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この大陸に人類が降りてどれだけの日々が過ぎただろう。
『箱船』に問えば過ぎ去った時間を正確に示してくれるのだろうが、仲間たちは既に土へと還り、時間を問うことすら無意味となった今になっては聞くだけ虚しい。
すれ違う人々の中でゆっくりと歩を進めるこの身体も生を受けた時のものではなく、自ら『ゆりかご』で作り上げた、アンジェラと同じ千年もの長寿命を持つ二体目だ。
想像以上に過酷な生き方に、時に心が揺れ、孤独がひたひたと闇を帯びて歩み寄ってくるため、仲間たちが死に絶え身体が二体目となった時点で百年間眠り、十年だけ起きているというサイクルを作った。
千年で百年、一万年で身体を交換する。
気が遠くなるほどの長い年月を生きていくことができるはずだ。その間、『箱船』は自らの人工知能を持ってシステムを維持していくだろう。
急激な発展を防ぐため、大陸に産業革命以後の科学技術が生まれればそれを破壊する仕組みを作った。そのおかげで百年程度の時間眠ったぐらいでは世界はほとんど変わることがない。だが世界全てをチェックする十年は忙しく、孤独に押しつぶされる程の時間は存在しなかった。
それがアーティスを支えていたと言っても過言ではない。
確かに技術は進歩しなかったが、反面人はどんどん大陸に溢れていった。
最初仲間によって地上に降りたのは再生できたのはたった百人程度だったが、二千年を過ぎた頃には数十万を超えた。もしこれが数千万、数億になったら、おそらく人類は大陸を出て大海原にこぎ出していくだろう。
大陸の外には大小無数の島々が存在しており、人類が世界に散らばった時点で彼が心を砕いてきた産業革命以後の科学技術の発展を阻止する事は不可能になっていくに違いない。
そうなったらこの人類はどのように進化を遂げていくのだろう。やはり滅び行く地球に住んでいた彼ら人類のように、戦争と共に進化し、ダイナマイトを作り、飛行機を飛ばし、そして核を生み出してしまうのだろうか。
それでもアーティスは、人類を守り切れるのだろうか。
物思いに耽りながらアーティスは歩く。
百年の時間を感じるために百年ごとにある国のある場所に住むことにしていた。同じ場所で定点観察することで人々の生活基準を知ることが出来たからだ。
だがそれは自らを言い聞かせるための言い訳でしかない。
彼が選んだ場所は、アンジェラと同じくエネノアの遺伝子から作られた一族が移り住む地域の近くに存在する街だったのだ。
自らの弱さに自らをあざ笑いつつ、だがその場所から離れることが出来ないでいる。
もしかしたら一族の中に再びアンジェラとそっくりな人物が現れるのではないか、そうすればエネノアのクローンではない、ただ一人の女性であるアンジェラと心を再び通わせられるのではないか。
そんな身勝手な妄想は振り払っても振り払っても消えることがない。
一瞬ではあったが、彼女は確かにアーティスを愛していた。
そう次の瞬間にはアサギへとむかって駆け出していったとしても。
だがこの街にいても、あの一族と出会える確率など一つもないことなど分かっていた。
そんな暮らしが長く続いた二百年ほど前、この街で微かにアンジェラの面影を持つ一族の男と出会った。変わり者の彼はたまにアーティスを訪れては楽しく話し込んでいったのだ。
人を寄せ付けないように徹底的に神の声を聞かせて一族を教育したはずなのに、彼はその一族の常識を知りもしなかった。
そんな彼が妻としたのは、アサギを祖とする一族の末裔の少女だった。出会うはずのない違う一族を巡り合わせたのはもちろんアーティスだった。そのことに意味があったわけではない。一族になじめない二人をお互いに寄り添わせれば幸せになれるだろうという、ささやかな親切心だったのだ。
そんな個人的な親切をしてしまうぐらい、自分と親しく言葉を交わしてくれる人の存在が嬉しかった。
彼らはもしかしたら百年後にも覚えていてくれるかもしれない。
それは孤独を抱えたアーティスにとって狂わしいほどの喜びだったし期待だった。自分を知っている人がいる、それだけが嬉しくてアーティスは再び百年の眠りの後に同じ街の同じ場所に移り住んだ。ただただ自分を友としてくれた青年が訪れるのを待って。
期待通り青年は妻と共に現れた。
孤独の中の震えるほどの喜び。
そしてその二人の間に子供が出来ていたという、彼らの友としても嬉しい報告。二人の子であるということは同時に、エネノアとアサギの直系の遺伝子を受け継ぐこの世界でたった一人の子供ということだ。
二人は嬉しそうに、そして誇らしげに子供をアーティスの前に押し出した。ふてくされたような顔をした黒髪の少年が一瞬アーティスを見つめ、すぐに興味がないというように視線をそらした。
その瞬間に体中にしびれが走り動けなくなった。
硬直したアーティスをよそに、少年は制止する声を無視して両親から駆け出していく。
呪縛が溶けたかのように、力が抜けてアーティスは地面にしゃがみ込んでいた。
様子のおかしいアーティスを気遣うように少年の両親が誰何する声を聞きながらも、何も答えられずアーティスは顔を覆った。
少年の顔はアサギとうり二つだったのだ。
そしてアーティスの研究室には未だ、エネノア=アンジェラの遺伝子が保存されている。
再びあの二人に会えるのだろうか。
幸せな顔で自分の名を呼んでくれるだろうか。
神よ、神よ、いるのですか?
これは運命でしょうか。
呻きながらアーティスは天を仰いだ。
もう一度……夢を見よう。
今度こそ、幸せな夢を。