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辺境の山々に囲まれた小さな村。夕暮れ時のその村に佇む小さな家の中で、1人の青年と、1人の老人が向かい合っていた。
椅子に座した青年は頭を抱えて肩を振るわせ、老人はそんな青年の姿に悲痛な表情を浮かべている。
――――真紅の髪の子が生まれた。
昼時、青年の妻から生まれた子の知らせを聞いた青年は、膝をついて泣き叫んだ。何故こんなことに。何故自分の子が。今朝愛しい妻と交わした、新しい家族を必ず幸せにするという誓いが音を立てて崩れてゆく。青年、トウマは父として子供にしてやりたかったこと、自身が子どもの頃してほしかったことをやってあげるんだと、子供と妻の将来をずっと考え続けていたのに。
幸せどころではない。不幸になることが決定づけられた子が生まれてしまった。
涙を流す青年の肩を優しく叩き、老人は窓の外へ目を向けた。風はない。太陽が山へ沈む、ただ綺麗な夕焼け空が、目の前に広がっていた。
この村ではかつてより伝説があった。100年に一人、真紅の髪の子が生まれてくる。それは竜の花嫁、花婿の証であり、成人を迎えた時、竜が住む山へ捧げなければなければならない。そうしなければ村は、破滅を迎えてしまう。
老人は辛そうに目を閉じ、冷静に語る。
「過去100年。真紅の髪の子なんて生まれてはいないと、我が父から聞いておった。伝説はあくまでも伝説。これからも生まれないでくれと願っていたのだがな…。魔王が復活したとの噂もある。残念じゃが、時代が悪かったのかもしれん」
その無責任な一言に、怒り顔を上げた青年は何か言い返そうとしてすぐに閉口する。
今にも泣きそうなその老人の表情に、必死に自分を慰めようとしてくれている気持ちがわかってしまったからだ。
「わしは、この村の村長として責務は果たさねばならん。お前も、次の村長として、動いてもらわなければならん。
辛いだろうが、わかってくれトウマよ」
村長は強く、より強く、トウマの肩を握った。
「あの子が成人を迎えるまで15年じゃ。あと15年ある。竜の花嫁として立派に育てるのじゃ。
よいか、決してこの村から出してはならん。男と交際させてもならん。純潔のまま竜に捧げねばならんからな」
愛しい子だ。トウマの子であり、村長の孫であり、愛しい娘が初めて生んだ子供である。辛くないはずがないだろう。悲しくないはずもないだろう。こんな馬鹿げた運命を、いったいどうやってあの子に語ればいいのか。
自信が村長などでなければ、村の人間を背負う立場でもなければ、今すぐにあの子を連れ出して暮らすこともできただろうに。
「ナツ…ナツは、このことを知っているのでしょうか」
自らの手で生まれた赤子を抱き、幸せそうに笑っていた妻の姿を思い出す。
涙を浮かべて喜んでいた妻に、一体どうこの話を言ってやればいいのだろうか。
「あの子にはわしが言っておく」
「そんな、僕の家族のことですお義父さんが言わずとも」
「勘違いをするなトウマよ」
言葉は強く、しかし老人は優しく顔を緩める。
「お前も、ナツもわしの大切な家族じゃ。生まれたあの子も、同じじゃ。これくらいわしに任せてくれ。
それに、これはお前たちが背負うものではない。罪でもなければ、罰でもない。
ただの決まりごと。生きていれば、いつかは必ず死ぬような、この世の理と同じことじゃ」
トウマの肩を掴んでいた手を放し、そのまま頭へ手を置いた。
そして、震えた声で呟いた。
「…すまん。すまん、トウマよ」
「いえ。その言葉は、妻と娘に言いましょう。僕と一緒に」
彼らは弱い村人。ドラゴンになんて勝てはしない弱い弱い人々である。
どれだけ悲しんでも、どれだけ怒っても、彼らの願いは届かない。
だからせめて貢物を。
後の100年が穏やかに暮らせますようにと、だた、ドラゴンに花嫁を捧げるのである。
――――――――
アルベルは強い日が差す太陽の下、やや重い足取りで山の中を歩いていた。
土と泥で汚れた荷物と服。昨晩モンスターと戦った影響で頬に擦り傷があり、顔にはわずかに疲労の色が見える。
山には木の実も動物もあり、食料に困ることはないが、4日間程野宿が続いている。最初は抵抗があった野宿も、旅を続けているうちに慣れてはいたが、長年屋敷の柔らかい寝台で寝ていたアルベルである。固い床の上での就寝は、徐々に疲労がたまっていく。
腰に下げた水筒を掴み、水分を補給する。日差しの影響で温い水ではあったが、この味にもすでに慣れた。
アルベルは足を止め、辺りを見渡す。木、木、木、木。この景色を見続けて4日間。正直もう見飽きた光景が、前にも後ろにも広がっている。
真っすぐ歩けばいつかは出口に着くだろうと安直な考えで足を踏み入れたが、どうやら予想以上に森は深く、山は多かったらしい。そのことに気づいたアルベルは、昨日山頂で地上を見渡した時、村らしきところを見つけたので、そこへ向かって歩いていた。
しかし、いくら歩いても目的の村は見つからない。
アルベルは落ち着いた表情で、冷静に口を開いた。
「まさか――――」
迷ったか。
そう悟るには、いろいろと遅い状況であった。
それでも、さてどうしようかと思考するアルベルに焦った様子は微塵もない。遭難になれているわけでも、打開策があるわけでもない。ただ、現在の状況がどれだけ問題なのか理解できていないバカなだけである。
「ふむ」
導き出した結論は、取り敢えず歩くということだった。
兎にも角にも歩けばいつかはどこかにたどり着くだろう。考えたってどうにもならないし、立ち止まっていても、飢え死にするだけなのだから。
長旅で擦れた靴底に、木々の根っこや石の凹凸を感じつつ迷いなく歩き続けた。
それから2時間後のこと。
周りの木々より一層大きな大木の根本に、1人の少女が膝を抱えてうずくまっているのを見つけた。
木漏れ日に照らされたその光景は、神聖な存在にも見えたがアルベルは何も気にした様子もなく、その少女に向かって足を進める。
「おい」
躊躇いなく、無遠慮にかけたその言葉に、少女は初めて顔を上げた。
「…え?」
驚いた表情と、呆けた声を出してアルベルを見た。真っ赤な髪をした少女の頬はわずかに濡れていた。
深紅の髪と瞳の人間は初めて見たが、そんなことより気になることがあったため、今はどうでもいいことと判断する。
「この辺りに人里はあるか」
アルベルは偉そうな態度で少女に尋ねる。
「…」
しかし、少女は固まったまま返事をしない。
アルベルは数秒待って、再び尋ねた。
「この辺りに人里はあるのかと聞いている」
「えっ、あっはい。私の住んでる村なら近くにあるけど」
アルベルの態度にも怒った様子もなく少女は答えた。突然現れたアルベルに対し、不審な目を向けることもなかったが、どこか不安気に瞳が揺れていた。
「どこにある。俺は道がわからん。案内しろ」
「え、どうして?」
「どうしても何も、こんなところで膝を抱えて泣いていたんだ。今暇だろう、お前」
その一言に、少女は明確にイラっとした表情を浮かべる。当然である。失礼かつ、尊大なその言動に怒りを覚えない人間などいないだろう。
「あんたねぇ。いきなり現れて何様のつもりなのよ。それにこんなところに何の用なの」
至極当然なその疑問。しかしアルベルは逆に怒ったように言葉を返す。
「おい、俺に不審者を見るような目を向けるな無礼者」
自分のことを棚に上げた言葉に、少女は怒気を孕んだ口調で言った。
「無礼者はどっちよ」
「お前だ」
「あんたよ!」
「なんだと。何様のつもりだお前は!」
「えぇ…。何なのよこいつは!」
それから暫くの時間、お互いに睨み合い、子供のような罵り合いが森に響き渡った。
アルベルが村にたどり着いたのは、それから1時間後のことであった。