1-1
主人公は真面目なおバカです
それは当然の報いと言えるだろう。
パーティの喧騒もどこか遠く、雲ひとつない夜空には、爛々と星々が輝いていた。
冬の名残を感じる程度には、夜風は未だ肌寒く、春の訪れは始まったばかりだ。
屋敷の明かりがわずかに届く程度の庭先で、綺麗な衣装に身を包んだ少年少女が向かい合う。
金髪の少女は真剣な眼で少年を見つめ、少年は赤い液体の入ったグラスを持ったまま、穏やかな顔で笑みを浮かべた。
その笑みには、寂しさや諦めにも似た感情が垣間見える。
覚悟ではない。決意だって持っていない。
ただ、こんな日がいつか来ることは、考えずともわかっていただけ。
少女の赤く火照った頬は、お酒に酔ったからではないことは、少年が一番理解している。
これでも、時間だけは長く過ごしてきた仲だ。お互い、考えていることは言葉にせずともよくわかる。だからこそ、少女が言わんとしている言葉だってわかっていた。
少女が宿した、覚悟の瞳。その透き通るような青色を、惨めにも、美しいと思ってしまった。
「あ、あの」
いつもはっきりとした性格や言動が目立つ彼女にしては珍しく、今日は躊躇いがちに声をだす。優しい彼女のことだから、次に話す言葉に躊躇いが生じることはわかっている。だが、きっと彼女は口にするだろう。
強く、逞しく、勇気のある人だから。
「覚悟、しておいてくださいね!」
澄んだ空気に交わるように、決死の言葉が響き渡った。
少女は少年の返事を待たず、その場を駆けて去ってゆく。どれだけ本気で走っても、少女の足に追いつけないことは、他の誰でもない、少年自身が誰よりもわかっているだろう。
その背を見送る少年は一言、「ああ」とだけ呟いて、少女に背を追うように歩き出した。
グラスの中身は既になく、液体の味など感じることもない。
ただ、屋敷の中に入る際に投げ捨てたグラスの割れる音だけが、切なげに耳に残響したのだった。
春。
出会いと、別れの季節。
満天の星空の下、少年ことアルベルは、勇者様に死刑宣告をされたのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
昼のことである。
「爵位持つ貴族含め、王国へ生きるものみな、街道へ集まるべし」――――と王様からのお達しがあったとある日のこと。王城近くの貴族街に佇むひときわ大きな屋敷の中で、旅着を着た少年が忙しなく動きまわっていた。
屋敷の中の住人は少年を除き全てパレードに参加するために引き払っており、いつもは使用人にさせる雑用も自らこなすしかない。自ら一人の手で上着に手を通すのは何年ぶりだったろうと、感慨に耽りながら作業を進めた。
戸に閉め切られた部屋の中に入ると、自ら魔法を使用し白い明かりで部屋を照らす。暗く物静かな部屋ではあったが、戸を突き抜けるように、人々の喧騒が遠くから聞こえる。熱狂的な悲鳴にも聞こえる叫び声だ。
少年はその声が耳に聞こえる度に表情を硬くした。歓声の大きさは、つまり今の不安の大きさを意味している。その事実が、自身の無力さを非難されているようにも聞こえてくるからだ。
今日は、国の希望が魔王討伐の為に世界へ旅立つ日である。魔物に怯える民草の暗い不安が、ようやく希望へと進み始める歴史的な日だ。
きっと優しい勇者様は、笑顔で民に手を振っていることだろう。不安など感じさせない明るい笑顔で。
少年はその姿を想像して、鼻で笑う。
あのみすぼらしかった庶民が、今は国の希望などと、考えただけでも笑えてくる。数年前までは畑仕事で汗を流していただけの村娘だったというのに。なんの因果か、今は国の救世主候補である。
人生なにがあるかわからんもんだ、なんて笑いながら友人は言っていたが少年にとっては笑い事ではない。
物置と化した暗い部屋の中を物色し、少年が持ち出したものは鋭い刃先の折りたたみ式ナイフと、魔法による細工が施されたワインレッドの外套である。
父から誕生日祝いに贈られた銀色の宝剣も持っていこうかと思ったけれど、手に持っただけで結局やめた。その刀身の美しさと鞘の宝飾の芸術性は少年を強く惹きつけたが、今回は長い旅になるだろうと武器は機能性を重視することにした。必要以上に高価なものを身に着けてしまって、貴族と騒がれることも避けたかった。少年は迷った末に御付のメイドから学園の卒業祝いに贈られた軽くて丈夫な剣を選択した。
他には指輪等の魔法の装飾品などを身につける。何が役に立つのかはわからないので、とりあえず見た目が地味でありながら高値で売れることが可能なものを選ぶ。とはいえ、欲しい物は全て買い与えられ、物の相場など知りもしない少年は、買い物は全て付き人に行わせていたので、物の価値などわかるはずはなかった。数分間呻いた後、結局は適当に自分好みのものを手に取った。
手荷物は少ないに越したことはない。大荷物を抱えて遠距離の移動が困難になっては元も子もないし、なにより貴族として無様すぎる。これは家出ではなく、あくまでお忍びの旅なので素性がばれて家の名を貶めるわけにもいかない。ろくでもない物乞いに絡まれても面倒だ。
衣類は最低限に今着ている物だけにして、どうしても必要になれば現地で購入すれば問題ないだろう。少年はそう結論を出し、それ以上の手荷物は持たないことにした。少年は長い時間を使い、倉庫と言う名の宝物箱を物色し、やがて満足したような笑みで扉を閉めた。
人生で得た宝物の数々に囲まれる時というのは、数少ない幸福の時間である。そのひとつひとつに意味が有り、想いがある。思えば、多くの大切なものが増えていたものだ。大切なものは全てこの部屋に納めてきたけれど、いつの間にかあふれるほどに物が増えていたなんて。残りの人生の長さを考えれば、これ以上増えることはないだろうけど、旅から帰ってきたらこの部屋も整理しなければならないだろう。今までは専属のメイドに管理をさせていたのだが、この屋敷からはいなくなってしまったので、自分で整理する他ない。
家を出る前に身だしなみを整える為、自室へ戻ることにする。貴族たるもの常に優雅であり、気品を欠いてはならない。庶民からの憧れの対象となるべく、清潔さを損ねることは許されないのである。
鏡に写る自分を眺める。そこには絶世の美女とも言われたらしい母と、そこそこカッコいい父より引き継がれた若い男の顔があった。別にこれと言って思うことはない。誰に似ようと、美しかろうと、格好がよかろうと、結局人間は中身が肝心であるのだと、親には常日頃から教えられてきた。
自身でもそう思って人生を生きてきたのだが、行動では示せなかったのだろう。結末は勇者様に恨まれて死刑宣告を受ける始末。両親に顔向けなんてできるはずがない。
せめて、親の言いつけ通り、残りの人生は顔ではなく心を磨くことを目標に生きよう。
とはいえ、それは身だしなみを気にしないということではない。先の通り、自身は貴族であり、庶民も模範とならねばならない。つまり、人々の理想として写るような外見を意識しなければならないのである。
眉を整え、輝く黄金の髪をセットし、髭を剃る。人前に出ても恥ずかしくないような姿になったところで、こんなものだろうと満足げに頷く。
自分一人で身だしなみを整えるなんて初めてで、若干戸惑いはしたがなんとかなった。これを毎日やるなんて面倒ではあるが、旅でも怠らないよう気をつけねば。少年はそう気を引き締めつつベルを鳴らした。
「………………………」
当然応える人はいない。先日までは数秒と待たずに現れた専属メイドも、その姿を見せることはなかった。
ただの癖である。鳴らしている途中で気がつき、ため息を吐いてベルを机の上に戻した。
部屋の扉が開いたのはその時である。
キィと扉が鳴り、少年が目を向けると目を大きく開けた三毛猫が姿を現した。二、三歩様子を伺うようにゆっくりと足を動かすと、にゃあと可愛い鳴き声をあげて机の上に飛び乗った。猫に当たったベルが床に落ちて部屋に音色が響くも、気にした様子もなく猫は少年を見つめた。美しい赤色の瞳。宝石みたいで綺麗だと、いつかの日に少女が笑って語ってくれたことを思い出す。
「どうした三毛。ご主人様は今日は家にいないぞ」
そう言って床に落ちたベルを拾いあげる。この猫には見覚えがあった。数年前から屋敷の近くに姿を見せるようになった野良猫だ。少年の専属メイドであった少女が大層可愛がっており、二人で餌を与えたこともある。猫も少年の顔を覚えていたのか、怯えて逃げ出す様子もない。
「こんなところへ姿をみせるとは、さては置いていかれたな三毛よ。残念だが貴様のご主人は先日この屋敷を出ていったぞ」
少年は笑いながら猫の頭を撫でた。猫は逃げようともせず少年の手を受け入れたが、心地悪そうに呻いた。
「長い旅に出てしまった。もうこの屋敷に戻ってくることもないだろう。追いかけるなら今の内だぞ」
少年は爪を研ぎながら猫に話かけ続ける。
「俺も明日から屋敷に姿をみせることはないだろう。面倒は見てやれないが、そうだな。貴様とも長い付き合いだ。屋敷の人間に世話をさせるよう頼んでおこうか」
磨かれた爪はいつもメイドがしてくれるものに比べたら、お粗末なものだった。けれど今の自分にできるのはこれくらいが限界だろう。
「ほれ、首に宝石を着けておいてやる。我が家の家紋が刻まれた首輪だ。俺がいなくてもこの国の人間なら丁重にもてなしてくれるだろう」
先ほど倉庫から持ち出した、赤い宝石のついた金の装飾が施された指輪を、猫の首輪に引っ掛けてやる。首輪は先日まで専属メイドが着用していたものだ。可愛がっていた猫に受け継がれるのなら、あの少女も怒るまい。
「うむ。少し大きいかもしれないが、まあ似合ってはいるぞ。付け心地は悪くともそれくらいは我慢しろ」
猫は不満そうに牙を見せるが、少年は慰めるように軽く猫の頭をたたいた。力加減が慣れていないのか、叩く力が少し強かったかもしれない。猫はそれが気に食わなかったのか、少年の手を払いのけると机から飛び降りて少年に背を向け扉へ向かって歩き出した。
「行くのか三毛よ。ご主人様は今パレードの中心にいるだろう。数時間も立てば城門から街を出る。俺と違い、いつ帰ってくるかも分からん旅だ。挨拶がまだなら会いに行ってやるといい。あいつも喜ぶことだろう」
少年の言葉に一度振り返った猫は、半目でにゃあと呟いて、立ち止まることもなく部屋を後にした。
猫は3年の恩も忘れると聞いたことがある。あいつが国へ帰ってくる頃には猫は顔すら忘れていそうだ。ならば、仲の良い今のまま、別れを済ませるべきであろう。
世界を救う門出の時だ。見送る人が多いにこしたことはない。たとえそれが猫であったとしても。仲違いした自分ではなく、仲の良いままの三毛こそが、その役割にはふさわしいのだから。
少年アルベルは三毛が去り際に再び落としていったベルを拾い上げ、一度鳴らした後に定位置に戻した。
応える声はない。少年は手についた猫の毛を払い、部屋を後にしたのだった。