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視察でも女装 3

次話書き溜めが無いため、暫く時間をいただきます。


「お嬢様!」

 異常事態を察知し、厩舎に集まっていた護衛の兵たちが息を切らせて走る俺とリーアを見付けるとすぐさま駆け寄って来た。

 既に戦えるよう装備を着用しており、二人の兵は騎乗している。

 すぐにでも逃げ出せる体勢を取っている辺り、父親がよく訓練していることが窺えた。

「曲者です。勢力や所属は不明、警備隊も潰滅しつつあり……」

「なんと、そのような集団が入り込んでいたのか!?」

「いえ、相手は一人です。甲冑は北方派遣の警備隊のものと思われますが、とにかく危険ですから早くお嬢様を!」

「あ、や、とにかくお嬢様は此方へ、すぐにアーカス方面へ向かいましょう」

 リーアの口から発せられる報告に、狼狽を隠しきれない年嵩の兵は事態の理解を諦め、目の前の状況に於いて最も重要な事項の解決を優先させた。

 促されるまま俺は騎乗にて待機している兵に近付くと、その兵の助けを借りて馬に跨った。

 馬上と言うのは想像以上に視界が高くなるため、慣れない内はどうしても身が縮こまってしまう。

 斯く言う俺も馬ではなく馬車で移動することが圧倒的に多いため、今も鐙を掴んで身を固定することで必死になっている。

 それでも躊躇いなく馬上に登ったのは、侵入者が間違いなく普通の奴ではないと本能が警鐘を鳴らしているからに他ならない。

 あの水音は、想像もしたくないが人体の体液の飛散する音だろう。

 道具や複数の人力も存在しない状況でそんな音を出す方法など、慮外も良いところだ。

「来るぞ!行け!」

 その声に背筋が跳ね上がった。

 同時に、馬が地を蹴った。

「お嬢様をお守りしろ!」

 ぐんぐんと速度を上げ、警備隊宿舎から離れて行くとその必死な喧噪があっという間に聞こえなくなった。

「リーア、リーアは!?」

 街道を疾駆しているのは自分の乗る馬を含めて三騎。

 残り二馬の上に跨るのは何れも揃いの装備に身を固めた兵士で、あのメイド服の姿が無い。

「お嬢様、今はご自身の身の心配だけをなさって下さい」

 緊急事態下であるが故に発せられたその言葉に、俺は瞬時に頭に血が上るのを感じた。

「馬鹿なことを言うな!リーアが死んだらどう責任取ってくれるんだよ!」

「落ち着いて下さい、彼女も非戦闘員ですからすぐに脱出する筈です」

「だけど……!」

「ともかく!今はどうか自制を」

 そう叫ぶ兵士の顔は緊張で強張り、あまり余裕がないようだった。

 それもそのはずで、普段は屋敷の警護と状況の定まった訓練しか経験のない彼らは兵士である以前に個人としても、このような襲撃に遭ったことがない者が大半だ。

 貴族のお抱え兵士というのは、実際に戦争の前線へ駆り出される可能性が低いことを理由に人気の職業となっている。

 彼らもその例に漏れず、それなりに身体を鍛えられて世間体の良い職として捉えていたのだろう。

 普段は談笑を交わしているところが、全員が押し黙り必死に馬にしがみ付いている有様だった。

 碌な休憩も取らず、只管一本道を逃げ続けてどれほどになるだろうか。

 俺の騎乗する馬が、突然体勢を崩した。




 陽が落ちようとしていた。

 寒々しい風は一層強まり、か細い草木を揺らす。

 山脈の稜線が段々と曖昧になっていくのを、俺は呆けたように眺めていた。

 いや、実際に呆けていた。

 イマイチ覚醒し切らない意識の中で頼りない記憶の糸を手繰り寄せてみるが、結論だけ見ればどうやら俺は置いて行かれたらしい。

 最後に鮮明に覚えているのは、乗っていた馬が足を挫いたのか、力尽きたのか転倒したということ。

 そして、気付けばその馬の下敷きになっていた。

 否、下敷きになりかけていたという方が正しいだろう。

 丁度窪みになっていた箇所に身体が入り込んでおり、馬の重みを受けることは避けられたようだが、その隣には共に騎乗していた兵士が圧死していた。

 彼は運が悪かったらしい。

 口元から紅い液体を垂れ流し、一切瞬きをすることなく硬直している様子を見れば助け起こそうとする気も起きない。

 のそのそと穴から這いずり出て周囲を見渡せば、随行していた二騎の姿が見えなかった。

 それからは道の縁に移動し、段々と強まる痛覚に耐えながら時間が経つのを待っていた。

 随時身体を襲う痛みとは別に、周期的にやってくる頭痛が何より不快で気がおかしくなりそうだった。

 恐らく落馬の際に頭も打ってしまったのだろう。

 出血等外傷がないことは幸いとしても、全身の打撲と骨折していると思われる左足のせいで動き回れない。

 追われている、という状況下において最悪の状態だ。

 結局アイツは何者で、宿舎に残った従者たちは一体どうなったのか。

 それを考える気力も湧かず、間もなく日暮れを迎えることになるのだが、さて俺の死因は何になるのだろうか。

 最も現実的に考えるのなら、落馬に起因する何かしらの後遺症で次に餓死、そして追手により殺害されるの順だろうか。

「どれも……嫌だな」

 ふと声を発すると、乾きによって掠れていた。

 喉の違和感が存在感を大きくする。

 痛み、痒み、不快感の三重苦が堪らなく辛い。

 リーアはどうなったんだろうか。

 無事に生きていたなら、もうとっくに追い掛けて追い着いていることだろう。

 つまり、何か身に異変があったと考えて差し支えはない。

 そう認識すると、酷く心の奥底が虚しくなった。

 主従という言葉だけでは言い表せないほど、俺は彼女に世話になった。

 それは身の回りの雑事だけでなく、精神的な支えという意味でもだ。

 こちらの世界においても親との繋がりが薄く懲り懲りと言った感想を抱いていたが、程良く近しい距離感で世話を焼いてくれる彼女に恥ずかしながら甘えていたのだろう。

 母親のようで、姉のような存在の片鱗を彼女に見ていた。

「うー、懺悔懺悔っと」

 彼女との生活を思い起こせば、少なからず倫理的に逸脱した行為にも目を瞑ってくれていたことを思い出す。

 覗きや偶然を装った肉体的接触、そして……。

「…………そういや、一回メイド服着たらマジ切れされたな」

 生涯で唯一自らの意思で行った女装があった。

 メイド服そのものにはこちらの世界に来る前から興味はあった。

 誤解の無いよう釈明しておくと、メイド服を着ることではなくメイド服を着た可愛い女の子に興味があったのだが、自分がその見た目だけ美少女だからこそちょっとした好奇心でそうしたのだ。

 挙句に怒られた理由が、もっと気合を入れてメイクをしてサイズも合わせろ、というとんでもな理由だったのだから分からない。

 彼女は実のところ俺のことをどう思って接していたのだろうか。

 不出来な弟、というのが落しどころだろうか。

 このままではそれを確かめる機会も無く、二度目の生涯を閉じることになる。

 それなりにのんびりとした生活だった、と言って間違いはないだろう。

 遠い空が徐々に茜色から群青色へと塗り変わっていく。

 眠気らしい重苦しさが痛みに取って代わり、意識が白み始めた。

 このまま瞼を閉じてしまえば、もう二度と開くことはない。

 そんな予感が、何の根拠も無いのにやけに鮮明に俺の中で意識付いていた。

「もう、一度……だけ…………リー……ア……」

「はい、何ですか?」

 耳元で彼女の声が響いた気がした。

「ごめ……ん、俺…………あま、え……………て……」

「よしよし、それも務めに必要なのでしたら気になさらないで下さい」

「…………」

 夢にしては明確な受け答えにハッと目線を上げると、見慣れた彼女の顔がそこには在った。

「リ、リーア……?」

「はい、ご主人様のメイド、リーアです。あまり喋らないで下さい、診察をしていますので……」

 服を弄り、ひんやりとした彼女の素手が身体に触れる。

 反射的に身体を捩ろうとするが、まるで石になったかのように動かなかった。

「……急がないと」

 真剣な顔付きになったリーアは俺を横に寝かせると、背負っていた鞄から幾つか液体の入った小瓶を取り出し手早くそれらを空の小瓶に適量ずつ移し替えて行く。

 ふと、その時違和感を覚えた。

 その作業効率と言うのか、仕草があまりに不自然だった。

「リーア……」

「喋ってはいけませんってば」

「いや、だって……その手……」

 防寒の為、彼女もコートを羽織っている。

 しかしその袖の左腕の肘部分から下がだらりと垂れ下がっていた。

「……私は大丈夫です。それより、こちらを飲んで下さい。鎮痛薬です」

 受け取った小瓶の中身を喫しつつ、彼女の左腕に視線を遣って観察をしていると全く出血したような形跡がないことに気付いた。

「うえ、苦…………」

「良薬口に苦し、良い言葉ですね?」

「じゃなくて、何でそんなに平然としていられるんだよ。腕無くなってるじゃないか……」

「……詳しくは後でお話します。それより、今は一刻も早く設備の整った施設に行かないと」

 この近隣で医療設備の整った施設と言えば、何よりも先にアーカスが思い当たるが、ここからでは急いでも丸一日はかかる。

 俺に掛かる負担を案じてか、次善の策を考え始めたリーアは意を決したように一度上げかけた腰を下ろした。

「どうした……?」

「やはり、ここで治療をしましょう」

「何、この何もない原野でか?」

 当然の疑問をぶつけると、リーアは迷いなく頷き、自らの胸元に俺の顔を引き寄せた。

 コート越しに柔らかな感触が感じられた。

「ご主人様。……私のこと、怖がらないって約束、してくれませんか?」

 僅かながら高鳴る鼓動は、一体どちらのものなのか。

 俺は彼女の問い掛けの意味を推し量り切ることが出来ず、一先ず頷いてみせた。

 きっと、彼女もそれを見越しているのだろう。

 一度強く抱きしめると、俺を解放した。

「今の薬には麻酔も混ぜたので、もうすぐ意識が飛ぶと思います。数時間後にまた会いましょう、ご主人様」

 ああ、と返事をしたつもりだったが、声が出なかった。

 前触れもなく、崖に向かって背中から突き落とされたかのように意識が遠退いたせいだった。




 俺は始めからアーカスの屋敷で暮らしていた訳ではない。

 帝國の首都、その中枢に近い区画には主要貴族や資産家たちの住まう屋敷が建ち並んでいる。

 俺がこの世界に生まれ、初めて暮らしたのはその屋敷の内の一つで、不自由なく日々を過ごしていた。

 特に目的があるわけでもなく、課せられた習い事や勉学さえ熟していれば怒られることも、不当な扱いを受けることもない生活。

 それに不満は無かったのだが、聊か退屈であったことは否定出来ない。

 心躍るような活躍、活動に飢えていたからだ。

 この世界には魔物という野生動物のような存在が居て、それらを束ねる魔王が居て……。

 そんな希望というか要望を抱いていたものの、幼少期の時点で魔物は存在するがそれらは国の組織である軍が適度に駆除しており、魔王のような存在は無いことを知った。

 屈強な男は挙って軍に入り、人間同士の戦いに備えて日々鍛錬を積むことが美徳とされ、魔物退治は地方の出世とは縁遠い者たちの仕事と言うのが万国の共通認識だ。

 蔓延る魔物の脅威に怯えて暮らす人々を救い、強大な敵を打ち破り英雄となる。

 そう言った類の話は、此方でも御伽噺でしかない。

 現実の英雄は以前の世界とあまり変わらない、軍の有力者となって敵国を攻略する人間を指す。

 そういうことなら、俺は英雄になろうとは思えなかった。

 幸いにしてと言うべきか、俺の生まれた家は軍人の家系ではない。

 のんびり暮らしていこうと、そう考えた矢先、父親と軍人らしい客人が密談をする現場を目撃したことがある。

 何を話していたのか、全く覚えてはいないが、何か重要なことを話し合っていたであろうことは予想に易い。

 それから、父親がアーカスに頻繁に足を運ぶようになり、俺も生活の拠点を移され今の屋敷で暮らしていることになる。

 あれ以来、父親が軍人と話をする場面を見たことがない。

 それなのにずっと心の底にこびり付いていて、時々思い出すのはきっと重大な意味がある筈だ。

「ご主人様?」

 その声に、殆ど無意識に瞼を開けると、リーアが俺を見下ろしていた。

 それほど遠くない距離にその端正な顔があることから、どうやら膝枕をされているらしい。

「……おはよう」

「まだ、お身体が痛みますか?」

「どうだろう、まだハッキリ感覚が分からないな……。それより、もう危険は無いのか」

 顔に掛かる熱気と、視線の先に映る闇夜。

 そのまま少し視線を横に移せば、焚火の明度が眩しい。

 結局、あのまま移動せず治療を行ったのだろう。

「……今のところは。本当は焚火すら危ういとは思ったのですが……この辺りで一夜を過ごすのに火は欠かせませんから」

「釈明の必要はないさ。リーアの判断を疑ったことは、多分ない」

「ありがとうございます。えーと、食事は……」

「乾き物、パンか肉か、豆でも良いぞ」

「ご主人様はどうも舌が庶民味過ぎます。何故私が毎日精魂込めて彩りを気遣ったサラダより楽しみそうなんでしょうか」

 頬を膨らませながら木筒から取り出したのは、掌から零れそうな量の煎り豆だった。

 貴族の食事は基本的に鮮度と彩りを重視したものが多いため、こう言った安価で保存の効く食事は敬遠されている。

「そうそう、このスモーキーな感じと仄かな塩味。無性に落ち着くなあ」

「……当主様には内緒にしておきますが、必ず味覚を矯正しましょうね」

「酸いも甘いも噛分けて、清濁併せ呑むのが当主の器じゃないか?」

「ああ言えばこう言う……その場に合わせて方便だけ嘯いておけば良いと思わないで下さい。はい、薄味ですが茶を用意しました」

 木椀に淹れられた液体を啜る。

 僅かな渋みと苦味が爽やかな、いつも屋敷で飲む味だ。

「はあ、温まる」

「……聞かないんですか?」

「ああ、腕のこと」

 少しだけ、思考の回転数を上げる。

 彼女には何らかの秘密がある。

 それを聞いてしまって良いのだろうか。

「何も悩むことは無いと思いますよ。何れにせよ、お話するつもりでしたので」

「なら、聞こう」

 膝枕から身を起こし、豆を齧りながら彼女が紡ぐ言葉に耳を傾けることにした。

「ご主人様は、魔法を信じますか?」

「……うん、まあ、言われれば分かると言うか、納得いくと言うか」

「私たちを襲ったアレも、何らかの魔法による使役を受けた存在……それで理解できますか?」

「そう、だね。割とすんなり」

 魔法に操られた鎧。

 以前の世界のことを思えば、どうと言うことはないそれ程突飛ではない存在のように思えた。

「魔法に興味があることは分かりましたが、それほどまでに受容も早いとは……」

「あんまり普通じゃない?」

「大体の方は、魔法と聞くだけで耳を塞いで逃げますから。一部の好事家たちでも自分の知識外のこととなれば、そうそう理解しようとはしないでしょう」

「なるほど……。先に話だけ聞いて居れば分からないが、実際に目にした上でだから疑う余地もないかな」

「ありがとうございます。それで、私自身も魔法に造詣がありまして……」

 と、言いながら左腕の衣服を捲り上げると、徐に右手で左手首を鋭く一回転捻って見せた。

 人間で通常の可動域を越え、激しい痛みを伴う無理な動きの筈なのに、リーアは顔色一つ変えずそのままもう二回転させた。

「……うえ」

「皮膚が癒着し始めたので、中身をお見せ出来ませんが……ご覧の通り普通の肉体とは異なります。所謂、義手のようなものですね」

「その腕は、さっきの奴にやられたのか……?」

「……はい、ご主人様が逃れられた後、交戦しまして。どうにかこちらも逃げられる算段が立つまで足止めをと思いましたが……」

「他の皆は?」

「警備隊員は全滅。衛兵も、私より先に脱した者は分かりませんが、私より後に逃げられた者は居ないでしょう」

「そうか……」

 再び脳裏に過ったあの水音に、背中が冷たくなる。

「あの鎧が使う魔法は単純ですが強力です。対象に強い力を加え、潰す。勿論人間の首や頭にそれを行えば内容物が飛び散り、絶命します」

「うげぇ……」

 音だけでなく映像までもが思い起こされそうになるのを必死に回避しつつ、茶を喫する。

 あの宿舎には、至る所が潰れた死体が大量に転がっている。

 そして、その悪夢のような光景を作り出した張本人が今も何処かをうろついて居る。

 それを認識してしまうと、程良くぼやけていた意識が不安に染まった。

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