アーカス港防衛戦の後始末 1
アーカス市街地は至る所で戦禍に見舞われた傷跡が散見された。
被害人数は民間人十六名死亡、総督府所属軍及び貴族私兵八百三十一名死亡、負傷者多数。
その他港湾施設を中心に物的被害も多く復興の目処は未だ見えず。
数時間程度の拠点攻撃でこれだけの被害を被ったのは異常であり、魔法の存在を秘匿しての報告を不可能と判断した総督府は貴族私兵連合軍現場指揮官キーエンと、総大将である俺の聞き取りを元に報告書を作成し本国へと送付することとなる。
今、俺はその聞き取りを終えて邸宅へと戻る馬車の中で寛いでいた。
四人乗りの車内は対面式となっており、車内には二人しか居ない。
少し行儀悪だが向かい側の座席に脚を乗せてのんびりと姿勢を崩していても小言は飛んで来ない。
何を隠そう今日の供はルミアなのだ。
彼女は従者としての意識の低さは良い意味で作用しており、彼女と二人きりの時は比較的リラックスした状態で居られるのが魅力だ。
馬車に乗って早速履物を脱いでだらけると、
「お嬢様、少し姿勢を直した方が良いんじゃないですか?」
と注意こそするが、
「戻ったらすぐに政務が待ってるんだ。少しぐらい休憩をしてメリハリをつけることが大事なんだぞ」
「なるほど、流石お嬢様ですね。私もあやかります」
等と尤もらしいことを言って一緒にだらける始末だ。
しかし何気無く車窓の外へ視線を向ければ見慣れた街中の景色の中でも一部、攻撃によって家屋が破損している景色が混じりその部分に釘付けとなり、過ぎ去った後も瞼の裏に焼き付かんばかりである。
少しばかりセンチメンタルな気持ちに浸りつつ、先の戦いの終息に関わる事項の詳細を思い返した。
まず、俺が彼女たちに提案した方法は海中からの奇襲による船舶への攻撃だった。
私兵たちの目に触れぬよう水中での自由な動きが可能かどうかが懸念事項であったが、それは杞憂に過ぎなかった。
予てからの予定通り船底付近からの同時攻撃により船舶を破壊、乗組員たちを海中に追い落とすところまでは進んだがここで問題が発生した。
攻撃を担当する魔術師たちの自爆だ。
機転を利かせた私兵たちが船を用いた捕虜収容が開始され、何人かが縋るように船に乗り込もうとした時、突如自身の身体を発火させ周囲を巻き込んで爆発を起こした。
リーアとルミアは爆発前に急激に増大する魔力を感知し難を逃れたが、私兵や他の乗組員たちは巻き込まれ肉体を四散させたり瞬時に炭化、爆風と波に飲まれてまともな死体は一つも残らなかった。
当初は私兵たちへの記憶改竄などもプランの一つにしていたものの、海中から帰還した二人にその余力は無く、船舶の破壊については誤爆として報告書に記載させることで合意。
この部分については特にリーアからも他の魔法攻撃による介入の余地を残してはならないと念押しされたので、念入りに説明を行った。
同席したキーエンはと言えば、俺たちの論には異論を挟まず繰り返し捕虜収容の際の被害を不慮の攻撃と主張する他はむっつりと押し黙ったままだった。
総督府を出る際にも会釈一つせず去ってしまい、少なくとも好かれていないことだけは分かった。
「それにしても、長官も言ってたが不気味な敵だったな」
「何がです?」
「捕虜にならないようにって訓練とかされてるんだろうけど、余りに徹底されててさ。帝國の兵も練度や忠誠は高いと思うけどあそこまで完璧に任務に殉じることが出来るのかなって」
あー、と間の抜けた声を出したルミアは深く考えたようなフリをして、
「魔術師の訓練って特殊ですし、兵士とは根っこが全く違うかもです」
「どういう事だ?」
「兵士は技術を身体に覚え込ませることで一人前になると言うなら、魔術師は頭と身体の両方に染み込ませるって感じです。覚えてることは必要な時に思い出せば良いですけど、染み込ませるということは人格とかにも影響する……ってリーアさんが言ってました」
受け売りかよ、と言うツッコミを飲み込み彼女の言葉を咀嚼する。
人格にまで影響を及ぼすということは、見方によっては洗脳のようにも取れる。
リーアがあまり魔法の話をしたがらないのも、そう言った要因があってのことなのかもしれない。
そして、攻撃を仕掛けて来た彼らが漏れなく自爆を敢行したのは自分の意思であると同時に、訓練を授けた者の意思の発露と考えることも出来る。
「それとですね、魔術師の身体そのものが実は貴重な研究資料なんですよ。ですから、過去の魔術師の中には瀕死になると自らの肉体が溶けて無くなるような魔法をかけていた人もいるらしいです」
「なるほどな。という事は政治的理由で自爆したと考えるのは難しそうだな」
一つ俺が考えている点として、彼らが公国船籍の船に乗っていたと言う物的証拠が完全に消滅していることがある。
例えば航海中だった船団を無国籍のテロ集団が乗っ取っていたとしたら、という仮定をリーアに話したが一蹴された。
公国はどちらかと言えば魔法に対して寛容な面があり、人知れず魔術師の命脈を今日まで保っていたとしても不思議は無いという理由からだ。
「何でも、たった一つ教わった魔法を持った人間の死体から、その教えた魔術師の現在地を割り出したなんて話もあるらしいですよ。これもリーアさんが言ってました」
「それってとんでもなく高度な魔法じゃないのか?」
「滅茶苦茶ですよ。鼻と口を塞いで紅茶の銘柄を当てるぐらいには」
率直に無理だろと言う感想を抱きつつ、実はリーアなら出来るんじゃないだろうかと言う根拠のない期待をしてしまう。
しかし、それもすぐに分かるだろう。
邸宅に続く丘を登る坂に差し掛かり、忙しくなる予感に脱力を強めた。
アーカス内のテトラス家敷地内には幾つかの建物が有り、特に整備された道路から見えるのは本館と別館と呼ばれる二棟が主に使用されている。
そして少し奥まった木立の中にひっそりと佇むように建っている木造二階建ての邸宅が俺の住まいだ。
本館からは少し距離があるため余程の馬鹿騒ぎでもしない限り、様子を見に来られたりすることはない。
また、生活の世話は専属の従者であるリーアが受け持っており人が入れ替わることもないので、かなり自由な暮らしを満喫している。
の、だが、今その我が家には重大な秘密が持ち込まれていた。
蔵代わりに使用している地下室は普段、リーア以外の人間が立ち入るどころか近付きすらしない。
ところが今はその階段下には門番のようにサミアが立哨していた。
「お疲れ様。まだお昼食べてないなら休憩して来なよ」
「ありがとうございます。お気遣いいただき大変嬉しいのですが、此方で食べられるよう朝の内にサンドイッチを作ってありますので。よろしければお一つ如何ですか?」
差し出されたサンドイッチはふんわりと柔らかな真白なパンに数種類の野菜とハムが挟まれた、非常にシンプルなものだったが昼をまだ食べていなかったので有難くいただくことにした。
小気味の良い野菜の食感とハムの旨味とパンそのものの甘味を楽しむ。
「うん、偶にはこういう昼飯も良いな。気取ってないし」
「またリーアさんに怒られちゃいますよ」
「もうそういう病気だとでも思っといて。リーアは中に居る?」
瞬間、少し室内を気にするような素振りを見せたがサミアは肯定した。
「実は少し前まで防音魔法を通しても漏れ出すぐらいの悲鳴が上がっていまして……」
状態は分からないが、あまり中に入ることはお勧めしたくないらしい。
やんわりとした警告も何のその、総督府で行われた口頭聴取の結果をなるべく早く共有したい一心で扉に手を掛けた。
引き戸を開けると、中から何かが灼けたような嫌な臭いが鼻腔を衝く。
本能がそれをこれ以上嗅がない方が良いと警鐘を鳴らしているが、薄暗い室内でリーアの姿を探す。
何度か蔵に足を踏み入れたことがあり、凡その広さは理解しているつもりだ。
向かって正面と左右両面の壁際には棚が据え付けられ、不要な物品や季節性の備品などが仕舞われていて幾ら整理をしても足の踏み場も最低限しかない。
つまり、扉を開けて数歩踏み込んで光源で照らせば室内は全て見渡せる筈がその範囲に人影一つも見当たらない。
「えっと、もう一つ地下です。左手側の棚の足元に階段があります」
「何?」
サミアから差し出された燭台を言われた方向に翳すと、確かに雑な造りではあるが地面が刳り貫かれ土で成形した階段が異様な雰囲気を醸し出している。
以前に立ち入った時には存在しなかった空間で、必要と判断したリーアが作り出したものだろうことが窺えた。
とは言え、奈落の入り口のようにも見えて思わず二の足を踏むが、ぐっと堪えて一段目に足を乗せた。
すると異臭の濃度が上がり反射的に掌で鼻を覆う。
「誰ですか」
その時、ややくぐもってはいるが確かにリーアの声が聞こえた。
「俺だ。総督府から戻ったから報告しておこうと思ってな」
「ああ、もうそんな時間なんですね……。すぐに向かいますので上でお待ちいただけますか」
「……分かった」
少し疲労しているのか声に元気がない。
彼女を気遣うならその場で休憩しながら話をすることも考えたが、何となく彼女がそれを望んでいないように思えたので指示に従うことに決めた。
その辺りの機微のようなものは経験則に基づくので言葉には出来ない。
しかしながらどうしてか確信に近い感覚を俺は感じ取っていた。
「ルミア、フルーツジュースを人数分用意しておいてくれ。あと、強めの香水をリビングに一吹き、香りは任せる」
「了解しましたー」
先に上に戻ったルミアを見送り、サミアと一緒に立ちながらサンドイッチを頬張っていると身体を引き摺るような鈍重な動きで階段を昇って来たリーアと目が合った。
「ご、ご主人様、このようなところではしたない……!」
「それより、ほら。手貸すから」
口を衝きかけた小言を引っ込め、素直に俺の肩を借りたことから相当に疲れているようだった。
普段は薄く華やかな香水の匂い纏う彼女からは部屋の地下から漂っていたあの異臭が混じっていた。
「すぐに着替えますので……」
「その前にこちらの報告とそっちの経過だけ聞きたかったが……大分疲れてるみたいだな。昼からは休んで夜にしようか」
薄暗い地下から廊下へ上がって来ると、リーアの顔色は青ざめていた。
直ぐにでも休むよう勧めると数秒の逡巡があって小さく頷く。
「何かやっておく事はないか?」
「大丈夫です、後処理は済ませてありますので何事も起きないかと。それより、申し訳ございません、このような醜態を晒してしまいまして……」
当初の見込みよりも手こずっているようで、疲労の中には僅かながら苛立ちも感じられた。
焦る必要は無いと言い含めているがどうしても気が逸ってしまうらしい。
何せ連続しての魔術師の出現で、俺たちを襲った者たちとの関係性も疑われるのだ。
リーア個人としても敵わなかった苦い経験があることも決して無関係では無いことも俺は理解しているつもりだ。
「相当に手強いみたいだけど、ルミアにも手助けさせようか?」
「いえ、私一人でやらせて下さい。彼女には総督府の対応に尽力して貰いたいので」
「分かった。とにかく今は休んでくれ。サミア、先に行ってリーアの着替えの準備を頼む」
「分かりました」
扉を閉めたサミアが階段を駆け上がるのを見届けて、追い掛けるようにリーアを彼女の部屋まで連れて行く。
肩で息をする彼女はまるで高熱に浮かされるように苦しげで引き摺られるようにして歩くのもやっとだ。
ここまで消耗することになった顛末を聞こうにも時間を置く他なく、部屋前で待ち受けるサミアに引き継いでルミアの待つリビングへと向かった。
柔らかな牧草が生茂る高原を吹き抜ける風のような爽やかな匂いに包まれる中で、ルミアは懸命に果実を搾っていた。
「……今朝の残り、あっただろう?」
「いえいえ!やはりフレッシュな方が良いでしょうから!て、あれ、リーアさんは?」
「思ったより疲れてるみたいだから部屋で休ませてる。ジュースも後で届けておくよ」
「それは私がやっておきます!」
元気に答えるルミアに、俺は残念なお知らせをせざるを得ないことに心を痛めた。
「それより、今日の総督府での遣り取りを書類に纏めておいて欲しいから夜までに頼む。今からでも取り掛かってもらって……夕方頃一度添削するからそのつもりで」
「え、え、え……すぐやります!」
全員分のドリンクを作り終えたルミアは早速部屋を飛び出して行った。