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「……話は分かった」

 スヴェトラーナと共にアンジェラをミーティングルームに連れてきて、アンジェラの話を全員に報告し終えたところで、アサギがそう呟いた。報告を終えたアーティスも何を言ったらいいのか分からず黙った。どうしようもない沈黙の中で、俯いたアンジェラの指先がぎゅっと握りしめられ、白くなっているのが目に止まる。緊張を少しでも和らげようと、その手に自分の手を重ねた。

「不思議よねぇ……」

 口に軽く握った手を当てて考え込んでいたエネノアが、のんびりとした口調でそういった。全員の視線がエネノアに集中する。その視線をやんわりと受け止めて、にっこりとエネノアは微笑み、両肘をついて指を組んだ。

「本当に不思議。だって『箱舟』がこの子の存在を認識してないなんて、ありえないよね?」

 最後の質問は、一人の人物に向けられた。その相手は小さくため息を付く。

「つまりお前は、俺のミスを指摘しているわけだ」

「うん。そういうこと。『箱舟』って、私たち以外の生命反応をちゃんと捕らえられるはずだよね? 小さな昆虫以外の動物に至るまで」

「できるはずだ」

「でも、『箱舟』は見逃した。この子は小さな昆虫じゃないのに」

「分かっている」

「私たち以外の人間がこの船にいると想定しないでプログラムを組んでいない? 他に人間のデータがあったなら、都合がいいように無視したりね。ここは外宇宙の果ての果てだもの、侵入者がいることを想定してこの船は作られていない。そこに粗はないの?」

 恋人の遠慮も容赦もない言葉に、アサギは不機嫌そうに腕を組んで黙り込んだ。トップ二人の会話に、誰も入ることもフォローすることもできない。

「動物だけじゃなくて、人間も生き物の対象に入れるように、ちゃんとプログラムを確認して。人間を猿だと認識してこの子の存在を見落としていたりしたら、笑えないわ」

「そんなことはないはずだ」

「でもそんなことが起こっている。認識されてい無い人間がここにいる」

「……そうだな」

「ミーティングが終わったら、調べてね」

 エネノアの口調はお願いだが、彼女のお願いはおおむね命令だ。

「……了解」

 返事をして黙り込んだアサギをエネノアは覗き込んで微笑んだ。

「苛立っちゃ駄目。想定外はミスじゃないもの。ね、アサギ?」

 子供に対するような口調に、仏頂面だったアサギも思わず苦笑した。

「大丈夫だ。苛立っているわけじゃない」

 二人のやりとりでようやく凍り付いたような空気が穏やかになった。ここぞとばかりに黙ってはいられないタイプのデニスが、小声でアーティスに話しかけてきた。小声でも他に話す人間がいないから、思いの外その声は響いて聞こえる。

「死体が消えたから緊急招集って言われてきたら、これだもんな。ホントびっくりするよ」

「これって何?」

 声を顰めて聞き返すと、デニスは肘でアーティスを小突き、ひょいっとアンジェラを覗き込んだ。驚いたアンジェラがアーティスの影に隠れる。

「これって、決まってるだろ? アンジェラだよ。可愛いよなぁ、確かに天使だな」

「デニス……あのね」

 あまりに脳天気な口調に他の面々の視線が気になって、慌ててアーティスはデニスを制そうとするが、デニスは嬉しそうな顔のまま、アーティスの肩を叩いた。アーティスの左隣にアンジェラとスヴェトラーナ、反対隣にデニスが座っているのだ。約束の日に最初に着いたデスクが、何となく定位置になってしまっている。

「照れるなよ。よかったな、彼女生きてて」

 しみじみとした一言で、ようやく思い出した。そういえばデニスとは言い争いをしたままだったのだ。しかもアーティスが八つ当たりしたせいで。それなのにこうしてアンジェラの無事を喜んでくれている。

「ありがとう。ごめん」

 笑顔でそう謝ると、照れくさそうにデニスは鼻をこすりながら、そっぽを向いて返事をした。

「おう」

「仲直りは終わった?」

 やんわりと微笑みながらこちらを見たエネノアに頷くと、エネノアは頷き返してマサラティを見た。

「アンジェラのことをはひとまず置きましょう。無事で、しかも人間だもの。今後は人間として扱う事になるでしょうけど、『箱舟』内の権限に関しては考えさせて」

「了解」

「では本題に入るわ。ドクター、お願い」

 話をふられたマサラティは疲れたような顔だったが、困ったように微かに微笑んだ。

「話すことなんてほとんどないのよ、エネノア。私にも何が何だか分からないの」

 マサラティの話は、先ほどスヴェトラーナに聞いた話と殆ど変わることがなかったが、本人の行動も合わせて全員に話された。

 彼女が医療室に戻ったのは、死体発見のショックで動揺するケイファの話を聞いてしばらくした後、つまりフォリッジの死体が医療室に運ばれてから一時間ほど後だった。その時点で作業用アンドロイドにより、医療器具が取り付けられたフォリッジの死体を確認している。医療室の専用モニターで確認すると、データ収集が行われていることが分かったので、マサラティ自身にはやることがなかった。そこでその場を機械に任せて、もう一度ミーティングルームに向かった。

 カウンセラーとしてケイファの様子を見に行ったのだが、そこにケイファはおらず、『箱舟』に彼女の所在を尋ねたところ、地表監視用カメラのモニタールームにいるのが分かったため自室に帰り、しばらく端末で本を読んでから寝たという。

「やはり気になっていたから眠りが浅かったのね。今朝早く起きて医療室へ行ってみたら、死体はなかったわ。医療室のコンピューターを確認したら、死体を分解処理するようセッティングされてたの。データも消去されてたし」

 マサラティは、小さく首を振った。ため息と共に呟く。

「こんな事になる予想も付かなかったから、データはどこにも残ってないわ。もしもあの死体が生き返ってアンジェラになった、といわれたら信じてしまいそうよ」

 全員の視線がバラバラだが確実に、アンジェラの方へ向けられるのが分かった。みんなその可能性を頭のどこかで消し去れずにいるのだろう。特にケイファはその可能性を強く疑っているようで、アンジェラへと向ける視線は決して好意的なものではない。

「でも確かにフォリッジとやらは死んでたんだろ?」

 マサラティの言葉を遮るように、頭の後ろで手を組んだデニスが言った。彼はアーティスとアンジェラの味方に付くことに決めたようだ。こんな時にはデニスの明るい性格が救いになる。

「ええ。確かに死んでいたわ。あの状態からは決して生き返ったりしない」

「絶対だよな、ドクター?」

「そうね。もしあの状態から生き返ったとしても……」

 マサラティがじっとアンジェラを見つめた。

「呼吸が停止していた時間が長すぎる。脳に何らかの後遺症が残るはずだわ。でもアンジェラにはその傾向はなさそうね」

 アンジェラが小さく身をすくめるのが触れたままの手の平から伝わってくる。みんなに見えないようにテーブルの下で、重ねていた手を優しく叩くと、顔を上げたアンジェラが微かな笑みを浮かべた。その笑みに微笑み返してから、真っ直ぐにマサラティの目を見つめて答える。

「ドクター、アンジェラは昨日の夜から僕といる。あの死体と同一人物じゃないよ」

「ええ、分かっているわ」

 嘘偽りのない感情が伝わったのか、マサラティは微笑みながら頷いた。

「ドクター」

 冷たい声がマサラティを呼ぶ。声の主へと目を向けると、嫌悪感を露わにしたケイファと目があった。じっと見つめ返すしていると、ケイファはアーティから目をそらす。

「何?」

「医療室への出入りはチェックした?」

「ええしたわ。私以外に誰も入っていなかったけど……何故?」

「アーティーは医療室に入っていないの?」

 唐突に出てきた自分の名前に眉をしかめると、ケイファが再び刺すような視線をこちらに向けてきた。その疑心暗鬼の表情に、アーティスは何も言わずにいる事しかできない。一人苛立つケイファを諭すように優しくマサラティが尋ねる。

「どうしてアーティーなの?」

「アーティーならコンピューターの設定を変更することは可能よ。もしかしたら医療室への入室データを書き換えることもできるかもしれない。それに生活プラントのシステム設計に関わってるから、生活プラントで使われる死体分解処理機能だって、きちんと扱えるはずでしょう?」

 マサラティへと向けられていた視線が、ゆっくりとアーティスを見た。その視線には怖いくらいの疑いが込められている。どうしようもない居心地の悪さに、アーティスはこっそりと息をついた。そんなアーティスの困惑に気が付いたのか、デニスが珍しく真剣にケイファに意見する。

「ケイファ、言っていい冗談と悪い冗談がある」

「あんたは黙ってて。私はアーティーに聞いているの。あんたになんて用はないわ」

 一喝されてデニスは黙った。ただ憤ったような視線はケイファから外さない。だがケイファはそんないつもとは違うデニスの視線に怯むことなく言葉を続けた。

「アーティーなんでしょう? 名乗り出なさいよ、自分が犯人だって」

「違う!」

 話をせずに全てを決めつけてかかるその態度に腹が立つ。だがケイファはそんなアーティスの気も知らずにアーティスを見据えてもう一言付け加えた。

「死んだはずの人間と一緒にいる時点で、アーティーが怪しいに決まっているじゃない。私たちは知らない人物でも人一人死んでる。れっきとした殺人事件よ。なんでみんなこんな風に穏やかでいられるのよ? アーティーが殺人鬼かもしれないのに!」

「僕はそんなことしない! ケイファは僕を信じられないのか!」

 ケイファの斬罪に思わず立ち上がって叫ぶと、ケイファも強くテーブルを叩き付けてこちらを威嚇するように立ち上がった。

「信じられるわけないでしょう! 私たちの他に誰も乗っていないはずの船に見知らぬ人物が二人もいるのよ? 二人とも顔が同じで、片方が死んでいて死体は消える、もう一人は歳もとらずに生きてるのよ。これを異常と思わないアーティーはおかしいに決まってるじゃない!」

 痛いところをつかれて、思わず息を呑む。同じ顔の人物が二人。確かにそうだ。今まで似ているということで片付けてきたが、フォリッジとアンジェラの顔は同じなのだ。違うのは歳だけ。

「いっとくけど、アンジェラの言葉ではあなたの不在証明は立証されないわ」

 疲れたようにそういいきると、ケイファは椅子に座った。

 アンジェラが生きていたのが嬉しくて幸せだったから、今の今までその事を考えようとしなかった自分に呆れる。何故同じ顔の人物が二人もいるのだ……七人の乗組員しかいないはずのこの『箱舟』に。

「アンジェラは異常じゃない。きっと何か理由が……」

 そう言った自分の言葉に力がないことは自覚出来た。

「理由って何?」

 答えられずに黙り込むと、ケイファはじっとアーティスを睨みつけた。

「アーティーが優しいのは知っている。利用されてるんじゃないの、そこの天使に」

「利用……だって?」

 頭の中が一瞬真っ白になった。誰が誰をどう利用しようとしているって? 理解ができない。アンジェラがそんなことをするわけがないのに。思わず言葉を失ったアーティスを鼻で笑いながら、ケイファが呟いた。

「つけ込まれてるの方がいいなら、そう言い換えるけど?」

「ケイファ! お前いい加減にしろ!」

 呆然としていると、デニスの怒鳴り声が耳に飛び込んできた。

「何よ! あんたに用はないって言ってるでしょう!」

 それに怒鳴り返すケイファの声も聞こえる。それなのに何か遠い世界の出来事のように聞こえて、口を挟む気力もなく椅子に座り込んだ。アンジェラが不安そうに顔を覗き込んできたから、かろうじて笑みを浮かべた。

「そろそろいいか?」

 どこまでも冷静な低い声が耳に飛び込んできた。ゆっくりと顔を上げると、怒るでもなくゆったりと椅子に深く腰掛けて腕を組み、成り行きを見ていたアサギの静かな顔があった。目だけでアーティスとケイファに座るよう促す。

「ケイファ、他に聞きたいことは?」

「……ありません」

「それじゃあ、俺から聞こう。ケイファの理屈だと犯人の条件に当てはまるのは機械工学を修めた人間だな? 対象は俺、エネノア、アーティー、ドクターの四人だ。もっともエネノアとドクターは専門が違うが、職業柄機械工学を囓っている。ということは技術職の専門家は俺とアーティーの二人だ」

「ええ……そうね」

「その上、俺は不確定要素を好まない。フォリッジとアンジェラという不確定要素を一番に処分するのは俺じゃないのか」

 冷静に笑みを浮かべるアサギに、みるみるケイファが青ざめていく。だがアサギは追及の手を緩めない。

「俺を疑わなくていいのか? 俺は一応、機械工学を修めているがな」

 からかい半分の言葉に、全員が押し黙る。一応などとんでもない。アサギは機械工学のプロフェッショナルだ。この船どころか、地球上の『聞く者』の中でも稀な人材なのだ。名指しされたケイファは何も言えずに俯いた。アサギによる、明るいが逃げを決して許さないことがありありと分かる追求は続く。

「それからもう一つ、アンジェラが怪しいなら、具体的には何が怪しいと思う?」

「それは……」

「同じ研究をしている学者連中のスパイか? 何らかの技術を盗用しようとする産業スパイか? それとも過激な惑星環境保護組織のテロリストか?」

 俯いたまま答えられないケイファに変わって、今まで黙って言い合いを見ていたスヴェトラーナが久し振りに口を開いた。

「スパイの説は薄いね。もうすでに地球との通信は届かないさ。恒星間エンジンだって切り離しちまってるから地球に戻ることすら不可能だ」

 銀の髪をかき上げて、ため息をつくとスヴェトラーナはテーブルに頬杖をついた。アサギは正解を答えた生徒を見る教師のように顔でゆったりと微笑むと、全員を見渡した。

「じゃあテロリスト説はどうだ?」

「あり得ないよ。テロリストならさ、とっととこの船を爆破してるだろ? 何十年も待つ必要ないじゃん。しかも一人でだぜ? 気が狂うって」

 得意そうにデニスがそう答えても、ケイファは何も言わずに押し黙ったまま俯いている。

「そうだな。テロリストだとしたらあまりに都合が悪い。通信を使うことも、ワームホールの扉を開くことも、もうこの船では出来ないんだからな」

 アンジェラの手に触れながら、アサギから視線を外して黙ったまま顔を上げないケイファを見つめた。アンジェラの暖かさに触れていると、少しづつ加熱していた頭が冷えてくる。冷えた頭でじっとケイファを見ていると、何故ケイファがこちらを攻撃してきたのか、少しづつ分かってきた気がした。

 もしかしたら、ケイファは怖いのかもしれない。得体の知れないこの状況が。だがケイファはいつも強くいることを自身に課していて、恐怖を表すことをしない人だ。その代わり理詰めで相手を打ち負かし、その事で心の安定を得ている。

 きっと彼女は不器用なのだ。デニスは単純だが、その分頭と気持ちの切り替えが早いし、自分の感情を引きずったりしない。マサラティは感情を自分の中で処理することに長けているし、スヴェトラーナは全てのものごとをまず冷静に見ることを心掛けている人だ。きっと自分とケイファは、どこか不安定な部分が心にあるのだろうと、そんなことをふと思った。

「さてと、エネノア。どうする?」

 隣の恋人に促されて、エネノアはにっこりと微笑んだ。

「みんなの意見交換は済んだのね?」

 黙ったままの全員を見渡しながら、エネノアは穏やかにそう確認した。先ほどまでの怒鳴り合いが意見交換だとは思えないが、一応お互いの考えはぶつけ合った気がする。

 アーティスはデニスがアンジェラを許容してくれて、スヴェトラーナがアンジェラを一緒に守ってくれるということが分かっただけで、十分嬉しい。

「私はね、この殺人事件と死体消失事件はこれ以上の危険性なしとしてもいいと思うの。犯人が誰だったとしても、仲間を殺すとは思えない」

「あたしも同感だね」

 椅子の背にもたれたまま、スヴェトラーナが言った。

「どうしてそう言い切れるの?」

 ケイファが苛立った声をあげる。そのくせ視線はテーブルの上に落としたままだ。

「根拠なんて無いけど、この事件の特殊性を考えたらそれしかないんじゃない?」

「特殊性って何? 馬鹿で感情的な私にも分かるように言ってよ」

 けんか腰のくせにどことなく力のない声でケイファがそういう。スヴェトラーナは、ゆっくりと椅子の背もたれから体を起こし、テーブルに両肘をついて話し出した。

「この船には謎の人物が二人いた。一人はアンジェラでもう一人はフォリッジ。残ったアンジェラが何も知らないということは、どう考えても死んだフォリッジは何かを知っていたろうね」

 こちらを見るスヴェトラーナに、アーティスは頷く。もしも彼女がアンジェラ同様何も知らなかった場合、彼女に殺されるから逃げろと忠告出来るとは思えない。言葉を続けたのはエネノアだった。

「間違いで再生された人間が二人いる可能性はあり得ないし、その二人が同じ顔をしていたとしたらなおさら偶然ではないわ。アンジェラもフォリッジも……おそらく保存された受精卵を使って違法に再生された人間と見て間違いない」

 生命工学博士であるエネノアの言葉には、説得力があった。

「じゃあさ、どうして犯人は二人を殺そうと思ったわけ?」

 脳天気にデニスが尋ねた。ちょっと考えれば済むだろう、といいたいところをグッと飲み込む。彼のその脳天気さは、どうやら気遣いらしいからだ。デニスは気付かれないだろうと思っているが、先ほどから視線がチラチラと、俯いたままのケイファに向けられている。デニスの気持ちを考えると、ちょっとほほえましい気分になった。

 自分も全く分からない顔をしてケイファに合わせたつもりでいる。どうみてもそんなデニスの小細工はバレバレなのだが、あえて誰もそれを口にはしない。スヴェトラーナもデニスの下手な演技につき合った。

「あんたは自分で考えること無いのかい?」

「へへ~んだ。どうせ俺は馬鹿ですよ~」

「……馬鹿」

 本当に小さくケイファがそう突っ込んだ。その瞬間にデニスの表情がパッと明るくなる。本当に分かり易い。

「あたしの考えを続けて話すけどいいかい?」

「ええ。お願い」 

「殺された人物は、違法に人間を再生したことを仲間に知られたくなかった。おそらくそれを行った人物にそれなりの理由があっただろうからね。それがどんな理由かは分からない。でもこのメンバーのことを考えると、例えそれが誰であってもエデンの事であることは間違いない」

 違法であってもエデンのこと……。それなら納得できる。エネノアがこれ以上危険はないと考える理由も理解可能だ。ここにいる人物でこのエデンのことを悪く考える人はいない。エデンをよくしようと仲間に黙って違法な実験に手を染めたなら、その人物が仲間に手を出すわけなどない。

「とすると、エデンのためにと思って違法な実験をしたものの、それを仲間に知られたくなくて約束の日に二人を殺そうとしたって事だね?」

「あたしはそう思ってる。そしてアンジェラは何も知らない。犯人のこともフォリッジが知っていた真実も。そして私たちはもうすぐエデンに降りる。今後は実験が終わり実用が始まる」

 そう締めくくったスヴェトラーナは、腕を組んで黙った。ちらりと目を遣ると、彼女は眉を寄せて考え込んでいるようだ。アーティスも本当のところ釈然としない部分がある。違法だと知りながら、人間を再生し、何らかの実験をしていただろう犯人がこの中にいるということと、仲間を傷つけたりはしないに違いないということは理解できた。だが再生した人間を平気で殺せる人間がいることに、納得がいかないのだ。

 エネノアとアサギの二人を除く五人は、出身地こそ違うものの、物心が付かないほんの幼い頃に研究施設に連れてこられて、兄弟姉妹のように一緒に育った。正直に言うと、五人とも親のことをよく知らない。年上だったエネノアとアサギは、この五人のまとめ役兼、教師として自身の研究の傍ら五人の面倒を見てくれていた。適正を分けられて別々の教育を受ける間も、休日や祝日などを七人で家族同然にして暮らしてきた。

 後に知ったがこの七人は初めからこの『箱舟計画』のために計画者であるエネノアによって共に育てられたのだ。閉鎖空間、二度と戻れない片道切符、あまりに長い体内時間と標準時間のギャップ。この状況に耐えられるのは、プロフェッショナル達の集団でありつつも、相当に親しい間柄でなくてはならないとされたのだという。

 だがそんな研究所の思惑を知ったときも、アーティスは何のショックも受けなかった。ただ単に、みんなと一緒なら片道切符の旅でも耐えられるな、と思っただけだったのだ。

 こうして共に育ってきたのに、その中に殺人者がいるなんて、割り切れない。というよりも信じたくない。それはおそらく犯人以外の全員が思っていることだろう。

 重苦しくなりかけた雰囲気の中で、エネノアが静かに全員を見渡しながら口を開いた。

「色々考えるところはあると思うわ。でもとりあえずここらへんで終わりましょう」

 思わず詰めていた息が漏れ、深いため息のようなものになる。たしかにここからなおも猜疑心を持って相手を突き詰め合うのは、あまりに苦しい。

「私も賛成よ。これ以上は全員の精神的な負担になるわ。疑わしきは罰せずという美しい言葉が、アサギの先祖の言葉にもあるものね」

 カウンセラーであるマサラティの言葉に、全員が深く頷いた。これ以上は家族同然の仲間同士で傷つけ合うだけになってしまう。信じている人間を疑うことは、もっとも精神力を消耗することなのだ。

 さっきから一言も話していないアンジェラは、固まりきってしまっていた。あまりの緊張で堅いその顔に、フォリッジの死に顔が一瞬重なって、反射的に頬に触れて確認する。大丈夫、柔らかくて暖かい。唐突なアーティスの行動に、アンジェラは顔を上げて大きく目を見張った。

「ごめん、驚いた?」

 小声で聞くと、アンジェラはぎこちない表情ではあったが微かに頷いた。

「熱いねぇ、ご両人」

 いつから見ていたのか、デニスがそうアーティスを突きながらいった。見られていた恥ずかしさと、こう言うとこは必ず見ているデニスの間の悪さに思わず言い返す。

「うるさいよ」

「照れるなよ。俺は祝福してんだぞ」

「これはからかってるって言うんだよ」

「本当に仲がいいわねぇ。ねぇ、ケイファ」

 デニスとの小突き合いを見ていたマサラティが、微笑みながらそういった。そちらを見るとケイファが先ほどよりも顔を上げているのが分かった。だから安心して、マサラティがこちらの話をケイファにふったのだろう。

「……考えなしなのよ、二人とも」

「早速喧嘩か? 買うぞ」

 嬉々としてデニスがそういうと、ケイファがそっぽを向いた。それさえも嬉しくて仕方ないといった顔でデニスは笑う。ふとエネノアに目を遣ると、エネノアは頬杖を付きながらため息を付いた所だった。その顔にあるのは、不本意そうな表情だ。

「どうかしたの、エネノア?」

 尋ねるとエネノアは頬杖を付いたまま再びため息を付いた。

「それにしても残念だったなぁと思って。不思議な人物のサンプルが採れなかったこと」

「エネノア……」

 思わぬ言葉に二の句も継げない。そんなアーティスに気を止めるでもなく、エネノアは再びため息を付いた。

「気になってたのになぁ」

 読んでいた本の続きのことを言っているくらいの、あまりに軽い口調でエネノアはそういった。彼女が残念がっているのは、死体の研究用サンプルの話なのだ。エネノアは彼女が認めた仲間以外の人間に関する感情や興味といったものが、恐ろしく希薄だ。その分、研究材料や自らの理想に関する熱意は空恐ろしい事がある。

 もしかしたら彼女なら……研究のために躊躇わずフォリッジを殺すことが出来た……?

 一瞬の動揺をアーティスは必死で押し隠した。そんなことはない、あり得ない。このエネノアがそんなことをする必要がない。エデンに着いて、あとは人類の再生だけという状況で、エネノアが何の実験をする必要があったというのか。

 誰にも気付かれないように小さく息を吐く。一応あとでエネノアが『約束の日』にどこにいたか、『箱舟』を使って調べてみようと決める。アーティスは一応、アサギに何かあったときのために、『箱舟』の副管理責任者(サブ・リーダー)としての権限を持っているのだ。その権限を利用すれば、当日の個人の動きが分かる。少々職権乱用なのは分かっている。だけどエネノアを疑い続けることは、辛すぎる。

 そんな疑惑の念を抱かれているとは知るよしもなく、エネノアは何かを思いついたのか、ポンと手を打った。あまりに古典的な、しかも分かり易くて単純なその動作に、今までの疑惑を捨て去りたくなる。

「そうだ! 代わりにアンジェラをちょっとだけ検査させて欲しいな、って言うのはだめかな?」

 エネノアが目を輝かせながら、興味深げにじっとアンジェラをつめた。エネノアの持ち前の好奇心がありありと伺える。

「駄目だよ!」

 反射的にそう答えると、残念そうにエネノアが上目遣いでアーティスを見た。

「血液サンプルくらいいいんじゃないかな?」

「今はこんな時だよ? ぜ~ったい駄目!」

「ちょっとだけ、ね?」

 尊敬するエネノアに手を胸の前で合わせて可愛らしく頼まれても、疑惑の念がある今は、おいそれと首を縦には振れない。それに彼女を何があっても守ると決めた以上は、ここで折れるわけにはいかない。

「駄目です!」

 思わずエネノアからアンジェラを庇うようにアンジェラを抱きかかえると、エネノアだけではなくケイファ以外の全員が吹き出した。どうやらエネノアに疑惑を抱いていることには気が付かれていないようだ。過保護だと思われただけだろう。

「アーティー、エネノアだってとって喰うわけじゃないんだからさ」

 となりのスヴェトラーナがそういうと、笑いを堪えながらエネノアがこちらを見た。

「冗談よ、冗談」

「エネノアが言うと冗談に聞こえないよ!」

 半ば本気でアンジェラを抱えたまま大声で言い返すと、エネノアはにっこりと笑った。

「そう? でもこれで一つ確認出来たことがあるわ。唯一危険なのはアンジェラだけど、あなたに任せれば安心ね」

「え?」

「そんな風に、お姫様を大事に守ってあげてね」

「え? うわっ!」

 先ほどからうっかり、アンジェラを結構強く抱きかかえていたことにようやく気が付いた。腕の中のアンジェラが、恥ずかしさではなく苦しくて頬を紅潮させている。慌てて腕を放すと、アンジェラは大きく息を吸い込んだ。

「ごめんアンジェラ、大丈夫?」

「うん。大丈夫」

 アンジェラは柔らかく微笑んだ。何度も見た微笑みだが、その綺麗さに思わず見惚れる。この子に何かあってたまるものかと、強く心の中で思った。自分が守らなくては。

「『箱舟』アンジェラを予備乗組員として登録して」

 凛とした声でエネノアが『箱舟』を呼んで命じた。意外だったから、思わずエネノアを見つめると、エネノアは微笑んだ。

「いいのエネノア?」

「いいわ。当たり前よ。あなたの部屋の扉しか開けられないなんて不便じゃない」

 利便性の問題ではないのだが、エネノアらしいやり方でアンジェラの存在を認めてくれたのかもしれない。エネノアはアーティスから目を離し、他のみんなをゆっくりと見渡した。このエネノアに何か後ろ暗いところがあるようには、全く思えない。

「さあ今日の集まりはこれでお終い。次の会議は三日後よ。そこからが本番。今のうちにやりたいことをやっておくようにね」

 みんなの方へ視線を戻すと、エネノアの言葉に全員が頷いていた。とりあえず三日間の休み……というわけだ。

 それだけ時間があれば全員の行動を追い、当日に生活プラントへ入った人間の情報を手に入れることが出来るだろう。だが例えそれが誰だか分かっても、それをみんなに告げる気はない。ただアンジェラを守るために有効に使わせて貰うだけだ。全員を警戒するより、たった一人を警戒する方が、絶対に有効だろう。それだけならきっとみんなを裏切ることにはならない。そう信じたい。

「地表モニターを成層圏内高々度カメラと連動させて数を増やした。あまりに希望者が多いからな。これからは各自自室で、カメラを操作できるようにした」

 そう告げたアサギの言葉に、デニスが口笛を吹く。

「それじゃもうモニタールームの取り合いはしなくていいって事だ」

 嬉しそうな反面、ちょっと残念そうな複雑な顔でデニスが言った。ケイファとカメラの取り合いする時間が無くなるのが寂しいのだろう。

「お前の楽しみを奪って済まんな。だが三日あれば結構色々なところが見られると思うから、それで勘弁してくれ。磁気は相変わらずだけどな」

 デニスの微妙な顔つきに気が付いたらしくテーブルに一体化したモニターを落として、席を立ちながらアサギが微かに口元に笑みを浮かべた。

「カメラの調子が悪かったら、言ってくれ。俺はしばらく『箱舟』の中央制御室にいる」

 全員に向かってそういうと、振り返りもせず急ぎ足でアサギが出ていった。顔にも口調にも出さなかったが、最初にエネノアに言われた事が気に掛かっているのだろう。

「僕も部屋に戻るね」

 誰にでもなくそういうと、隣のスヴェトラーナがこちらを見た。

「アンジェラは、夜だけこっちに来るって事でいいかい?」

「うん。それはお願いするよ」

 スヴェトラーナなら信用できる。それに流石にアンジェラと二人、寝室で毎晩共に過ごすっていうのは気が引ける。一応自分も―実際年齢は一五二歳だが―二十歳をいくつか過ぎた男だし、恋愛感情も芽生えつつある女の子と一緒にいるのはまずいだろう、と思う。

「なんだよそれ。勿体ないなぁ」

 反対隣で話を聞いていたデニスが、ニヤニヤと笑いながらそういった。そんなデニスの頭を軽くはたいてアーティスは立ち上がった。

「行こう、アンジェラ」

 真っ直ぐにアンジェラに向かって手を差し出すと、大きな瞳で真っ直ぐにアーティスを見ながら、アンジェラはその手をしっかり握り返して、立ち上がった。

「エデンを見よう」

「うん」

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