き合ってくれたのである。
だかろこそ、彼女の人生はフィートと何も変わらないものであった。良いことをすれば頭をなでて褒められ、悪いことをすれば頭を叩かれて叱られる。そんな、普通と何も変わらない生活。
十分だった。沢山の幸福を与えてくれた。これ以上私のわがままに、この村の人たちを付き合わせることはできない。
「だったら俺も」
「なんで私の嫁ぎ先に貴方がついてくるのよ」
そこで初めて表情を緩めてエリーシャが言う。
「フィートにはフィートのするべきことがある。誰かを守りたいのなら、貴方はもっと強くなりなさい」
「うぐ」
「今のフィートは弱い。それじゃ誰も守れない。
いつかきっと、私より大切な人ができるはずなんだから、そのときまでにもっと強くならないとね」
「いつかなんて関係ないだろ」
「関係ある。絶対にある」
私がこの身を捧げるのは、この子の未来の為でもあるのだから。
「とにかく、毎日鍛錬すること。私たち人間に立ち止まってる時間なんてないんだから」
エリーシャは立ち上がって腕を伸ばす。
休憩は終わり。鍛錬を再開しよう。限られた時間は有効に使わなければ。