視察でも女装 2
仕事の都合上、書き溜めが難しくなりつつあるのでペースが落ちる見込みです。
「……冷えて来たな」
「毛布をどうぞ」
リーアから毛布を受け取り、膝に乗せる。
馬車の小窓から外の景色を窺うと、緑の色合いが少なくなり、灰色や白色が混じり始めた。
アーカスを発して早二日、関所の官舎にて宿泊を挟みながらテトラス家名代によるノーシア山脈山麓部視察団は予定通りの行程で北上を続けていた。
いよいよ標高も上がり、気温が下がり始めており馬車の中であっても既に吐息が白い。
屋敷では日によっては肩出しのデザインの服装でも問題ない気候だと言うのに、今は三枚の重ね着に薄手だが毛皮のコートを羽織っている。
足元の冷えは厄介なもので、マットを敷いていても容赦なく冷気が立ち上ってくるので履物もヒールなどのデザイン重視のものではなく、保温性に優れたスリッパを履いているぐらいだ。
「なあリーア、今でこの分だと現地はどれだけ冷えてるんだろう」
「そうですね……今日は天候も優れていないですし、特に冷えているみたいです。現地とは、そう変わらないと思われます」
「そうか。まあ暑いよかマシだな」
「暑いの苦手ですものね」
「身体のこともそうだし、このチョーカーも服装として合わせ辛いし、良いこと何もないぜ」
「でも、よく冷えたピルスナーを呷ると最高ですよ?喉がこう、砕け散ってしまいそうな感覚が堪りません」
ジョッキを持つ仕草のリーアは打って変わって驚くほど声色が明るい。
と、言うより酒の話題に関しては常に明るいので、今の空模様のようなどんよりとした空気の時にはちょっとした清涼剤として話を振ってみると効果覿面である。
ただし、二人きりの時だけ、という条件付きではあるが。
「あのなぁ……。ま、いいけどさ、どうせ向こうで行きたい店も既に抑えてあるんだろ?」
「そ、それはご主人様をご案内するのに手抜かりがあってはならないと……」
「何で俺が同伴する前提で話が進んでるんですかね……」
「えー、だってだって」
子供じみた抵抗を見せるリーアをからかっていると、馬車が動きを停めた。
「……まだ休憩所でも無い筈ですが……少し見てきます」
「分かった」
俺も窓から様子を窺おうとするが、後衛に入っていた騎兵が前進していくのが見えたのみで全く何が起きているのか分からない。
逸る気持ちを抑え続報を待つ。
どれだけ時間が経ったのか、もしかすると時間は全く経ってないのかもしれないが、結論だけ言ってしまえば俺は馬車を飛び出してしまった。
思えば、声に困らなくなってから行動の基準と言うか腰の重さが極端に変わったように思う。
座席下に仕舞っていたブーツに履き替える程度の冷静さは残っていたが、膝元の毛布を蹴飛ばす形になったのはご愛嬌。
「何事!?」
前方で何やら話し合いが持たれているようで、割って入ろうとするとすぐに気付いたリーアが俺を押し留める。
「お、お嬢様!」
「何よ何よ」
「ぶふっ……ふざけてる場合ではありませんから」
態とらしい女口調がどうにもリーアのツボらしい。
促されるまま馬車までトンボ返りすると、戸を閉めて何があったのか事情を話始めた。
「実は、今この車列を止めているのは警備隊でして……どうも釈然としない事態を確認しました」
「釈然としない?」
「はい。今日この地点を通過する車列は私たちだけの予定の筈なんですけど……先に通過して行った車列が居たそうなんです」
「……つまり、許可証を持たない無届の車列が?」
「いえ、そこが釈然としないと言いますか、奇妙なんです」
「奇妙……」
「私たちが携行している許可証と、同じものをその車列も示したそうなんです。事前に提出した行程よりも随分時間が早かったので、停車させた警備隊員がそれを確認したと」
「一緒って……通行する車列の内容とか人員とか、代表者だって俺の名前の筈だし……」
「仰りたいことは分かります。例えば、何かの間違いで実は総督府の手違いで届くべき情報が届いていない可能性もあります。それを今、確認して貰っているところでして」
「確認って、総督府に直接聞くとなれば早馬を出しても往復で二日かかるじゃないか」
「……今朝の宿舎まで戻って、待機という形になりそうです。こればかりは、お嬢様でも動かすことの出来ない譲歩でもあるんです」
どうやら、最初はアーカスまで追い返されそうになったとのことだが、リーアと車列警護の責任者を務める執事長の説得によって何とか踏み止まることで話を纏めたらしい。
さらに先ほどの場面は既に話が終わりかけていたので、そこで俺が乱入すると余計な混乱を招く恐れがあったため、慌ててリーアが俺を止めたという顛末。
「しかし、もし申請のない車列が通過したとしたら一体誰が、何の為に……」
「視察先のノーシア山脈の開発は、帝國の推し進める一大事業ですので敵対勢力の偵察かもしれません」
「………………それって、不味くね?不正な方法で立ち入り禁止区域に侵入って、外交問題だろ」
「間違いありません。その可能性を考慮して、既に開発地点にも早馬を走らせているところだとか。私たちが先に進めないのも、そう言った危険な一団との接触の可能性を考えての措置でして」
ここで、馬車の戸がノックされた。
リーアが誰何しながら俺を庇う体勢で戸を開けると、そこには浅黒い肌の厳つい顔付きをした男が背筋を伸ばして立っていた。
執事長のその出で立ちは漆黒の外套に身を包んでいるが、足元には騎乗用のブーツを履いており脛の辺りにはプレートが貼り付けられている。
「執事長……」
「お嬢様、既に御存知と思いますが当車列は間もなく今朝の出発地点まで引き返します。つきましては、この検問所の隊員も護衛として帯同することをお許し願いたいのですが」
「構いません。それより、その通過して行った車列とは一体……?」
「申し訳ございませんが、現時点では分かりかねます。ただ、実際に検問を実施した隊員の話によりますと、二台の馬車と十数名の騎兵が通過したことに間違いはなく申請書も確認をしたとのことです。ただ、代表者であるお嬢様のお顔を拝見しようとしたところ、急いでいるからと断られた、と申しております」
三人の間に不穏な空気が漂った。
俺を騙るその一団の正体が見えず、不気味な後味を残したまま引き返すことになった。
動きがあったのは、それから二日後だった。
いや、正確には事態に動きがあったことを知ったのが二日後だったと言うべきか。
「……つまり結果的には、ノーシア山脈周辺で現地警備隊との間で小規模な小競り合いが発生し、これを鎮圧したと」
「はい。素性を調査中ですが、帝國本国からやって来た闇商の手の者らしです」
闇商とは、公には看板を掲げない商人のことで多くの場合に於いて、商品輸入や取扱商品が違法性を持つ可能性が高い者たちを指す。
世間のイメージで言えば危険な薬物や武器、人身売買に関わる想像が強いが中には正規品を協定価格以下で仕入れたり、様々な理由から規制されている物品の販売をしている商会も存在している。
「悪い商会ばかりでもないけど、こんな方法を取ると言うことはあまり褒められた経営はしていない連中だな。……でも、少しおかしくないか?」
「やはり、そう思われますか」
許可証を偽造し車列を組む計画性があると言うのに、あまりにも軽はずみで場当たり的な結末過ぎる。
「そもそも、商会の手の者では無いのかもしれない。……自分で言っておいて難だが、すげえ不穏だな」
「……実は執事長が単騎で北上しておりまして、内情を探っているところですので詳細はもう少ししたら判明するかと」
「え?ちょ、ちょっと俺初耳だし、そもそも動いて良いのか?」
形の良いリーアの眉尻が下がり、申し訳なさそうに頭を下げた。
「事後報告となってしまって申し訳ございません。これはお嬢様の身の安全を確保する上で必要な処置であると、執事長が判断を下しました。また、警備隊にもその旨で通行の許可を頂きました」
「そうか……無事だと良いんだが」
一先ずの宿泊先として身を寄せる警備隊宿舎の一室は随分と冷えが強い。
リーアの用意した茶のカップの温もりで暖を取りつつ、窓の外へ顔を向けると白いものがちらつき始めていた。
二階建ての宿舎は隊員たちの憩いの場所の暖炉のある広間を除けば、その他は基本的に個室となっており、簡易的な寝床が設置されているだけの建物そのものがシンプルな構造、内装となっている。
貴人の宿泊を前提としていないものの、非常駐の士官居室が一応の宿泊先となり、今俺たちが居るのがそこに当たる。
飾り気のない白色の壁は共通であるが、赤いカーペットが敷かれベッドは市販の寝台が置かれている。
尤も、俺はリーアの提案で自前の寝具を持ってきているので問題はない。
「お茶、お代わり作ってきますね」
「ああ」
それにしてもよく冷える。
単騎で動いている執事長は、寒くはないのだろうか。
窓から下を見下ろすと、宿舎前の大通りにも薄っすらと雪が積もり始めていた。
検問に立つ警備隊員の制帽や外套の肩も同様で、時折それを叩き落とすような仕草が見て取れる。
この足止めも一体いつまで続くのか。
元々急ぐ理由も、大きな目的があるわけではないものの前途が開けていないからか、一団には強い閉塞感が漂っている。
特に、護衛の騎兵隊は身辺警護の為、今もこの居室前で交代制で門番をしている。
「ん……?」
ふと、検問所に視線を戻すと、様子がどこか騒がしいことに気付いた。
二人の警備隊員が、一人の騎兵と何やら揉めているようだった。
その騎兵が一瞬執事長なのかとも思ったが、それなら揉めるような理由も無いことはすぐに分かる。
成り行きを見守っていると、警備隊員の一人が騎兵に掴み掛ろうと詰め寄った。
これに対し、騎兵は避けるでもなく軽く警備隊員に向かって手を翳すと、その警備隊員の動きが止まった。
ただジェスチャーで動きを制したと言うには、余りに不自然な挙動で警備隊員は静止し、もう一人はそれを見て腰を抜かしたようで尻もちを着いて動かなくなった。
それを確認した騎兵はゆっくりと宿舎の方へ馬を進め出す。
乗っているその兵士は見覚えのある帝國騎兵の正式兵装であることが、却って不気味さを増していた。
今、この光景に気付いている者が他に居るだろうか。
「……!」
他の者に伝えるべきか、迷っていると騎兵と目が遭った――ような気がした。
鉄兜を目深に被っているため、どんな人相なのかは全く分からなかった。
それより、何より一瞬で反射的にしゃがみ込むことに必死だった。
もう一度、覗き込もうとすると、烈しい音と共に扉が乱暴に開かれた。
「お嬢様!ご無事ですか!」
「リーア、奴は……!」
「説明は後です、すぐにこちらに!」
俺はそれ以上の問答を喉元に飲み込み、リーアの指示に従い着の身着のまま部屋を出た。
切迫した彼女の声には身勝手な怒りや苛立ちは全くなく、焦りと不安が見て取れたからだ。
二階の最奥の部屋からリーアに手を引かれ、廊下を走り出すと、既に下へ降りる階段を警備隊員が駆け下りていくのが見えた。
彼らも異変を察知し、居室で待機していた体勢から素早く移行したらしい。
その後ろに続く形で俺たちも階段を駆け下りようとするが、優雅な寛ぎ服ではその速度が上がらずもたついた足取りで一階へ到達する。
「くっ……」
先導するリーアから苦々しい吐息が漏れた。
既に馬から降りた体勢ではあるが、戦闘態勢を取る警備隊員十名程と対峙する甲冑の人物が中央広間まで侵入していた。
この建物の出入り口は通りへ出る表玄関か、訓練場へ続く裏口の二つでそのどちらもがその中央広間に存在する。
つまり、そのどちらもが塞がれた形となり、進退が窮まってしまい足が止まった。
「何者だ!名乗れ!」
警備隊員の隊長格と思われる口髭を蓄えた中年の隊員が一歩距離を詰め、甲冑の人物に向かって腰に挿した剣を抜き、その切先を向けた。
甲冑の人物に全く動ずることなく、右手を警備隊の一団に向けた。
「貴様ァ!」
その動作を挑発と捉えたのか、隊長格の男が吼え、一気に切り伏せようと踏み込む。
両手持ちの体勢から切り下そうとする、その剣先が甲冑の人物に到達しようとする。
「がっ……!」
その声は、剣を振った――筈の隊長格の男から発せられた。
剣はその手から力なく滑り落ち、身体はピタリと動きを止めた。
甲冑の人物はと言えば、上げたままの右腕の指を握り込むような形に変えているのみで大きな動きは無い。
やがて悶えるような呻き声が隊長格の男から発せられ、全身が痙攣を始めた。
何やら異常な事態が目の前で発生していることが飲み込め始めた一団は、次々と剣を抜いて甲冑の人物に襲い掛かる。
「り、リーア……」
「っ、こっちです!」
一斉攻撃で決着が着くと思われたが、その一団も皆同じように動きを封じられたように止まった。
その内の一人の横顔を俺とリーアは見た。
酸素を求めて舌が口外に飛び出ており、その顔色は紫色が浮き出ていることから、明らかに呼吸困難を引き起こしている。
そして、喉元には夥しい数の血管が浮き出ていると言うのに、甲冑の人物は一切警備隊員に触れていない。
明らかに不自然な状況に俺は困惑すると共に、限られた選択肢から決断したリーアに再び手を引かれて走り出した。
「ま、窓から出るつもりか」
「はい、そのまま脱出します」
「他の皆は……」
「……今は、お嬢様の身の安全だけを優先致します」
廊下を来た方向とは反転して駆けだした俺たちは、手近な窓から裏口側に飛び出す構えをリーアが見せたのでそれに倣う。
ここでも服装が動きの邪魔をする。
窓枠にロングスカートの布が引っ掛かり姿勢を崩しそうになる。
同じような服装をしていると言うのに、リーアの軽やかな身の熟しとは雲泥の差だった。
「お嬢様ッ」
俺が思わず頭から落ちそうになるのを察知したリーアに助けられ、何とか地面に着地すると同時に身の毛がよだつ様な破砕音と水音が耳朶を打った。