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急遽休日が取りやめになり、アンジェラという名で呼ばれる、謎の生命体探しに全員が時間を割くことになった。
乗員である七人の居住区は、面積としては狭いが入り組んでいるため、ケイファとマサラティが二人で担当する。デニスとスヴェトラーナは広大な農場と田園地帯が広がる農場プラントを、アサギとアーティスは一番広い生活プラントを手分けして探すことになった。農場プラントと生活プラントは確かに広大だが、各ブロックごとに区切って『箱舟』のメインコンピュータと共に探す分には、二人で手が足りる。エネノアはその間、『箱舟』と共にアンドロイドのナンバー識別を行い、アンジェラが紛れ込んでいないか確認することになった。
アサギと二人で生活プラントに向かいながら、アーティスは途方に暮れていた。いったい何がどうなっているのか、よく分からない。こんな突発的な事件には、自分はまるで役に立たない。アンジェラが何者なのか、この『箱舟計画』に何らかの障害を与える存在なのかを、第一に考えねばならないのに、今はアンジェラの笑顔と軽やかなあの動きを思い出すことしかできない。
その上エネノアに疑われているかも知れないとあっては、平常心でいられるわけがない。ふさぎ込むアーティスに、いつも通りの落ち着いた口調でアサギが尋ねた。
「落ち込むな。人間だと見抜けなかったのはお前さんのミスだが、あまりに異常な事態だ、分からなくても仕方ない」
いつもの通りの、慰めだか冗談だか分からない口調ではあったが、気遣ってくれているのだということくらいは分かる。だが今の自分にはそれを受け入れることすらできない。自然と足が止まってしまった。
「無理だよアサギ、落ち込むよ。年をとらないって事は確かに驚いたけど、人間だったなら僕は酷いことをしたよ。見捨てたって事だろ?」
「……そうだな」
小さく頷くと、アサギは数歩遅れたアーティスを見つめた。深いダークブラウンの瞳が、心を見透かすようにじっと自分に向けられている事が分かったが、それを真っ直ぐに見返すことができない。未知への恐れと、見捨ててしまった後ろめたさがアーティスを支配していた。
「僕とスヴェータが眠りについてから今まで、たった一人で生きてきたんだとしたら、辛すぎるよ。僕なんか、たった二年起きているだけでみんなが恋しかった」
他に何をいえばいいのか分からずに黙ると、アサギはアーティスの隣に並んで肩を軽く叩いた。とりあえず行こうという合図だ。言葉もなく歩き出すと、アサギは独り言のように呟やく。
「俺にはエネノアがいるから、一人で過ごす孤独に思い至らなかった。全員が仕事をしやすい環境を整えるという俺の任務は、どうやら穴があったな」
今話しているのはその事ではないのに、そんなことを言うアサギに、思わず口元が緩んだ。もしアサギにサポートスタッフとしてのアンドロイドを付けて貰っていたとしても、それは作業用のものでしかあり得なくて、どうしようもなく味気ないものになるだろう。それなら存在自体が非常識きわまりなくても、あのアンジェラがいい。例え彼女がどんな存在だったとしても、一緒にいた二年は退屈せずにすんだし、それ以上に彼女の持つ暖かい雰囲気で幸せに満たされていた。だからこそ辛い。
「違うよ、アサギにミスはない」
「慰めか?」
「僕が寂しがりだったんだ。だからそれを救ってくれたアンジェラがたった一人で時を過ごしていたと思うと、堪らないよ。どんなに辛いだろうと思うんだ」
「お前は優しいな」
不意にいわれたその言葉の重さに、思わずアサギを見上げる。見るとその目は暗く曇っていたが、アーティスの方ではなく、真っ直ぐ前を向いていた。何か辛いことでもあるんだろうか? だがそれを聞いてはいけない気がする。
「優しくなんてないよ。僕自身が誰かに優しくして欲しいだけだ」
優しくして欲しいから、相手を思いやるのだ。それは優しいとはいわない。自己中心的で打算的なのではないかと、アーティスは言葉には出さずにそう思った。
だがそれをアーティスから読み取ることもなく、真っ直ぐアサギは前を向いて、ただ足を進めている。またアサギから数歩遅れてしまった。後ろ姿を見ていると、ため息が出る。この人は本当に、自らの思いにのみ、真っ直ぐに向かっていく人だ。その背中が迷いを帯びることなど考えられない。だけどこれはアサギだけではない、エネノアも同じ後ろ姿をしている。真っ直ぐに前を向くことしか考えられない、とてもよく似た二人。
優しくされたいとか、寂しいとか、そういう感情は持っていないのだろうか? 研究者のくせに、科学者のくせに弱い自分が、異質なのだろうか? だけどアサギの先ほどの言葉は、いつものアサギらしくなかった。考えれば考えるほど、アサギという人間が分からなくなる。
自らの弱さとアサギの強さを、無意味に比較することをやめるために、無理矢理自分で話題を変えた。
「もしもアンジェラが生きていたら、僕が面倒を見るよ。それくらいの我が儘許されるかな?」
「つまりお前は俺にアンジェラを処分するなと言いたいわけか?」
「処分……」
確かにアンジェラは、この船の中では不確定要素だ。これからの計画に支障を来すようなら処分するのは、船の管理者であるアサギからすれば当然の選択だろう。でももしもアンジェラが本当に機械ではなく生体であった場合、心を持っているだろう生き物の彼女を殺す事は間違っている。何らかの理由でこの船で再生されてしまった命だとしても、人間である以上それは殺人だ。
「アンジェラを殺させたりしない。だって彼女は人間かも知れないじゃないか」
長身のアサギを見上げて宣言すると、アサギはため息をついて足を止めた。
「お前、疑われているんだぞ?」
ため息混じりに振り返ったアサギは、アーティスの顔を見つめた。
「……エネノアにだよね?」
「ああ。なのに面倒を見ると俺に言うのか?」
「僕は本当にアンジェラを冷凍睡眠させたり、みんなに隠したりしていない。確かに僕はアンジェラに執着しているかも知れないし、疑われても仕方ない。けど僕はちゃんとアサギとエネノアには言っておきたいんだ。僕は絶対に二人に嘘をついたりしたくない」
「そんな言い訳が通ると?」
「分からないけど、僕にはそれしか言えないんだ」
アサギの瞳をじっと見つめていると、やがてアサギは苦笑した。
「お前は正直で頑固だ。お前を子供の頃から知ってる俺たちに、お前を疑うのは難しい」
いつもの少々皮肉が混じったようなアサギの口調に、内心ホッとした。アサギはアーティスを信じてくれそうだ。幼い頃から憧れだった二人に疑われることは悲しすぎる。
「じゃあ僕に任せてくれるよね? 僕が名前を付けたし、色々教えたのも僕だから、きっと一番アンジェラが馴染んでいると思うんだ」
あえて明るくアサギに笑顔を向けると、アサギは軽く肩をすくめて笑う。
「穏やかそうで一番頑固なお前の言い出したことだ。もし彼女が見つかったら好きにすればいいさ」
「ありがとうアサギ! 僕は絶対にアンジェラが生きているって確信してるよ」
口に出して力説すると、力がわいてきた。本当にアンジェラが生きていて、もしもう一度出会うことが出来たらそうしようと決意が固まった。もしそれがどんな状況でも。見捨ててしまった自分をアンジェラが許してくれるか分からないが、それでも何とか責任をとりたい。
「もしもアンジェラがお婆さんになっていたら、お前大丈夫か?」
半ばからからかい口調でアサギが言った。確かにあれから八十年経っている。年をとらない少女といったって、いくら何でもそのままということはないだろう。
「……平気さ」
想像すると多少怯んだが、あのアンジェラならきっと老婆になっても綺麗に違いないと、自分を無理矢理納得させる。
「甘いなアーティーは。女ってのは大変なんだぞ」
「なんだよ、実感こもってるね」
「当たり前だろ。一人面倒を見ようと思ったら、結構な労力がいる」
そういってアサギは人の悪そうな笑みを浮かべた。誰のことをいっているのかすぐに分かる。
「……エネノアが恋人って、大変?」
「大変さ。あれで意外と抜けてる所があるからな。フォローするこっちの身にもなって見ろ。それにな……」
アサギは声をひそめた。
「え、何?」
「たまに可愛すぎて仕事にならない」
その勝ち誇ったような笑み、完全にアーティスをからかっている。
「……ごちそうさま」
「どういたしまして、だ」
二枚目といってもいいその顔で、片目を瞑ってウインクしてみせられると、その余裕たっぷりの姿にどうしても敵わないものを感じる。がっくりとうなだれてため息を付くと、アサギは軽く慰めるようにアーティスの肩を叩いた。顔を上げると、先ほどまでのおどけた調子とは、全く違うアサギの顔があった。そこには年長者としての、静かな笑みが浮かんでいる。
「ちょっとは落ち着いたか?」
「うん、落ち着いたよ」
今までのやりとりは結局そういうことだ。動揺し、今後どうしたらいいのか戸惑っているアーティスを落ち着かせるために、わざと冷たい選択肢を突きつけてくる。それを考えることによってアーティスは普段の落ち着きを取り戻すのだ。自分はアサギの手の中で転がされていたにすぎない。
このアサギがエネノアに翻弄されているところを、いつか見てやりたいものだといつも思っているが、生憎そのチャンスはまだ一度足りとて、まわってきていない。ため息を付くと、アサギがもう一度肩を叩いた。サブリーダーという立場からアーティスを諭す。
「自分の中で混乱が起きた時は、まず冷静さを失わないことだ。状況を知って、それから分析すればいい。お前さんは感情が先に立つことがあるからな」
それが自分の弱点であることは分かっているから、何もいわず小さく頷いた。それを確認して、アサギはともすれば陽気に聞こえる言葉を続けた。
「お前の天使だって、現在の状況を確認した後にどうするか決めればいいさ。可愛い女の子であっても、お婆さんであってもな」
気が付くとアサギは生活プラントの入り口に立っている。知らぬ間に随分と長い距離を歩いてきたようだ。研究者が出入りするためにのみ作られたその入り口は、広大なスペースを持つ生活プラントに比べるととてつもなく狭い。基本的にこの中で暮らす生き物と、ここで生活するであろう人間達がこの入り口を使うことがないから当然だが、何となく不思議な感じがする。
「入るか?」
「うん」
頷くのとほぼ同時に、アサギが『箱舟』に声をかけた。
「開けてくれ『箱舟』」
『了解』
音もなく扉がひらく。人工的でしかなかった廊下に、暖かく眩しい光が溢れた。
「眩しい……」
思わず目を覆うと、アサギが笑った。
「今は時間的に昼だから、眩しいに決まっているだろ」
生活プラントは、地球化事業を終えたエデンの最も大きい大陸と、時間の進みが同じになっているのだ。これもエデンへの人類移住のための準備である。
「分かってるけど、よく平気だね?」
「このプラントを仕上げたのは、俺だからな」
あっさりとそういわれた。目が慣れて来るに従って、目の前に広がる光景が鮮やかに浮かび上る。
「うわあ……すごいよこれ」
「だろ? 自信作だ」
草の色、木の色、若葉の色、深緑の色……遠くに見える森はうっすらと霧を纏って、その姿を幻想的に彩っている。目を遠くに向ければ、そこには人工の太陽に照り輝き、キラキラと光を反射する湖と、そこから流れ出る幾筋もの川があった。おそらく覗き込めばその川には、生命が溢れているのだろう。森の中には、幾種類もの生物が存在しているはずだ。
ここが宇宙船の中で、農耕のために使われる一部を除いて表面三十センチほどしか本物の土が無い、人が作り出した光景であるとはとても信じられない。耳には絶えず、鳥のさえずりさえ聞こえる。ここが再生された人類の、第一の故郷になるのだ。
この場所で人間は、生きる知識を学ぶことになるのだが、無条件に全てを知るわけではない。彼らに教えることが禁じられていることもある。一つは現在の科学知識だ。高度な科学を最初から持ってしまうと、環境崩壊のスピードを速めてしまうため、教えられる知識は産業革命以前までとされている。つまりここで再生される人間達は、この船にある科学という力に全く頼らず、自らの力で生きていけるだけの力を身につけなければならない。そしてもう一つは地球の存在だ。彼らは地球という星の存在を知らずに、惑星エデンで生きていくのだ。
「僕が前に来たときは、まだ中央ブロックの森しかなくて、『箱舟』の内部と変わりなかった」
その時の光景を思い出す。人口の床に幾筋も引かれた線が、各ブロックのナンバーを示しているのがわかった。そのうち中央の一ブロックのみに木が植えられて土が盛られ、草が茂っていた。木は若木で、遺伝子改変された成長の早い植物であることが、すぐに分かった。その異様とも言える光景を一言で言うと、人工物の堅い海に浮いた、小さな無人島だった。
殺風景なその風景を思い出すとき、一緒に思い出したのは、アーティスの前を歩く少女の後ろ姿だった。金の髪がフワフワと、歩く速度に合わせて揺れていた。鈍く霞んだ機械の中で、ひときわ輝くアンジェラの鮮やかなまでの生命感。彼女がアンドロイドだと思っていたアーティスでも、ハッとするほど明るく煌めく生命の輝きがそこにはあった。
「八十年前じゃ、面白くも何ともなかっただろ?」
記憶の中の映像に囚われそうな心を、アサギの現実的な言葉が引き戻す。目の前にはあの頃の機械的な風景も、アンジェラもいない。
「そんなこと無いさ、結構面白かったよ。『箱舟』に立体映像付けて貰ったら、それなりな気分は味わえたよ。少なくともピクニックはできた」
「……ピクニック? 状況のチェックじゃなくて、ピクニックに来たのか?」
「そう。仕事の合間にアンジェラと来たんだ。サンドイッチと紅茶を持ってさ」
「お前は……面白いな」
一瞬の絶句の後、呆れているのか感心しているのか、どちらともとれないような顔でアサギがそういった。
「何で? 仕事にも息抜きは必要だよ」
「いや、そうだけどな。技術者としてまず、システムが問題なく働いているかという方に目が向かないか?」
「あ……」
確かにその通りだ。自分の担当部署ではないが、アサギと同じ技術屋のアーティスなのだからそれを考えるべきだっただろう。自分の迂闊さに小さくなるアーティスに、アサギは笑った。
「責めているわけじゃないさ。ここでピクニックなんてよく考えるなと思ってな」
「良さそうなところここしかないからね。もしかして駄目だった?」
「そういう意味じゃない」
肩をすくめてそういわれても、いまいちよく分からない。
「……お前、気にしないのか?」
「何を?」
「地球の『声』だよ。俺は平気だけど、ここまで似た環境だと、声が聞こえそうで怖いってエネノアがいってたんだ」
「考えても見なかったよ。だってここ……地球じゃないから」
地球の『声』。これはここにいる七人にとっても辛く、重苦しいものだ。『聞く者』の半数はこの『声』で精神を病む。毎日休むことなく繰り返される地球からの苦しみの声……。『声』とはつまり、地球の悲鳴を意味していた。精神を病むことなく能力を発揮している『聞く者』たちは、意識的に『声』をシャットアウトすることができる特殊技能を持った者たちだ。それでも『聞く者』たちは、アーティスも含めてそんなに外に出たがらず、研究所の中に一日いることが多い。外に出るとその声が聞こえてしまうから、シャットアウトのために精神をすり減らすのだ。
だがアーティスは無意識のうちに、地球をでれば『声』を聞くことはないと信じていた。だからこの空間に何も感じなかったのだ。どうやらアサギはそのアーティスの図太さを、呆れつつ褒めていたらしい。
「どうせ僕は鈍いよ」
「鈍くて結構。いいことさ。おそらく俺とお前だけだな、この生活プラントでは『声』が聞こえないと信じ切っているのは」
「……なんで?」
あまりにきっぱりと言い切られて、意味も分からずアサギを見ると、アサギは床を何度か確かめるように踏みつけていた。
「お前も俺も、生命とは関わりのない機械を主に相手にしている仕事だ。だからこの森の下には土ではなく、多大な水耕栽培用地下プラントがあることを、誰よりもよく理解している」
つられるようにして思わず足下を見る。確かにここの設計は、惑星環境学の立場から手伝ったのだから、仕組みを知っていて当然だ。そこに地球という、踏みしめる本当の土地が存在しないことも、よく分かっている。
「だが他の五人は違う。彼らは生きているものを相手にしているから、それだけに生きている地球の『声』を警戒するわけだ。彼らに見えるのはここのシステムではなく、ここに存在する森だからな」
「なるほど、知識の違いね」
「そういうことだ。地球は生き物だとしたら『箱舟』は生き物じゃない。その『箱舟』に生かされているこの森はある意味、生き物じゃなく作り物だからな」
そう断じてアサギは手近な木の幹を叩いた。確かに生きている木ではあるが、そういう意味で言えば、作り物……地球のレプリカだ。
「その理論で行くと、エデンにも『声』は存在しているかもしれないね。惑星は生きているから」
「ああ、考えられる。地球と違って、悲鳴を上げていないことを祈るばかりさ」
「……そうだね」
そうでなければ、彼ら七人はエデンに降りることができず、この『箱舟』で一生過ごすことになってしまう。それは研究所育ちのアーティスでも、避けたいところだ。
「やはりお前が一番怖いな、アーティー」
ポツリとアサギが呟いた。
「何が?」
「温和なくせに、お前が一番、俺に近いかもしれない」
「何の話さ、アサギ。意味が分からないよ」
肩をすくめながらそういったアサギの、唐突な言葉の意味が分からず聞き返したものの、ただ笑うだけのアサギからは何の答えも返ってこない。仕方なくアーティスはポケットに手を突っ込んで、二つに折りたたまれた一センチに満たない薄い手帳タイプの端末をとりだした。開くと端末が起動し、メインコンピューターと繋がる。
「『箱舟』、エリア1から順に、生命反応のデータを見せて」
『了解、エリア1から順に、データを転送します』
「明らかに人間じゃないものは除外してくれると助かるよ。あと映像も撮ってこっちに全部回して。速度はこっちで決めるから、地面の撮影だけしてくれる?」
『了解』
『箱舟』が地面と天井に仕込まれたサーモスタットと、赤外線カメラの映像を送ってくるまでに、少々時間がかかるだろう。
「俺たちも少し歩くか?」
「そうだね」
生活プラントの中央に向かって、無言のまま二人で歩く。しばらくすると『箱舟』が二人を呼んだ。
『エリア1スキャン完了。異常なし。映像データを転送しますか?』
「頼むよ」
端末には今いる場所が映し出された。自分たちの姿も写されている。先ほど入ってきた生活プラントの研究者用入り口付近がエリア1。つまり今彼らはエリア1にいる。
この生活プラントは縦四キロ、横二キロを〇・五×一キロの一六ブロックに区切って管理されている。生活プラントの真裏にあるのが、今デニスとスヴェトラーナがいるはずの農場プラントだ。この二つのプラントは、船の中央に筒状に作られており、絶えず回転することにより、お互いに重力を作り出して保たれている。おそらくデニス達も、今アーティスとアサギの二人が行っていることと全く同じ事をしているだろう。
生活プラントは取り囲む壁部分が森、中央部に向かって開けた土地になっている。回りが森に囲まれている狭い盆地という感覚が正しいだろう。ここで人間を生活させる上で、航宙船であるという感覚を持たせないために、そう設計されている。実際に人間をここで生活させるときは、立体映像でその壁すら高い山に見せてしまう予定だ。
エリア1の地表映像を全て高速で再生させて確認する。これで怪しい物があれば、実際にその場所へ行って確認すればいい。
「何もないな」
アーティスの端末を覗き込んでアサギが呟いた。確認作業なら端末は一つで事足りる。
「無いね」
「次、行くか?」
「うん」
ゆっくりとした足取りでアサギが歩き出した。端末を手にしたまま後を追う。長身で足の速いアサギの後ろを、丈の短い草を踏みしめながらついて行く。歩いている間は特に会話もない。デニスとは違って、アサギは沈黙を苦痛とは思わないのだ。アーティスもアンジェラの事を考えると、そんなに軽口を叩きたい気分ではなかった。
踏みしめる柔らかい感触が、地球ではあまり感じることができなかった、緑の香りを運んでくる。すがすがしい空気に満ちる草の香り。数種類の草を混ぜて酸素供給システムの足しにしたのは、正解だった。巧く働いている。そう考えて一人苦笑した。感情は落ち込んでいても、技術者としての感覚は休むことなく動いている。
森を抜けて湖づたいに歩き、草原を抜ける。生活プラントの中央に位置している湖の畔に辿り着いた。この場所なら、どこで異常があってもすぐに向かえるから、無駄に歩き回るよりも都合がいい。
十分に一度送られてくるデータをその場で確認しているが、今のところ異常は全く見られない。計算上三時間ほどで、『箱舟』は生活プラントのスキャンを終える事になっている。もしかしたらここにはいないかもしれないと、半ばアーティスは思い始めていた。
湖の水が人口の太陽を照り返して、光を放っている。時折飛び上がっているのは、教育のために再生された、食用の淡水魚たちだ。その淡水魚をめがけて鳥が滑空してくる。鳥は恐ろしく正確に魚をその足で捕らえ、再び作り物の空に飛び上がった。
「見事なもんだな」
空を見上げてアサギが呟いた。
「すごいね。逞しいよね、生命って」
「そうだな。奴らにとってはこの狭い世界が総て本物なんだ」
「うん」
アーティスからすれば完全に作り物の生活プラントだが、この中で生きている生き物たちにとっては、総て本当の空、本当の湖なのだろう。生命工学を専攻する仲間たちがこの空間を恐れるかも知れない理由が少しだけ分かった。
生命は作り物の庭に息づいている。もし地球の声が地球本体が発している言葉ではなかったら、この生命溢れる生命プラントでも怨嗟の声を聞いてしまうかも知れない。でも優秀な『聞く者』であるはずのアーティスの耳には、のどかな生命の息づかいしか聞こえてこなかった。
ここは美しいし暖かいけれど、やはり作り物だ。
湖の畔で報告を聞きながら処理をし続け、『箱船』はようやく最後の区画をチェックした報告を送ってきた。
『エリア16、スキャン完了。生命反応に異常なし。映像を転送します』
「これが最後の区画だね」
「そうだな生活プラント(ここ)は、ハズレかもな」
あまり期待せずに、アーティスは映像を高速で再生した。ここは森の区画だから、森林の下に広がる地面の映像が延々と繰り返される。最初はまばらだった森も、壁の近くになればなるほど深くなっていき、それに伴い暗くなっていく。木の根と、まばらに生えている土と、それから落ち葉。今まで何度も見てきた映像となんら代わりはなさそうだ。




