本の中身は神様
次の日、いつもなら部活の朝練があるからと朝早くからごそごそやってるはずのリナが全くうるさくなかった。珍しいことがあるもんだ。
一度起きてからの二度寝ではない、良質な睡眠を取れた。毎日こうだったらいいのに。もしかしたら良質な睡眠を取れていないから俺は身長が伸びないのか?
そんなことを思いながら欠伸をした瞬間、首にビキッと痛みが走った。これが鞭打ちか……昨日医者から聞いてはいたが、わりとつれぇ。
パジャマのまま首をさすりながらリビングへ行くと、ぴしっと制服に着替えたリナが和食を食べていた。
「あれ、今日朝練は? ないの?」
コップに牛乳を注ぎながら聞く。
「休んだの。あんたと一緒に登校するから」
箸で納豆をかき混ぜながら答えるリナ。
「インターハイ近いのにサボっていいの?来月だよね?」
牛乳に背が伸びると宣伝されているココアを入れ、ストローでかき混ぜながら言う。
「仕方ないじゃない。あんた、きっと囲まれるわよ。めんどうだけど怪我してるんだからもっとめんどうなことにならないようにしなきゃ……朝ごはんそれだけ?ちゃんと栄養取らないから背が伸びないのよ」
そう言うとリナは味噌汁をぐいっと飲んだ。
「必死に大豆イソフラボン取ってるみたいだけど、効果あらわれてる?説得力ある体つきになってからもう一度言ってくれよな」
そう言ってミルクココアをストローで一気飲みする。
「ごちそうさま」
オレは部屋に戻って学校へ行く準備をし始めたが、カバンが見当たらない。
しばらく探したあと、図書室の受付カウンターの中に置いたままだったことを思い出した。そういえばあの時は自分とリナのことで精一杯だったから、カバンのことなんてすっかり忘れていた。
スマホと財布は身につけていて、タクシーでも病院でも不便に思わなかったからカバンが無いことに気が付かなかったのか。ホームルームが始まる前に図書室に行ってカバンを取りに行かなきゃ。
リナにそのことを伝えると、リナもリナで混む時間帯を避けるために早く家を出たかったらしい。昨日図書室から出たとき、放課後だったのにもかかわらず野次馬がたくさんいたことを思い出した。囲まれて時間を取られるビジョンが見えてうんざりする。うん。早く行こう。
首の痛みを我慢しながら制服に着替える。靴下履くのが一番大変だった。
「早く早く」と急いで家を出てみたが、リナと二人で登校するなんて久しぶり過ぎてなんだか気恥ずしい。
「なんか久しぶりね」
リナも同じことを考えていたようだ。
「リナは中学の時から朝練ばっかだからな。よく続いてるよな」
「セナも続ければ良かったのに。すぐ辞めちゃうんだもん」
「向いてなかったからな。思いきりの良さとか、諦めって大事。あーあ。それにしても頭の傷のところ、ハゲちゃうのかなぁ」
「ハゲても髪の毛で隠せるよ。大丈夫」
「頭の下の方だったらいいけど、ちょっと上の方じゃん?たぶん目立つよこのハゲ」
「……ハゲを目立たなくしたい?」
「ハゲを隠したくないやつなんていないよね」
「……木を隠すなら森へ。ハゲを隠すなら坊主へ。丸坊主にすればハゲがあるなんて分からないよ!」
「それハゲは目立たないけど、俺自体が目立つよね」
「まぁまぁ。諦めって大事なんでしょ?」
そんな他愛もない会話を、学校に着くまで続けた。いつもだったら校門あたリで待ち構えてる男子生徒からキラキラした表情で挨拶されるのだが今日はされない。
代わりに女子生徒がたくさんいて、みんなキャーキャー言いながらリナに挨拶していく。
人見知りのリナがクールな鎧を着込んで挨拶を返しているが、クールというよりキザな王子様のようになっている。ほんとファンサ良いなぁ。
完全に男性アイドルとおっかけファンみたいなその光景に、思わず距離を取る。ていうかもう校舎に向かってしまおう。
上履きに履き替えようとするも、前かがみになると首が痛てぇ。
普段何気なく行えているしぐさでも、鞭打ちになるとこんなつらいのか。
ロボットダンスのようなぎこちない動きでローファーを拾いあげようと格闘していると横からひょいと取られる。
体ごと横を向くとさっきまで女子に捕まっていたリナがいた。
「ごめん。もういないと思ったのに、いつもの女の子達がいたわ。まさか朝練の時間からずっとあそこで待ってるとは思わなかった。ねぇセナ朝から何も言ってなかったけど、首……痛いんでしょ?鞭打ち?」
と眉尻を下げて謝るリナ。
「サンキュー。でも気を使わなくてもいいからな?」
というかリナは毎日女子の出待ちを受けてるんだな。
知らなかったけど、俺達……揃って同じようなことされてるんだな。
「俺図書室に行くけど、リナは朝練行けば?今からなら間に合うっしょ?途中から参加になるかもしれないけど」
「いや、朝練は休むって連絡してあるから大丈夫。鍵を貰いに職員室に行こう」
あ。そういや鍵を貰ってない。まっすぐ図書室に向かうところだった。
俺の表情から考えてることを正しく受けとったらしい。片眉をあげたリナの表情からは「まったく……」という声が聞こえてきそうだ。
職員室へ行き、担任の先生を探したが姿が見当たらない。そういえば担任は弓道部の顧問で、その弓道部は朝練中だったな、と思い出したので適当な先生に声をかけて鍵を貰った。
図書室に行き、電気を付ける。昨日の放課後、最後に見たときは本がたくさん散らばっていたのだが、綺麗に片付けられていた。が、ただ本を回収して机に山積みにしただけのようだ。まぁそれは仕方ないだろう。
カバンを探すも見当たらない。さすがにこの山積みの中に埋もれてるんじゃないだろうな……いや、でもこの机にカバンを置いてた気がする。
ここ探す?これ絶対首痛くなるやつ。ちょっと前かがみになるだけでやばいからなぁ。あと絶対埃過ごそう。見たら分かる。埃すごいやつ。
「ねぇ、これセナの?血がついてるんだけど、昨日セナの血が着いちゃったのかも」
リナの手元を見るとそこには一冊の【本】があった。
俺のじゃないと思うよ、と言いながら受け取り、目の高さに持ちあげて見る。
「うっわ。血がべっとりじゃん。乾いてカピカピになってる」
【本】は全体的に赤黒く変色して、血が固まりめくれないページがある。
「カウンターに置いてあったの。あんたのじゃないの?」
違うよ、と言いかけた時、何かが聞こえた。
「ん?なに?」
俺はリナが話しかけたのだと思って聞き返す。
「なに?ってなに?」
「いや、なんか言ったでしょ?」
「は?何も言ってないよ」
「ちょっと待って。なにか聞こえる」
静かに、のジェスチャーをして耳を澄ます。
「もしかして幻聴?やっぱり失神するほど強く頭を打ったから……ごめんねセナ。今から学校早退して病院に行かなきゃ」
『その必要はない』
「ちょっと待ってってば。静かにして……って聞こえた?」
「やばい。聞こえた。私いつのまに頭打ってたんだろう。今から学校早退して病院に行かなきゃ」
『……その必要はない』
図書室の中に誰かがいたのかと思って辺りを見回すが、俺達以外に人の姿は見えない。
スマホやスピーカーから音が出てるのかと思ったが、それも見当たらない。
キョロキョロとしているオレたちの耳に続いて聞こえてきたのは
『私は本に宿る神です』
という突拍子もない自己紹介だった。
図書室の中は徐々に暗くなっていき、手に持っていた本が淡く光り、声が聞こえてくる。
きっとテレビのドッキリ番組だろう、とピンときた俺は笑いをこらえながらリナにアイコンタクトを送ろうと振り返る。どこに隠しカメラがあるのか分からないが、こういうシーンはカットしてくれるだろう。
リナも同じことを考えていたのだろう。まったく同じタイミングで同じように笑いをこらえながら俺を見てきた。
「いや、さすがにもう高校生だから……」
「ね、そういうのは小学校低学年までかな」
声の主をからかうように、しかし「ドッキリっしょ」なんて野暮なことは言わない。リナとの息はぴったりだった。
『……全知全能の神になにか聞きたいことはないか?』
「ごめん。もうお父さんなんだって知ってるから無理に続けなくていいんだよ」
『……いやさっきからそんなサンタみたいに言わないでくださいよ。神ですから』
「さすがにレベル低すぎない? おーい誰がモニタリングしてんのー? 仕掛け人っていうかこの神様役の人選ミスってるぞー」
きっと隠しカメラなんかで様子を見ているであろう人に向かって語り掛ける。
『……もう仕方ないなぁ。今はこれくらいしか力がありませんが』
そう聞こえた直後、本から蛍の光のように明滅する粒子がたくさん出てくる。きらきらと輝くそれは宙を漂ったかと思うとオレの顔に向かって飛んできた。
「うわっ」
ぶつかると思って目を瞑ったが、想像していた衝撃は襲ってこなかった。
『……いまあなたの怪我を治してあげました。どうです? これで信じてもらえますか?』
「そんな馬鹿な。ってほんまや。……ってマジで首の痛みがなくなってるかも」
首を動かして確認してみる。
「わー神様すごーい」
リナはからかってる最中だと思ってるのか、棒読みで讃えながらパチパチと手を叩いている。
「本当に痛くないんだけど……やばい。こいつまじで神様なのかもしれない」
「はあ?」
こいつ何言ってんだとばかりに怪訝な顔を向けてくるリナに、頭の包帯を取って傷口を見せる。
「どう?傷無くなってない?」
「……うん、つるんってしてる」
「え、ハゲたままなん?」
「うん」
まじかよ
『……どうです?信じていただけましたか?』
「……まだ信じられない。背とか高くしてくれたら信じるかも」
「あっ私は巨乳にしてくれたら信じる!」
『……すみません。実は力が足りないのです。神は信仰心によって力を得るのです。私は忘れ去られていた本の神なので、そこまでの力が足りないのです』
「しょぼ」
「ダサ」
「やっぱり神様じゃないのかも」
『……今は出来ないだけです。本来の力が戻ればそのような願いなど朝飯前です』
「へぇ、食事するんだ」
『……比喩です』
『……もし力を取り戻すのを手伝ってくれたら、先程の願いを一つ叶えてあげますよ』
「手伝うって?さっきは信仰心がうんたらかんたらって言ってたじゃない」
『……普通ならそうです。しかしそれだと時間がかかります。願いを叶えられるようになった頃には、あなた達はよぼよぼの老人になっていることでしょう。ああ、願いを叶えなくてもよいのなら、別に協力して頂かなくてもよいのです。どうしますか?』
「まずはその協力ってどんなことをさせるつもりだ?それを聞いてからだな」
『……私は本の神です。本の神は、本からもエネルギーを回収することが出来ます。本の中に書かれている、力のあるアイテムを集めてくれればいいのです』
「何言ってるかさっぱりだわ」
『……物語の中に入るのです。そして物語の悪役からキーアイテムを失敬するのです。そうすれば物語の主人公はハッピーエンドになるのですよ』
「その説明で納得できると思ったんなら驚きだわ」
『……物語に入り、モブとして活動し、48時間後までにキーアイテムを手に入れ、レプリカとすり替えるのです』
「時間かかるのは困る。クラブで練習したいし、友達と遊んだりもしたいし」
「私もインターハイ近いしなぁ」
『……本の中では四八時間だけど、現実世界では二時間しか経っていないことになります』
「なるほど……それならまぁ」
『……このノートブックを持っていきなさい。呪いのアイテムや負のアイテムを手に入れた時、何も書いてないノートの上に置くと吸収されます。その代わりとても良く似たレプリカが出てきます。それを元あったところに戻すのです。そうすれば持ち主に気付かれることなく呪いのアイテムを回収できます。ノートには呪いのアイテムの絵と説明が足されます。ページにその呪いを封印することが出来るのです』
「で、さっき願いを一つ叶えてあげますって言ったけど、それは私たちのどちらかの願いしか叶えることが出来ないってことなの?」
「えっマジで?」
『……そうですね。一冊で一つです』
「一冊で一つなのね。そう、あなた、双子に物を与える時は二つずつにするって親から教わらなかった?」
「そうだそうだー同じのくれないと坊泣いちゃうぞー」
『……分かりました。そのかわりたくさん封印してくるんですよ?』
『……本はこの空間にある本のみです。期限はその【本】のすべてのページが埋まるまで』
「結構ページ数あるわよ」
「確実に二時間ものあいだ利用者がいないときを狙わないといけないのに、そんなにたくさん出来ねえよ」
『……この【本】を開けばここに来れるようになっているので、夜中にでもやりなさい』
「さっきからご都合主義すぎるわ」
「そうだな……なあ神様、本の中に入った時の保証がをくれよ」
「保証?」
「神様は負のエネルギーを纏ったアイテムを欲しいんだよな? 負のアイテムが出てくる物語で、争いごとが全くない本なんて稀なはずだ。俺は危ない目になんて逢いたくない。ここまで言えば分かるよな?」
『……私のエネルギーが足りません。それを可能にすると、私はあと一回しか出てこれなくなります』
「あっそう。ここで下りたっていいんだよ?」
リナが持っていた【本】をするりと取り、二冊まとめて掲げる。
「あんた、俺が気づいてないとでも思ってるのか? コレを出すたびに光が弱くなっている。大方、これを生成するのにエネルギーを使うみたいだな」
『……』
「俺たちがこのまま帰ったら、あんたはどうなるんだろうな。地道に信仰心を求めるのか? けど信者なんて現れねぇよ? それとも俺たちみたいな人を待つか? そんなに維持できるのか?」
『……これを。もう私にエネルギーはありません。あと一度しか顕現できません。かならず負のアイテムを集めるのです』
弱々しくしく光る本から何か小さいものがころりと落ちた。
「ゴルフボール?」
リナが拾い上げ、転がして聞く。なんだろう。
『……物語の中に入ったらそのダイスを振りなさい。ランダムにですが、あなたの言う保証とやらを得られます。が、それは本の中だけの話です。戻ったらその力はなくなります』
まあそうだろうな。本の外にまで「死なない保証」を持ち出せるほどの力を与えられるならば、この神とやらは俺たちに頼る必要ないほど力をもっていることになる。
『最後に一つ言っておきます。おまえたちは【本】を受け取った時点でもう後戻りは出来ない』
その言葉が終わるとともに本から出ていた光は消え、図書室の中が暗くなる。
カーテンの隙間から差し込む光が細長く伸びている。……さっきまで真っ暗で、本から出てきた球体しか光ってなかったはずなのに。
背後でガチャ、と扉が開く音が聞こえて思考が中断される。振り返って見るが、逆光のせいで「誰かが立っているな」としか分からない。
「なんだーおまえら。電気もつけないで」
パチ、という音とともに部屋の中がぱっと明るくなり、壁のスイッチに手を伸ばす担任の先生の姿が見えた。
「他の先生に聞いた。カバンを取りに来たらしいが、昨日俺が回収しておいたんだよ。本を片付けている時に見つけてな」
カバンを渡され「そういえばカバンを取りに図書室に行ったんだった」と思い出す。
「あ……そうだったんですね。カバン、ありがとうございます」
「HRで言うつもりだったんだが、図書室への立ち入り禁止だ。倒れたせいで本棚が破損したからな。新しい本棚を購入するか検討したんだが、木製の本棚が全体的に劣化してるんじゃないかって話になってな。もしかしたら老朽化して、ゆがんでたから簡単に倒れたんじゃないか、なんて意見が出てね。詳しいことはわからないんだが、業者に連絡したらしばらく忙しいらしく、夏休みが明けてからじゃないと対応できないらしい」
「そうなんですか。じゃあ委員会はなくなるってことですか?」
「ああ今のところはそういうことになってる。まあ状況が変われば連絡するように言っておく。それまではしばらく図書館を閉鎖だ」
リナと目が合う。
リナもうなずいた。