開戦前夜 2
波に揺られながらも着実にアーカスを目指す航路の中、エギスは己の使命について改めて頭を巡らせていた。
向こうの屋敷に着いてからの行動の方針をまとめると、まずは何よりテトラス家へ向かうことが最優先だ。
帝都近郊の港では既に不穏な国際情勢を反映するように、何処か落ち着きがない空気感に満たされていた。
未だ情報の届いていないアーカスの人々は、穏やかな日常を満喫していることだろう。
彼の胸中にはある葛藤があった。
このまま戦争が始まり、帝國を中心に起こるであろう様々な変革や破壊に期待する一方で、全力で戦争を回避し僅かながら鬱屈としながらも安穏と暮らしていくことを望んでいる。
国同士が本格的に衝突し合った最後の戦争は、自分が生まれる前に勃発し生まれてすぐに終結した。
当時を知る人間は口々にその悲惨さや悍ましさを語ったが、父親は違った。
旧態依然とした貴族経営者の既得権益が破壊され、実力のある実業家が台頭した良い闘争であったと零しているのを何度か聞いたエギスは、無意識にその既得権益の破壊と新たな秩序創造に憧れていたのかもしれない。
それは在りし日の父親の後追いでしかないのだが、それに本人は気付いていない。
ともかく鎌首をもたげる野心を宥めつつ、冷静であろうとした。
「……父はこの戦争を良くは捉えていない。つまり、開戦して積極的な協力をしても利は少ないと見るべきか」
誰に聞かせるでもなく呟きながら、気分転換をしようと甲板に上がる。
バレギリア海運に仕える船乗りが各々の任務を遂行する姿を認め、邪魔をしないようそっと縁に寄りかかり風に当たった。
夕暮れ時ともなれば風も冷たく、飛沫を撒き散らす荒波は視覚だけでも寒々しい。
今、こうしている間にも皇帝の命を受けた兵士たちが開戦のその時をじっと待ち続けているのだろう。
その時、海運業者でしかない我らには一体何が出来、何をすべきなのだろうか。
先行きが見えないのは商売でも同じだが、商機という言葉のとおりそれなりに匂いがある。
しかし経験したことのない戦争という要素が加わると全くの闇の中だ。
少しの間、身を晒していただけでも震えが走るほど身体が冷えてしまったため、もう一度船内へ戻ろうと姿勢を戻すと、その視界の端に何かが映った。
水平線上、船のようだった。
船同士が海上で出くわすことはそう珍しいことではない。
しかしその船はどう見ても輸送船ではなく、どちらかと言えば速度の出やすい連絡船のようなフォルムをしている。
進行方向からしてもエギスたちと同じように、アーカスを目指しているようだった。
「貴族の者か……だが、あまり見慣れない船体だな」
思わず独り言を漏らしたところで、その船はぐんぐんとこちらに近付いていることに気付く。
航路を修正しているにしては、余りにも急速に接近してくるため何か異常があったのではないかと身構え、他の船員が気付いていないのかを探った。
間もなく、同じように近付いて来る船に気付いた見張り員が警戒を促す鐘を鳴らした。
視界が悪くなりつつある中、目を凝らして観察を続けるとその船には識別旗が掲げられていないことが分かった。
識別旗とは、正式に海上を行き交う権利のある船にのみ与えられる許可証のようなもので、当然バレギリア海運の所有する船には全て配布してある。
それを掲げていないと各港に入れないどころか、場合によっては拿捕される可能性もあるため、出港に当たっては必ず点検される。
その識別旗が無い船となれば、通常は事故や悪天候に見舞われ紛失したという事態も考えられるが、見た所船員が助けを求めるような様子も見られない。
甲板の船員たちが声を掛け合い、手旗での交信を試み始めた。
が、応答は無く遂にその目前にまで船体が迫ると、動きがあった。
旗が上がった。
エギスはその実物を実際に見たことがあるが、それは陸の上での話でそう言った事態に遭遇した訳ではない。
「せ、戦闘旗だ!」
誰かがそう叫ぶと同時に、耳元に飛翔音が炸裂した。
咄嗟にしゃがみ込んで身を船体に隠し、その正体を恐る恐る確かめる。
エギスの側に打ち込まれたのは、矢だった。
「しっかりしろ!」
「撃ち返せ!」
「船を離せ!」
船員たちが口々に指示を飛ばすがその指揮系統は統一されておらず、一部の者が反撃し、一部の者は操舵室へ走り、そして不運にも初撃に斃れた味方を助け起こす者も居る。
実のところ船長はエギスではないため、今彼が指示を出しても事態はそう簡単には改善しないだろう。
ならばせめて敵は何者なのかを突き止め、その対処を船長に求めるべきと考え用心しながら縁から顔を出す。
戦闘旗以外に判別の出来る材料が何か無いか、必死に視界中を観察した。
その時、敵の射手の一人の兵装がよく見えた。
薄手のくすんだ黄色を基調に袖に赤い帯のようなデザインが施されたそれは、紛れもなく公国兵だった。
それを認識した瞬間、エギスの心臓が一つ大きく鼓動した。
何故、ここに公国が?
いや、それよりも何故躊躇いもなく此方を攻撃している?
整理し切れず呆然とするその間にも、休む暇なく矢が撃ち込まれ船員が斃されて行く。
そして、「乗り込むぞ!」という敵の声を聞いた。
瞬間、船が激しく揺れた。
悲鳴のように軋む音と共に、各所に船同士を固定するべく太い網が投げ込まれ、間髪置かずに公国兵が乗り込んで来た。
手にした剣で抵抗する船員たちを切り伏せ、エギスを見付けると彼らは殺到してくる。
逃れようとするがここは海上で、逃げ道は限られているためすぐさま包囲されてしまう。
「……」
無言で迫る兵たちは一応警戒をしながらも、その包囲を狭めて来る。
どうやら生け捕りにするつもりらしい。
丸腰のエギスでは一人も道連れには出来ないことを自覚しており、あっさりと彼は覚悟を決めた。
荒波に、運命を託すことに。
「っ!」
意を決して海面に飛び込むと、すぐさまその冷たさが皮膚を通り越して身体の芯にまで響く。
それは想像以上のもので、身体がすぐに動かなくなり意識が一瞬にして朦朧となる。
遠退く意識の中で最後に彼が見たのは、遠くに見える悔しがる敵兵たちの顔だった。
軍靴の音が未だ届かぬアーカスの港は漁から戻った漁師による市が賑わい、輸送船の荷降ろしに忙しなく声が満ちていた。
その輸入品のうちの一つ、タグが付けられた木製の長方形の箱が直ちに場内に待機していた馬車に運び込まれる。
受け取ったのを確認し、御者が馬の手綱を引くと馬蹄の音は程なく遠ざかっていった。
街中には月に何度か立つ輸入品市に湧き立ち、人の出が多い。
広々と設計された大通りを埋め尽くさんばかりの客たちの間を縫うように馬車は進むが、その速度はお世辞にも早いとは言い難い。
御者の顔にも焦燥が浮かび、盛んに道を空けるよう呼び掛けるが焼け石に水。
馬車の中の人間の勘気を蒙るとも知れず恐怖に取り憑かれた御者の必死の叫びは、虚しく雑踏に掻き消されてしまう。
そして、行き脚が止まろうかという瞬間に馬車の扉が開く。
反射的に顔を向けた御者が見たのは、軽やかな身のこなしで馬車を降りた黒髪の少女二人。
その容姿は揃いの従者服を纏っていることもあり、瓜二つで見分けは付かないように見える。
唯一の見分け方を挙げるならば、瞳の色だけが違っていた。
赤い瞳の少女が両手を地面に着け、何かを呟くのと同時に緑の瞳の少女が馬車の進行方向へと手を翳し、同じく何かを呟く。
すると、数秒の後人混みがぱっくりとキレイに二つに分かれていく。
あくまで自分の足で人々が数歩歩いたのであって、何かに押し退けられたり、物理的に消し去ったわけではない。
その様子に圧倒され言葉を失う御者に、馬車の中に居た別の人間から声が掛けられた。
「さあ民衆の好意に応えて進みましょう。お嬢様の人徳に感謝しながら」
「は、はい!」
慌てながらも馬に鞭をくれると、嘶きと共に馬車が無人となった路を軽快に走り出した。
大通りを抜けると、二人の少女はそれぞれ一礼してその場を辞し馬車を追い掛け始める。
あくまで優雅に、迷惑のないように。
輸入品市の盛り上がりは、まだまだ増しそうだった。
テトラス家別邸、と呼称される北方大陸におけるテトラス商会の根拠地であり名代を称するエレイナ・テトラスの居宅は、その敷地の奥まった場所にこぢんまりと佇む。
馬車から降り立つその所作は、正しくお嬢様然としたもので御者が見惚れるのは何時もの事。
先に降りていた従者服の女性が玄関扉を開けて待機しており、そのまま屋敷内に入ったところで従者が扉を閉めた。
一人取り残された御者は踵を返し、馬車のある本館方面へと戻って行った。
それを窓から見届けた彼女こと俺は、これ見よがしに膨れ面を見せつけた。
その相手は誰と言わずともその場には一人しか居ない、先任従者のリーアだ。
「魔法は極力使わないのが望ましいんじゃないのか」
問い詰めるような言い方になるのも仕方のないことで、ルミアとサミアが来てからと言うものの彼女の指示で軽々と魔法を使用する場面が目につくことが多くなった。
執事長を始めとする一般的な人間がそれを目撃したらどうなるかは、リーアがよく知っている筈なのに。
「勿論その通りです。ですが、今を平時と思わない方が良いでしょうから」
彼女の言葉を、俺はあまり深刻には捉えてはいなかった。
最も帝都の情報が早く集まる港の雰囲気を見ても、何か変事があるとは思えなかったからだ。
「とは言っても、二十年近く前に戦争をしたばかりで各国も争いは回避しようとする筈って、リーアが自分で言っていたんじゃないのか?」
「通常の領土目的の戦争なら回避しようとするでしょう」
「……何だと?」
含みのある言いぶりに、俺は興味を引かれていた。
「恐らくですが、帝國は戦争に踏み切るでしょう。……ただ、その戦略的目標や標的を万人に納得させることは出来ないと思いますが」
「領土目的でないのなら、報復のため、とか?いや、そもそも爆破をした犯人を差し向けたのが誰なのか、それも分からないんじゃ戦争の相手なんて……」
これがもし自国内の反抗勢力の仕業であったのなら、対外戦争はお門違いということになってしまう。
その辺りの検証が行われているのかは、時間的に怪しい。
「例えば、帝國にはある目的があって戦争を仕掛けるのに都合の良い口実を用意していたとしたなら、今回のことをどう処理すると思いますか?」
「…………その対象国のせいと喧伝して世論を操作し、円満に戦争に突入する」
その結論を前提に考え直してみると、あの鉱山開発そのものが撒き餌である可能性すら浮上する。
膨大で巨大な労力と金を注ぎ込んで来た成果物そのものが全てそうだと考えると、空恐ろしいとすら思う。
そうでもしないと得られないものが、存在するのだろうか。
「戦争に突入してしまえば、このアーカスの安全も十分とは言えなくなることも有り得ます。故に日頃から危険性の無い程度を測って訓練を行っているので、ご安心を」
物は言いよう、ああ言えばこう言う。
最近のリーアは何を言っても無駄と言うか、独善が過ぎるように見受けられるがその判断は概ね正しいので言い辛いのが現状。
苦い顔をしながら言うことを聞くと言う機会が多いことは、何処かで言わねばならないと思いつつもその機会は中々訪れない。
「そういうことなら、この隔絶された環境を生かして人目に付かないように訓練をだな」
「意味が無い、とまでは申しませんがやはり対人での経験値は貴重です。これは剣などの武術に於いても同じことが言えます」
「分かった、もう何も言わん……。二人が帰って来たらお茶でも淹れてやってくれ」
半ばうんざりとした様子で自室へ向かおうとすると、リーアが呼び止め、
「その前に、この受け取った荷物の確認をお願いします」
彼女が両手で抱える木箱の中身については、既に知っていた。
と言うより、俺が発注したものでもある.
「分かった。開けてくれ」
取り付けられていたタグを取り外し、早速その木箱の蓋を取り外すとその中には一振りの剣が収められていた。
軍の兵士に支給されるような武骨な作りのように見えて、細かい部分に装飾が行き届いた逸品となる。
肝心の切れ味については実際に試し切りをするまでは分からないが、カタログスペック上では人体を数人切っても刃毀れ一つしなかったという名工に依頼をしていたので、心配は要らないだろう。
実際に手に取り、鞘から抜くと怜悧な煌めきに思わず引き込まれる。
「うん、満足だ」
「鑑賞用ではありませんから、後程私が確かめてみます」
「それについては俺が自分でやるから、その時指示するよ」
畏まりました、と木箱に戻した剣を元のように仕舞い込むと丁寧に運び出されて行った。
表向きは先の爆破事件ような事態に遭遇した際の護身用と称して買い付けたものだが、その真意はどちらかと言えばもっと広汎な、俺を傷つけようとする人間に対する備えだ。
何れにしても、一度も抜く機会に遭遇しないに越したことはないが、どうにもその望みは薄いような気がしてならなかった。




