表舞台で女装
投稿頻度は不明、一週間に一話掲載出来たらいいな、と夢見る。
「ねえ、あの娘じゃない?」
「噂通り愛想の無い顔してるわね」
一方から、態と聞こえるように嫌味を言う声が聞こえる。
「こ、声掛けてみようぜ」
「ダメダメ。ああいうのは親が結婚相手決めてるもんさ」
そしてもう一方からは、はしゃいだような声。
双方の声の主たちの視線の先には、シャンデリアの光に照らされ輝くような銀髪を背中一杯に伸ばし、精巧な人形のように整った顔立ちの少女が、主賓席の並びの末席に座っていた。
他の主賓たちは席を立ち、思い思いに歓談をしている中で黙々とテーブルに所狭しと並べられた料理や酒に手を付け続けているその様子は、交流会という趣旨には似合わない一種浮いた光景に違い無かった。
謂わば話相手の居ない壁の花。
が、その様子を目にした人間の一部は脚を止めてその光景に見惚れていた。
当初は気さくに声を掛けに来る成金貴族や、王族の親戚だと自称する出入り業者が居たが、それらもすぐに周囲からは居なくなってしまった。
その理由は至極簡単で、適当にあしらう訳でもなく全く取り合わなかったからだ。
話に応じないということは、壁に話しかけているも同じであるので、熱し易く冷めやすい彼らはすぐに興味を失っていったのである。
無論、彼らもただ遊びに来た訳ではない。
新たな人脈の構築を目論む彼らにとって、限られた時間の中で仲良くなるに値する価値がないと判断された、と見ることも出来るだろう。
しかしながら、それは少女にとっても願ったり叶ったりの展開で、今も夢中になって上品にではあるがステーキを頬張っている。
若干の赤身が残る焼き加減で調理されたそれは主催者の拘りもあって、下味だけでも十分過ぎる旨味が凝縮されている。
付け合わせの野菜たちも一切の手抜かりのない出来栄えだと言うのに、周囲の皿を見渡せば手が付けられたような形跡は殆ど無い。
交流会が終われば、各々が手配した宿泊先へと向かい、意気投合した者たちは深夜まで酒を入れながら様々な話をするのだろう。
ステーキを一枚食べ終わり、グラスに注がれた液体を飲み干す頃にはすっかり宴もたけなわと言った様子で、気の早い者はもう既にこの場を抜け出していた。
少女がふと視線を会場の中央へと遣ると、何やら決心を固めたような目付きをした若い男が一人、歩み寄って来るのが分かった。
歳は若く、恐らく二十歳前後。
身なりや雰囲気からして、それなりの貴族の次男坊と言った風情だ。
そして少女には彼が一体何を言い出すのか、分かり切っていた。
「あ、あの」
緊張で僅かに上擦った男の声に合わせて、少女は表情を変えずにその顔を見遣る。
男は気圧されたように一瞬言葉を詰まらせるも、勇気を振り絞ったように喉を鳴らす。
「これから二人で少しお話、できませんか」
教科書通りのお誘いだった。
きっと女性を誘った経験は殆どないのだろう。
緊張と不安と少しの期待が入り混じった切なげな表情の彼の視線が、すぐ別角度へ向いた。
「失礼ながら、お嬢様はお休みになりたいと考えておいでですので、お引き取りを」
少女の傍らに音もなく現れたのは、多少着飾ってはいるものの、白色のエプロン調の衣装から使用人であることが男にはすぐに理解出来た。
「それは、彼女の口から聞けないと引き下げれないね」
貴族という生き物は、相手の立場に応じてコロコロと態度や言葉遣いを変えることに長けている。
邪魔をしに来たのだと認識するや否や、隠そうともしない敵意を剥いた。
他家の人間とは言え、使用人風情が貴族に凄まれてしまえば抗う術はない。
不興を買えば、家同士の付き合いに支障を来すことも有り得なくはないため、余程度が過ぎていなければ意見することや窘めることはないのだ。
「主に代わって申し上げます。折角のお誘いですが今宵はご容赦を」
それでも尚、食い下がるメイドに掴み掛らんばかりに距離を詰めると、男は強引に少女を連れ出そうと腕を掴みにかかる。
もし、これを邪魔すれば使用人程度の身分では一切庇護されることは無い。
かと言ってそれを見過ごせば後々の問題となりかねない。
華やかな社交場の片隅において、非常に厄介な状況下で突如始まった男女の交友のその端緒をどう対処するのか。
メイドは迷いことなく、掴んだ。
少女の腕を。
「あっ……」
先回りされた格好となった男の右腕は虚空を掴む形となり、呆気に取られた表情でたじろぐ。
「失礼します」
その勢いそのままに、少女はメイドに連れられ会場を後にした。
既に他の参加者たちも順次移動或いは退席しており、男もやがてその場を後にせざるを得なかった。
「ご主人様、今日もお疲れ様でした」
交流会場よりの帰路、馬車の中で横並びに座るメイドが気遣うように手を握った。
白磁のような肌の一部が若干赤らんでおり、よく目立った。
「……」
「その、お声掛けをするのが遅れてしまいまして申し訳ありません……」
少女は、小さく溜息を吐いた。
それが怒りなのか呆れなのか、或いは無関心を意味するものなのかメイドには判断が付かない。
「……」
「あの……」
「毎度のことだし、怒る訳ないだろ」
少女から発せられたのは、低音のテナーボイスだった。
そう、それはまるで成人の男性のようで、紛れもない男の声だった。
「しかし、体裁というものもありますから」
「俺が声を出せないのは確かにそうだけど、少しは自分でも対処出来ないと先々苦労するのは目に見えてるし、リーアが気にすることでもないじゃないか」
「いえ、ご主人様のお父様からもよくよくお守りするよう仰せつかっておりますので」
生真面目なメイドの言葉に、少女改め俺は苦笑いを浮かべた。
散々自画自賛してきた俺だが、少しばかり面倒な事情を抱えている。
地方ではありながら、商売に長けた貴族の家に生まれた俺は大事に大事に育てられていて、不自由のない生活を送って来た、筈だった。
まず大前提として、俺は男だ。
そしてこの世界では男がドレスを着たり、髪を伸ばすことは決してポピュラーではない。
つまり、俺の今の出で立ちは「普通」ではない。
では何故こんな特殊なプレイめいたことをしているのか。
全く一言で言い表しきるのは難しいが、敢えて簡潔に表現するならば「俺が男であることが周囲、特に海の向こう側の人間に知れるのが大変宜しくない」と判断されたからに他ならない。
これは先ほどまで催されていた交流会にも直結することであり、俺にとっての直近の悩みの種でもあった。
「……真面目なのは良いことだが、過保護も考え物だな」
「過保護ではなく、適切な保護だと思います。例えばお茶を淹れるのもご主人様がやるべき仕事ではありませんし、逆に私がああいった会に出ても意味がありません。適材適所です」
「で、そこでも俺は飯食って座ってるだけだもんな。何の意味があるんだろうな、マジで」
お気付きかもしれないが、俺は飯が食いたくて会に出た訳ではない。
確かに料理は美味い。
しかしそれを味わおうと思えば、自宅でもある屋敷でも賞味することが出来る。
つまり、何かしら役割や意味があって集まりに顔を出していることになるのだが、誰とも話さず飯を食い続ける交流があるのか。
自問自答している内に、会も終わる。
「何度でも申し上げます。貴方はテトラス海運商会会長及びテトラス家の名代として参加しているのですから、会に出るだけでお父様の助けになるのです」
「情報交換は愚か、世間話の一つもしてないどころかお誘いを袖にしたけどな」
「最後のお誘いは余分ですしその他も問題ありません」
「何でさ」
「ご主人様からと称しまして色々配って来ましたので」
「何それ有能過ぎ、素敵」
「ありがとうございます」
段々と砕け始める言葉遣いや態度も、いつも通りだった。
俺とリーアは主従関係ではあるが、中身は友達も同然で良い意味で男女らしい関係の色がない。
勿論その気になれば彼女を「好きに」することも可能だが、そこはお互いが意識しない内に線引きをして接している。
「しっかし、いつまで経ってもドレスってのは慣れないな」
「ふふ、よくお似合いですよ」
「嫌味か?」
「率直な感想です。髪だって、ケアの甲斐もありますけどすごく艶があって羨ましいですし」
「確かに、美容に関しては吃驚するぐらい細かい決まり事があるし、何なら面倒通り越してしんどい時あるなぁ」
薬剤等を使ったケアだけでなく、時には食事の内容にまで影響が及ぶため、自分の気分通りのものが口に出来るとは限らない。
男であれば、という仮定は間違いなのだろうが俺も男として過ごせるのであれば好きなものが食べられただろうにと思えば溜息も漏れる。
「今日もいくらパーティがあったからと言っても、夜更かしは駄目ですよ。早寝早起き、バランスの良い食事という基礎があってこその美貌なんですから」
「……それと、定期的に打つ怪しい注射な」
「そ、それは……」
怪しい注射、と言えば常識的に考えれば悪影響を与える薬剤を連想するのが極めて自然なことだと思われる。
実際に俺が注射されている薬剤も、市販されているような代物ではない。
高価だからというそれらしい理由はあっても、それ以上に需要が酷く偏っていることが主な要因であることは疑いようもない事実であり、俺の父親は大枚を叩いて俺のためにその薬剤を密かに購入している。
注射痕を隠すため、ドレスは暑い季節であっても肘の下部まで覆い隠すデザインのものを採用しているのだが、これが中々に快適なのだ。
と言うのも、そこそこ金持ちであるが故にドレスは全てオーダーメイドで、素材も好きなものが使えるからだ。
夏季用のドレスには風通しも良くひんやりとした肌触りの素材を多用し、冬は通常の仕立てと同じようにしかし自分の好みを反映させている。
何だかんだと言いつつ、与えられた環境の中でも好きにやっているのもまた事実だ。
「ともかく、これで暫く俺が顔を出さないといけない行事も無いし、ゆっくり出来そうだな」
「そうですね……でも、もうすぐ沢山の人が死ぬことになるなんて、考えたくありませんね」
リーアが馬車の小窓から外を見遣るのに倣い、俺も反対側の小窓から外の様子を窺うと、夜の街並みはまだまだ多くの明りが灯り、通りにも人通りがある。
交流会が行われた会場が街の真ん中に位置し、帰るべき家はその外れの区域にあるため、どうしても繁華街として栄える中を通らざるを得ない。
日付も変わらぬ時間帯の今は、まだまだ宵の口と言った具合でまだまだ静まることは無い。
その人通りの中には揃いの服装の、屈強な男たちが散見された。
「少数とは言え先遣隊は既に上陸も終わって、出撃命令待ちなんだっけ」
「ええ」
「今目にした兵士の内、どれだけ死ぬことになるんだか」
「恐らく、沢山……」
僅かにではあるが、リーアの声に震えが混じった。
会話の応酬がすっかり止まってしまい、馬車馬の蹄が地面を蹴る音と僅かな街の喧噪だけがこの空間に存在する音として居座っている。
徐に、今度は俺がリーアの手を握ると、驚いたような表情が飛び込んで来た。
「あの……」
「まあ何だ、明日は美味いものでも食おうぜ」
我ながら滅茶苦茶なフォローだとは思うが、それが却って良かったのかもしれない。
その証拠にリーアは一瞬ポカンとした表情を浮かべた後に、小さく微笑んだ。
それは作り笑いなのかもしれない。
ともかく、緊張にも似たどこか張り詰めた空気は霧散した。
「あ、でも今日はお肉一枚までって事前に申し上げていたのに二枚召し上がってましたから、お肉控えめですね」
「え……」
ゆったりとした足取りの馬車が、二人を乗せて家路に就くのを尻目に、時代は濁流のように人も何もかもを押し流そうとしていた。