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穏やかな村である。
アルベルが抱いた印象は、その一言に尽きた。
村人は温和で、余所者である自分であっても受け入れ、にこやかに挨拶をしてくれる。
外から人が来るのは5年に一度くらいであると、赤髪の少女エリーシャに聞いていたが、好奇な目を向けられることはあっても、その瞳に不信感はない。
想定以上に居心地の良い場所であったけれど、物事が上手くいったかといわれると、そうではなかった。
外から人が来るのは5年に一度。そんな村に宿があるかと考えると、あるはずはなかった。
アルベルは村の中にある井戸水を汲み上げ、その水で顔を洗った。タオルで顔を拭き、近くの木陰に移動する。
就寝場所をどうしようか、とは考えていなかった。野宿の選択肢はアルベルの頭にはなかったし、止まる予定の場所も決めていた。
問題は、その相手がどこにいるかである。
小さな村であっても、この村のことなんて何も知らないし、その相手がどこに住んでいるのかもわからない。村人に聞くのが手っ取り早いだろうと人々が集いそうな井戸に来てみたがそんなときに限って姿を見せなくなった。
アルベルは村を見渡すことに疲れ、木の根に腰を下ろし上を見た。木漏れ日が眩しく、穏やかな風が髪を揺らした。何も考えず、ぼんやりと、時間だけが過ぎてゆくのを待った。
平和、であった。旅をする中で、いろんな街や村を訪れたが、この村は一際安穏としていた。
世情に殺伐とした村も多い中、そういったものとは無縁で平和な村もあって、こうした不条理を解消する手はあるのかと考えてみるけれど、結局無意味なことに気づかされる。
今の大きな問題は、魔王である。それがどうにかならない限り、どうしようもないのだ。
とにかく勇者に頑張ってもらうしかない。
元気にしてるだろうか、と顔を思い浮かべようとしたところで、近くに人の立つ気配を感じた。
「なあ、兄ちゃんが噂の旅人?」
いかにも田舎者らしい短髪の少年であった。
歳は14くらいだろうか、垢抜けない素朴で人懐っこい笑顔が印象的だ。
「どんな噂であるかは知らんが、俺は旅人だ。何か用事か、田舎坊主よ」
「田舎坊主…、俺はフィートって名前なんだ。フィートって呼んでよ」
「そうか。フィート、俺はアルベルだ」
「アルベル、よろしく!」
爽やかな笑顔で、アルベルの隣に腰を下ろす。
馴れ馴れしい言動でも、アルベルは特に気にした様子はなく、それを受け入れる。
「それで、俺に何か用事か」
「ああ。この村に旅人なんて滅多に来ないし、外の話を聞きたくてさ」
「外? 村の外のことか」
「まあ、そんな感じ。街のこととか、国のこととか今話題の出来事とか」
こんな田舎の村にいたら、世情のことなど知ることはないだろう。年頃の少年が憧れを持つのは必然とも言えた。
「もうすぐ成人だし、村をでることも視野に入れておこうと思ってるんだ」
真剣な、それでいて焦りを感じさせる表情だった。
「村を出て何をする気なんだ。兵士とか、冒険者とかか?」
「まあ、その冒険者になるつもりではある」
恥ずかしそうに僅かに顔を赤くする。何故恥ずかしいのかはアルベルには分からないが、そうかと納得したように返す。人の将来に口を出すつもりはない。それが盗賊といった、人に迷惑をかける職でなければ、胸をはって頑張れば良いと思う。
冒険者。未知なる世界を渡り歩く者。
一般的には、魔物討伐などが有名だが、その本意は世界の開拓にある。
地図にない、誰も知らない土地で新たな生物や植物を発見することが、彼らの真の目的である。
決して金を払えば何でもする、便利屋ではないのだ。
「さては女か」
「ええっ!」
一層顔を赤くする。図星のようだった。
前に知り合った冒険者の男も、女にモテたいから冒険者になったと言っていた。
まあ、冒険者の小説にはそういった男に女性が惚れ込む内容が数多くあるから、あこがれるのは当然なのかもしれない。
こんな若者が少ない村の少年であるならば特に、心を揺さぶられるのだろう。
「まあ、いいのではないか。動機が不純な気はするが、強い男に女は惹かれるらしいからな。その行いが国の為になるのなら、俺は応援するぞ」
「~~!」
恥ずかしいのだろう、耳まで真っ赤にしてうつむいた少年からは返事はなかった。
レオナルド好みの初心な反応。純粋過ぎて、この村からでて問題はないか心配になる。
「目的は何であれ危険な職業だ。親は理解してくれているのか?」
「いや、まだ相談はしてない。けど、絶対になる。ならなきゃいけないんだ」
その言葉からは強い意志を感じた。
「冒険者は戦闘力が求められる。お前は腕に自信があるのか?」
「ない、わけではないかな。村では2番目に強い自信がある」
頼りになりようで頼りない返事に、アルベルは呆れた表情になる。
ここは堂々と1番強いという返事を期待したのだが。
「まあ、止めはしないが、強くなければすぐに死ぬ職業だ。
先ずは村で1番強くなるまで努力することだな」
アルベルのアドバイスに、フィートはやる気に満ちた表情ではなく、悲しそうに笑うだけだった。
「…うん。それなら問題はないよ。もう少しで1番になると思う」
「そうか」
気になる返答だが、深くは探らないことにした。
アルベルは、わざわざ自分から揉め事に介入するお人よしではない。
知人であるならまだしも、知り合ったばかりの他人の面倒までみてあげられるほど、今の生活には色々な意味で余裕がないのである。
「そういえば、アルベルはどこから来たの?」
「大陸の西にある小さな街トトリアからここまで来た」
途中いろいろと問題はあったが。少年に語るような内容ではない。
「どれくらい旅をしてるの?」
「まだ1月も経っていないな。始めたばかりだ」
「旅って危険なんだよね。今は魔王が復活してるから、魔物の動きが活発だって」
「そうだな。実力がないならおすすめはしないな」
そうでなくても、盗賊もいる。一定の力がなければ、すぐに死ぬだろう。
それから、次々に飛んでくるフィートの質問にアルベルは答えてあげた。
子供は嫌いだが、邪険にするほど自身は子供ではないと思っている。
面倒でも、こうキラキラとした目で見られると、答えざるを得ないというのもある。
「あのさ、アルベルは強い?」
「弱い」
要領を得ない質問に、アルベルは即答で返す。
何をものさしにして、彼が強弱を判断するのかは知らないが、少なくともアルベル自身が強いと言える何かを持ってはいないことはよくわかっていた。
だからこそ彼は自信を持って返事をした。
「そっか。わかったよ」
何かを諦めたような笑み。かつて、世話を焼いた一人の少女を思い出した。
「…」
ああ、くそ。と思った。
これだから田舎者は嫌いなのだ。
こっちの気持ちもお構いなしに、無自覚に心を揺さぶってくるのだから。
「何か悩みがあれば解決してやる」
「――――え?」
「ただし、金貨1枚でだ」
金貨一枚。大人が1年で稼げるか稼げないかの金額である。
当然フィートが払えるはずはない。
しかし、そんなことは世間知らずのアルベルでも知っている。
「そら」
アルベルは銭袋から金貨を二枚取り出し、フィートに投げ渡した。
「え?えっ?」
未だ状況が掴めず困惑するフィートを前に、アルベルは用は済んだと立ち上がる。
子供は好きじゃない。田舎者は特に。こんなことで初対面の少年の面倒を見てしまうほどなのだから。
「願いができたら俺に言え。できる限りで叶えてやろう」
子供の悩みだ。大した事はないだろう。ただ、面倒だというだけで。
明日この村を立つまでに、相談にこなければそれでもいい。気にせず、さっさと旅を再開するだけだ。
それからフィートを置いて、アルベルは歩き始めた。
目的は当然本日の宿探し。生意気な赤毛少女の捜索である。