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「これはこれは、噂の旅人さんではありませんか」
アルベルが村を散策していると、行く手から優し気な声をかけられた。
穏やかな笑みが印象的な女性である。背には籠を下げ肩の後ろから野菜がのぞいていることから、畑から帰ってきたところのようだ。
「どんな噂かは知らんが、お邪魔させてもらっている」
「いえいえ。この土地は誰のものでもありませんから、お邪魔なんてことはありません。
ゆっくりしていってくださいね。
――――それと、お近づきのしるしに1本どうぞ」
背負った籠を下ろし、中に入っていた野菜を渡される。大きな大根だった。
唐突になぜ、と思いながらアルベルは受け取る。
「気を遣わなくてもいいぞ」
アルベルは大根を手に持ち、礼も言わずそう返す。正直邪魔であったが、これはこの村なりのコミュニケーションの取り方なのだろう。
庶民の文化はいまだに良く分からない。
「気は遣いますよ。折角のお客さんなんですから」
「そうか」
温和な人ではあるが、はっきり物事は言う性格のようだ。
金を払おうとはしても「いりませんよ」と突っぱねられる。
交換の品は野菜でないといけなかったようだ。反省である。
「こんな山奥にくるなんて大変だったでしょう」
「そうだな予想以上に疲れた」
「ふふ。山を越えた町までは三日程かかりますからね。かく言う私も昔一度だけ村を出たことがあるのですが、あまりに大変でしたのでもう村を出ようとは考えなくなりましたね」
「ほう」
今の歳は40程だろうか。昔はこれでやんちゃな少女だったのかもしれない。
「ところで今は何をしているのですか?」
「人を探している」
「人探し、ですか。どんな人ですか? 名前はわかります?」
「名前は…知らんな。ただ特徴はある。
赤い髪と目をした女だ」
あれほど特徴的な人間もそういないだろう。こんな小さな村であれば知らない人間はいないはずだ。
アルベルの応対に女性は驚いた顔で返す。
「何かあの子が失礼なことをしたのでしょうか?」
「いや、そんなことではない」
無礼で生意気で幼稚な女であったが、アルベルはいつまでもそんなことを気にするような器の小さな男ではない。
庶民の無礼も笑って許す。アルベルはそんな貴族を目指している。
「ただ、暴言を吐かれただけだ」
「なんと!」
口に手を当てて驚く女性。どうやら純粋な人のようだった。
「子供のやったことだ。気にはしていない。それにこの村へ連れてきてくれたのもあいつだからな、むしろ感謝している。
用事はそんなことではなく、少し聞きたいことがあるだけだ。
それで、おまえはあいつがどこにいるか知っているか?」
女性は少し考えた後、ある方向を指さした。
「この時間はいつも友人の家で鍛錬をしていると思います」
この村の家はすべて似通った形状をしており、彼女が指した家も同様の茅葺屋根で作られた家だった。
「鍛錬? この村の女は戦闘力を鍛えないといけないのか」
「いえいえ。そんなことはありませんよ。何と言いますか、あの子の趣味みたいなものですかね」
「鍛錬が趣味か。可笑しなやつだ」
王都でも女騎士はいるし、女が勇者になるようなご時世だ。力をつけること自体は、今更珍しいことでもない。ただ、それが趣味というのはアルベルとしては理解できない内容であった。
人間が力を求める理由なんて2つしかない。何かを守るか、何かを壊すかだけだ。その「何か」なんて、自分が知ったところで何の意味もないだろう。
「女の子ですから、おしとやかに暮らして欲しいのですが、誰に似たのか昔から少しだけやんちゃな部分がありまして」
「まだ子供なんだ。好きにさせるといいだろう」
「明後日には成人になるんですけどね…」
困ったように笑う女性。それでも仄かな愛情を感じさせるその表情に、レオナルドの話をする時の王女の顔が重なった。
「しかし、この村には性格と対照的に荒々しい子供が多いな。
フィートとかいう少年も冒険者になると言っていたぞ」
こんな閉鎖的なコミュニティーだからこそ、子供には息苦しく感じるのかもしれない。
全てを受け入れ、諦めた大人たちよりは、一層強い思いがあるのだろうか。
「フィート君はあの子の影響を受けたのかもしれませんね。
冒険者なんて危険な仕事…、フィート君の両親には申し訳ないことをしましたね」
「そうだな。あいつの親の顔が見てみたいものだ。
あんな言葉遣いをする少女を育てた親だ。きっと粗暴で野蛮な大人に違いない」
「うぅ、そ、そうですね」
目をそらす女性に首を傾げながらアルベルは言った。
「何故頭を抱える」
「な、なんでもありません」
パン、と手をたたき、女性は不自然な間をとった。
「それより、フィート君と話をしたんですか。いい子でしょう彼は」
「まあ悪意のない善人のようではあったな」
あそこまで純粋な人間は、専属メイドを除いて他にいないだろう。
こんな平和な村で育てばああなってもおかしくはないかと納得はできる。
「ですよね。この村で一番優しい子だと評判な子なんですよ」
「金貨2枚とられたけどな」
「え?」
「善人であることは確かだ。環境と人の縁が余程良くないとあのような人間には育つまい」
時代が違えば彼が勇者になっていたかもしれない。
神のいたずらか、何故か自身のメイドが勇者になってしまったけれど。
「腕は立つのか?」
「大人顔負けですよ。村で2番目に強いと聞いてます」
「それはすごいな」
フィートも2番目に強いとは言っていたが、それは子供の中での認識だった。
小さな村だからレベルは低いのだろうが、まだ成人にもなっていない子供が大人より強いのは、才能がある証拠だろう。
アルベルは感心したように頷いた。
「旅の方―――ええと」
「アルベルだ」
「アルベルさんは冒険者なんでしょうか」
「違う。俺をそんな粗暴なやつらと一緒にするな。
俺は只の旅人だ」
冒険者は立派な職業だとは思うが、貴族としてその職につくことは許されない。
勘違いされるということは、自分が庶民に近づいたということなのだろうが、貴族としての品格がなくなってきた証拠でもある。
「それで俺が冒険者だったとして、何か聞きたいことがあるのか」
「冒険者だからというわけではないんですが、村の外のことに詳しいと思いましで聞きたいことがありまして。
実際フィート君は冒険者になれそうなのかなと」
「冒険者になら誰でもなれるぞ」
「えっと、そうではなくて、活躍できるのかと思いまして」
「活躍か」
実際の腕前を見たわけではないし、予想なんてできなのだが、一つだけ言えることがあるとすれば、
「あいつ1人だけだったら無理だろうな」
「え!? でも、あの子強いですよ」
「それはさっき聞いた。別にあいつが強かろうが弱かろうが関係がない」
「むむ」
女性は納得していない様子。しかし、事実そうなのだから仕方ない。
「冒険者に最も必要なのは仲間だと聞いている」
冒険者の多くはパーティーを組み、常に共同作業が求められる。
いくら個人の力が強くても、仲間が迷惑をかければ死ぬ、そんな職業だ。
だからこそ、強く信頼できる人間とパーティーを組むことが最も重要なのである。
逆に言えば、そんなパーティーが組めたのなら、いくら弱くても活躍できる。何も、モンスターを倒すことだけが冒険者の仕事なわけではないのだから。
「あいつがこの村の人間と同じような人格者と出会えるかどうか。それ次第だろうな」
「やっぱり危険ですよね」
「それは当然だ」
年に数百人の冒険者が命をなくしている。いや全世界で計算すると数千はいくだろうか。
少なくとも、この世で最も危険な職業であることは間違いはないだろう。
親であれば、この平和な村から冒険者になる為に送り出すなんてことはしないはずだ。
それをどう説き伏せるのかが、フィートの最初の難関だろう。
「この村の教育方針は知らないが、心配なら止めることだ。
冒険者で成功する確率など、1%にも満たないらしいからな」
アルベルはそう言って、大根を手に持ったまま足を踏み出そうとする。
「そういえば、アルベルさんはあの子に何を聞くつもりなんですか」
「今日の宿がないから、泊めろというつもりだ」
それはお願いではなく、命令調であった。
このままアルベルが少女と出会っても、きっと再び喧嘩が始まるだろう。
「え、じゃあ」
「ん?」
「私の家に来ますか」
「何故だ」
アルベルは突然の申し出に首をかしげる。
「私はナツ。あの子―――エリーシャの母ですから」
その女性は優しく微笑んでそう言ったのだった。