アーカス港防衛戦
それが爆発の類であることを瞬時に理解した俺以下三人の従者はすぐさま反応する。
即ち、ルミアとサミアが俺の身の安全を確保するために俺の全方位を警戒するような立ち位置へ移動し、リーアが状況把握のために再び本館へ向かって走り出す。
直ちに危険がないことを確認した俺は二人の護衛の下、屋敷の外に出て港の方面に目を向けた。
設置された柵により直接その様子を窺うことは出来ないが、幾筋かの黒煙が立ち上っていることが確認できる。
「……爆発ということは、港に積載されていた物資の中に火薬があり、何かの弾みで引火したのか?」
比較的軍備が充実している帝國であっても火砲と呼べる兵器は存在していない。
火薬自体もまだまだ発展途上と言った具合で、所謂鉄砲の原型のようなものは試作されているらしいが世には出て来ておらず遠距離戦闘の手段は未だ弓矢。
「立て続けと言うのが気掛かりです。誘爆したにしては爆発に間隔が空いていましたから……」
俺はサミアの分析に対して素直に驚嘆した。
恐らくキーアに引き取られてからの訓練や教育の賜物なのだろうが、それを歓迎すべきかは悩みどころだが。
「まさか……」
爆破事件が脳裏を過る。
もし、敵が魔法を行使する存在を擁しているのであれば話が変わってくる。
圧倒的な火力で港周辺に集まっている軍勢を排除してしまえば揚陸は容易い。
それも然したる時間も要さないことだろう。
「お嬢様の得物をお持ちします。あと、動きやすい服装も」
急な事態の変化に対応出来るよう準備を進める一方で、リーアの帰りが待ち遠しい。
「ルミア、即ぐに着替えて本館へ向かう」
「し、しかし馬車はリーアさんが……」
「足がある。歩いてもそう遠くない距離だろ」
部屋着を脱ぎ捨て、衣服が大量に収納された衣装部屋に向かうと先に部屋に入っていたサミアからやや深めの緑色に統一された上下一式の服を受け取る。
久し振りのズボンの感覚も懐かしく、ベルトできっちりと腰の辺りに留める。
上衣の襟のついたジャケットに袖を通し、髪をその場で若干不格好ながらポニーテールに纏め上げて剣を保持するための刀帯に真新しい剣を差した。
時代を先取りした将校スタイルに満足感を覚えつつ、最後に革のブーツに足を通し靴紐をしっかりと締め上げる。
「おお……何と言いますか、結構様になっていますね」
「でも軽装過ぎませんか……?」
前線に立つ兵士や指揮官は甲冑に身を包むのが前提のためインナーはもっと薄手のものが多い。
対して今、俺が着ているのはそれだけで多少の防寒が出来そうな程度に厚手だ。
「うむ、確かにこれでは剣や矢を防ぐのは難しい。だがしかし、もし魔法による攻撃に遭遇したらどうなる?」
「つまり、鎧では魔法攻撃は防げないので、逆に身軽になることで運動性を上げる狙いがあると見ました」
「サミア、正解だ。後は、まあ重い甲冑であちこち移動は勘弁して欲しいと言うのもある」
それなりの防御能力を発揮しようと思えば、身動きが取れない程の重量の鉄板やらを着込まなくてはならない。
実はテトラス家伝来の鎧なるものが秘蔵されていると小耳に挟んでことがあり一度だけ拝むことが出来たのだが、見るからに重量感と閉塞感を感じさせる造りについ顔を顰めてしまった。
「現代の戦術から見れば、どっしりと構えて指揮を執ることが求められるんだろうけど……」
指揮官の指揮の仕方は大別して二つ。
それなりに軽装であっても馬上から陣頭に立ち、正面切って一番槍を取りに行く俺に付いて来いタイプと、戦局を冷静に分析し一歩も動かず采配を振るい軍を掌の上で転がすタイプ。
俺はそのどちらでもない、軽装でありながら後方で指揮を執るスタイルを考案していた。
社会的な立場や、何より表向きの性別のお陰もあり実権はともかくそのデビューには漕ぎ着けた形にはなる。
「ですが、中々に軽装も過ぎると心配です……せめて鉄兜を被られてはいかがでしょうか?」
「……考えておこう」
前向きに検討するというお断りの常套句はこの世界においても有効であり、馬鹿正直に捉える者は少ない。
それを知ってか知らずか、サミアもそれ以上は特に追及せず表へ向かい、本館へ向かう手段を模索しているようだ。
が、程なく戻って来た彼女は申し訳なさそうに少し視線をずらしながら俺の前にやって来て、
「申し訳ございません、馬車が居りませんので呼んで参ります」
と述べたところを少し語尾に食い込む形で、
「いや、歩いてでも向かう」
と反論を口にした。
当然だがそれに二人は逆らうことは出来ない。
物言いたげな様子であることは重々承知の上で、ブーツの底を高らかに鳴らしつつ歩み始める。
先のような爆発の音は無くなったものの、兵士たちが混乱する声が遠くに聞こえる。
空気全体が緊迫感に満ちていることを肌身に感じつつ本館へ近付いて行くと、遠目にも従者が目まぐるしく動き回っているのが見え、馬車や騎乗する兵士や使い番が入れ代わり立ち代わり本館を出入りしている。
恐らく何人かは此方の姿を視界に入れているのだろうが、構っている暇はないと言わんばかりにガン無視だ。
実権を持たないお飾りのお嬢様が顔を出す、と文字に起こせばこの緊急時に関わり合いになりたいと思う方が頭がイカれている事態を忌避するためなのだと思えば若干の立腹で抑えられる。
無視と言うのはどのような立場であっても嫌なものだ。
いよいよ本館入り口まで近付くと、流石に無視出来なくなった者たちが口々に形だけの挨拶を投げ掛け去っていく。
適当にそれに応えながら先遣隊であるリーアの姿を探す。
どこに居るか、と言えば探す当てはある。
余計な寄り道はせずにその部屋を目指す途上、俺の恰好に好奇の目線が時折寄せられたものの気にしないことにする。
ルミアとサミアを引き連れながら目的の部屋、執事長が普段から従者たちへ指導を行う本館執務室の扉を開くとまさしくリーアと執事長が深刻な面持ちで言葉を交わしていた。
「ですがそれでは――お嬢様……!」
俺の入室に気付いたリーアが言葉を切り、恭しく一礼をする。
執事長もそれに倣い、会釈程度に頭を下げた。
「リーア、状況は?」
「それについては、リーアに代わって私が申し上げます」
指揮を執る執事長は若干開けさせていたシャツの首元のボタンを留め直すと、こちらに向き直り机に散乱する書類を纏め始めた。
「先程から引っ切り無しに総督府から情報が届けられており、確度の高さや事実確認に努めておりますので……今、確実に申し上げられることのみ申し上げますと、正式な宣戦布告のないままに他国家の支配下にある軍勢から攻撃を受けております」
「被害は?総督府の対応は?当家の立場は?」
「具体的な被害の数値等は不明。港を防衛線として敵の揚陸を阻む体制を構築、総督府所属兵力及び帝都よりの派遣兵が対応しております。また、アーカスに拠点を置く各貴族や商家への援軍要請は出ておりません」
「……先ほどの爆発は?」
本館でも音や振動を感じ取っている筈だが、執事長の反応は芳しくない。
「現在、確認中です」
「そう……。とにかく、自重して事態の推移を冷静に見極めるようお願いするわ」
冷静を装うがその実俺の頭には血が上りつつあった。
それは魔法の脅威を知る筈の彼が、この期に及んでその可能性を口にしない執事長の振る舞いに対してだ。
「はっ」
何処か面倒事をやり過ごした安堵を滲ませる執事長を横目に、改めてリーアの方を向き直るがそれ以上の情報は望めないようで小さく首を横に振られた。
「執事長!……っと、お嬢様、総督府より要請が!」
駆け込んで来た青年の従者が執事長と俺、そしてもう一度執事長へ視線を移して一枚の書類を差し出した。
総督府長官名が走り書きされたその書類を、執事長のみならずリーア、俺、そしてルミアとサミアが覗き込む。
「『帝國統治領アーカス防衛に関する緊急措置について』……やはり、出兵要請が来ましたね」
それ程長くない文面には執事長が説明した事項と殆ど変わらない内容が列記され、結びにテトラス家の保有する私兵の出兵を要請する言葉で締め括られていた。
「時間差から考えても爆発の起こる前に発行されたものでしょうから、より切迫していると考えるべきですよね」
逸早く文面を読み取り事態と結び付けたリーアがそう言うと、執事長は顎に手を当てて考え込む仕草を見せた。
「……長官名の文面が届いてしまった以上、その通りにすることは吝かではありませんな。しかし何と言うべきか、こうも易々と侵攻されるとは……」
「執事長、そのような議論は後でしょう。今はとにかく敵の卑劣な奇襲攻撃から港を守り、帝都と連携を取り反撃を行う必要があるのではありませんか?」
「執事長!決断を!」
青年の従者も熱に浮かされたようにその言葉を引き出そうと急かした。
部屋の入口には偶々居合わせたのであろう他の従者たちも、その執事長の言葉に注目しており、足が止まっている。
それに気付いた彼は険しい表情をさらに厳ついものに変え、苦悶したように呻くと、地獄への片道切符とも言うべきその書類に勢い良く判を押した。
「総督府よりの要請を受任、直ちに近衛団は出撃!以後の指揮は総督府に委譲するものとせよ!」
「はい!」
「執事長、一応名代でもあるのだし私が直接総督府へ赴くのはどうでしょうか?」
俺の提案に一先ずの即答を避け、執事長はまじまじとその出で立ちを観察し何かに納得したように頷く。
「いえ、その必要はないでしょう。……よもや指揮を執る心積もりがおありとは思いませんでしたし、その役目は私にお申し付け下さい。代わりに、この敷地内での総大将としてこの本館に腰を据えていただくのが最上かと」
「敵は、魔法を使う可能性があります。私とリーア、それにルミアとサミアを連れて前線に出る方が帝國の為にもなると思うのだけれど」
やんわりとしつつ何処か棘のあるお断りに真向から否定を重ねてみるが執事長の顔色は変わらない。
リーアが何か申し添えたい素振りを見せているものの、態と無視をされているようで執事長は部屋を出ようとする。
状況が状況のために冷静さを欠いていたのだと、俺は後で自戒しなくてはならない。
何故なら、
「執事長!」
と、自分でも驚くほど鋭い一喝するような声が出ていた。
彼は俺の真横までやって来たところで、その逞しい身体が動きを止めた。
その顔を見上げ、もう一度自分の意思を伝える。
「私が行きますから、執事長は残って家中を纏めて下さい。近衛たちは私が指揮するのではないのですよね?なら、戦力を考えて私たちが出る方が合理的と思うのだけれど……良いですね?」
俺と執事長のパワーバランスは非常に微妙だ。
直接の雇用関係にあるわけではないので、厳密には執事長が俺の命令に従う義務は無い。
しかしあまり露骨に無視したりしてしまうと雇用主であり父親である当主からの評価にも直結しかねない。
その辺りの匙加減を自覚している彼は、元々任されている権力範囲内での影響を計算していることだろう。
もし今回の戦いの中で魔法と思われる攻撃の可能性が無ければ、こうまで押しはしない。
先日の爆破事件を経験している執事長も魔法の脅威を知っているので否定の言葉は口にしない。
「……ですが、当主様からはお嬢様の身の安全を優先するよう仰せつかっております。どうか自重をお願いいたします」
「では仕方ありませんね。執事長とは別で総督府へ向かうとしましょう」
「な……」
「元々、執事長が本館を出ても問題が出ないような組織を構築されているのですよね?ですからどうかお気になさらず、さ、行きましょう」
驚きで口を半開きにしたままの執事長を置いて俺は回れ右をする。
ルミアとサミアが執事長に一礼をしている間にその脇を抜け、部屋を出ようとする瞬間にはリーアが再び先導に立っていた。
二人の足音もその後ろに続いている。
「ま、待ってくださいお嬢様!」
驚愕から立ち直った執事長が狼狽した様子で俺を追い掛けて来る。
流石にそれを全く無視して振り切ることは出来ない。
振り返る。
「一体、どうされたのですかお嬢様……。こう言っては難ですが、ここまでご自身の意思を露わにされたことなど無かったではありませんか」
その言葉からも読み取れる通り、俺は自分でも自覚出来るほどに意思薄弱で優柔不断だ。
執事長も長年その印象が根強いのだろう。
余りの変貌ぶりにその瞳も緩やかに揺れ、未だに動揺しているようだ。
「私はテトラス家の名代であり、帝國の一員でもあります。何もおかしくはありませんよ」
「……それは、その……」
言い淀む執事長に、それ以上の追撃をすることはしない。
妨害や追い縋るような素振りも見せないので、今度こそ玄関へ歩を進めた。
そして、猛烈に後悔をすることになる。




