裏家業と女装 3
「流石は貴族令嬢と言うことでしょうか。食材の一つ一つに拘りと言うか、鮮度や品質の良さがよく分かる料理の数々。とても我々では普段口に出来ないものばかりですね」
前菜からデザートまでの五皿に渡る料理の全てを、満遍なく少しずつ口を付けたバルドロスは水滴の浮き始めたグラスを傾け、満足そうに一息吐いた。
「……お口に合ったようで、安心しました」
俺はと言えば、幼い頃から教え込まれた手順を守って一皿ずつ味わっている。
その進捗具合で言えば、二皿目となるスープを飲み終わったばかり。
特段、俺の食事の速度が遅い訳ではない。
寧ろ彼の食事速度が速すぎると言うか、摘み食いをした程度だ。
通常であれば、気に入らなかったと見るべきなのだろうが、そのような様子でもない。
「……っと」
懐を探るバルドロスが声を漏らした。
「どうぞ」
間髪入れず、後ろから煙草が差し出され、彼は会釈をしながらそれを受け取り火を灯した。
「ああ、食事中の喫煙は好ましくありませんでしたか?」
「いえ……」
あれだけのことを前置きしておきながら、このまま大人しく彼が帰るとは思えなかった。
或いは、こちらが食べ終わる頃合いを見計らっているのか。
悶々と三皿目の魚料理に手を伸ばしたところで、ゆっくりと煙を吐き出した彼が遂に視線をこちらに向けた。
「さて、本題なのですが……。今回爆破されたあの鉱山地帯の開発も、御存知と思いますがキーアが関わっています。当然、テトラス商会さんも関わるどころか、牽引する立場とも言える。膨大な物資の海上輸送が可能だからこそ、開発を行う意義があると言うものですが……そもそも、テトラス家は最初から海運についてのノウハウがあったとお思いですか?」
俺は肯定することも、否定することも出来ずに目を伏せた。
「……あまり難しい話を並べ立てても仕方ありませんね、単刀直入に申し上げましょう。今回の爆発事件の中心にお嬢様の存在があることは最早逃れようのない事実となります。故に、身の安全を守る意味も含めて、今後は我々との連携を密にし今後の事に当たって行かねばならないと考えます」
「それは、どういう」
「具体的には、キーア広域産業ギルドの外部顧問として名を連ねていただきたい」
有無を言わさぬよう、ここぞとばかりに真直ぐな視線が俺を捉えた。
こうなるように発言を誘導されていたと言われても、全く不思議はなく、完全に相手のペースだった。
もし、ここで否定の言葉を口にしてもすぐに潰されてしまうだろう。
それでも素直に頷くことは避けたかった。
「それは出来ません」
口を挟んだのは、リーアだった。
堪えに堪えた上で、堪え切れずに発せられたのであろうことが容易に分かる程、彼女の声は切迫していた。
「……」
「あくまでも今回のお話は組織としての話となるでしょうから、交渉の取次は出来ても決定を下すのは当主の権限です。どのような事情があったとしてもここで承諾する訳には参りません」
「お嬢様。失礼ながら、主人と客人の重大な話し合いに従者が口を挟むのは如何なものでしょうか。それとも、始めからそう言った目論見で話をされるつもりだったのですか?」
「そ、それは……」
「私の独断です」
リーアの語気は、強い。
それに応えるように、バルドロスの視線に険が混ざり込み始めた。
「話にならないな……。お嬢様、その従者をどうか退出させてもらえないでしょうか。後でどのような罰則を科されるのかは此方の知るところではありませんが、ともかくこの場には相応しく無いと受け取っておりますので」
「お嬢様、そのような要請に従う義理はありません。彼らは此方を混乱に陥れている内に、自分たちに都合の良い利益を得ようとしているに過ぎません」
「完全な誤解だ。私は必要な事実を話しているに過ぎない。それ以上の発言は侮辱と見做すことになりますよ」
「第一、彼はキーアの人間ではあっても使者に過ぎません。一度保留して本国に持ち帰ってもらいましょう」
「貴様……」
穏やかだった物腰は何処へやら。
今にも掴み掛らんばかりに眉間に皺が寄り、吸い終えた煙草の吸殻を灰皿へ投げつけた。
「バルドロス、もう良い」
剣呑な雰囲気に一石を投じたのは、バルドロスの後ろに控えていた女性で、先ほど彼に煙草を手渡した女性である。
服装の色彩こそ黒ではあるが、スカートではなくパンツスタイルにジャッケットと堅い印象で、バルドロスの秘書かと思われたが彼の様子が変わった。
「そこの使用人が言う屁理屈、受けてやろうじゃないの」
「……申し訳ございません」
「構わぬ。で、そこの使用人。事態は刻一刻を争うという自覚はないのか?そこの主君を守ろうと言う気はないのか?」
「誰ですか、貴方は」
リーアの誰何に、女性はゆっくりとリーア、続いて俺を睥睨すると後ろで一つに纏め上げていた黒髪を乱雑に解いた。
心なしか目付きも鋭く寧猛なものに変わった。
「キーア広域産業ギルドのギルドマスター、だけど?」
「……え」
幹部の筈のバルドロスが恭しく席を立つと、ギルドマスターを名乗る女性の後ろに控えた。
「組織とは個人の集合体で、答えを出して導けるのは頂点に立つ一人。間違いではないが、それが万事とは限らぬし、寧ろ事物の進行を滞らせるまである」
席に着いたギルドマスターは悠然とした態度で、表情一つ変えずにバルドロスが手を付けた料理を食し始めた。
二の句を継ぐことなく黙々と食べ進め、ふと手を止めると何かを探すように視線を彷徨わせると、背後から別の部下から手渡されたグラスと瓶をバルドロスが差し出した。
グラスに満々と湛えられた赤ワインを、ギルドマスターは一息で飲み干して見せる。
見た目には神経質そうな細身の女性であるというのに、それとは相反する食べぶり、飲みぶりだ。
「立場が立場だから、毒見も必要なこと。暗殺や謀殺の未遂に遭ったことぐらいあるだろう?」
バルドロスから瓶を奪い取った彼女は自らの手でそのグラスに再びワインを中ほどまで注ぐと、ぐいと俺に近付けた。
「この話はキーアの為と言うよりもテトラス家の為になる。既に当主の親父殿にも話を付けてから此処に来たのだし、言う通りになさいな。ここまで手厚いのも生まれた家が良かったからと感謝して、その杯を口にすれば丸く収まるのだから」
強引、と言う感想以上に不気味だった。
未だに俺が現実感を覚えていない事象に対して、遠方に居ながら最善の手を迅速に下しているのだ。
そして、今俺の運命をもその自らの管理下に置こうとしている。
そう考えれば恐ろしい以外の感想も出て来ず、ただただ妖しく佇むグラスの中身を覗き込む以外に出来ることは無かった。
最早、リーアも口を挟もうとはせず呆然としていた。
「一つ、良いことを教えておこう」
もう一つ、新たなグラスを受け取ったギルドマスターはまたしてもその半分程までワインを注ぐと、徐に此方に差し出していたグラスに軽くぶつけた。
ガラス同士が甲高い音を立て、彼女はそのまま中身を美味そうに飲み干した。
無論、一息で。
「我々の世界では、間違えば死ぬ。躊躇っても死ぬ。そして、正しくても死ぬ」
彼女の口唇の端からか細い一筋の紅が、一瞬血液と見間違える。
乱暴にそれを手の甲で拭き取ると、瓶にそのまま直接口を着け、その残りを喉を鳴らして嚥下する。
粗暴な所作である筈なのに、彼女の見た目の所為か異様な迫力が伴っていた。
「必要なのは正しさでも速さでも勢いでもない。生き残ること、ただそれだけ。死にたいのなら杯を退け、死にたくないのなら杯を取れ」
乱暴な語り口に、タイムリミットが近付いていることを悟った。
助けを求めようとさり気無くリーアを見遣るが、万事休すと言った様子で目線も碌に合わない。
俺は父を、家を恨んだ。
反社会的な人間と強制的に友誼を深めなければならないなんて、本心ではまっぴらご免だ。
しかし今の状況はどうか。
従わなければ殺すと言わんばかりに交渉、否、脅迫を押し付けられている。
「さあ、如何に」
俺は、天命と言うのは少し憚られるだろうが、この世に生を受けたことの意味を認識出来ずにいる。
寧ろそんなものは無いのかもしれないが、少なくとも有力者の下に生まれたからには為すべきことがある、と思いたかった。
但し、それは安全な足場があってこその話で、行く先も不透明なまま踏み出せる程冒険心は強くない。
「…………」
「し、失礼ながら……お嬢様は顔色が優れないようですので、一旦退席致します」
勇気を振り絞ったように細かく震えた声音で、リーアが切り出した。
バルドロス、そしてギルドマスターの二人は特に異論は挟まず視線だけを外した。
冷たく、底知れない圧から逃れられ、無意識の内に俺は安堵の吐息を漏らしていた。
促されるままに食堂を出て控えの間に入ると、リーアが俺を抱きしめた。
「……嬉しいけど、どうした?」
茶化した空気を作ろうと努めるも、重苦しさは晴れなかった。
「私、ご主人様をお守りすると誓ったと言うのに……全くお役に立てなくて…………」
「確かに面食らったけど、何て言うか……仕方ないかなって」
慰めではなく、素直な感想だった。
「仕方、ないのですか……?」
「立場と言い、今回の事件と言い、やっぱ俺の人生って一筋縄では行かなさそうだなって」
「その道筋に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除く或いはその手助けが私の職務です。それを全う出来ず何が側近、従者なのでしょうか……」
「俺は助かってるけど」
凹んでしまった従者をどう元気付けたものかと考えを巡らせる傍ら、俺は端的な解決法に既に思い至っていた。
「しかし……魔法が何故か通じなくて……」
「え、マジで?」
「その、グラスが突き出されたところで精神に作用するような魔法を幾つか試行したのですが、一切効果は無く……と、言いますかそもそもあのギルドマスターを名乗る人物は精神に疾患があるかのようにお酒飲んでますし」
「ん、待って」
俺ははたと自身の内に浮かんだ疑問を今更に認識した。
「どうされました?」
「ギルドマスターって、女性なのか?それも、若い」
「……実は、キーアの中枢については確かな情報が無いのが一般的でして、ある程度国内の拠点に点在する有力者について以外の幹部については未知です。あのバルドロスと言う男にしても、あの女性にしても嫌な凄味があることは分かりますので、全く否定出来ないのも事実です」
及び腰の牛歩戦術を敷いて待ち受けてみれば、その間合いを無理矢理詰めるような奇襲を敢行してきたために、リーアも対応が出来なかった。
その理由は今彼女の述べたように、幹部の顔と名前を知らないことにある。
主要な貴族家であれば何処かしらの晩餐会や、懇親会等で顔を見る機会があるため、どのように対応すれば良いのか事前学習が可能だ。
「貴族家で言えば、若年の女性が当主になることは稀……それも暫定的で権力とは切り離されるのが通例です。まあ、アレは普通の組織と定義するには余りにも捻じれていると言いますか、逸脱していると言いますか」
「貴族は慣例や血統を重んじるが、彼らはどちらかと言うと実力主義のように見えるな。つまり、バルドロスもあの女性も強者ってことになる」
神経質そうな見た目からは想像も出来ない言葉遣いと、その行動や押しの強さに何かしらの裏付けがあって然るべきと考えるのが自然だ。
窓から、緩やかな涼風が吹き込んだ。
兎にも角にも、何とか抜け出したのは良いが間もなく戻って答えを出さねばならない。
今のところ殆ど無抵抗に向こうの要求を、言葉通り飲まされることは想像に易い。
「何とか、この場だけでも回避しなくてはなりません。幾ら他の貴族家の人間が屈服していたとしても、我々は名実共に潔癖であることに越したことは無いと考えますから。ここさえ凌げば当主様とも示し合わせて……」
「いや、実は俺はこのまま飲んでも良いと思っている」
「どうされましたか、美味しいお酒なら今度仕入れますので我慢して下さいませんか?」
「俺そもそも酒とか飲まないだろ……。じゃなくて、このままふんわり否定や拒絶を続けても逃れられない気がするし、それならまだ何か引け出せる内に仲間になった方が得、とも考えられるだろ」
瞬間、リーアの顔が露骨に曇る。
しかし、脊髄反射的な反論も無いことから一応有力であることは認めているようだ。
「お勧めは出来ませんよ?ただ、考えがあるということなら……細心の注意を払って頂くことを前提に、そして必ず最低限の関わりだけに留めるよう……」
「長い長い、分かってるから」
「ですが……」
心配性と片付けるのは簡単だが、それだけ危険と思われる組織と関わりを持とうとしていることを再三口にする彼女の気持ちも十分理解出来る。
俺は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すと、丁度別の従者が扉をノックした音を聞いた。
相談時間は終わりらしい。
リーアの不安に揺れる瞳を見据え、そっと頭を一度だけ撫でてから呼び掛けに応え、扉を開いた。