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 全員がミーティングルームに集まったのは、エネノアが宣言したとおり前の会議の三日後だった。アンジェラとアーティスの関係は三日前とは比べようもないほど深まっている。守るべき対象のアンジェラは、アーティスにとって心身共に失うことの出来ない恋人へと変わっていたのだ。

 何かと理由を付けては尋ねてきたデニスとスヴェトラーナの存在や、一度だけやって来たケイファとマサラティとも話をした御陰で、アンジェラも何とかこの場に溶け込めるようになってきていたから、特に気を使うでもなく、アンジェラを連れていくことができた。

 いつも通りの光景が目の前にあるだろうと想定して開いた扉の向こうには、一種異様な雰囲気が漂っていた。円卓正面にある巨大なモニターが珍しく作動していて、エネノアが一心にそれに向かっているのだ。

 会議の席では大概に各自の席にあるモニターで間に合ってしまうから、この巨大モニターがあること自体が、奇妙だったが、それ以上にエネノアがそこにいることが不思議だった。エネノアが一番にこの部屋にくること自体が滅多にあることではないし、ましてや常にエネノアと行動を共にしているアサギがいないというのも奇妙な話だった。

 部屋に入った瞬間に全員の視線がこちらへ向いた。何だか口を開くことが憚られる感じがして、黙って頷くと自分の席に着く。アンジェラの席は隣に用意されていた。誰かが椅子を運んでおいてくれたらしい。

「エネノア、どうしたの?」

 小声で尋ねると、デニスは小さく肩をすくめた。

「さっきからあのまんまさ」

「じゃあ、アサギは?」

「来ない。集合時間を過ぎてるのにさ」

 アサギがいてエネノアが来ないことは今まであったが、反対は一度もない。

「変だね」

「変さ。相当変だ」

 反対隣のスヴェトラーナに目を遣ると、心配そうな顔で小さく頷く。黙って端末を指さすので覗いてみると、端末上ではマサラティとスヴェトラーナがリアルタイムでメッセージのやりとりをしていた。それを読んでみると、一番最初にマサラティがここへ来たとき、すでにエネノアは来ていて、その時からもう一時間以上も一言も口をきいていないこと、呼び出してもアサギが答えないことなどが分かった。読み終わったのを確認したかのようなタイミングで、マサラティのメッセージが入る。

『どうする? 私がアサギの部屋に行ってみてもいいんだけど』

 それに対してスヴェトラーナのメッセージが入った。

『三十分経ったところでそうしよう。あと五分くらいある』

『了解。僕が迎えに行ってもいいけど?』

『あんたにはアンジェラがいるだろうが。ここはドクターが行った方がいいに決まってる。倒れてたら困るからな』

『了解、五分後に行くわ』

 時計を見ると集合時刻から、すでに二十五分経っていて、時刻は十時二十五分だった。不意に膝に手が置かれて横を見ると、アンジェラだった。口には出さないが大丈夫? と聞いてくれているのだろう事が分かった。笑顔を彼女に向けて、その手に自分の手を重ねると、微笑み返してくれた。絡め合う指先にほんのりとした幸せを感じたが、今はそれどころではないことを思い出して、顔を引き締める。

 だがそれをデニスには見られていたようで、黙ったまま頭をどつかれた。照れくさくて思わず叩き返す。

「いてっ!」

 おどけてデニスが痛がると、エネノアを覗く全員からやれやれといった視線が注がれた。良くも悪くも、デニスはムードメーカーだ。

 その時、正面にあるモニターにアサギが現れた。

「みんな揃ってるな?」

 いつも通りの冷静な声に、全員が注目する。見ればアサギの画像の背景は、見覚えのない空間だった。『箱舟』の中で使用されている照明とは違い、やや赤みがかった奇妙な色……強いて言えば夕日のようなオレンジ色に近い赤い空間に彼は立っているのだ。

「アサギ、一体どこにいる?」

 異様な光景に、スヴェトラーナが詰問口調でそう尋ねると、アサギは静かに微笑んだ。微笑んでいるのに何故か冷たい感じがする。

「悪いがそれは言えない」

「アサギ……?」

 こんな時にアサギに何か言えるのはエネノアだけだ。自然と視線がエネノアに向いた。だがエネノアは相変わらず何の反応も示さない。何がどうなっているのか、さっぱり分からず再びアサギに視線を向けると、アサギがこちらを見た。いつも通りのはずなのに、何故だろう、凍てつくように冷たい気がする。

「アーティー、生体反応管理システムと標準時間管理機能を覗いたろう?」

 容赦のないアサギの言葉に、全員の視線がこちらへ向いた。生体反応管理システムを覗いたことがどういう事か、皆が知っているからだ。誰だって自分のプライベートを見られるのは嫌に決まっている。だがアサギの手前、誤魔化すことも出来ない。

「……うん」

「お前が見ようとしていたのは、エネノアの事件当日のデータだな。直したぞ、見てみろ」

 あまりの言葉に何と言っていいか分からない。エネノアはここにいるのに、エネノアのデータを見ていいといわれても、そんな正面切ってプライバシーを侵すことなど出来るわけがない。

「……でも……」

「見てみろといっているんだ」

 静かだが逆らうことの許されない声で、アサギはそういった。突き刺さるような全員の視線を浴びて、指先が震える。アサギの言葉に逆らったことなどないが、これは従えない。

「出来ないよ」

 絞り出すようにそういうと、アサギは小さく笑った。

「そうか、じゃあ俺が見せてやるよ。『箱舟』、生体反応管理システムのロックを管理者権限において全解除」

「ロック?」

 思わぬアサギの言葉に、そう呟いたがアサギはそれを気に留めるでもなく『箱舟』と交信を続ける。

『管理者アサギ・トモナガを確認。生体反応管理システムのロックを全て解除します』

「エネノア・ノイマンの五日前の生体反応データを呼び出してくれ」

『了解。データをモニター画面に表示します』

 しばらくして画面に出たデータに、全員が息を呑んだ。写真嫌いのエネノアの仏頂面の船内登録写真の横に出たデータは、有り得るはずもないことを示していた。

「何よこれ! おかしいじゃない!」

 立ち上がったケイファが、そう悲鳴に近い声をあげた。誰も彼女に落ち着けとは言えない。冷静でいられるものなどどこにもいないかった。

「エネノア・ノイマン……西暦二四六五年死亡……? 今は……二四六四年なのに?」

 あまりに驚いたせいなのか、デニスが呑気にも聞こえるような呆けた声でそう呟いた。今から一年後にエネノアが死ぬ? いやコンピューターがそんな予言めいたことを言うわけがない。機械は理論に基づいた仮説は立てるが、オカルトめいた予言などするはずもないのだから。だとしたらこれは……正式な記録だと考えた方が分かり易い。

 その事の意味に気が付いて、アーティスは『箱舟』に向かって怒鳴った。

「『箱舟』、今の正式な日時は?」

『パスワードをどうぞ』

「くそっ!」

 震える指で副管理者パスワードを入力する。

『副管理者アーティス・オズマンドを確認』

「『箱舟』今の地球標準暦を教えてくれ!」

『了解。現在の地球標準時は西暦二五六四年』

「時間が百年狂ってる……」

 スヴェトラーナが小さく呟くのが耳に入った。

「そんな……おかしいわ。昨日まで、西暦二四六四年って『箱舟』は表示してたじゃない」

 目を閉じ首を横に振りながら、そうマサラティが呟く。確かに『箱舟』はそう全員に告げていた。だが管理者が時間を狂わせていたなら、船内における正しい時間など無意味だ。

「でもエネノア、そこにいるじゃないか!」

 叫びながらデニスが指さした先に、エネノアの後ろ姿があった。視線がその後ろ姿に釘付けになった。そうだ確かにエネノアがそこにいる。振り返りはしていないが、死んでいるわけなどない……。

 だがそんな希望的観測を打ち崩すアサギの冷静な声が、モニター越しに聞こえた。

「副管理者権限を使ってるんだろ? エネノアを生体反応管理システムでスキャンしてみればいいじゃないか」

「そんなこと……」

 思わずたじろぐと、全員の視線がこちらへ向いた。痛いほど自分に突き刺さる。

「やりなさいよアーティー」

 強い口調でそうケイファが言った。射抜くような目で自分を見る視線にぶつかる。

「ケイファ……」

「あんたしか出来ないじゃない。私が出来たらやってるわ」

 全員を見渡すと、全員が自分に対して頷いて見せた。もうみんな覚悟が出来たのだろうか? ここにいるエネノアが何であっても驚かない覚悟が。自分は怖くて仕方ないのに。

「真実を知りたくないのか?」

 いつになく優しい声でアサギがそういった。モニター越しなのに、何故だか近くで聞いている声のように耳に付く。いつの間にか痛いほど握りしめていた拳を机に叩き付けて、アーティスは怒鳴った。

「『箱舟』エネノアを生体反応管理システムでスキャン」

『エネノア・ノイマンは死亡しています』

 改めてそう断言されると、怯みそうになる。だがここで怯んでいるわけにはいかない。もう真実を知る恐怖のシナリオは始まってしまっているのだ。

「この部屋の大型モニターの前にいる人物を調べてくれ」

『了解。照合します』

 一瞬の沈黙のあと、『箱舟』が知りたくなかった真実を告げる。

『照合完了。特殊作業用アンドロイドEH1と確認』

「特殊作業用アンドロイド……」

 大型モニターの前に座っていたエネノアがゆっくりと振り返った。いつもの楽しげな表情を浮かべている。

「ごめんね。騙してて。でもエネノア・ノイマンの記憶はちゃんと持っているのよ。だから半分は嘘じゃないんだけどね」

 ぞくりと背中を寒気が走った。最初にアンジェラが人間だと思い込んだ時、彼女を作ったのは間違いなくアサギだと思った。アサギならそれが出来ると。確かに彼には人間と見間違えるアンドロイドを作ることが出来たのだ。このエネノアのように。だが一体何故彼女をアンドロイドにしなければならなかったのか、全く意味が分からない。

「アサギ、どういう事だよ? 答えてくれ!」

 モニターに向かって絶叫すると、アサギが画面に現れた。

「本当は約束の日までに全てを片付けるつもりだったが、予定外の妨害が入って終わらなかったんだ」

 苦笑しながら、いつものようにアサギは答えた。いつもの顔のはずなのに、どこかがおかしい。思わず目をそらしたくなるようなそんな雰囲気がある。

「それってどういう……」

「ああ。この船の受精卵を全滅させるのに意外と手間取ってな。人間ってのは、本当に数が多いな」

 さらりとアサギはそう口にした。指先がすっと冷えるのを感じた。頭も靄がかかったように白く霞む。言葉が出ない。人間の受精卵は、この船に一万人分ほど積まれていた。その一本一本にロックがかかっているはずだ。アサギであってもそれを取り払うのは難しいだろう。

「全滅……って、どういうことだよ?」

 言葉のでないアーティスに変わって、低くスヴェトラーナが呟く。

「その通りの意味だが?」

「エデンへ人類の移住をさせるのがあたしたちの目的だろ?」

「建前上はな。だが俺とエネノアは最初からそんなことを目標にはしていなかった」

 アサギはモニターの向こうから、端末を操作した。大型モニターにエデン地表の映像が映る。大森林が目の前に広がった。その森林の中に、人がいた。長い金の髪、ローブのような裾の長い服を着ている細い人物だ。一人ではない、幾人もいる。

「人……?」

「……少なくとも人間ではないがな」

「人間じゃない?」

「ああ。この森に住む彼らは全員、千年の寿命を持っている『聞く者』だ。見られては困るから、モニターカメラをロックしておいた。これが地場の影響で見られないとしていた地域だ」

 怖いくらいの静寂が降りてきた。画面が次々と切り替わる。そこには次々と人ではない人物達が映し出されていく。

「人以上の寿命を持つものや、人間以上の身体能力を持つもの……それがこのエデンに存在している」

「遺伝子改変をしたのね?」

 医学の専門家であるマサラティがそう呟いた。聞こえたのかアサギが頷く。

「そう、トランスジェニック・ヒューマンというのが正しいかな」

 トランスジェニック・ヒューマン……。つまりアサギが言っているのは、遺伝子を使って作った、強化人間ということだろう。専門分野ではないが、その言葉の意味することは、アーティスも知っている。トランスジェニックとは外部からの特定遺伝子を、受精卵の胚に入れて発生させること。特定遺伝子はどうやら寿命に関わるものや、筋力に関わるものであるらしいが、アーティスの知っている限り、それを人間に行ったという例は存在しない。耳が痛いほどに静まりかえった中に、アサギの淡々とした言葉だけが響く。

「エネノアはこの人外の生き物を、子供達と呼んでいた。元はもちろん、ありがたくも我々に託された受精卵だ。必要上、動物の受精卵も少々使わせて貰ったがな」

「……人と動物のキメラも作ったというの?」

「ああ。失敗作も多く出たが、正常に遺伝子発現したものを掛け合わせて、より一層の成功を得たから、研究としてみれば上出来だと思わないか?」

 全員が言葉を失った。それは地球では、どんなに人類が危機に陥ったとしても、倫理的な面と生命理論から、決して使ってはいけない技術だったはずだ。ましてや人の受精卵を使用するとは、命を弄ぶのと同じ事ではないか。失敗作も多く出たなんて簡単に言うが、その生物はどうなったのだろう。失敗作は、簡単に殺したとでも言うのだろうか?

「そんなこと、神が許すわけないだろ!」

 デニスが叫んだ。フォリッジの死体を前にして彼は祈りを捧げていた。宗教的観点からも、決して受け入れられる事ではないと、今は信者の少なくなった宗教はそんな見解を出していたことがアーティスの頭にふと浮かんだ。

「神? デニス、お前はどこに目を付けている?」

「……何?」

「神などいない」

「神はいる!」

「いない。お前は思わないのか? 神がいるならば、何故地球が滅びる前に人類を地球上から消し去らなかったのかと。人さえ消えれば無数の命で満ちあふれていたあの美しい星は救えたはずだ」

 断言するアサギのダークブラウンの瞳は、一種異様な光を放っている。それに気が付いたのか、デニスは小さくアサギの名前を呼んだ。

「……アサギ?」

「そもそも神に祈る資格を持つものは、神によって作られた生き物だけだろう? 俺やエネノアはそうじゃない」

「な……」

 意味が分からない。何故アサギとエネノアが自分たちと違うのだろう。

「俺たちの倫理観を裁けるものも、ここにはいないだろ? ここには裁判所もないことは、デニスも知っているんだからな」

「くそっ……」

 約束の日に言っていた冗談を逆手に取られて、デニスは拳を机に叩き付ける。

「見てみろ。虚空の彼方、永遠の闇の中で、今我々の手にあるのは科学技術だけだ。人を憎み、新たなる人類を作り上げて理想郷を作り上げることに何の問題がある? 倫理などここにはない」

「それでも……私たちの中には、守らなければならない人としての誇りがある。それを忘れちまったのかい、アサギ」

 スヴェトラーナの声は切なそうだった。

「忘れただって? 俺は元々そんなものを持ち合わせてはいないさ、スヴェータ。お前たちは憎んだことはないのか? 我々『聞く者』を生み出した人間たちの愚行を。我々の大半を狂死させてしまう、地球の悲鳴を上げ続ける原因を作った人類を」

「くっ……」

 呻くスヴェトラーナの気持ちは痛いほど分かる。『聞く者』として育ってきた者は、少なからず人を憎む。人類のせいで滅び行く地球上に、一種の奇形児として生み出される『聞く者』たちは、幼い頃大半が親から捨てられたり引き離された経験を持つ。自分の特殊能力故の定めであり、その特殊性を認められての祝福でもある。

 だが研究所に入ってからも、苦悩は続く。昼夜厭わず聞こえ続ける地球が人類を呪う声、痛みに悲鳴を上げる声。そして周りの友達が一人、また一人と狂気の中で死んでいく。人類のせいで滅ぼされるというのに、『聞く者』に課された使命は人類を救うことなのだ。

 それを乗り越え、人類の可能性を信じたからこそアーティスはこの船にいる。他の仲間たちもそうだろうと思っていた。でもまさかアサギが仲間を裏切っているなんて思いも寄らなかった。

「腐りきった人類を滅ぼし、この理想郷で生きるには、人間の存在は邪魔だ。総て死んで貰う。それが最上さ。そうおもわないか、アーティー」

 暗い目でそれでも、いつものように少々陽気さを纏った声で、アサギはそう語りかけてきた。そのギャップに背筋が冷える。ようやく分かった、アサギは……狂っている。どこがどうというわけではない、ただそう直感したのだ。おかしいというレベルじゃない、狂ってるとしか思えない。まるで地球の悲鳴に絶望して死んでいった仲間たちのように、何かに絶望し狂っている。

「なあアーティー」

 唐突にいつものように明るく話しかけられて、アーティスは画面を睨み付けた。

「何?」

「アンジェラを俺にくれないか?」

「……アサギ……」

「まったくアンジェラには困ったもんだ。受精卵の一部をパスワード入力してロックしちまったんだからな。これじゃ、最後の最後で人類の絶滅がかなわんよ」

 アサギの言葉に、スヴェトラーナが顔を上げた。

「じゃあまだ生きている受精卵があるんだね?」

「ああ。残念ながら」

 肩をすくめてアサギが笑った。スヴェトラーナの方を向いて、マサラティが微かに頷くのが見えた。デニスも目をアサギから放さずに、ちらりとケイファを盗み見ている。

「アンジェラが必要だ。返答は?」

 まるでものか何かを渡せといっているような口調で、軽く尋ねたアサギを睨みつけた。

「フォリッジを殺したのはアサギだね?」

 顔に笑みを浮かべ、黙ったままアサギが頷く。

「どうやって殺したの?」

「簡単な事さ。あらかじめ心臓の一部に一定の周波数に反応する装置を取り付けておいて、作動させればいい」

 いつもシステムの説明をするのと同じ口調でアサギはそういった。だがその言葉の中身に寒気がした。フォリッジは最初から生殺与奪をアサギに全て握られていたのだ。それを知っていたから逃げなかった……。

「酷いよアサギ」

「酷い? 俺が作ったモノを俺が片付けた、それだけのことだ」

 淡々とそう語るアサギに、マサラティが尋ねた。

「死体を消したのは、その装置を見られないため?」

「ああ。機械を取り外すより早い。ドクターの領域を荒らして悪かったな」

「そんな問題じゃない! あなたはおかしいわアサギ」

 声を荒げたマサラティに、アサギは冷たく笑った。

「カウンセリングを受けに来いと?」

「ふざけないで」

 怒りを目に湛えてモニターをじっと睨むマサラティからこちらへと視線を向けて、アサギは薄く笑った。

「残念だが、アンジェラには装置を付けていない。だから自力で回収するしかないんだ」

 アンジェラは、アサギにも簡単に殺せない。それだけは救いだ。

「アーティー、どうだ? アンジェラを返してくれないか?」

「アンジェラは渡さない」

 隣のアンジェラを庇うようにしてそう告げると、アサギは小さく笑った。

「……そうか、それは残念だ。じゃあ賭をしないか?」

「賭け?」

「そう……俺はこれから警備システムを使って、アンジェラを捕らえる。ミーティングルームにいる限り、警備システムに攻撃はさせないから、怪我したくない奴は出るな。もちろんアンジェラ以外ということだが」

 尋ねるまでもなく、アサギは本気だ。本気でこの部屋から出た人間を殺す気だ。そしてアンジェラを捕らえてパスワードを聞きだした後、確実に殺す気だ。いや、記憶を無理に取り出すだけならば、アンジェラの生死は関係ない。

「だがなアーティー。もし俺が今いるところまで二人で無事に辿り着くことが出来たら、俺の負けだ。アンジェラと一部の受精卵に手を出すことはやめる」

「駄目! アーティー、私が行く」

 堪らなくなったようにアンジェラがそう叫んだが、アーティスに引き下がる気はない。アンジェラを守ると決めた。もう引かない。

「君が行っても何の解決にもならないよ。残った受精卵は救えない。だから……僕とアサギを探そう」

「アーティー……」

 悲愴な顔で見上げるアンジェラの手を握ると、アンジェラはその手を握り替えしてゆっくりと頷く。無抵抗にこの手を放すくらいなら、例え無謀でも立ち向かってやる。

「あたしも援護する」

 静かにそうスヴェトラーナが告げて、立ち上がった。

「スヴェータ……」

「俺も……って言いたいけど、俺は受精卵の状態を確認に行く。自分の目で見て、助けられる物があれば助けたい」

 デニスがそういって立ち上がった。黙ったままケイファも立ち上がる。

「お前はここにいろよ」

 怒った口調でデニスがそういうと、ケイファはデニスをにらみ返しながら呟いた。

「冗談じゃないわ。あんたなんかじゃ、救えるものも救えないんだから」

「悪かったな……」

 ふて腐れたようにデニスはそういうと、真っ直ぐにケイファを見つめた。

「いいんだな?」

「いいわ、行く」

 一人座ったままいるマサラティに、スヴェトラーナが声をかけた。

「ドクター、ここにいて」

「……私には何も出来ない?」

 寂しげにそう呟いたマサラティをスヴェータは強い口調で否定した。

「違う、全員の連絡をここで受けて。それで怪我人が出たら救護に当たって欲しい。ドクターがいなかったら、誰が救護出来る?」

 同期の親友にそう諭されて、マサラティは微笑んで小さく頷いた。

「了解……。みんな、気を付けて」

「結論は出たようだな。それならばそれでいい」

 満足そうにアサギがいった。モニター越しのアサギの声が、『箱舟』に告げるのが聞こえる。

「『箱舟』全警備システム作動。不信人物を捕獲、もしくは排除せよ。登録名・アンジェラ。脳の損傷だけは避けろ」

 何の迷いもない声だった。

「それからEH1、任務終了。ご苦労だった」

「ええ。お休みなさい、アサギ」

 エネノアが……エネノアの姿をしたアンドロイドがそう呟き、動きを止める。

「お休み……エネノア」

 アサギの優しい声と同時に、今までエネノアだと思っていたものが、ゆっくりと重たい音を立てて床に転がった。

「行こう、アンジェラ、スヴェータ」

 アーティスはアンジェラの手を握った。

「必ず探し出す。これ以上の罪なんて重ねさせない」

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