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家に帰っても女装


 グリーシア帝國領ズベスト大陸南方都市アーカス。

 これが俺の暮らす街の正式名称である。

 文字通り、グリーシア帝國という国の統治下にあるアーカスという街を意味しているが、ここで少し帝國そのものについても触れておこうと思う。

 まずこのアーカスと言う街は、グリーシア帝國の首都たる帝都の存在する大陸から離れた別大陸に存在している。

 それがズベスト大陸と呼ばれる開拓地であり、絶賛帝國による領土拡大の目標とされている大地の橋頭保にも当たる。

 グリーシア帝國の本営であり首都の置かれているバロン大陸には、多数の国々が乱立しており弱国は滅亡待ったなしの群雄割拠の時代を迎えていた。

 そして帝國もその争いの中で決して優勢とは言えず、軍需物資の調達等を目的とした領土拡大を企図し、目を着けたのがこのズベスト大陸なのだ。

 この一帯に住まう海岸沿いの民たちは海賊たちの掠奪に悩まされていた、という事情に便乗する形で街を造り、やがて一大根拠地として発展を遂げた。

 近隣の森林を切り開き、鉱山の開発も急激に進められ、また貿易拠点としての役割も大いに果たしている。

 俺の生家であるテトラス家も元々は小領主であったが、海運業に手を拡げ財を成した。

 何時しか旧領の統治は次男筋に任せ、長男が事業を牽引する体制が出来上がり、本家もアーカスへと移った。

 そのような道筋を辿った家はテトラス家だけに限らず、多くの貴族や商人たちが移り住んだこともあり、居住区にも境界線が出来上がった経緯がある。

 小高い丘陵地帯が主にそうした高所得者層の住む区域であり、その麓から海沿いにかけてが繁華街となっていて、その周囲に労働者層の居住地が乱雑に建ち並んでいる。

 テトラス家は比較的最初期に居を構えたこともあり、敷地も広く屋敷は三つも所有していた。

 最も古く、入り口から真っ直ぐ進んだ場所にあるのが本館と呼ばれる建物で、主に饗応や宿泊施設としての機能があり、普段は使われていない。

 本館に対して直角に建つ建物は別館と呼ばれ、当主の居室や執務室などがある。

 では、俺の屋敷はと言うと、敷地奥にひっそりと佇む屋敷に居室などがある。

 本館や別館は石や煉瓦で造られた威厳のある四階建てに対して、屋敷は木造がメインの二階建てと小振りで且つ外部からは窺い知れない立地だ。

 別荘、と呼ぶ方が相応しいかもしれない。

 本館や別館に行くには歩く以外に、常に門前付近では敷地内用の馬車が停められており、時折それを利用して当主の父親の呼び出しに応えている。

「ご主人様、お父様がお呼びです」

 もうすぐ昼食時という時分に英雄の冒険譚を読み耽っていると、リーアからそんな知らせが飛んで来た。

 俺があからさまに面倒臭そうな表情を見せ付けてみても、彼女は全く無視して身の回りの準備を整えていく。

 父親は本国に滞在しなければならない用事があり、今朝帰って来たばかりなので呼出の可能性は低いと見て完全なオフだと思い込んでいたため、服は寝間着で髪もボサボサの状態だ。

 それを彼女は急に入り込んだ昼食会という用途に合わせたドレスを選択し、化粧やヘアメイクの段取りを手際良く整え始めた。

「思うんだけど、実の父と飯食うだけなのに何で女装せにゃいかんのかね?」

「身内だからこそ、油断するなということです」

「訳分かんねー……あ、今日はちょっと髪アップにしてアレンジしてくんない?」

「暑いですものね。でも、時間がありませんので却下です」

「えーマジかよ。ちょっと汗出るのに……」

「それでしたら、少しだけ髪を梳きましょうか?長さを切るのはダメですけど、毛先を揃えるぐらいなら……」

「ガッツリベリーショートまで頼む」

「ダメですってば。はい、ドレスはこちらになりますから、着ておいて下さい。私は装飾品を見繕いますので」

 軽口を挟みつつも髪をセットする手も止まらなかった彼女が席を外した隙に、俺がドレスに袖を通すのが慣例となっていた。

 その他にも風呂など裸になるシチュエーションとなると、自然と煙のように姿を消すのがリーアなりの気遣いでもある。

 寝間着を脱ぎ捨て、自身の裸体を見下ろせばよく目立つ股間のナニ。

 見紛うことのない男の象徴がそこには在った。

「確かに、男にしちゃ身長も低いし細身ではあるが……」

 その一部分がある意味アイデンティティとなっている。

 いい加減年齢も十五になる。

 成長に伴って、色々と誤魔化しも効かないようになっていくだろう。

 その最たるが、声だった。

 無駄に低音が効いた声に突き出た喉仏、うっすらと見え隠れする髭の産毛たち。

 この際、直談判するのも良いのかもしれない。

 そんなことを考えながら、コルセットを締めてドレスに袖を通せば丁度良いタイミングで部屋の扉がノックされた。

「着れましたか?」

「お陰様で自分でも吃驚するぐらい手際が良くなったよ」

「うん、問題無さそうですね。此方のネックレスと、ブレスレットを後で身に着けて、香水は私が吹き掛けるのでちょっと動かないで下さいね」

 ふわりとフローラルな香りが広がるのを楽しんでいると、さっさとリーアの手によって装飾品が身に着けられる。

「馬車も用意させていますので、早速向かいましょう」

「本当に手際良いな。……って言っても、この家のメイドで常勤ってリーアだけだもんな」

「お陰様でやりやすいですよ。掃除や食事の仕込みも私のタイミングで出来ますから」

「俺も仕事ぶりには文句ないし……。飯も結構好き勝手に言ってる気がするが、そんなに思い通りなのか?」

「その日の諸々の条件を勘案すれば、大体の予測は出来ますよ」

「やだ、俺って単純……」

「はい、雑談は馬車の中で続きにしましょう」




 別館の前に着くと、玄関の軒先にはいつも通り父親が立って待っていた。

「おお、よく来たな。昨日は疲れただろうが早速様子を聞かせて欲しくてなあ」

 さり気無く俺の手を取って馬車からの降車をエスコートする辺り、教養ある貴族らしい気遣いであるがその扱いは完全に女性に対するそれであった。

「ああ、いつも通り人払いを。リーア君、給仕を頼む」

「はい」

 これもいつも通り。

 いつもは傍に仕えている執事やメイドたちも食事会場には近付けない徹底ぶり。

 俺はただ頷いて従うしかない。

 やがて一階の最奥にあるダイニングルームに通され、いつもの席に着座する。

 グラスには水が注がれ、手拭きが並べられキャリアーに載せられて料理が到着したところで、使用人たちは退室していく。

 リーアだけが残り、一礼してから前菜のサラダを配膳する。

 ただ器を置くだけでも多くの細かい決まりがあり、それを全て網羅しながらも存在感を遮断する辺りリーアもすっかり一端のメイドであった。

「ほう、今日は輸入ものの葉物か。いやあ最近の冷蔵技術の発展は目覚ましいものがあるな」

「はい。しかしこれは商会お抱えの『技術者』の尽力の賜物でして、まだまだ一般化しているとは言い難いようです」

「ほう、そうか……。しかし冷蔵が一般化すればより多様な物流が望めるな。私が子供の頃はそれこそ食品で言えば、乾きものしか運べなかったからね」

 色鮮やかな葉野菜に、オレンジ色のドレッシングがより鮮やかさを引き立てている。

 近隣の畑では見られないそれは、食事をする人間の視覚にも訴える楽しさがあり、そして通常の食事では供されることはない。

 親子の偶の食事だから良いものを揃えた、と言うには俺と父親の距離感は開きすぎている。

 つまり、一客人と同じ扱いなのだ。

「いやあ、それにしても今日のスープ美味しいね。イモのポタージュかな?これも輸入もの、かなあ」

 交わされるのは、リーアと父親の会話のみ。

 昨日の様子も全てリーアが応え、父親が質問と見解を述べる。

 俺はただ食事を口に運び続けるのみ。

「ふうむ、バレギリア海運も進出して来ているし、本国の事業も少しは見直さないといかんね。えーと昨日は誰が来てたのかな?会長?それとも支店長?」

「会長自らです、名刺も頂きました」

「おお、ありがたい。では早速連絡を取って、業務提携の線を探ってみないと。どれだけ頭を下げることになるかは分からんが、もっと稼がないとな」

「……じゃ、俺帰るわ」

 メインである魚料理が配膳されたタイミングで、そう切り出すと父親は穏やかな表情のまま手でそれを制した。

「まあ待て。お前との食事は久しぶりなんだ、せめてデザートまでは待ってくれないか」

「息子に女装を強要する親と食う飯なんざねえよ」

「言葉遣いに気を付けなさい。それに、その恰好をさせているのにもちゃんと意味はあると言っているだろう」

「それで納得しろと言うのは乱暴じゃないのか?」

「仕方のないことだ。お前のためでもあるし、こうするしかないんだ」

「それでも、納得出来ねえ。こんな格好して人前に出る方がよっぽど嫌だね」

 いつも通りの遣り取りだった。

 ここまで反発してもこの姿で過ごしているのは、単純な理由でもし言い付けに背けば勘当すると事前に脅されているからに他ならない。

 生き恥を晒して生きるか、死ぬかの二択を突き付ける親が果たしてまともなのだろうか。

「お前さえ良ければ、別に家を出て行っても構わない。どうやって食べていくのか、算段はついたのならな」

「……」

「まあ座れ。これが、こうしていることがお前にとっての幸せなんだ」

 数秒の葛藤の末、席に着いて魚にナイフを入れる。

 身は柔らかく、見るからに美味しそうな旨味の凝縮されたスープが滲み出て来る。

 一度在野に放り出されれば、このような食事にありつくのは難しくなるだろう。

 それどころか、満足な食事が摂れる保証すらない。

 口惜しさを隠すこともせず父親を睨むが、そんなものはどこ吹く風と言わんばかりに涼しい顔で食事を再開する。

 どころか引き続き、仕事の話で意見を交換する二人を見ながら一足先に料理を平らげると、暇になってしまった。

「さて、少し時間が押してしまったな。デザートは二人で食べなさい、私はこれで退席させてもらおう」

「はい、行ってらっしゃいませ」

「……」

 去り際、何か言いたげな父親の視線を敢えて無視していると、本当に退席してしまった。

「はー、飯美味いわ」

「……ご主人様、ああいう言い方は」

「何だよ、文句あるのか」

「はい、もっと論理的に攻めないと相手にされませんよ」

「む、そうか?」

「一応、お父様にもお考えがあってそうしているわけですし。それに、私も……」

「?それは、どういう……」

 と、ここで扉がノックされたため話の続きはお預けとなった。

「失礼します」

「執事長……」

「……」

 敷地内の管理を一任されているその初老の男は、灼けた肌と強烈な目付きに上下黒で統一された服装も相まって近づき難い印象を万人に与えている。

 そして、その中身も外見に負けず劣らずであるため、百人近い従者たちもしっかりと統べている。

「お嬢様、失礼ながらこの一室は夕刻より従者会議に使用するため、食事がお済であれば移動して頂けますでしょうか」

「申し訳ございません執事長、直ちに移動致します。お嬢様、よろしいですか?」

 独断と取られぬようリーアが気を利かせてくれくれたので、俺は鷹揚に頷くと執事長は一礼だけして退室した。

「デザートは食いそびれちまったな」

「むむ……別館まで来たのに……丁度食べられそうだったのに……」

 今にも血涙を流しそうな彼女を尻目に、ナプキンで口元を拭いドレスを軽く叩いて俺が立ち上がると、馬車を準備するためにリーアはさっと部屋を出て行った。

 見事な切り替えであり、少し意地悪をしてしまったかと思いながら部屋を出てゆったりとした足取りで玄関へ向かう。

 既に乗車の準備は出来ているようで、馬車の傍にはリーアが若干呼吸を荒げながら佇んでいた。

 ふと、その向こう側、本館前の通路を見遣れば車列と言って差支えない数の馬車が続々と現れた。

 それを警護する形の手勢、五十騎近い騎兵が車列を囲い込んでいる。

「……」

 馬蹄の音が腹の底に響き、騎兵の一人一人が鋭い眼光を周囲に向ける様子はさながら戦場であった。

 また車列によって道が塞がれてしまった為、居宅に戻れなくなってしまった。

「失礼、貴女は昨日の交流会に参加されていたテトラス家名代で間違いありませんか」

「失礼と思うのであれば、先ずは騎乗での物言いを改められはどうですか」

「下人に用はない。間違いなければ、そのまま其方の館へ入られたい」

 何処の誰なのかも名乗らない輩の言葉に従う義務はない。

 よって歩いてでも戻ることも可能なのだが、そうこうしている内に本館に移っていた父親が出張って来てしまえば従わざるを得なかった。

 俺と父親が改めて本館応接室にて対峙したのは、薄くなった金髪をセンターで分けて若作りをする親父と、昨日俺が袖にしたあの若い男だった。

 どうやらこの二人は親子であり、そして親父の方が経営するのが先ほどの昼食タイムで話題に上がっていたバレギリア海運の会長だと名乗った。

「いやはや、帝國の隆盛は益々以て確固たるものとなりつつあるが……どうかね、それを支えるものが何であるか分かりますかな」

 誰に断るでもなく、懐から取り出した紙巻の煙草を喫し始めたその巨魁はずいと半身を乗り出して父親に迫った。

「さあ……皇帝様の御威光ですかね」

「まあそれも一つ、さもありなんですがね……ワシは、この海こそが力だと思う」

「ほう」

「本国に無かったものを運び込めるとは言葉では簡単に表せるが……無いものが急に現れる。それは戦争の遂行においては一大異変と言わざるを得ない。例えば、武器と頭数は揃っていても兵糧の無い軍隊が居たとする。その対処法は古来よりの教えのとおり、持久戦に持ち込めばやがて瓦解する。が、そこに算段の無い大量の食糧が運び込まれたら、それは最早純粋な脅威と化す」

「……今も、大陸間で大量の物資の遣り取りをしていますな」

「そうだ。そして今、帝國はこの新大陸のさらなる開発に着手しようとしていることは聞き及んでいるだろう。それに伴い、外界の魔物共を焼き払うべく大量の兵員と物資を輸送することを計画していることもな」

「……」

「どうだね、テトラス家と我らバレギリア家とが手と手を取り合い、この一大輸送とその後の海運事業諸共を牽引していこうじゃないか」

「それは、大変嬉しい申し出です」

 父親は相好を崩して見せたが、次の言葉にその顔は凍り付いた。

「その友好の証としてどうかね、そこの我が息子とそちらのお嬢さんを結婚させると言うのは。互いにとっての手付金代わりにもなるだろう」

「そ、それは……」

「こんなことは言いたかないが、本来なら本国の由緒ある皇帝一族の筋の娘とくっつけようかともワシは思っておった。が、それよりもより世のため国のためになるなら、と我が息子も納得のことだ」

 ふと、傍らに控えるリーアの顔を見れば憤懣やる方なしと言わんばかりの膨れ面をしていた。

 昨日の出来事を考えれば、息子の意思は必ずしも言葉の通りとは限らない。

 渋々納得したと見せかけて、最も望むものを手に入れようとしている、という図式だ。

「どうだ、商売人らしくここで話をまとめてしまおうじゃないか。貿易及び輸送の実利の取り分は五分五分、本国の役人との交渉をこっちが請け負っても良い。が、要らぬ横槍が入らないよう子供同士の婚約だけでも済ませておこう。これへ」

 バレギリア家側で控えていた文官らしい男が、一枚の紙を応接机の上に差し出した。

 その文面は、今凡そ話に上がった事項を確約する旨の誓約書に他ならないものだった。

「まず、ワシがここに署名しよう」

 同時に用意された筆ペンで全く躊躇いなく署名を行うと、それを応接机に戻すことなく直接父親に向かって差し出した。

 有無を言わせないその雰囲気は商売人と言うよりも、裏家業の人間のそれだった。

「う……」

「どうした?」

 父親の顔は脂汗で塗れていた。

 商売の話としてはこれ以上ない絶好の機会だと言うのに、その前提条件が不可能の塊だとは想像もしなかっただろう。

 そして、斯く言う俺もまた嫌な汗がじっとりと滲んでいた。

 そもそも何故、この男は俺に執心なのだろうか。

 見てくれは自分でも時々驚く程に整っている。

 だが、こう言った世界では気品のある美形はそれなりの人数がいるので、立場によっては選り好みも可能だ。

 正面に座る男の熱っぽい視線にまさか、と一つの可能性に気付く。

 見た目がドストライクだという可能性に。

「と、ところでウチの娘なんかで本当によろしいので……?」

 必死の時間稼ぎのためなのか、父親が男に問い掛けると一瞬呆けたような表情を浮かべるもすぐに平静を装い、口を尖らせた。

「まぁ、なんつか、その、顔は、悪くないしな、うん」

「は、はあ……」

「何だ、お前満更でもないのか?なら猶更良い話じゃないか、なあテトラスさん」

 また一つ、退路を断たれたのがよく分かった。

 とてもではないが、平然と居合わせられるような雰囲気ではなくなってきていた。

 俺の胃袋がキリキリと痛み始め、姿勢を保つことすら困難になりつつあり、隣の父親も腹をさすっている。

 雰囲気は少し柔らかくなったものの、依然話し合いが終わる兆しは見えない。

 完全な奇襲の形で始まったに違いないこの会談は、一方的な展開で終わろうとしている。

 そして、それは俺の人生の終わりも意味している。

「だから交流会なんか出たくなかったんだ……」

 思わず漏れ出てしまった俺の声。

 限りなく小声ではあったが、女性の声と男の声を取り違える間抜けは居ない。

 その証拠に向かい側に座る二人は同時に怪訝な表情を浮かべ、父親は驚愕のあまり目を見開いている。

「……今、何か」

「失礼致します」

 声のことを咎めようとしたに違いないその言葉は、室外からの声に掻き消された。

「今、商談中だ」

「火急の用事だと、お客様が」

 顔を見せたのは、執事長だった。

「おい、聞こえなかったのか!取り込み中だ!」

「失敬、皇帝命令の伝達を妨げられるのは皇帝陛下以外有り得ないものなので」

 執事長の後ろから姿を見せたのは、明らかに高価な布で仕立てられた黒衣に身を包んだ女性だった。

 両手で添えるようにして持つ長方形で黒塗りの箱は真っ赤な紐で封をされている。

「こ、皇帝陛下の勅使……?何故、ここに……」

「あら、バレギリア家当主殿が同席してたのね。丁度良かった、一緒に話を聞いて貰おうかしら」

「あ、は、はあ」

 思いがけない人物の登場に、今度は当主組が呆気に取られていた。

 それもその筈、このアーカスは帝國領とは言いながらも実質は独立国家的な性格を持っており、本国の統治色はかなり薄い。

 納税のあれこれや商売の規制等も異なるため、本国の人間が出張って来ることも少ないのだ。

 それが巡検や視察ではなく、勅使として現れたのだから驚きも一入だ。

「じゃ、当主二人はここに残って頂戴な。他の人間は悪いけど、私が良いと言うまではこの部屋に近付かないこと。いいわね?」

 これ幸いと言わんばかりに、リーアに促されながら俺は席を外した。

 この隙に屋敷に戻ってしまおうかとも考えたが、気を利かせた執事長がロビーと談話室にそれぞれの人間を移るよう仕切ったため一先ず本館に滞在することとなった。

 因みに勅命は読み上げるに際して、儀式的な要素が強いこともあり長い前口上が存在する。

 そのため一度始まってしまえば、如何に短い用件であってもゆっくり茶を一杯楽しむ程度の時間がかかる。

 リーアと小声で雑談でもしようかと思ったが、案の定と言うかあの男が訪ねて来るのだった。





「む、下人は下がっていろ」

「私の持ち場が此方ですので。一体何の御用ですか」

 語気の強さに全く怯まない様子の男は諦めたように一つ息を吐くと、俺の正面の位置に陣取った。

「俺が何故ここまでテトラス家と当家を接近させようとしているのか、分かるか」

 昨日とは打って変わって高圧的な口調の男は、熱っぽさは皆無でその眼は冷めていた。

「お嬢様を自分のものにするため、では?」

「そんな訳あるか」

「……では、昨日近付いて来たのは?」

「貴様の早とちりだ。ナンパの類の訳が無かろう」

 一つ、咳払いを挟む。

「良いか、まず俺とあんたらの家とは同業の敵と言っても良い。それが女一人に惚れたとかそんな理由で仲良しになれる程甘い世界ではない。俺は、帝國の為にさっきの提案を親父に進言したんだ」

「帝國の為、ですか?」

「この大陸にはまだまだ未開の部分が多く、帝國にとって必要な物資が眠っていると言われている。そして本国は貴重な兵力と財源を割いてこの大陸の開発を目論んでおり、近々大規模な兵員輸送が行われる。その時、必ず民間の業者に輸送の請負依頼が掛けられることになるのだが……それを我々以外の業者が請け負ったらどうなると思う?」

「……膨大な金額を請求される、でしょうか」

 リーアの回答に、男は分かっていないと言わんばかりに首を緩やかに横に振った。

「陸なら兎も角、海上で船が沈没したらどうなる?」

「大変な責任問題ですね」

「そしてその責任を確実に、そして真摯に受け止める業者は殆ど居ないだろうな」

「なら、国内の貴族が運営するところに依頼すれば……」

「そう簡単な話ではない。そもそも業界を牽引している我々はともかく、後発組の貴族共が経営する商会の役員は他国の人間も入り込んでいるんだぞ。獅子身中の虫以外の何者でもないだろう」

「そこまで分かっているのなら、それを理由に直訴すれば良いのではないでしょうか」

「帝國の役人も全員が忠誠心に満ちていれば良いのだが、戦争の片面で民間の層では交流も深いのでな……贈賄も日常化している」

 男はまたして、そして今度は深いため息を吐いた。

 心の底から国の行く末を憂う青年の姿が、そこには在った。

「と、言う訳だ。君には、今回の事業が終わるまでの間だけの偽装結婚をして貰いたいのだがどうだろうか」

「事情は分かりましたが、態々偽装結婚をする理由は見当たりませんが……」

「我が商会の事情や世間体を鑑みれば、至極真っ当な手順だと思うが。例えば我が商会の執行役員の中には個人的に懇意にしている業者も居るから、そちらに取り分を回してやりたいと考えるのは普通のことだろう。そこで、次期会長と婚姻関係を結んでいる相手なら、文句はあっても取り分を寄越せとは言えまい。且つ、形式上当家の方が格上に当たるのでな、テトラス家の女なら誰でも良いとは言い難いという事情もある」

 俺は内心、なるほどと納得しつつ驚嘆もしていた。

 まだまだ年若いこの男の意識は、既に当主としてすぐに働き出すことも出来る程に高いものだろう。

 故有ってとは言え、交流会で一言も話さず屋敷でのんびりライフを送る俺とは大違いだ。

「そういう事情だったのですね」

「親父は、そんな回りくどい話はしないからな。相手の利益を大きく見せて丸め込む、そういう手法で巨益を上げ続けて来た。……そういえば、正式に自己紹介をしていなかったな。バレギリア家次期当主候補のエギス・バレギリアだ、以後よろしく」

「エギス様ですね。此方はテトラス家の運営するテトラス海運商会名代を務めるエレイナ・テトラスお嬢様です。私はその側近、リーアと申します」

「さ、もうお互い名乗りもしたし、企みも話したのだから声を聞かせてはくれないかねエレイナ嬢」

「……!」

 弛緩した空気にヒビが入る音が、俺とリーアには聞こえた。

 特にリーアは申し訳無さそうに目線を俺と合わそうとしない。

「そ、そうなんです!お嬢様は今お風邪を召していまして」

「ほう、それは大変だな。直ぐに薬湯を届けさせよう」

「いえいえ、お構いなく。もう既に主治医より薬を処方して頂いておりますので」

「む、そうか。そろそろ勅命読み上げも終わる頃合いか……後の話は俺がしておくから、二人は戻っていて構わない。それでは」

 一方的にそれだけ言うと、エギスはさっさと部屋から出て行ってしまった。

 俄かにロビーの方が騒がしくなってきたところを見るに、父親たちが出て来たのかもしれない。

「お嬢様、如何されますか?」

「父さんは今の話を知らない訳だし、皆帰ったら話をしないと」

「では、そのように準備を致します」




 テトラス家敷地内、俺の住まう屋敷のリビングにて父親と俺は向かい合わせでソファに身を預けていた。

 リーアの用意した輸入品の、花の香りが強い茶が用意されると、父親から口を開いた。

「勅命のことなんだがな」

「おう」

「一定の業績を上げる海運関係の商会を招集し、分割して仕事を振り分ける為に会議を行うことになったそうだ。その為、勅使殿と共に明後日にはまた本国に戻ることになった」

「じゃあ、さっきの話は無しってことか?」

 期待を込めて自分でも驚くほど弾んだ声で聞いてみたものの、父親の表情は硬い。

「それは飽くまで主幹事業に関してのみで、一部の物資輸送に関しては情実による依頼となる見込みということで、引き続きバレギリア家とは交渉になりそうだよ」

「あ、そう……」

 一口茶を啜ると、予想以上に花の匂いが鼻腔を衝く。

「お、変わった茶だな。ここまで香りの強い茶は帝國では聞いたことがないが、これは何処から?」

「帝國の隣、ボズラ王国の品です」

「ほう、ボズラにもこんなものが有ったのだな……」

 やはりと言うか、父親は触れる品々に対する感想が俺と違い商人の目線で物を言う。

 時折、俺にもそのような感想を求めることがあるのは、やはり跡継ぎにしたいという意識が有るのだろう。

 ところが、貴族を始めとする家というものの長は男子であるべきと言う思想が根強く、代役を一時的に務めることは出来ても正式な後継者となることは難しい。

「ま、父さんが出てくなら俺はまた好きに暮らすだけだな」

「……何れはお前に継いでもらう予定だから、せめて物の良し悪しが分かるようにはなっておきなさい。リーアも、よく見てやってくれ」

「はい、お任せ下さい!」

「じゃあ、街の外出て冒険でもしてみるとか」

 冗談めかして俺がそう言うと、みるみる父親の表情が険しくなっていった。

「馬鹿なことを言うな。北部は未だ未開の地、どんな魔物が棲んでいるのかも分からんのだぞ」

「それでも、本国から連れて来た炭鉱夫が毎日大量の鉱石を掘ってるんだろ?仕事が出来るぐらいなら、安全なんじゃないのか?」

「最低限の連絡道路上に兵士を置いているからな。しかし何処からでも魔物が現れたならすぐに封鎖される。彼らはそれを承知で、それなりの金を貰っているんだよ」

「でももし、北部の鉱山が安定した量と質の鉱石を生産出来るようになれば大きな産業になりますね」

「その通り。何だ、リーアの方がよっぽど経営者に向いているじゃないか」 

「そんなの誰だって思い付くだろ」

 少しムキになって言い返すと、リーアは思いがけないことを言い出した。

「やはり、実地を見て触れてみないと分からないものもありますからね。現地視察ということで、北部の鉱山を見に行くのも良いのかもしれませんよ」

「む?しかしだな……」

 父親はと言えば、難色こそ示したものの強く反対意見を述べない。

 茶を飲みながら何か考え込んでいる様子だった。

「良いじゃないですか。此方の私兵も数名付けておけば、ね、お嬢様」

「そう、だな」

「確かに経験として現地に足を運ぶことは大事だが……やはり、危険だ。視察団を編成して報告をお前にも回すから、それで勉強をしなさい」

 丁度茶を飲み終えた父親は、本国へ戻る支度をするということでまた別館へと戻って行った。

 もうすぐ日が暮れようとしており、リーアも夕飯の支度に取り掛かるということでリビングからキッチンへと移動したため、俺も自室に戻ることにした。

 相変わらず調度品の類が一つもない質素な部屋だが、本国より取り寄せた書籍等が納められた本棚が良く目立つ。

 帝國の歴史に関する書物から童話のような冒険譚、果てには料理のレシピが集められたものまで多数に上る。

 中でも特に俺が興味を持って集めているのは、魔法に関する書籍だ。

 この世界に嘗て存在し、表社会でも多くの功罪を遺したその外法の力の歴史と現状を知りたかった。

 何故なら、俺は魔法の存在しない世界で暮らしていたからだ。

 その世界での俺という存在は今とは比べられない程の苦しい生活を強いられていたことの反動なのか、こちらで物心ついた頃にはどこか無気力な暮らしを求めていた。

 男ではあるが箱入り娘のような扱いを受けていることもあり、ただ美味しいものを飲み食いして静かに一日を終えることも珍しくはない。

 そんな中、勉学の一環として始めたのが魔法に関する書籍収集だった。

 以前の世界に於いても想像上の存在として、様々な娯楽作品の重要要素として語られた魔法に関する記述を実在する世界で読んでみると恐ろしくなることすらある。

 実際にたった一人の魔導士の存在によって、何万人もの人間が死ぬ戦争が引き起こされたり、或いは多数の魔導士を運用した大規模戦闘の記録が、街の片隅の古書店に転がっている。

 どうやらこの世界における魔法というものは禁忌の存在として認知されており、その歴史に触れることもあまり推奨されていないと父親が以前に漏らしていたことを思い出す。

 まず、魔法というものが扱える人間の記録もあまり残っていないため、現代では魔法を扱える人間が存在しているのかどうかすら分からない。

 魔物が存在し、それに対抗しやすい魔法も存在すると言うのに、人間は魔法を捨てた。

 現にこの大陸の開発を進めるためには原生の魔物を駆逐する必要があるのに、剣や槍を持った多数の兵士を投入しての肉弾戦でそれを行っている。

 当然魔物は生身の人間が挑みかかっても倒すことは難しい。

「人対魔物から、人対人、か」

 歴史上の表舞台から魔法が消えた原因はハッキリとしていた。

 魔物を駆逐することで役立ったということは、人間に対しても絶大な威力を発揮するのは火を見るよりも明らかだ。

 大陸内からそれなりに魔物の数が減ると、人間たちは人間同士でも争い始め、その結果再び魔物の跋扈を許しそうになった。

 数度の大規模戦争を経た後、当時覇権を握った大帝国は国内の魔導士たちを粛清したことで、それ以降魔法に関するあらゆる記録も抹消されてしまう。

 その迫害を逃れた僅かな記録媒体も闇に潜り、衆人環視から姿を消した。

 そして、魔法という存在が一般的でなくなった今、一部の好事家たちの娯楽や趣味としてそう言った書籍が発行、購読されている。

 俺もまた、リーアの手腕によってか細いルートではあるが、幾つかの書籍を手に出来ていた。

「ご主人様、今夜のお食事のことでなのですが……すいません、取り込み中でしたか」

「いや、いいよ。それより、また魔法に関する書籍を本国から輸入出来ないかな」

 リーアは僅かに眉尻を下げ、腕組みをしてすぐには言葉を発さなかった。

「難しいか……?」

「出来ないことは無いでしょうけど、その趣味だけはあまり感心出来ませんよ」

「何でさ。ただの娯楽じゃないか」

「娯楽とは思えないぐらい、真剣な顔して精読されてるのを知っているから、そう申し上げたんです」

「興味のあるものに夢中になるのは自然なことじゃないか?」

「では言い方を変えます。娯楽としてではなく、まるで研究しているかのように見えますから、止めておいた方が良いかと思います」

 研究、と言う言葉にどれだけの意味を含めているのかは敢えて触れないこととした。

「でも、もし仮に魔法があれば帝國の大陸開発も楽になるだろうし、使い方を誤らなければ有用なんだろうな」

「お言葉ですが、一度のみならず何度も誤ったからこそ人類は魔法から訣別したのではないでしょうか」

「そうなんだけどさ……」

 何時になく憤慨した様子のリーアに対し内心思うところはあるものの、一般論だけを並べられてしまえばこちらも反論しようもなかった。

 違う一面を見れば、こう言った書籍は発行部数も少ないためどうしても値段も高くなる傾向がある。

 いくら金持ちであっても、浪費は必ずしも良いものとは限らない。

「……とにかく、夕食が出来ましたらお呼びしますので」

 もう一言ぐらい言ってやりたいという雰囲気をありありと感じながらも、引き下がって行くのを見届けてからもう一度書籍に目を通し始める。

 魔法の起源、その意味についての特集。

 読み耽っていると、リーアの声が聞こえた。

 夕飯のようだった。

 しかし俺はそれよりも、ある魔法についての記述が頭から離れなかった。




「ご馳走様」

「食後のお飲み物はどうされますか?」

「ん、任せるよ」

「承知しました」

 いつもの遣り取りをした後、食器を片付けるリーアの背中に向かって、好奇心をぶつけてみることにした。

「『沸き立ち目覚めよ、御霊の守護から解き放て』」

「!!」

 突如、視界が反転し背中に鈍い痛みを感じたと思った瞬間に、自分が椅子から突き落とされたのだと悟った。

 その行為者であるリーアの顔は、驚きと怒りに塗れていた。

「今の、どういう意味か分かってるの!?」

「え、いや」

 凄まじい剣幕に圧され、俺はすっかり気が動転していた。

 こんなに怒るリーアを見たのは初めてで、敬語ではない彼女を見るのも初めてだったからだ。

 俺に馬乗りになった態勢のまま、リ―アは息を荒げ、俺を見下ろしていた。

「本国から運んできた書物に、書いてあったの?」

「……そう、だけど」

「それには何て解説が書いてあったの?まさか何も無かったなんて言わないわよね?ねえ!」

「………………」

「信じられない……あんた…………人、殺すところだったのよ?」

 人を殺す。

 穏やかな日常とは対極に位置するその意味を、俺は瞬間全く理解出来なかった。

「今のは、火炎の力を以て対象の防御を剥がす魔法の意味。武装もしていない人間相手に使えば最悪、全身の皮膚を焼いて溶かしてしまう危険もあるの」

「え……」

「幸い、呪文も微妙に違うし発現しなかったから良かったものを……」

「リ、リーアは魔法が分かるのか……?」

 俺は驚きを以て彼女に問い掛けると、はっとした表情を見せ、やがて咳払いを一つ挟んで俺の上から身体を退けた。

「どうか全て忘れて下さい。大変、失礼しました」

「いやいやいや!知ってるなら教えてくれないか、勿論悪用なんかしないから!」

「…………」

「お願いだ」

「……私は、何も知りません。お役に立てず申し訳ございません」

 目を合わせようとはせず、両手の指先を忙しなく重ね合わせるような仕草が彼女の心情を物語っていた。

 リーアが魔法について詳しいことは確信が出来た。

 しかしそれを語りたくないと言う、彼女の気持ちを無理矢理こじ開ける真似はしたくない。

 きっと彼女は命令をすれば詳らかに話してくれるだろうが、明日からどんな顔をして彼女に接したら良いのかビジョンが皆無だった。

 どうするべきか、決めかねていると、ダイニングの入り口に人影があることに気付いた。

 暗闇に紛れるような黒衣に身を包んだ女性だった。

「お取込み中ごめんなさいね」

「あ、貴方は昼間の……」

 妙齢の勅使は妖しい視線でリーアと俺を交互に見遣り、そしてにっこりと微笑んだ。

「改めて、私は帝國情報調査部所属メリトアンネ・バウトと申します」

「あ、こ、こちらが――」

「ああ、もう貴方たちのことは知っているから大丈夫よ。それより、そちらの可愛らしい銀髪のお嬢様とお話してもいいかしら?」

「え、あ、その、お嬢様は今お風邪を……」

「ふーん?何か、言い争うような声が聞こえたような気がしたけど」

 またしても、俺の背中に冷たいものが走る。

 今日一日だけでこの一月分の発汗をしているのではないかと思うほどに汗が噴き出ている。

「えーと……」

「このお屋敷、貴方たちとは別に誰か居るのかしら。そう、若い男性、とか」

「いえいえいえ、私たちだけですよ!」

 余裕を失ったリーアが必死に否定をした後、そのまま硬直する。

 先ほどの言い争い、メリトアンネが聞いていたのだとしたらその言葉は失言と捉える他ないからだ。

 若い男、とは俺の声を聞いての推測で、この場には女性と自称女性の二人しか居ない。

 余程の場合を除いては、俺かリーアから発せられた声と言うことになるが、既にリーアは発言をしており女性らしい声をしっかりと発している。

 と、なれば疑惑は俺に向いてしまう。

 いや、最早これは疑惑ではなく確認作業以上の意味を持たない。

「ねえ、お嬢様。一言で良いの。何か言ってみて下さらない?風邪で辛いかもしれませんが……」

 いくら風邪を引いていると言う設定があるとは言え、テナーボイスの少女は有り得ない。

「……」

「も、もう時間も遅いですし、明日改めてご挨拶させて頂きたいのですがっ!」

「ふーん?ま、いいけど……。じゃ、今日は本館とやらに泊まることになったから、明日の朝食でお話しましょうか」

「はい、よろしくお願いします!」

 ブンっと風切り音が聞こえそうな勢いで頭を下げるリーアに倣い、俺も控えめに会釈をするとメリトアンネは踵を返して玄関の方へ向かおうとする。

 その一歩目を踏み出したところで、何かを思い出したように上半身だけ軽く捻る。

「そう言えば、最近の貴族のお子さんは女性が圧倒的に多いのよね。それで、二十歳前後で病死したかと思ったら庶子を名乗る縁者が現れて跡継ぎになる……。これって、偶然なのかしらね」

「え?」

「ああ、それとある本国の中堅貴族のお子さんが性別を偽っていたことが発覚した事件が去年あったんだけど御存知?」

「…………」

「その貴族、残念ながら領地を取り上げられちゃったの。放逐された一家は最近、僻地で集団自殺したのもちょっとした噂になってたり……怖いわね」

「そ、そうですね、はは……」

「それじゃあ、そういうことで。お大事に、そしておやすみなさい」

 今度こそ、ヒールを鳴らして彼女は去って行った。

 リーアが慌てて玄関先まで見送りに行くのを、俺は黙って見ていることしか出来なかった。

 最善は、病を称して明日一日屋敷から出ないことだが、疑いを掛けられたままメリトアンネが本国に戻った場合、厄介事に発展するのは目に見えているし最悪領地召し上げとなりかねない。

 元はと言えば父親の判断が元凶ではあるが、今はそうも言っていられない事態へと飛躍してしまった。

「ご、ご主人様……」

 この短時間ですっかりと憔悴した様子のリーアが心配そうに呟く。

 もう、魔法の話題を出す気は吹き飛んでいた。

「明日は、ズル休みしかないよなー……」

「それが……あの方去り際に『もし治らなかったらお見舞いに来てあげる』なんて言ってましたよ」

「く……それに、疑われたまま帰ったら追及の勅使が来たりして、なんて……」

「あ、そ、それっぽいことも、言っていました、匂わす程度ですけど……。これ、マズイですよね……?」

「んー、声だけ一言ってだけなら裏声でなんとかならないか……あー、あー」

「率直に申し上げますが、どれだけ贔屓目に見ても無理です」

「そ、そうか。なら、そうだな……………………声を変える魔法とかあればなあ」

 魔法、と言う言葉にリーアの肩がビクッと震えた。

「魔法、ですか」

「あ、いや、その冗談で――」

「ご主人様は本当に、魔法という理外の現象に飲まれないと約束出来ますか?」

「えー……っと?」

「つまり、普通の人間が本来実現出来ない事象を引き起こす摩訶不思議な力のことを総称して魔法と言いますが……多くの人間がその使い道を誤りより多くの人間を不幸にしました。その歴史を知った上で、ご主人様は魔法の本来の意味と使い道を理解して、それに従えるかを聞かせて下さい」

 安易に頷きたくはない、という生真面目な部分がまず即答を止めさせた。

 しかし、それは好奇心と興奮によって容易く凌駕されてしまう程度の小さな段差のようなものでしかない。

 数秒の間を置いて、俺がはっきりと頷いて見せるとリーアは小さく息を吐いた。

「分かりました、一晩頂けますか。明日の朝には解決になっていると思いますので」

「……痛いのは止めてくれよ?」

「何を想像しているのかは分かりませんが、指一本触れませんのでご安心を。それでは寝床を整えて来ますので、寛いでいて下さい」

「おう」

 それからはいつも通りの時間を過ごし、いつも通り床に入った。

 リーアは何か作業をするようだが、邪魔をするなと事前に釘を刺されてしまったので大人しく就寝することとした。

 が、不安と緊張で中々寝付けない。

 こんな時、安眠を促す魔法何て言うのもあったのだろうか。

 真剣にそんなことを脳内で議論していると、いつの間にか意識は闇の中へと落ちて行った。

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