ヤマタノオロチ編 2
用意された酒を全て強力なものにし終わり、その日の作業は終了となった。
現在村から少し離れた位置に穴を掘り、オロチ用の酒瓶を設置している。
明日はそこに酒を運んで、夜を待つだけだ。
そして俺達は今、牢屋ではなく空き家を充てがわれ、リナと一緒にその中にいる。
この時代にはベッドなどはなく、藁を敷いた床に眠るのが一般的らしい。
かぶるものも、動物の皮や麻布などだ。
今は暖かい季節だから良いのだが、冬はどうするのだろうか……
「……起きてる?」
「ああ」
既に日が落ち、真っ暗になってしまうともう寝るしかすることがない。
俺達は真っ暗な部屋の中で床に横になって、窓から覗く夜空を見ていた。
「なんか思ってたより大変だね」
「まあな、頼みの綱のダイスもこんなんだし、次からはもう少し慎重にやらないとな」
すると隣でなにやらもそもそ動く音がする。
しばらくすると、リナの息遣いがはっきりと聞こえてきた。
どうやらすぐ隣に移動してきたようだ。
「お風呂入りたい……」
「川で水浴びするくらいしかなさそうだったな」
「髪の毛も……」
「どうせ明後日の昼には帰れるだろ……オロチに勝てればだけど」
「勝てるよ、だって、そういうお話だもん」
「だといいんだが」
そのまま再び辺りに静寂が訪れる。
虫の鳴く声がよく聞こえてくる。
こうしていると、どこかにキャンプしに来たみたいだ。
しかし実際は、この小屋の外には番兵が2人いるので逃げることも出来ない。
「結局、リナの貰ったあの玉って何だったんだ?」
「んー、なんか助っ人が来てくれるみたいな……多分使い道ないと思う」
「なんじゃそら」
本当にいい加減な話だ。
まあいい、要は物語どおりにスサノオがオロチを倒せばいいだけだ。
明日は酒を運ばなくてはいけないから重労働になる。
さっさと寝ておこうと仰向けになると、俺の左手に柔らかいものが当たった。
「リナ?」
「うん……ねえ、手握って寝ていい?」
「……かまわないよ」
俺がそう言うと、リナは俺の手に軽く自分の手を重ねる。
そして、安心したように小さく息を吐く音が聞こえた。
――――
決戦の日。
俺達は村の外にある、毎年オロチがやってくるという祭壇近くに陣取っていた。
酒瓶の用意はバッチリだ。
これを飲ませればいかな蛇とは言え正常ではいられないだろう。
あとはスサノオがオロチを倒した後、クサナギの剣をコピーすればこの物語のアイテム回収は完了だ。
全く、初っ端から難易度高いのを選んじまって焦ったが、とりあえず何とかなりそうだな。
「よし、準備はできたようじゃな、ではそこの娘は残し、我らは隠れるとするぞ」
「は?」
日は今まさに落ちようとしており、準備完了とばかりに物陰に隠れようとしていた俺は足を止めた。
「ちょ、残れって誰が?」
「うん? そこのひょろ長い娘に決まっておろう。今日はオロチに贄を収める日なのだ、贄がいなくては怪しまれるからな」
「そんな話聞いてねえぞ!」
「言わずとも当たり前のことである、貴様もこの期に及んでギャアギャア喚くな。自分の仕事に集中するのだ」
「くっ、この……」
そうだった、こいつは俺達の命なんて大して気にしていないんだった。
準備に必死で細かい所まで考えている余裕が無かったが、考えてみればクシナダヒメがいない今、囮になるのはリナくらいしかいないではないか。
だがそんなのはいくらなんでも危険過ぎる。
オロチが最初に酒を飲む保証なんて何処にもないんだから。
「ふざけるなよ、リナを囮になんて出来るわけ……」
そう言ってスサノオに手を向けるが、俺に出来たのはそこまでだった。
気が付けばスサノオの抜いた剣が俺の左目の真横にピタリと添えられている。
速いなんてものではない、全く見えなかった。
「貴様がおかしな術を使うのは分かっておるが、ワシの剣の方が随分と速いようではないか」
そう言ってスサノオは剣を再び腰に差した。
逆らえば簡単に殺されてしまう。
その現実を目の当たりにし、足がすくむ。
「これ以上はいくら優しいワシでも笑って済ますことはできなくなるぞ、面倒をかけるな」
そう言って俺の腕をつかむその手を、俺は強引に振り払う。
そして訝しげに俺を見るスサノオを睨み返し、大声で叫んだ。
「俺も囮になる!」
「……で、こっち来たの? 馬鹿なの?」
日が沈んですぐの事。
俺はオロチを祀る祭壇の前でリナと並んで座っていた。
「あいつの思い通りになるのは嫌なんだよ」
「物語の通りに事が運ぶなら大丈夫だって……でも、ありがとね」
俺が囮になると言ってここに駆けつけた時、リナは一人で震えていた。
確かにここに来た理由はアイツの思い通りに動くしか無いのが嫌だったからだけど、来て良かった。
女を一人で前に立たせて後ろから様子見なんて、そんな事は俺には出来ないからな。
「ところで、オロチってどんな奴なんだろうな」
「やっぱり8本首の蛇なんじゃないの?」
「でかいのかな」
「スサノオの剣で倒せるんだから、大きいと言ってもそこまでじゃないでしょ多分」
予想では5メートル、もしくは大きくても10メートルくらいじゃないかとリナは言う。
何せスサノオの持っている刃渡り60センチくらいの剣で倒すのだ、そんなに大きいわけがないというのがリナの推測だ。
俺もそう思う。
人一人食って満足する程度の大きさなら、大したことは無いだろう。
大きいには大きいだろうが……
そうして気を紛らわせるようにリナと他愛もない話をしていた時だ。
不意に虫の声が止んだ。
最初に気付いたのはリナだ。
「ねえ……なんだか揺れてない?」
その声に立ち上がり、辺りを警戒する。
確かに地面が揺れている。
そして何かを引きずるような低い音が遠くの方から響いてきた。
「オロチ?」
「多分……」
辺りは薄暗くなっていたが、それでもまだ先の方は見える。
祭壇の向こうは森だ。
すると程なくして、森の木々が一斉に押し倒される。
「来た!」
薄暗い中、目を見開き、オロチの登場を警戒する。
しかし木々が倒れた後、いつまでたっても本体らしきものは現れない。
「……来ないな?」
「すぐそこまで来てるのに?」
いつまでたっても蛇らしきものの姿が見えないので、一瞬だけ気が抜けたその時だった。
今までわずかにあたりを照らしていた陽の光が完全に絶たれ、当たりが暗闇に覆われた。
「え? 急に暗くなった? おいリナ、何が起こって……る」
俺は隣りにいたリナを見ると、彼女は空を見つめながら金魚のように口をパクパクさせている。
「何してるんだ……」
「あ……あう……」
リナが震える指を空に向け、俺もそれを目で追う。
先にあったのは赤い光だ。
月なのか? と思うような赤い光がいくつも宙に浮いていた。
それはゆっくりと左右に動きながら揺れて、たまに消えたりもする、なんとも不思議な光景だ。
程なくしてその赤い月が2つ、こちらの方に寄ってきた。
月が次第に大きくなり、その周りにあるものがぼうっと暗闇から姿を現す。
それは巨大な蛇の頭だった。
顔の大きさだけで5メートルはあるだろうか。
時折覗く赤い舌が既に人間の身長ほどもある。
その顔には爛々と輝く赤い大きな目。
そしてその時全てを理解した。
オロチは既に来ていたのだ。
目の前にある森の中にきっと、胴体部分がある。
そして8本の首がこちらまで伸びてきているのだ。
宙に浮かぶ赤い月はオロチの瞳。
10メートルなんて冗談じゃない。
首一本で優に50メートル以上はある。
そこからこの首を支える胴、そして尾とくれば……一体どれだけの大きさがあるのだろうか。
こんな陸上生物が、本当に存在できるのだろうか。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事だろう。
俺は逃げ出すことはおろか、声をだす事も、瞬きをする事も出来ないまま、その巨大な蛇の顔が俺達を眺める様を見ていることしか出来なかった。
オロチはその8本の首を交互に下ろし、俺達の様子をまるで観察するかのように眺めている。
その様子を見て俺は何となくこの怪物がやっている事を悟った。
こいつは別に人間を食いたいわけじゃないんだ。
だってこの巨体で1年に1度人間を食ったところで、何の足しにもなりゃしない。
こいつにとってこれは遊びなんだ。
人間に無理難題を吹っかけて、聞けば見逃す、聞かなければ潰す。
ただそれだけの遊び、暇つぶし。
きっと遊んでいる場所だってここだけじゃない。
他の村でも、同じようなことをやっているに違いない。
「あの……お酒……」
やっとの事でリナが絞り出すようにそれだけ言うと、置かれている8つの酒瓶を指差した。
オロチは何のためらいもなくそれを長い舌で巻取り、瓶ごと口の中に放り込んでいく。
警戒心も何もあったものではない。
それもそうだ、誰がこんな巨大な怪物に勝てるというのだろうか。
慢心などというものではない、絶対に負けないという当たり前のような確証があるからこそ、こんなにも無警戒なのだ。
そしてオロチは8つ目の酒瓶を飲み込む頃には、全ての首が左右にフラフラと揺れていた。
「……酔ってる?」
「……のかな?」
特性の強アルコール酒が効いたのだろうか。
オロチはしばらく首を左右に振ると、突如として巨大な首が地面に落ち始める。
まるで地震のような地響きとともに、8本の首は全て地に倒れ込んでしまった。
「……寝た?」
「……のかな?」
信じられない事だが、あれっぽっちの酒の量でどうやら物語の通りにオロチは寝てしまったようだ。
このオロチの体積からしたら、あんな量の酒、ウィスキーボンボンを食ったのと大して変わらないだろうに……
もしかして下戸だったのか?
倒れたままピクリとも動かないが、かと言って確認するほど近寄るのも躊躇われる。
そんな事を考えていると、いつの間にか後方で隠れていたスサノオが祭壇の前まで出てきていた。
「ようし、よくやったぞ貴様ら。
あとはこのスサノオ様にまかせておくが良いわ」
オロチが起きたらマズいということは分かっているのだろう。
スサノオは若干小声でそう言った後、意気揚々と手に持った剣でオロチの首に斬りかかる。
しかし……
「な、何ということだ!?」
大見得切って切り込んだスサノオの剣は、オロチの皮膚に当たったと同時に甲高い音を立てて折れてしまったのだ。
「なんじゃと!?」
慌てた様子で小ぶりの短剣を取り出して斬りかかるが、やはりこれもオロチの皮膚を貫けない。
それはそうだろう、この大きさともなれば皮膚だって何センチあるか分からない。
それにこの重量を支えているのだ、相当な強度を持っているだろう。
爪楊枝にも等しい鉄の剣で致命傷を与えられるとはとても思えない。
「なあリナ、物語ってどうなるんだっけ」
「スサノオが十拳剣っていう剣でオロチを切り刻むはずだけど……」
「それ、さっき折れたやつだよな……多分」
「……うん」
「どうすんだよ……」
完全に予想外だった、オロチの大きさも、スサノオの剣で歯が立たない事も。
一体どういう事だ? 何もしなければ物語と同じ結末を迎えるはすじゃないのか?
それとも、元の物語にはいなかった俺達が関わったことで、話の流れが変わってしまったのだろうか。
しかしこのままでは、本当に俺達が生贄になるしか道がなくなってしまいそうだ。
「そ、そうだ、これっ!」
俺がリナを連れて逃げる算段を立てていた時、リナが思い出したようにポケットから小さな玉を取り出した。
例のサイコロから出てきたヤツだ。
「えいっ!」
それが何なのか聞く前に、リナはその玉をオロチに向かって投げ付ける。
放物線を描いて飛んだ玉はオロチの頭にぶつかり、そのまま首の影へと消えていった。
……特に何も起きる気配がない。
「おい何だよそれ、爆弾とかじゃないのか!?」
「セナ、とにかく逃げて! あれを投げたら200メートル以上離れないと……」
「はあ?」
どうもリナの説明が要領を得ないが、俺の手を引いて脱兎のごとく駆け出すリナに取り敢えず付いていく。
「あ、貴様ら! 逃げるな、コレを何とかせい!」
「スサノオさんも逃げて下さい! 200メートル以上!」
「にひゃくめーとる? なんじゃそりゃあ!?」
しかしスサノオはリナの説明が理解できない様子。
まあこの時代の人間にメートル法で説明しても分からないだろうな……
「とにかくたくさん離れて!」
リナの声に不穏な顔をしながらも、スサノオがその場を離れだす。
「おいリナ、あの玉って何なんだよ、時限爆弾とかか?」
「わかんない、ジェーディー何とかさんって人が助けに来てくれるって書いてあった。
投げたら3分以内に200メートル以上離れないと危ないんだって!」
「ますます意味がわからねえな」
とりあえず足には自信がある。
足場は悪いが、200メートル程度なら難なく逃げられるだろう。
だがリナは苦しそうだ。
俺はリナの手を引き、躓いて転ばないよう注意を払いながらオロチから遠ざかった。
そして何気なく振り返ると、薄暗い祭壇の向こうに、赤く光る幾つもの目が見える。
オロチが起きたのだ。
酒で寝ていたにしては随分と目が覚めるのが早い。
恐らくあれもあいつなりの遊びだったのだろう、人間の考えたくだらない策に付き合ってやったという事だ。
なんとも心温まる配慮だな。
「あいつ起きたぞ!」
「ええ……そろそろ来てくれるはずなんだけど……」
一体何が来るというのか。
もう200メートル以上は十分離れたと思うが、オロチが動いたとあってはここで止まるわけにも行かない。
明日の昼までは何とか逃げ切らないと……そう考えている時だった。
低く響く音が聞こえる。
それは日本に住んでいればそれなりに聞くことがある音であったが、今この場所にあっては、絶対に聞くことがないと思われる音だった。
「え、何? この音」
リナが疑問の声を上げた次の瞬間。
閃光と共に、オロチの周りで大きな爆発が発生する。
一瞬遅れて轟いて来る、運動会の時に上がる花火を間近で聞いたような音が何度も鳴り響いた。
「え! ええ!? 何、何なの!?」
低く響く音の後に大きな爆発。
こんな現象を起こせる物なんてそうそうあるはずがない。
「おい、サイコロから出た紙見せてみろ」
「う、うん……」
俺はリナが出した紙をひったくるように奪い取り、そこに書かれていた内容を読んだ俺は全てを理解した。
『JDAMによる近接航空支援を3度要請できます。
支援の必要な場所に向けて別途支給されるボールを設置して下さい。
設置後3分で到着予定です。
大変危険ですので、500と書かれたボールを設置した場合は、設置場所から200メートル以上離れて下さい。
1000、2000のボールを使用する場合は、400メートル以上離れて下さい』
「爆撃要請じゃねえか! 何だこの能力の差は!」
「え、セナ、それの意味分かるの?」
「分からいでか!」
思わずリナにツッコミを入れた後、再度爆撃があった場所を確認する。
10回程度は攻撃があっただろうか。
もうもうと舞い上がる黒煙と砂埃の合間から、オロチのものであろう鋭く吐き出すような悲鳴のような声が何度か聞こえた。
「さっき投げた玉は何番だ?」
「えっと……500かな?」
恐らくこの数字は、爆弾の大きさだろう。
数字が大きくなるほど遠くに逃げなくては行けないのだから多分そうだ。
という事は、今の攻撃は一番弱いものだったと言うことだ。
そしてどうやらオロチは仕留めきれなかったらしい。
煙が吹き上がる中から、チラチラと赤い目が見え隠れしている。
しかしその光は先程よりも禍々しさを増しており、人間をからかって遊ぼうと言ったような余裕は消え失せているようだった。
「まずいな、中途半端に怒らせちまったようだ」
「大きいの使っておけばよかったね、ごめん……」
「いやまあ、今更仕方ない、まずは土煙が晴れる前に隠れるぞ」
俺達はオロチに見つかる前に、森の中へと走り、茂みに伏せて待つ。
煙が晴れると、オロチは首が2本程中央からへし折れており、赤黒い血を撒き散らしながらのたうつように暴れまわっていた。
「さすがは現代兵器と言いたいが、あれをまともに受けてまだ動けるのか……本物の化物だな」
「スサノオさんはどうしたんだろ?」
「離れてたし大丈夫だろう。何せ神の使いだ、俺達よりは頑丈さ」
「そっか……そうだよね」
まあ強いのは認めるが、いくら神の使いでもオロチの皮を貫けない鉄の剣しか持っていないのでは話しにならないだろう。
一体どこで間違ってこんな事になってしまったのやら……
「さっきの玉はあと2つあるのか?」
「うん、1000と2000が一つずつ」
嘆いていても仕方ない、とにかく今頼れるのはこのデタラメな暴力を振りまける2つの玉のみだ。
しかしそれでも問題がある。
こいつは投げてから3分経たないと攻撃が始まらない。
しかも爆撃地点に設置しなくてはいけないのだ。
俺は野球部ではないし、こんなものを投げてもいいところ50メートルくらいしか飛ばせないだろう。
という事は、オロチに爆撃をクリーンヒットさせるには、それほどまでに相手に接近しなければならないと言うことだ。
あの暴れまわっている巨大な蛇の近くに行ってこれを設置し、さらにオロチがその場から動かないように立ち回らなくてはいけない。
「そんなの無理だよ……」
「いや手はある、危険だけどな。
だけど、どのみちこのまま隠れていてもあいつが正気に戻ればすぐに見つかっちまう、ならあいつが混乱してる今やるしか無い」
俺はリナの耳に口を寄せると、これから行う作戦のあらましを伝えるのだった。