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レオナルドとの話は日常生活で起こった何気ない出来事の話題に終始した。
昨日のご飯が美味しかったとか、可愛いメイドが来たとか、凡そ一般的な庶民の男性がするような、そんな日常会話。国を憂いた真面目な話は、これまで数え切れないほどしてきた仲だ。勇者が旅立つこの日にこそ交わしたい言葉もあったが、それよりもお互いが好みの話題を優先させた。
これが今生別れではないが、それでも長い別れにはなるだろう。お互いがやるべきこと、やり遂げなければならない仕事がある。勇者のように派手な仕事ではないが、国の為に決して手を抜くことはできない大切な仕事が。
本当は勇者なんて役割を誰かに押し付けるべきではないのだが、身分に関係なく、生きている人間にはやるべき使命がある。今回勇者に選ばれた人間が、たまたま田舎生まれの少女だっただけのこと。そして、そんな少女がたまたまアルベルの専属メイドであったというだけのことなのだ。
「昨日勇者様とも話をしたけれど、変わったねぇあの子は」
デザートとして最後に食べていたアイスクリームの匙を止めて、しみじみとそう語るレオナルドの顔は、親が子を見つめるような優しげなものだった。
「小さな頃は人を寄せ付けない、冷たい瞳をしていたのに。今じゃご主人様はあーだこーだ、今から魔王と戦いに行くっていうのに、自分の心配より君のことばかりだったよ。自分より他人の心配をすることがいいことだとは言えないけれど、昔と比べると十分良い変化だと言えるだろうね」
「心配か。まあそうだろうな」
自分の復讐の対象が勝手に死なれてはやり切れないだろう。そんなことになったら、振り上げた拳をどこに下せというのか。
「それに、王子のあいさつも無視してそっぽを向くような無礼な娘だったな」
あの時の彼女の態度にはさすがのアルベルも冷や汗をかいたが、手のかかる妹ができたみたいで嬉しいと、当時のレオナルドは言ってくれた。
王子の妹であるシャーロット様は、幼い頃から聡明でレオナルドよりしっかりとしていたから、兄としての威厳を見せつける相手ができたのが一番の理由だろう。それからもレオナルドはよく彼女のことを気にかけてくれていた。
レオナルドという少年がそんな優しい人間ではなかったら、今頃勇者はこの世界にはいなかっただろう。
「今でも手にかかるのは相変わらずだけどねー。まあ兄としては可愛いものでもあるんだけど」
「お前には大分世話になったな」
「僕が好きで、勝手にやったことだよ。お礼を言われるようなことじゃない。それに、君にはシャーロットの面倒を見てもらっただろ。お互い様だよ」
世話焼きの兄ではあったが、妹は性格が災いして、彼の気遣いには反抗的な態度をとっていた。
その都度シャーロット様を諫めたり、喧嘩をした際の兄妹の仲をとりもったのはいつもアルベルであった。
「僕より君の言葉におとなしく従うようになったのは癪ではあるけど、兄妹共々これからもよろしく頼むよ」
「ああ…。」
アルベルはいつまで生きていられるかはわからない。少なくとも魔王を倒した勇者が、この国へ帰ってくるまでの命だ。その後の世界にこと王子にとっては大変な仕事が待ち受けているというのに、そんな大切な時に傍にいられなくなるとは、皮肉なものだ。
アルベルは僅かに笑みを浮かべて、「できる限りな」と独り言のように誤魔化した。
「おいおい。しっかり頼むよ。君がいなければ家族崩壊まったなしなんだから」
「心配するな。そんなことにはならないだろう」
兄に対して反抗的なシャーロット様ではあるが、それは愛情の裏返しでもある。彼女が家族に対してどれだけの思いを抱いているかを、アルベルは誰よりもよく知っている。
「それより、溶ける前に早くアイスクリームを食べたらどうだ」
「わかってるよ。――――はあ。君がシャーロットと結婚してくれたら、全て解決するんだけどな」
レオナルドはそう言いながら、アイスクリームを銀色の匙で掬う。彼はたびたびそんな言葉を言うけれど、アルベルは馬鹿馬鹿しいと真剣には受け取らない。幼い頃から面倒を見てきた身だ、妹として接することはできても、恋愛対象として見ることはもうできなのかもしれない。それに加え、「あの子が相手じゃなぁ」皮肉な笑みを浮かべて小さな声で呟きながら、悩める王子は僅かに溶けたアイスクリームを口へ運んだ。
「旅先で変な女に引っかからないようにね。君のことだからそっちの方であまり心配はしていないけれど、人生何が起きるかわからないんだから」
「ああ、わかっている。家名を傷つけるような行いはしないさ。旅先で身分を偽れど、俺が貴族であることに変わりはないのだからな」
自信に満ちた笑みでそう語るアルベルに、レオナルドはそれでも不安そうに表情を曇らせる。
「本当に付き人は要らなかった? 世間知らずの君が無事に旅を続けられるとは、正直僕は思っていないんだけど」
「シャーロットにも同じことを言われたが、心配はいらん。俺はこの日の為に、日々庶民の生活を観察し、庶民と語らい、庶民とはなんたるか見聞を広めてきた。
お母さま式庶民テストも満点をとった実力だ。お前にも問題をだしてやろうか?」
ククク、と余裕たっぷりに笑うアルベルであったが、長年彼に付き合ってきたレオナルドにしてみれば不安しか残らない回答であった。
お母さま式庶民生活テストが何かは知らないし、興味もないし、するつもりもない。
彼がそもそも常識からズレた思考、行動を起こす人間であることはレオナルドはよく知っている。それでいてピュア、純粋であるから、心配は一層強まる。
「ご両親が許しているから僕が今更止めはしないけどさ。
無茶だけはしないようにね」
「それは時と場合によるな」
「…無茶が必要なときは、周りに相談するように」
「なるほど。心に留めておこう」
一層不安気な表情になるレオナルドに、アルベルは不満げに答える。
心配いらないと言っているのに。なぜこうも信用がないのか。
母も、父も、王子も、王女も、友人も、使用人も、心配してくれるのは非常にありがたいし、嬉しいことではあるのだが、何度も何度も同じ心配事ことを口にされると、さすがに辟易してしまう。
「ちなみにお金はいくら持ってきたの?」
何事もそうであるのだが、旅に必要なのは結局お金である。
言い方は悪いが、何か問題が起きようとお金があれば解決できる。
長年付き添った使用人もいない、友達もいない旅であるから、アルベルでもせめてお金さえあれば何とかなるだろう。
旅に行き詰まったら、そのお金で帰ってくればいいわけなのだし。
レオナルドはそう考えながらアルベルに質問する。
アルベルはふむ、といくら持ってきていたか想起した後軽い調子で答えた。
「金貨500枚だ」
「君、豪邸でも建てるつもりなの?」
とんでもない金額にレオナルドは頭をかかえ、重い溜息を吐いたのだった。
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別れはいつも通りに、暫く会えなくなることに、一抹の寂しさはあるけれど、悲しむようなことはない。
「じゃあ、またね」
「ああ。息災でな」
ただそれだけ。店を出て、そう言って二人は別れた。お互いを見送ることもなく、別れを惜しむ様子もなく(王子は不安気な表情ではあったが)、手を振った後に別々の道へ足を進めた。
街の広場からは、絶えず賑やかな話し声や笑い声が聞こえてくる。今日一日は夜通し祭りが行われることだろう。
アルベルは人通りの少ない路地裏を歩く。日の光もあたらず、いつもは閑散としたその道も、今日はどこか明るく見えた。
はしゃいだ子供たちがアルベルの横を走り抜けていく。
笑顔で去ってゆくその姿を見送って、軽い足取りで前へ進んだのだった。
ちなみに、金貨400枚程は旅をするには多すぎるとしてレオナルドに没収された。
残る所持金は金貨100枚。
庶民が1年で稼ぐ平均額は金貨1枚。
少々の無駄遣いをしようと、一生遊んで暮らせる金額である。