裏家業と女装 2
本館に着くと、従者たちが忙しなく行き交い、着々と昼食会の準備が進められていた。
労いの言葉を掛けつつ、用意された控室でリーアによる容姿の点検を受けながら時間を過ごしていると、一台の馬車とそれを守るように物々しい数の護衛が敷地へ入って来るのが窓から見えた。
それなりに統率された行列であるが、軍や貴族の私兵とはまた違う独特の雰囲気が滲み出ている。
全員が鎧の類ではなく、真っ黒なジャケットスタイルで統一されているが兜を被っていないため顔が見えるものの、その髪色や髭等も自由らしく様々だ。
一言で言い表すならば、ガラが悪い。
「……お嬢様、あまり直視なさらない方が……」
「何でさ。素肌にジャケット一枚の男がちらほら居るから?」
リーアは溜息で肯定の意を示した。
「お年頃の子女が見るべき光景ではありません。……くれぐれも、無暗に話し掛けたりしないで下さいね。私が口火を切りますので、その時だけ然るべきお言葉を発して下さい」
「物凄く信用されてないみたいで傷つくなあ。如何にもお飾りの箱入り娘って感じでさ」
「実際そうじゃないですか。それに、今この大陸の中でテトラス家の当主代行を務められるのはお嬢様だけですから、ご自身の一挙手一投足の重みを自覚して下さい。何か不手際があれば、当家全体の名誉に関わりますから」
尤もらしい正論を振りかざすリーアに渋面を向けつつ、横目で一団の様子を窺う。
出迎えに向かった従者が、先頭に立つ男に丁寧に一礼をしてから話し掛けているようだが、ものの数秒で詰め寄られていた。
何か粗相でもあったのかと考えるところだが、相手の風貌が風貌なので理不尽なイチャモンをつけられたのかもしれない。
謝罪のためか何度も腰を折って頭を下げる従者と、それに納得せずもう一人が加勢し始めた。
「……ご覧の通り、マトモな相手ではありません。使用人とは言えど貴族の領内でもあの態度ですから、普通の交渉をしようとは思わないで下さい」
「嫌だな、凄まれたらちびっちゃうかも」
「せめて泣くぐらいで堪えて下さい」
どこか憂鬱そうな態度を見せるその理由がよく分かった。
出来れば関わり合いにはなりたくないし、関わってしまってもすぐに縁を切りたいと思わせるのはその粗暴さだけではないだろう。
「とにかく、助けに行かなくて良いのかな」
一向に話が進まないのだろうか、同じ動作を繰り返す双方に痺れを切らしたのは俺だけでは無かったようだ。
行列の後ろから、ゆったりとした足取りでやってきたガタイの良い黒ジャケットの男が、従者に絡む二人の男の肩に手を置いた。
二人は同時に振り返り、従者を指差しその不手際を説明しだしたと思った瞬間、男が数メートル吹き飛んだ。
ガタイの良い男が殴り飛ばしたせいだ。
振り返ると、続けざまにもう一人も同様に殴ると、そこに仰臥して気絶する二人の男という状況が出来上がった。
従者に向き直ったその男はゆっくりと一礼すると、行列に号令を下し、本館に向けて歩み始めた。
二人の男は順次護衛の男たちに回収され、共に近付いて来る。
「まさに暴力……実力の世界って感じだな」
「アレ相手にするのは本当に勘弁なので、煽ったり挑発はしないで下さい。絶対に」
「こっちがその気は無くても、向こうから絡んで来るでしょ。好んで争う気は無いけど喧嘩売られて何もしないって言うのも、それはそれで名折れと言うかなんと言うか」
「それは……ともかく、関わり合いになるのを避ける方向でお願いします。会食が終わったら、視察前に仕入れたお茶を淹れますから」
それはとても魅力的な提案だった。
帝國の首都たる帝都ですら、安全な飲み水は集中管理された国営の井戸の水以外は川の水を煮沸するしかない。
すぐに飲める安全な水は、安価な酒よりも高くある意味貴重だ。
そしてその水を更に一手間掛けて楽しむお茶と言う文化は、必然的に上流階級の余裕のある人間のみに許された嗜みということになる。
また茶葉や茶豆の種類やグレードに言及していくと、各地の特産とされる品種にもさらに等級が定められており極めて行けばカップ一杯のお茶の値段は際限なく上がっていく。
会食の他にも貴族間の交流には茶会があり、その名の通り持ち寄った茶を一杯ずつ出し合うという催しがあるが、露骨な値段や希少性のマウントの取り合いとなるので知識を持つことだけでも必要と言われている。
即ち、茶に精通することは経済力と教養の分かりやすい指標となっていることを示す。
とは言えそれはあくまで貴族同士か一部の豪商のみの認識で、今日の客人がそう言った話題が通じるのかは甚だ疑問だ。
やがて準備が整ったことを従者が告げに来たことで、今一度居住まいを正して会場へと向かった。
「お初目にかかります、キーア産業組合ギルドマスター筆頭補佐を務めますバルドロスと申します。本日は急な訪問にも拘わらず、このような会食の場を設けて頂き感謝します」
やや長めの黒髪を後ろで一つに結んだ年若い、青年と呼ぶに相応しい男は穏やかに口上を述べた。
首元の釦こそ外しているが、清潔感のある無地のワイシャツに黒いジャケットに揃いの黒のスラックスと言う出で立ちはシンプル極まりない。
バルバドスと名乗った青年はさっぱりとした顔立ちをしているが、顔の右側のこめかみから左側の頬に掛けて荒々しい一文字の傷跡が刻まれており、異質な印象を与える。
「ご丁寧にありがとうございます。此方に控えるのが、テトラス家のご令嬢の――」
「エレイナ様ですね。噂に違わぬ美しさを拝謁出来たこと、光栄に思います」
あろうことか、目の前の青年は無表情でリーアの口上を遮り言葉を継いだ。
貴族同士であれば、それだけで一触即発に発展しかねない重大な儀礼違反である。
しかし相手は名義上だけで言えば民間人であり、儀礼の瑕疵を責めることは寧ろ大人げないと言う評価を下されかねない。
そこまで分かっての算段であるならば、かなりやり難い相手だという認識がこの空間に居る人間は抱くことだろう。
「……では早速、前菜の方からお持ちいたします」
一呼吸置いて、リーアが食事会を開始する宣言を口にした瞬間、またしてもバルドロスか手でそれを制した。
「我々のために長い時間を取らせることも申し訳ない。かと言って、用意して頂いた料理を無駄にすることも良くない。どうでしょうか、せっかくテーブルも広いことですし、全品並べてしまうと言うのは」
思いがけない破天荒な提案だが、それは俺たちの望む短期決戦の形とも合致する。
目線を交わし、思案顔を見せながら答えたのはリーアだった。
「お気になさらずとも、本日の会食を楽しみに準備をして参りましたので、お嬢様を始め家中一同心ゆくまで楽しんでいただければと存じております」
「儀礼は不要でしょう。招かざる客であることは重々承知の上で訪ねて来ましたから、どうぞお気遣いなく」
「随分、悲しいことを仰いますね」
俺も会話に加わり、彼らの真意と言うか魂胆を探ることとした。
「お天道様の下を、恥じらうことなく歩けない身分ですので当然でしょう。我々が普通だと定義しようとすると少し街の情勢が良くなくなることは目に見えています。嫌われる所以も全て納得していますので」
裏社会の取り仕切り。
彼らの仕事をかなり大雑把に言い表すのならそれ以外にしっくりと来る表現は無いだろう。
好き好んで交友を持つ人間もまた、少しばかり特殊であることは否定出来ない。
バルドロスは、それでも生真面目な仏頂面で鼻を鳴らした。
「……分かりました。そこまで仰るのなら。予定を変更して、料理を全て一度にご用意いたします」
一礼の後、リーアの指揮の下全ての従者たちが慌ただしく動き始めた。
急に段取りが変わったため、部屋を出て急遽打ち合わせをする者も多い。
バルドロスと、供回りとして入室を許可された数人はそれを意に介することなく寛ぎ始める。
唯一着席している彼が懐から一本の細い紙巻の煙草を取り出すと、部下が火を熾そうとするのを一瞥することもなく自身の手で燐寸を点けて一服した。
ゆったりとした所作で、ふうと長く紫煙を吐き出し物思いに耽るように視線を虚空の一点を眺める。
「…………お嬢様。失礼ながら、商会の事業についてはどれ程理解をされていますか」
煙をくゆらせつつ、誰に聞かせるでもないような口ぶりでそう問うたバルドロスに、俺は正対するよう努めながら、答えの言葉を探した。
リーアとの事前学習では、何気ない会話ですら後に脅しの材料にされかねないと教示されていたので、慎重に脳内で言葉を選びつつ、間延びしないように食卓に用意されていたグラスの水を口に含んだ。
思いの外、緊張しているらしく唇を潤し喉の渇きが癒える。
「随分抽象的なので、お答えしかねます」
「成程、殆ど知らぬと」
間髪の無い返しに、少なからず動揺してしまう。
声を漏らさなかっただけ自分を褒めてやりたいが、目の前の男は全く追撃の手を緩める様子は無い。
視線どころか顔の向きすら合っていないと言うのに、息苦しい圧迫感を感じる。
「大方、適当な相槌で答えは出さずに時間切れ、というつもりなのでしょうが、それは難しい相談でしょう」
「どういう、意味でしょうか」
「私どもが遥々足を運んだ理由、その根本を理解していただくところから話をしましょう。そもそも、我らキーア産業広域ギルドと、あなた方の関係性は形上の相互出資にある」
「……」
「つまり、我々は仲間なのですよ。キーアの金で今日もテトラス商会さんの船が海上を行き交い、テトラス商会さんの金でキーアだけでなく傘下のギルドの構成員たちも飯にあり付ける。簡単には解けない絆が、互いの間に存在していて、それを無理矢理にでも断ち切れば多数の人間が困ることになります」
俺はバルドロスの言葉の意味が、最初は全く理解出来ずに絶句していた。
しかし、次第に飲み込めて来るとゾクりと全身に悪寒が走った。
たったの十数年程度とは言え、家の商売を傍らで見ていた中では一切黒い影のようなものは見えなかった。
全くの清廉とまでは言えなくとも、まともに裏社会の人間と付き合いがあるとは思っていなかったため、益々動揺が深まる。
「商会やギルドを人間の身体に例えるなら、金は血液です。まともに動こうと思えば、当然まとまった血と安定的に供給される血の両方が必要になる。今のキーアとテトラスさんは殆ど一体化していると言っても良い程に血の循環をしています。勿論、金だけではなく互いに得意な仕事を委託したりもしていましてね、大変良いお付き合いをさせていただいていると、私個人は考えています」
淡々と、世間話をするようにゆっくりと煙草を吸いながら放たれる言葉は止まらない。
「そう落ち込むような話ではありませんよ。同じように関係性を持つ貴族家は多数ありますし、中にはキーアの出資金が家としての収入の大半を占めているような家もあります。テトラス商会さんは……まあ帳簿でも見て下さい」
一本の煙草を根本に近い箇所まで吸い切った彼は、テーブル備え付けの灰皿を見付けるとまだ火種が燻る断面を押し付け、始末をした。
そのタイミングで、カートに載せられた料理が運び込まれ始めた。
配膳中は一切言葉を発せず、再び何処を見ているとも判断出来ない視線を虚空に送っている。
俺は、それを呆然と見ていることしか出来ない。
普段ならば食欲をそそられる匂いに腹の虫が一鳴きする筈が、胃の奥の方がムカつく不快感に覆われてしまっている。
「色々と私も驚いていますが、ともかく耐えて下さい。後で甘えて良いですから」
それを見かねたであろうリーアが、そっと配膳を手伝うフリをしながら背後より耳打ちをしてくれた。
頷くので精一杯だったが、何とか踏み止まれた気がした。
メインとなる料理がそれぞれの目の前に置かれると、バルドロスと目線が合った。
仏頂面の中で、僅かに口角が上がっているようにも見える。
どうやら、こちらが食事の開始を宣言するのを待っているらしい。
急に失礼になったかと思えば、急に律儀になるその緩急の不気味さに耐えつつ、俺はフォークに手を伸ばした。




