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 決意を胸にミーティングルームを出た瞬間、部屋の正面に取り付けられていた監視モニターが音を立てた。

『対象発見、排除作業開始』

「見張られてたか」

 舌打ちすると、スヴェトラーナが手にしていた棒を振り上げた。ミーティングルームの椅子をバラバラにした一部だ。アーティス、デニス、スヴェトラーナ、ケイファそしてアンジェラが一本ずつ手にしている。何もないよりはましだ。

「壊しちまうか?」

 デニスもそういって棒を振り上げた。

「監視モニターは沢山ある。そんなことしても無駄だよ」

「でも当面はしのげる。とりあえず出来るところだけ……」

「そんなことしてたら、この船の全機能が異常をきたすだろ」

「じゃあどうすんだよ!」

 苛立ってそう怒鳴るデニスに、あえて冷静に答えた。

「とにかく逃げるしかないよ」

「でも奴らは攻撃してくるでしょう?」

 デニスと同じくケイファが噛み付いてきた。

「ちょっと待って」

 警備システム全体のプログラムを頭の中で瞬時に呼び出し、メインコンピューターと直接リンクしていない部分を見つけ出した。

「攻撃型だけは破壊して構わない。船の運営に関わらない部分だから」

 あくまでも冷静に答えると、ケイファとデニスは大きく息を吸った。焦っては駄目だと二人にも分かっているのだ。

「電磁拳銃は使えないのかよ」

「使えない。攻撃型は電磁気を弾くから」

 だから頼りになる武器は……この椅子を分解した強化金属の棒だけなのだ。あまりにも頼りなくて、不安になるが仕方ない。

 監視モニターが全員をせき立てるように、耳障りな合成音を出し続けている。ここにじっとしてはいられない。

「しかたねぇな。俺とケイファはこっちだ」

「言われなくても分かってるわ」

 受精卵のポットが保管されている管理施設の方へ向かって二人が駆けだしていく。

「無事でいろよ、相棒」

「デニス達もね!」

 角に消えた二人を見送ることもなく、アーティスとアンジェラ、スヴェトラーナの三人も走り出した。

「アーティー、第一目標は?」

「『箱舟』の中央制御室」

「了解」

 アサギがいそうな所で、『箱舟』の全てがコントロールできるところはここしかない。だがあのオレンジ色の背景が気になる。あれは中央制御室にはない色だ。だが考える暇はなかった。

「来たぞ」

 スヴェトラーナの緊張した声に前を見ると、四本の足を持つ多少縦に長い半円形の機械が滑るようにしてこちらへ向かってきている。

「アサギ……本気だ」

 それは電磁拳銃と同じ威力を持った警備ロボットだった。電磁レベルは数段階に下げられるが、白く滑らかなその機械の正面にある電磁レベルは、死なないまでも相当な高さであることが分かる。

『目標捕捉。アンジェラ』

 合成音でそういうと、アーティスとスヴェトラーナを無視して一気にアンジェラへと向かう。アンジェラが顔を引きつらせて棒を構えた。

「させるか!」

 スヴェトラーナが棒を構えて、警備ロボットに向かう。機械からノーマークだったスヴェトラーナは易々と警備ロボットに一撃を加えることが出来た。だが機械は何の打撃も受けていない。

「堅いっ!」

「内部のセンサーをやらないと、意味ないよ!」

「早くいえ!」

 警備ロボットの設計とシステム立ち上げに加わっていたから、弱点は知っている。じりじりと間合いを詰めていく。警備ロボットは、自分の仕事を妨害した人物を観察するかのようにスヴェトラーナの前で動きを止めていた。

『作業を妨害しないでください、スヴェトラーナ・リュボフ』

「そうはいかないんだよ」

『では排除します』

 のっぺりとした白い機械はそういうと、赤い光をチカチカと灯す。その瞬間を狙って、光が点滅した部分に鉄の棒を思い切り差し込んだ。感電しないよう、すぐに手を放して警備ロボットから離れると、警備ロボットは細かく痙攣するかのように震えて、動きを止めた。

「止まった?」

 すぐ目の前にある警備ロボットをスヴェトラーナは蹴る。

「うん。半円の部分のどこかにセンサーがあるんだ。攻撃する瞬間と敵を認識する瞬間の点滅を見ない限り、場所が分からないようになってる。壊されないためにね」

 それはアサギが侵入者対策にと考え出した、本体の中で動き回るセンサーなのだ。

「……面倒だな」

「うん、面倒だよ。しかも一台が壊れると、そのデータが瞬時に他の機に送られるようになってるからね」

「ということは?」

「スヴェータと僕は、間違いなく妨害者として、奴らの敵に回ったって事」

 吐き捨てるように言うと、スヴェトラーナは口の端を上げて笑った。

「上等だよ、やってやろうじゃないか」

 初めて知ったが、スヴェトラーナはこういう事になったとき、何だか楽しそうだ。

「アーティー、スヴェータ、来たよ!」

 アンジェラが叫ぶ。向かう方向の反対から、警備ロボットが音もなく滑るようにこちらへ向かってくるのだ。

「……逃げよう、きりがない」

「同感」

 アンジェラの手を取って、中央制御室への道を走り出す。無機質な白い通路は、どこまでも永遠に続いているかのように感じられた。本来ならいつもの見慣れた船内なのに、この状況では、全く違う景色に見えてしまう。ましてや追われる立場になるとは、考えたこともなかった。

 前を行くスヴェトラーナの後に付いて行きながら、時折後ろを気にする。幾度も角を曲がり、複雑な道を来ているから、警備ロボットの姿は見えない。

 だが付いてきているはずなのに、警備ロボットが見えないことが余計に恐怖を誘う。もしかしたら、角を曲がるといるのではないか、もしかしたら、正面から出てくるのではないか。その想像力が恐怖をさらにかき立てていく。

「中央制御室だ!」

 目の前の扉を確認して、スヴェトラーナが叫んだ。

「よかった、警備ロボットはいない。『箱舟』扉をあけ……」

 言いかけてハッとした。いつもの癖で『箱舟』を呼んでしまったが、今は『箱舟』さえ味方ではないのだ。

「馬鹿!」

 短くスヴェトラーナが怒る。

「ごめん!」

『了解。扉を開けます』

「あ、あれ?」

 あまりにも普通に『箱舟』は中央制御室の扉を開いた。もしかして全てをアサギが動かしているのではなく、『箱舟』は単体で動いているのだろうか。だが次の瞬間にそうではないことを理解した。

 一瞬にして白い半円形に埋め尽くされた部屋の中に、センサーの赤い光が灯った。

「やっぱり……」

 言葉にならず後ろに下がる。そこにいたのは中央制御室を埋め尽くす、大量の警備ロボット……。どうやらアサギに行動パターンを読まれていたらしい。

「アーティー!」

 アンジェラに腕を引かれて、我に返った。ぼんやりと立っている場合ではない。

「逃げろ!」

 スヴェトラーナの声を合図に、中央制御室に背を向けて走り出す。一斉に警備ロボットが動き出しただろうけれど、振り返って確認する余裕はない。一か八か『箱舟』に命じてみた。

「『箱舟』、扉を閉めて、大至急!」

『出来ません』

 やはりアサギにコントロールされている。

「これじゃ部屋の中をみられないじゃないか!」

 走りながらスヴェトラーナがそう声を荒げた。確かにこれでは確認のしようがない。しばらく走ってからT字路につきあたり、ようやく一息ついて振り返ると、警備ロボットは付いてきていないようだった。

「……付いてきてない……」

 あれだけの数がいたのだから、どうがんばっても逃げ切れないだろうと思っていたのに、あまりに意外だ。

「何で付いてこないんだ?」

 思わず疑問が口をついて出た。

「確かにおかしいな」

 怪訝な顔でスヴェータも頷く。

「警備ロボットって、こんなにトロいもんなのかい?」

「そんなわけないよ。これじゃ侵入者を捕まえることなんて出来ない」

「だよな」

 どうにも警備ロボットの行動……ひいてはアサギの考えが読めない。

「アーティー、スヴェータ、あっち!」

 考え込んでいると耳にアンジェラの緊迫した声が飛び込んできた。咄嗟に目を向けると、今出てきたのとは違う所に、数体の警備ロボットがいた。今来たルートはすでに警備ロボットで溢れているだろうから、そちらにはとてもじゃないが行けない。となると必然的に、警備ロボットがいない残り一つを選択するしか道はない。

「こっちだ」

 半ば警備ロボットにせき立てられるかのように、道を走り出す。追ってくるのかと後ろを振り返ってみると、後ろの二方向を警備ロボットが塞いだのが見えた。まるでこちらへ来るなというように……。

 幾つもの通路を走り抜け、何体もの警備ロボットに遭遇するうちに、気が付いた。なんだかおかしい。スヴェトラーナが小さく呻く。

「気が付いてるか? 何か変だ」

「うん。気が付いてる」

 警備ロボットは、こちらが挑みかからない限り襲ってくることはないようなのだ。現に彼らが攻撃されたのは最初の一体限りで、それはこちらが殴りかかったから攻撃してきたのだと考えられる。実際に警備ロボット達がしていることは、アーティス達三人に自由なルート選択をさせないために、通路を塞ぐことのようだ。となると警備ロボット及び、『箱舟』の警備システムは、彼らを一定の場所に導こうとしていると考えられないだろうか?

「奴らは、あたし達をどこかに連れて行こうとしてるってことで、いいね?」

 先頭を切って走り続けてきたスヴェトラーナは走るのをやめて、後ろにいるアーティス達の方へと振り向いた。

「うん。僕はそう思ったよ」

 頷くと、小さくアンジェラも答えた。

「……私も」

 二人の答えに満足したのか、スヴェトラーナは小さく頷き返した。

「じゃあ今度の分かれ道で、試しに向こうのルートへ行ってみるってのはどう?」

 あまりに無謀な申し出に言葉を失っていると、こわごわといった口調でアンジェラが聞き返す。

「危なくない?」

「危ないに決まってるだろ。でも癪じゃないか、機械に行く先すら決められてるなんてさ。その先が罠じゃないと何故言える?」

 決意に満ちた顔を見ていると、下手に反対なんて出来ない。それを知っているのか、スヴェトラーナは端正な顔でウインクをして寄越した。

「いいかい二人とも、もし警備ロボットが襲いかかってきて、どうしても先に進めそうになかったら、あたしを置いて先に進みな。奴らが開けてくれる道をさ」

「でも……」

「その先に何があるかなんて分からないよ。もしかしたら大量の警備ロボットが待ってるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でもあたし達は警備ロボットと戦うにはあまりにも装備が貧弱だ。ロボット達の作るルートに逆らっても、すぐにやられちまう」

 真剣な顔でスヴェトラーナは言葉を切った。次の言葉を黙ったまましばらく待つ。やがてスヴェトラーナは綺麗な顔に女神の如き微笑みを浮かべて、黙ったままいるこちらを見つめた。

「どうせ追いつめられる運命なら、少しでも先に進んだ方がいい気がしない?」

 なるほどそう聞くと他に選択肢がない気がする。すぐにやられるか、彼らの作り出す道の先にある物を見てからやられるかの二つに一つなら、確かに長い方が得だろう。気が付くと再び行く手に分かれ道が見えてきた。直進ルートと、右に折れる通路だ。

「試してみるよ。いいね?」

「……気を付けて」

 分かれ道で三人は立ち止まった。右に行く通路には、警備ロボットが二体すでに待ち伏せている。アンジェラを背に庇い、じりじりと通路の壁ギリギリまで下がった。

 機械音を立てて、警備ロボットのセンサーの光が赤く灯る。

「通して貰おうか」

 ハスキーな声をさらに低くして、スヴェトラーナが棒を構えた。

『出来ません』

 単調な合成音で警備ロボットはそう答える。

「だったら無理にでも通る!」

 言葉と同時にスヴェトラーナは警備ロボット向かった。動きを感知した警備ロボットは、赤い光を煌めかせて、電磁光線をスヴェトラーナに放つ。

「スヴェータ!」

 アンジェラが叫んでアーティスを押しのけて前に出ようともがいた。でもここでアンジェラを放すわけにはいかない。必死で押さえ込む。アーティスもアンジェラ同様、彼女がやられると思った瞬間にスヴェトラーナは、床に滑り込んで電磁光線を避けた。滑り込みながら警備ロボットのうち一体を下から蹴り上げ、足で蹴散らす。

「喰らえ!」

 腹筋するように起きあがると棒を両手で持ち、逆手に構えて、残った一体の警備ロボットのセンサー部分に突き立てる。痙攣するかのような小刻みな動きのあと、警備ロボットは動きを止めた。

「よし!」

 だが突き立てたスヴェトラーナの武器は、想像以上に警備ロボットに深く突き刺さり抜けない。

「抜けないっ……」

 その隙に、もう一体が半円形の内部に収納されていた二本のアームを使って器用に起きあがり、彼女に迫っている。このままでは、スヴェトラーナが危ない。だけど自分はアンジェラを守っている。どうしたらいい……。

 一瞬迷うと、腕に力が緩んだその瞬間アンジェラが後ろから飛び出した。

「アンジェラ!」

 真っ直ぐにアンジェラはスヴェトラーナの元に駆け寄り、棒を抜こうと必死なスヴェトラーナの前に立った。ゆっくりと迫ってくる警備ロボットに向かって棒を突き出す。その先が微かに震えているのが見えた。

「駄目、来ないで!」

 半分叫ぶようにアンジェラが警備システムにそういった。その声は震えている。

『登録名アンジェラを確認。捕獲、または排除します』

 無感情は機械音が響いた。センサーは完全にアンジェラを認識してしまったようだ。こうなったら、壊すしかない。アンジェラを庇うと、機械の前に立ちはだかる。

「馬鹿! 逃げな!」

「スヴェータも逃げるんだよ!」

 スヴェトラーナに叫び返して、二人を庇うような形で警備ロボットを向き合った。のっぺりとした外見に浮かぶ赤いセンサーの点滅が、まるで威嚇のようだ。こいつに感情などないのに。

「約束したろう! 行け!」

 あまりの剣幕に振り返ると、スヴェトラーナがアンジェラの棒をむしり取って怒鳴っていた。アンジェラが背中を突き飛ばされて、こちらへとよろめいてきた。

「スヴェータ!」

「アサギはあんたとアンジェラに自分を見付けろといった! あんたは残った数少ない受精卵を守るために最大限生き残る努力をしな!」

 そうだった、ここで自分が死んでしまったら、何にもならない。出来るだけ長く生き残る努力をしなければならないのだ。人間という種族を守るためにも……。

『邪魔するなら排除します、スヴェトラーナ・リュボフ』

 冷静で静かな機械音が割って入る。

「行け、アーティー、アンジェラ! 生きてれば後で追いつく!」

「スヴェータ!」

「頼む!」

 確実に危険だと分かっていながら仲間を残していく事なんて、考えたこともなかった。だがそれが今できる最大限の事なのだ。

「スヴェータ!」

 叫ぶアンジェラを半ば抱えるようにして駆け出す。警備ロボットが一瞬こちらを向いたが、スヴェトラーナに攻撃されて、センサーの向きが逸れた。後ろを振り向かず走り出すと、次の瞬間に電磁光線の音と、何かが重たく廊下に倒れる音が聞こえた。

「スヴェータ……ごめん!」

 何も出来ない悔しさが腹の底からこみ上げてきて、叫びそうになる。だがそれをグッと飲み込んだ。ここで叫んでも何もならない。今はスヴェトラーナの言ったとおり、先に進むしかないのだから。気が付くと手を繋いでいるアンジェラが、小さくしゃくり上げているのが分かった。自分も混乱しているから巧く慰める言葉が見つからずに、強く手を握り返した。

 黙ったまま機械に決められた道を歩き続けていると、一つの扉の前に出た。どうやらそこが警備ロボットの導く終着点であるらしかった。ここに導かれたと言うことは、『箱舟』に扉を開けさせるしかないと言うことだろう。

「開けるよ」

 黙りこくったまま俯いているアンジェラにそう告げると、アンジェラは小さく頷いた。

「『箱舟』開けてくれ」

『了解。扉を開けます』

 船内の状況は著しく変わったというのに、『箱舟』の音声には何の変化もない。それが腹立たしくもある。扉が開いた瞬間、明るい昼の光が目の前に広がった。その眩しさが、無機質な明かりに慣れた目を射るように突き刺さる。

「あ……」

 思わず言葉を失った。つい数日前にこれと全く同じ経験をしている事を思い出す。記憶の通り目が慣れて来るに従って、鮮やかな緑が目に飛び込んできた。

「生活プラント……」

 アンジェラの手を引き、ゆっくりと足を踏み入れる。警備ロボットの姿はどこにもない。まるで今まで悪い夢を見ていたかのように、生活プラントは平穏だった。

「どうして……何で……」

 言葉がない。まるでアサギと二人で来たときに戻ってしまったかのような錯覚を覚える。もしかしたら死体を発見したことから、全てが夢だったような気さえする。

「アーティー」

 ハッと気が付くと、目の前にアンジェラの大きな緑の瞳があった。夢ではない。ここにアンジェラがいる。それに……二人を逃がすためにスヴェトラーナが犠牲になっているのだ。大きく深呼吸すると気持ちを引き締めた。

「ごめん、ぼーっとしてた」

 謝るとアンジェラは首を振った。

「違うの。アーティーを責めたんじゃないの」

 思いの外暗いアンジェラの口調に顔を見つめると、アンジェラは今にも泣き出しそうな顔をしていた。追われて怖かったから、気が緩んだのだろうかと思ったが、次の瞬間その考えが間違って言うことに気が付いた。

「ごめんなさい。私がいなければスヴェータが犠牲にならずに済んだのに……」

 俯いてアンジェラは唇を噛んだ。彼女はこの事件が起きた理由を自分のせいだと思っているのだ。そっとアンジェラを抱き寄せる。温かな体が小刻みに上下している。泣いているようだ。アンジェラにとってスヴェトラーナは、アンジェラと一緒に二年の月日を過ごした、アーティスと並ぶ大事な人だった。もちろんスヴェトラーナは自分にとっても家族であり大切な仲間だった。だけど彼女を失ったことを誰かの責任にするなら、それはアンジェラの責任ではない。

「違うよ。アンジェラのせいじゃない。アサギは最初から計画してたっていってた。遅かれ早かれ、こういう事態は起きていたんだよ」

「アーティー……」

「間違っているのは君じゃない。アサギだ。アンジェラには何の責任もないよ」

「……ごめんなさい」

「いいんだ。泣かないで」

 優しくアンジェラの髪を撫でながら、自分の心も落ち着かせる。まだだ、まだこれで終わりじゃない。ここに導かれた以上、ここに何かがあるのだ。そういえばアンジェラが前に言っていたじゃないか、記憶が無くなった後、必ず生活プラントにいたと。フォリッジの死体が見つかったのだってここだった。つまり自分の知らない何かは、必ずここが起点となって始まっているということだ。

 そしてここに導かれた以上、間違いなくアサギはここで、何かを自分達に見せようとしているに違いなかった。だが一体何を見せようというのか、そもそもこの広い生活プラントのどこに、アサギの見せたいものがあるのか、全く見当が付かない。

「目を覚ました時、いつもいる場所は同じって言ってたよね?」

 もうしゃくり上げてはいないものの、アーティスの胸に顔を埋めたままのアンジェラに優しく声を掛けると、彼女は顔を上げて小さく頷いた。

「その場所、覚えてる?」

 アンジェラは首を横に振った。広い生活プラントなのだから仕方ない。ここには人工物は何もないのだから、覚えることなど出来なくても無理はない。アンジェラの記憶を頼りにするのを諦めかけたその時、アンジェラが小さく声をあげた。

「……それがどこか分かるかもしれない」

「本当?」

「うん」

 先ほど分からないといったのに、やけに確信に満ちた口振りだ。

「どうして?」

「今回目が覚めた時一緒にいた人が殺されたのを見たんだもの。彼女は私が目覚めた場所から一歩も動かずに殺されたから……」

 アンジェラの言わんとしていることが分かった。言い辛そうな彼女に変わって言葉を続ける。

「そうか……そうなると死体が見つかった場所が、アンジェラの記憶のスタート地点か」

「うん。誰も死体を動かしていなければ」

 あの状態を思い出して見ても、誰かが動かしたとは思えない。だが確認は必要だ。

「アンジェラ、気分が悪くなるかもしれないけど、確認して欲しいんだ」

 何をとは言わなかったが、その言葉で察したらしく、アンジェラは覚悟を決めたように頷いた。端末を開くと、たまたま何かの資料になるかと思って記録しておいた、フォリッジの死体発見時の映像を呼び出す。

「いい、アンジェラ。君が最後に彼女を見たときと何か違和感があったら教えて」

「うん」

 アーティスは死体発見時の映像をスローで再生した。画面の中にフォリッジの指先がうつる。アンジェラが一瞬顔をそらしかけて、思いとどまったのが気配で分かった。あえて気付かない振りをする。

 徐々に映像は画面いっぱいにフォリッジの死体を映し出していく。死体の腕から、広がる長い金の髪、全く動くことのない顔、体……。明かりの殆ど射さない暗い画像で見るそれは、死体というよりも作り物のようで、不気味というより奇妙にもの悲しく感じられた。

「もう一度見る?」

 小さく尋ねると、アンジェラは微かに頷いた。再びフォリッジの指先が画面に表示された。

「……これ何?」

 アンジェラに尋ねられて画面を見ると、そこにはフォリッジの顔が大きく映し出されていた。

「どうかしたの?」

「ちょっとだけ戻せる?」

 真剣な表情でそういったアンジェラに、黙って画像を少しだけ戻した。再びフォリッジの髪が画面に広がる。

「ここ、これ!」

 アンジェラが指さしたのは、フォリッジの顔のアップだった。

「顔?」

「違うよ、目」

「目?」

「何か光ってない?」

 彼女が言っているのは、どこからか入ってきた光のことだった。アーティスは何度もその光を確認している。おそらく木漏れ日か何かだろう。

「これは光が反射してるんだよ」

 何気なくそう答えると、アンジェラは真っ直ぐにアーティスを見上げた。

「何の光?」

「何のって……木漏れ日じゃないかな」

「こんなに暗い森の中なのに?」

「……そうだよね」

 死体が見つかったのは、かなり分け入った森林の中だったはずだ。現に映像の明度はかなり低いし、下草が短かったのを感覚として覚えている。

「それに木漏れ日なら光は動くはずだよね? なのにこれ……」

「……一瞬に一カ所だけにしか光が当たっていない」

 彼女が最後に目を向けたそちらの方向から、一瞬だけ入った光。木漏れ日すら射さない暗い森の中で、一カ所からのみ射す光。これは人工物から放たれた光だとする方が可能性として高い。だとしたら、フォリッジの見開いた目のその先に、人工の光を発するものがあるはずだ。森だから木漏れ日くらいあるだろうと思い込んでいたせいで、こんな重要な手がかりを見落としていた。

「行ってみよう。何か手がかりがあるかもしれない」

「うん」

 全ての事件が始まった、エリア16に。 

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